鏡の中の“私”(6)
続きです。
もう一度鏡の前に立つ。
壊れた鏡に映るのは、欠けた歪な僕の姿だけだった。
もう彼女......或いは彼はその姿を現さない。理由は明白、僕が鏡を割ってしまったからだ。
どうしようもなくて、耐えきれなくて、鏡を割った。
僕もあんな風に笑えたら、僕もあんな風に自由になれたら......。何度も思ったことだ。
だけど今それを躊躇っているのは僕自身。
一体、僕はどうすればいいのか。
自分で決めるのが怖いから、僕は今割れた鏡の前に立っている。
もう一度会えたら、なんて言われるだろう。
鏡の中の僕はただ俯いていた。
いつからだったか分からない。
だけれど、僕は周りの人とは違った。
趣味嗜好なんでも、男らしくなかったのだ。アリスなんて言う名前に引っ張られたのかもしれない。だとしたら違う名前を付けてもらいたかったものだ。
それならこんな風に悩むこともなかったのだろう。
周りの女の子たちを羨ましいと思って、ちょっとした道具だけでも可愛らしいものを買ったことがあった。
そしたら、そんなものを隠し持っているのが怖くなって、直ぐに捨ててしまった。
親には昔から「無欲な子」と言われていたが、その実本当はどんなものが欲しいのか言えなかっただけ。
僕は今でも“私”に憧れている。叶わないことでも捨てることが出来ない。
だから鏡の中の“私”を見ているのが辛かった。
でもこんな僕を肯定してくれるのもきっと“私”だけだから、だからまた姿を現さないかと、心のどこかで期待しているのだ。
一通りは満足したようで、アリスが私のベッドに腰を埋める。
「その姿......鏡の向こう行っちゃったら戻るけど、どうする?帰る?」
「いや......いや、まだ。まだやめとく」
と言うのも聞きたいことがあるのだ。アリスの知識量なら、傷跡を隠して海水浴を楽しむ手段を知っているかもしれない。
アリスは私の言葉を聞いて、嬉しそうに足をバタバタさせていた。
「ふふん。何だかんだで気に入ったんだね!」
今の服装に関しては、まぁ嫌いではなかった。太ももの間に手を挟んで、とりあえずは安心感を得る。
「それでさ......ちょっと聞きたいことがあるんだけど......」
「ん?」
アリスが首を傾げると、長く柔らかい髪が肩から束になって垂れた。
「ファッションとか詳しいみたいだし......色々知ってるのかなって」
「うん!知ってるよ!」
誇らしげに胸を叩く。
その華奢な外見とは裏腹に頼もしかった。
「それで、何が知りたいの?」
「あの......傷跡を隠せる水着とかないかな?」
「傷......?」
アリスが、出来れば聞き流して欲しかったところに食いつく。いや、聞き流されたら意味ないか。
「友達が......」
何か上手い言い訳はないかと、頭をフル回転させる。
「友達が......そう!階段!階段から落ちて怪我しちゃって......」
咄嗟の思い付き感満載で言ってしまう。
が、アリスはそれで納得したようで「階段で!?」と驚いていた。
「そうそう。それで......傷跡を隠して海水浴に行く方法はないかなって」
アリスが少し考える素振りを見せるが、直ぐに答えが出たみたいだった。
「ちょっと水着感は下がっちゃうけど、長袖のやつがあるよ!それじゃなきゃ、テープで隠すっていうのも......」
アリスがポケットをまさぐる。
すっかり見慣れた光景だった。
「んしょ......」
ポケットから飛び出したのは、先程言っていた長袖の水着というものだった。
長袖の水着と言われて、てっきりウェットスーツみたいなものなのだろうかと思っていたが、ぱっと見ではテニスをしてる人が着ているような感じのものだった。
しかしその生地はちゃんと水着と同じ素材だった。
そのサラサラした表面を撫でる。
これなら差し支えないだろう。さくらがどう思うかは分からないけど。
「どうかな......?それなら結構可愛いし、手足も隠れると思うけど......」
「うん......うん!いい感じだと思う!」
手触り確認のついでに、匂いも嗅ぐ。いかにも水着ですって感じの匂いだった。
「よかった!お友達にも聞いてみるといいよ!」
アリスが嬉しそうに私の手を水着ごと引ったくる。
手の甲からじんわりと、アリスの体温が流れてきた。
「ありがとうね」
気の利いた言葉も出ないので、素直に感謝を口にする。
アリスはそれに照れ臭そうに笑って答えた。
「私も。私もきららに会えてよかった!もう一回、なんとか私も話してみる」
急に繋がらなくなった自分自身について言及する。
アリスも問題を抱えているみたいだが、きっとアリスの前では何でも些細なことなんだろうと思う。
彼女から溢れる自信が私にそう思わせた。
「きっと、きっと上手くいくよ」
アリスはそれに親指を立てて笑った。
「任せなさい!」
続きます。




