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不思議な男の子との出会い 7

 ザック・ニールと別れ、彼が湖から立ち去るのをちゃんと見届けたあと。

 クロエがアジサイの茂みの裏を覗くと――。


「マリオン!?」


 思わず驚きの声を上げてしまった。

 なぜなら、膝を抱えてうずくまっているマリオンが、ぽろぽろと大粒の涙を流していたからだ。


「いったいどうしたのよ!?」


 かなり長い間、隠れていたから、足が痺れてしまったのだろうか?

 クロエにも覚えがある。

 確かにあれは涙が出るほど痛い。


 ところがクロエの予想に反して、マリオンはすくっと立ち上がってみせた。

 片足を不自然に宙に浮かせているわけでもない。

 どうやら痺れとは関係ないようだ。


「ごめんなさい。私、嬉しくて」

「え……?」

「こんなふうに庇ってもらえたのは初めてだったから」


 このくらいで、という言葉はなんとか飲み込んだ。

 そういえばマリオンは、今まで一人も友達がいたことがないと言っていた。

 クロエからしたら大したことのない一件でも、きっとマリオンにとっては、涙を流すほど嬉しかったのだろう。


(初めての友達、ね……)


 初めての友達、初めて優しくしてくれた相手。

 その人が教えてくれた心の触れ合い。


(確かに特別なことだわ)


 スティードの出会いを思い出せば、マリオンの気持ちも、わからなくはなかった。

 ただ、自分が誰かの感情をこんなにも揺り動かしたと思うと、妙な感じがするのだ。

 背中のあたりがムズ痒くなる。

 多分、そう、気恥ずかしさのせいで。


「クロエ? 眉間に皺が寄ってる……。もしかして怒った?」

「へ!? ち、違うわよっ!」


 照れ隠しから、ついつっけんどんな態度を取りそうになるが、グッと堪える。

 こんなに喜んでくれたマリオンの思いを踏みにじりたくはなかった。

 マリオンにハンカチを差し出し、涙を拭くよう伝えながら、クロエは密かに誓った。


(私もこの子を友達として、ちゃんと大切にしたいわ)


 マリオンに他に友達がいないなら、なおのこと。


 彼女が自分を破滅させるかもしれない存在なのは、もちろんわかっている。

 それについてちゃんと考えはあるのかと言われたら、いいえと言わざるをえない。


(今日のことをスティードに話したら、間違いなくお説教されるわね)


 クロエにベタ甘なスティードだけれど、ああ見えて意外と口うるさいところがあるのだ。


 スティードの小言を想像すると気が滅入ってきたので、クロエはため息をついたあと、ささっと臭いものに蓋をしてしまった。


 厄介な問題が起きても、最終的にはなんとかなると思ってしまうのがクロエの悪い癖だ。

 そのことで、母からはしょっちゅう怒られていた。

 目下のところ直すのは難しそうだ。

 これから先その悪癖で死ぬほど困ったら、向き合う必要が生じるかもしれないけれど。

 こればかりは性分の問題だし、いつまでもしつこく考えるなんて自分には向いていない。


(それに今は、マリオンとザック・ニールに関する問題の方が差し迫っているわ!)


 ザック・ニール問題を優先させるほうが絶対に正しい。

 そう信じて、クロエはさっさと気持ちを切り替えた。


「ねえ、マリオンはどうしてザック・ニールに捜されてたの? 私、自分がマリオンだって言っちゃった上、彼から明日の午後誘われちゃったんだけど……。これってまずかったわよね? あなたを庇おうと思って、逆に余計なことしちゃったわ。ごめんなさい」

「そんな! 謝らないで! クロエのおかげで、私は見つからずに済んだもの。私のほうこそごめんなさい。クロエを巻き込んじゃって……」

「あら、それは気にしないで。私がしたくてやったことだから」

「クロエ……。あなたって本当にいい人ね……!」


 感動したマリオンが、勢いのまま、がばっと抱きついてきた。


「ええ!? ちょ、ちょっとマリオン……!?」

「私、あなたがくれた優しさを忘れない! いつか必ず恩返しをするから!」


 ぎゅうっとされ、頬をすり寄せられると、クロエの頬がぼぼぼと熱くなった。

 こんな率直な友愛表現を受けることなんて初めてだ。

 スティードとロランドは、さすがにここまでしてこない。


(確かにこれって、同性の友達だからこそ許される距離感だものね)


 嫌ではないけれど、とにかく恥ずかしくてしょうがない。


「マリオン。えと、あなたが感動してくれたのはわかったから、そろそろ離してちょうだい」


 マリオンは最後にもう一度ぎゅっとしたあと、クロエを解放してくれた。


(大人しい子かと思ったら、意外と情熱的なのね……)


 まだ頬が熱いのを隠すため、そっぽを向いて乱れた髪を整える。


「私もあなたみたいないい人になりたいな」

「む」


 聞き捨てならなくて、顔を顰める。

 二度もいい人と言われてしまった。

 クロエが目指しているのは『悪人』であって、間違っても『いい人!』と言われるような存在じゃない。


「あのね、マリオン。どうせ私のことを褒めるのなら『悪人ね!』って言ってくれなきゃだめよ」

「え? あなたのどこが悪人なの?」

「……!」

「クロエは泣いてる私を宥めてくれたし、とっても優しい人よ」


 マリオンが嬉しそうに微笑む。

 クロエは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

 なんということだろう。

『いい人』だけでなく、『優しい人』とまで言われてしまった。


(私もまだまだね……)


 なんとしてもその印象を変えたいけれど、マリオンとは友達になったのだ。

 これからいくらでも本当のクロエを知ってもらう機会はある。


(話を戻さなくちゃ)


