「知ってたよ」
つつがなく日々が過ぎると思ったのは、私が幸せで満たされていて、その心地好さに浸かっていたからからなのでしょう。
「姉様」
魔導院が休みでいつものように部屋で寛いでは読書を嗜んでいた私に、愛しの弟が訪ねて来ます。
ルビィが私の部屋を訪れる事は何ら不思議な事ではありませんし、家に居る時はままある事です。だからこそ私も何ら疑いもなく、快くお部屋に招き入れたのです。
今日は訓練がないのは私も知っていましたし、来てもおかしくないとは思っていました。ですが、やけににっこりとした笑顔まで携えて来るとは想像しておりませんでした。
いつもよりもにこにこと愛嬌の増した笑み。満面の笑みと言っても過言ではない、屈託のない笑顔は、何故だか私には不自然なものに捉えられました。
「どうしましたか?」
ソファの隣を空け座るように促せば、変わらぬ笑顔で私にくっつくように腰掛けます。それから私の腕に自らの腕を絡ませるように抱き付いて、じいっと私を見上げる。
ルビィも大分大きくなりその内私にも身長が追い付くであろう背丈ですが、この時ばかりはわざとなのか私を下から見上げるような体勢です。視線すら逃がさないように、体でホールドしているような気がしました。
「姉様、僕に隠し事してるよね?」
そうしてルビィの口から放たれたのは、疑問の体を取った確認。問う言葉は、確信めいた響きです。
ああ、いつまでも隠しきれるとは思っていなかったですが、まさかこんなにも早くに露見するとは。元からルビィは賢く鋭い子ではありました、優れた観察眼の持ち主なのだからもっと気を付けるべきであったのです。
「……どうしてそう思ったのですか?」
「僕は第六感が働くからね!」
「私より、母様似ですものね」
えへんと胸を張ったルビィは愛らしいです。けれどその印象を塗り替えるように、眼差しだけが真摯に此方に向いている。私と視線が交錯すればふっと掻き消したように笑みが消えて、色を正した表情。
「僕、姉様が隠してることは知ってるよ。でも、僕は姉様の口から聞きたい。ちゃんと嘘つかないで、誤魔化さないで、本当の事言って」
いつまでも、ルビィは幼い子ではありません。寧ろ、感情の機微を読む事に至っては母様くらいに長けています。本質を見抜く力は私なんかではとても足元にも及びません。
だからこそ私の、いえ私達の『隠し事』も看破してしまったのでしょう。私達の口から何も言わずとも、ちょっとした態度や空気、眼差しから真実に辿り着いた。
見抜かれているのにいつまでも隠そうとするのは、ルビィにも失礼でしょう。
眉を下げて微笑めば、ルビィは少しだけ瞳を伏せて、でも真っ直ぐに私を見つめ返します。
「……ルビィ。私は、ジルを選びました」
私の本音は、きっとルビィには喜ばしくないのでしょう。ルビィはセシル君の事が大好きだし、きっとセシル君に本当のお兄ちゃんになって欲しかっただろうから。
けれど、私にも譲れないものがあるのです。たとえ愛しの弟から懇願されたとしても、曲げられない想いがあるから。
ゆっくりと言い聞かせるように呟いた私に、ルビィは覚悟を決めていたのか瞳を揺らしたものの、困ったように吐息を零すだけ。
「兄様は知ってるの?」
「ええ。応援、してくれましたから」
「姉様は兄様の気持ちを知ってるんだね?」
「……ええ」
私はセシル君の想いを知って尚、ジルを選びました。申し訳なさはあるけど、後悔はしていません。私が私の意思で選んだのだから。
ルビィも私の表情から意見を変える事はないと分かっているのでしょう、ただ静かに「……そっかぁ」と寂しそうに呟くだけ。駄々を捏ねようとはせず、瞳を伏せて私の腕にぎゅっと抱き付きます。
「……姉様の選択だから、僕からは口出し出来ないや。でも、僕は姉様には兄様が似合うと思ってたよ」
「ごめんね」
「兄様もばかなんだから。折角、僕も後押ししてたのに。兄様は本当に優しくて、甘い人だと思う」
そこが好きなのだけど、と複雑そうに笑う姿は、今までに見た事がないくらい大人びた笑みです。いつの間にか、ルビィは私が考えるよりもずっと成長していました。人の気持ちを尊重する事が出来るようになれた。
ジルが嫌、とは一言も言いません。ただ、残念そうに私の肩に額を当てては抱きつきを強めるだけ。ルビィにも、申し訳ない事をしているのは、自覚しています。けれど、これは私の選択。
ごめんね、と体勢を変えてルビィを胸元に誘えば、素直に抱き付いてぎゅうっと背中に手を回して来ます。頭を撫でてもう一度「ごめんね」と囁けば、少しだけ震える背中。
「姉様が選んだなら僕は姉様には文句を言ったりしないよ。姉様の選択だもの、姉様の幸せを願わない訳がない」
……ああ、何ていい子に育ったのでしょうか。
私の弟で収めるには勿体無いくらい、賢くて優しくて思い遣りのある子。
優しく頭を撫でて、ありがとうと心からの感謝を呟き抱き締めると、ルビィは顔を上げて少しだけ悪戯っぽく微笑みます。
「でもジルには怒ってるから今からジルにねちねち言ってくるね! よくも僕の姉様を~って」
「……手加減してあげて下さいね」
「それはジルの態度次第?」
湿っぽい空気を振り払うように茶目っ気たっぷりに微笑んだルビィ。もう、と苦笑すればふと笑みを消して静かに私を見上げてきます。
「僕だけじゃないよ。今は父様気付いてないけど、気付いたら僕以上に辛辣になると思う。ジルは姉様を攫うにあたって、誠意を見せてくれないと認められないよ」
「……分かっています。私からも、本気である事はいずれ事実と共にお話しします」
いつまでも逃げたりしませんよ、と背中を撫でれば、ぽふんと胸に顔を埋めて甘えるように頬擦りするルビィ。きっと、もうすぐ私がルビィだけの私でなくなる事が、分かっているから。
「……あのね、僕は兄様大好きだけど、それ以上に姉様が好きだよ。だから姉様がジルを選ぶなら、それが幸せな事なら、僕は応援する」
「ルビィ……」
「でも納得出来ないからジルには文句言ってくるね!」
顔を上げてにこにこ笑ったルビィは、名残惜しそうだったものの私から離れて立ち上がり、背中を向けます。
いつも子供だと思っていた背中は、私が考えていたよりも、大きくて、逞しい。もう甘えるだけの存在じゃないよ、そう背中で語っている気がしました。
「ルビィ」
「なぁに?」
少しだけ振り返ったルビィに、私は出来得る限りの笑みを。心からの感謝を、顔に乗せます。
「……ありがとう、ルビィ」
「僕は姉様の味方だもん」
胸を張り誇らしげに瞳を細めて微笑んだルビィは、言葉を受け取ってから部屋を出ていきました。
紅玉の瞳がほのかに湿っていた事を指摘したら、きっとルビィは拗ねてしまっていたでしょう。「僕だって男なんだから格好くらいつけさせて」って。
……ルビィの願いを分かっていたからこそ、苦しい。けれどこれは私が選んだ事であり、自業自得でもあります。
だからこそこの苦しみは胸の中に収めて、誰に見せるでもなく微笑みます。
ありがとう。そう小さく呟いて。




