第30話:どうかもう無理をしないで下さい
部屋につくと、使用人たちがせっせとワイアーム様の体を拭いていた。ただ、まだ意識がないようだ。
「皆様、ご苦労様です。ワイアーム様は、まだお目覚めにならないのですね」
「おはようございます、セーラ様。はい、殿下はまだ目覚めておりません。ですが、きっと今、必死に回復しようと体が働いているのでしょう。殿下は起きていると無理をなさいますので、お休みになっていらっしゃる方が、ちょうどよいのかもしれません」
そう言って執事が笑っていた。確かにワイアーム様は、起きていたら無理をするかもしれない。でも、こうも眠ったままだと、やっぱり心配ね。
「セーラ様、よかったら殿下の手を握ってあげてください。殿下はセーラ様の温もりが大好きなのです。意識がなくても、きっと体はセーラ様の温もりを感じ取ると思いますよ」
「そうなのですね、分かりましたわ」
執事に言われ、そっとワイアーム様の手を握った。温かくて大きな手。
そうだわ、ワイアーム様が好きだった、あの歌を歌おう。昔ワイアーム様が
“セーラを初めて見た時、歌を歌っていただろう。あの時の歌声が本当に綺麗で、つい聞きほれてしまったよ”
そう言ってくれたのだ。早速あの歌を歌う。なぜだろう、この歌を歌うと、心が穏やかになるのだ。
「セーラ…?」
ん?この声は…
ワイアーム様の方を見ると、エメラルドグリーンの瞳と目が合った。
「ワイアーム様、目が覚めたのですね。よかった」
嬉しくてワイアーム様に抱き着いた。
「セーラ、どうしてここに?もしかしてこれは夢なのか?あれほどまでに苦しかった胸の痛みも、喉の焼き付くような痛みも消えているし…そうか、ここは天国なのか。天国でも何でもいい。セーラが傍にいてくれるのだから…セーラ」
ギュッとワイアームさんが抱きしめ返してくれた。ただ…力が強すぎる。
「バイバーブざば、ぐるじい…」
「すまない、つい強く抱きしめてしまった。しかし天国でも、苦しみなどがあるのだな…でも、なぜセーラまで天国に?あれ、この部屋は…」
「ここは天国ではありませんわ。ワイアーム様のお部屋です。ワイアーム様、お兄様と執事の方から全て伺いましたわ。私の為に、命を削って龍の力を使ったのですよね」
「あれほどまでに、セーラには黙っておけと言っただろう?それなのに!セーラ、違うんだ。僕はただ…」
「ワイアーム様、もう何もおっしゃらないで下さい。私の為にそこまでして下さっただなんて…そうとも知らずに私は。本当にごめんなさい。これからはずっと、ワイアーム様のお傍におりますわ」
そう伝えると、そっとワイアーム様に寄り添った。大きくて温かいワイアーム様の胸板。心臓の音もしっかり聞こえる。
「これはやっぱり、夢なのか?夢にまで見たセーラが今、僕の腕の中にいるだなんて…おい、僕をぶん殴ってみてくれ。もし夢だったら、覚めない方法を考えないといけないから」
「もう、ワイアーム様ったら。これは夢ではありませんわ。ちなみに私たち、昨日正式に婚約し直しました。今日にも貴族たちに通達が行くとの事です。ワイアーム様、私の為に、本当にありがとうございました。ワイアーム様の体調が戻るまでは、私が精一杯お世話をさせていただきますわ。これから毎日王宮にも通うつもりです。ワイアーム様の体調が戻り次第、社交界にも顔を出しましょう」
この8カ月近く、ワイアーム様とはずっとすれ違っていた。だからこそ、これからは離れていた時間をしっかり埋めたいのだ。
「ありがとう、セーラ…僕の大切な人。今度こそ、絶対に幸せにするよ。あいつなんかに、絶対に渡さないから…」
あいつ?一体誰の事を言っているのかしら?
「ワイアーム様、あいつとは一体?」
「いいや、何でもないよ。せっかく今日は、セーラが来てくれたのだ。ゆっくりお茶をしよう。そうだ、こんなところで寝てなんていられない。すぐに起きて…」
「ワイアーム様、あなた様は今、体調が思わしくないのです。無理は禁物ですわ。どうかベッドで休んでいてください。お茶なら、ベッドの上でもできますわ。それよりも、まずはお食事ですね。すぐに食事の準備をしてくれるかしら?」
「かしこまりました」
使用人がすぐに食事の準備をしてくれた。
「どうかたくさん食べて下さい。食べないと元気になれませんよ。はい、あ~んして下さい」
「セーラが食べさせてくれるのかい?それは嬉しいな。本当に夢ではないのだよね?」
「はい、夢ではございません。ワイアーム様、今まで色々と我慢されていたと伺いました。どうかこれからは、あなた様の思う様に生きて下さい。私はどんなあなた様でも、しっかり受け止めますわ」
なぜだろう、今はワイアーム様が愛おしくてたまらない。彼が私の為に命を削って動いてくれたから?
いいえ、それだけではないわ。きっと私は、ワイアーム様の事がずっと好きだったのだろう。
「ありがとう、セーラ。この8ヶ月、ずっとセーラに触れられなくて、気が狂いそうだったんだ。お言葉に甘えさせてもらってもいいかな?」
「ええ、もちろんですわ。どうか遠慮なさらずに、私に甘えて下さい」
そう言って胸を叩いた。まさかワイアーム様と、またこんな風に話しが出来る日が来るだなんて。