「ザック・ニールについて、言える範囲で説明してくれない?」

「もちろん。恥ずかしい話だけど聞いてくれる……?」


 頷き返すと、マリオンは気まずげに視線を彷徨わせたあと、意を決したように説明しはじめた。


 マリオンの話は、クロエをかなり驚かせた。

 なんと彼女は、ザック・ニールとの間に、婚約の話が持ち上がっているのだという。


 マリオンの実家ベリー子爵家は、北に領土を持つ由緒正しき名門貴族だ。

 けれど、家はかなりの財政難で、没落寸前らしい。

 言われてみれば、そんなことをスティードが言っていた。

 ヒロインは没落令嬢だと――。


 かたやニール家は、爵位は持たないもののの林業で財をなした大金持ちだ。

 そのうえザックは、ニール家の嫡男だった。


 マリオンの両親は、子爵家を建て直す唯一の糸口として、婚約をなんとしても成功させたがっていた。

 ニール家にとっても、名家との繋がりをお金で得られるまたとないチャンスなのだろう。

 マリオンの意思は確認されないまま、婚約の話はどんどん進んでいき、ついに顔見せの日がやってきてしまったのだという。

 それが今日。


 マリオンは悲しげな顔で、両家のためになるのはわかっている、と呟いた。


「だけど……私、夢があるの。お医者さんになって、お母さまの病気を治してあげたい」

「まあ! 素敵な夢じゃない」

「ありがとう。でもその夢は、婚約した途端、死んでしまう」


 女性は結婚と同時に、家に入ることが当然のように求められている。

 でも医者を目指すなら、大学に行って、医学を学ばなければならない。


「両親は、私が十八で王立学園を卒業するのと同時に、結婚させるつもりなの」

「なるほどね……」


 婚約が決まった段階で、大学進学の道は確実に絶たれてしまうわけだ。


 夢が死ぬ。

 さっきマリオンが口にした言葉は、クロエの心にずしんとした重みを残していた。


 同じように夢を追う者として、彼女の辛さはよく理解できる。

 もし悪役令嬢を目指すのをやめるよう、誰かから命じられたら――。


(私だったら、暴れて、喚いて、全力で反発するわ)


 暴れるまではいかなくても、マリオンも同じように行動を起こしたようだ。

 彼女は味方のメイドに助言をもらい、男装をして、顔見せの会から逃げ出してきたのだという。


「ふふっ。だから男装していたのね。やるじゃない」


 思い切りの良さを気に入って、クロエはマリオンをますます好きになった。


 マリオンの事情は、これでよくわかった。


(あら? でも変ね?)


 マリオンについては、スティードが色んな情報を与えてくれた。


(だけど婚約の話は初耳だわ)


 それに、マリオンが医者になる夢を持つ少女だというエピソードも聞いていない。

 スティードはどうして話さなかったのだろう。

 彼が伝え忘れたとは考えられず、奇妙に感じた。

 マリオンがこの避暑地で男装していることを知っていれば、クロエだってもうちょっと慎重に行動していたと思う。


(お陰でマリオンと友達になれたのだから、別に構わないけど)


 考え込むクロエの傍らで、マリオンが悲しげなため息を吐いた。


「やっぱり逃げたのは間違っていたかも。それで問題が解決するわけじゃないし。ちゃんと向き合って、なんとかしないと」

「なんとかって、具体的に案があるの?」

「えっと……私、ザック・ニールさんに嫌われるように振る舞ってみる。そうすれば嫌気がさして、向こうから断ってくれるかもしれないでしょう?」


 マリオンの言葉を聞いて、クロエはザック・ニールのことを思い出した。

 あの油断ならない曲者少年を、マリオンがやり込めることなんて、どう考えても不可能だ。


「あ! そうだわ! 私がその役をやってあげる!」

「え!?」

「どうせマリオンのふりをしちゃったし、向こうはまだ信じているもの」

「で、でも……」

「それともマリオンは、彼に嫌われる自信がある?」

「そ、それは……」

「ザック・ニールってかなりの捻くれ者よ。あなたみたいな素直な女の子、あいつのいいようにされそうで不安だわ」


 クロエの言葉に、マリオンがサーッと青ざめる。


 ザック・ニールはわざわざマリオンを捜しにきたくらいだ。

 婚約に乗り気だと思っていいだろう。

 クロエには、マリオンがザック・ニールに言いくるめられて、意思に反した婚約を強いられる姿しか想像ができなかった。


(そんなこと絶対させるものですか!)


「心配しないで、マリオン。私だったら、人に嫌われるぐらい楽勝よ! 悪役令嬢を目指すものとして、うんと傍若無人に振る舞ってやるわ!」


 友だちとして、マリオンに協力したい。

 その一心で、クロエはかなり前のめりになっていた。


「安心して。人に嫌われる自信はかなりあるわ」

「だけど……クロエに助けてもらってばかりになってしまうわ」

「水臭いこと言わないで。私たち、友だちでしょう! 友だちはお互いのピンチに力を貸しあうものだと思うのよ! だから今回は甘えてちょうだい」


 クロエは胸を張ると、景気よくトンッと拳を当ててみせた。


「それじゃあ明日。約束の時間の前にあなたの家に行くから、場所を教えてくれる?」


 まだ戸惑ってはいるようだけれど、マリオンは子爵家の別荘がある場所を教えてくれた。


「クロエ、頼ってばかりでごめんなさい。あなたのためにできることがあったら、いつでも言ってね。私、あなたのためならどんなことでもする!」


 またマリオンが抱きついてきたけれど、今度はなんとかクロエも抱きしめ返すことができた。


(よーし。明日、がんばるわよ!)


 ――クロエがはりきってカントリーハウスに戻ると、エントランスの大理石に腰を落としたスティードが、青ざめた顔で出迎えてくれた。

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