20 頑張ったご褒美?
(こんどこそ!)
行きがあれば、必ず帰りがある。音楽室からの帰り道は絶対にちなちゃんをつかまえると決めた。
だって、よく考えてみたら迷っている場合じゃない。
俺みたいに普通しか取り柄がない男は、好きな子にこっちを向いてもらいたかったら生半可な努力じゃダメなのだ。不退転の決意で臨まないと、幸せはつかめない。
(急げ!)
終了と同時にちなちゃんを確認。彼女は俺の右側二つ目の席。机の上に荷物を重ねているところ。あまり急いでいないようだ。
タイミングを見計らいながら立ち上がる。騒がしい中、俺の行動に気を配っているヤツなど――。
「ほらほら水澤、頑張れよ」
(いたよ!)
冷やかして来た宮田に抗議の目を向ける。そのあいだにちなちゃんは仲里と話しながら歩き出している。それを追って足を出しかけ、思い付いて振り返る。
「お前も来いよ」
宮田は少し驚き、でもすぐにニヤリと笑ってついて来た。
入り口に向かう列でうまい具合にちなちゃんたちの後ろに付くことができた。前方に、風間が隣に北井を連れて廊下に出たのが見えた。俺だって、と胸の中でつぶやく。
「次の授業、なんだっけ?」
のろのろ進む列の中で宮田に訊いた。とりあえずは自分がここにいることに気付いてほしいと願いながら。
すると宮田は「何で俺に話しかけてんだ!」と視線で非難し、それでも「英語。お前、予習してきた?」と答えてくれた。
「うん。英語はいつもやってる。やらないとついて行けないから」
「単語調べか?」
「そう。あと教科書読むんだ。3回くらい声に出して」
「えっ?」
反応して振り向いたのは仲里だった。毛先のはねたショートカットの小さな顔が驚いて見上げてる。ちなちゃんもそっと振り返ってくれて、そこでちょうど廊下に出た。
「教科書音読してんの? 予習で?」
質問する仲里がそのまま俺の隣を歩きはじめる。そしてちなちゃんは……その向こうを。
(一緒になれた! やった!)
「うん。声に出した方が意味が分かるような気がして。……やらない?」
最後の部分は意を決してちなちゃんに呼びかけた。彼女は驚いたように一旦まばたきをしてからゆっくり答えてくれた。
「つぶやいてみるときはあるけど、音読って感じではないかな……」
「今度やってみてよ。リズムが入ってくるっていうか、気持ちが入ってくるみたいな気がするから」
「気持ちが入るって言ったって教科書じゃん。面白くもなんともないよ」
仲里に割り込まれた。思わず顔をしかめている間に、ちなちゃんが後ろの宮田を振り向いた。
「宮田くんは? 声に出して読む?」
「俺は単語調べで精いっぱいだな」
「あたしも! 仲間だね!」
同意した仲里が、ぴょこんと跳ねながら宮田に並んだ。宮田は笑って「おう、仲間仲間」と応じる。そんな二人からちなちゃんに視線を戻す……と。
(隣だ……)
少しばかり距離は空いているけれど、俺と彼女の間には誰もいない。隣同士だ!
(このまま近寄ってしまえば……あ)
様子を窺おうとして目が合ってしまった! しかも、あわててそらしてしまった!
(馬鹿だろ、俺は!)
ここは何でもないふりをしなくちゃいけないところだったのに。これじゃあ、俺がちなちゃんと話したくないみたいじゃないか!
さり気なく上履きを点検するふりをしながら宮田と仲里の動向を窺うと、今度は声の話で盛り上がっていた。ちなちゃんも笑って合いの手を入れている。笑顔だけど、さっきの俺の態度を勘違いされているかも知れない。それはこの休み時間のうちに、絶対に、確実に払拭して、好感度をアップさせなくては。
(よし、決めた!)
知らんぷりして話題に割り込みつつ、セリフを準備する。チャンスは一度。この集団がばらけるとき。
その瞬間を想像してそわそわしてしまう。それを隠すためにちょっと大げさに笑ったり。そして――。
(来た!)
2年1組の後ろの入り口。控えめなちなちゃんがほかのメンバーを先に通すために横にどいて立ち止まる。
(予想どおりだ!)
俺も入り口の反対側に待機。宮田と仲里が「あ、サンキュ」などと軽く言って通り過ぎる。それを見送りながら、鼓動がだんだん強くなる。
(負けるなよ!)
自分で自分に喝を入れ。
そこでちなちゃんに目を向けた。視線が合ったその一瞬で、ちなちゃんは「お先にどうぞ」という俺の意図を察した。
「ありがとう」
それにうなずいて、彼女の後ろについて入り口を抜けながら。
「俺、ちなちゃんの声……好きだな」
ちなちゃんがサッと振り返った。目をぱっちりと見開いて。
周囲が気になるものの、ここで言い切ってしまうのだ! 頑張れ、俺!
暴れ出した心臓が静まることを祈りながらありったけの勇気を振り絞る。幸い、入り口からちなちゃんの席まで誰もいない。俺たちに注意を向けている生徒もいない……と信じて。
「あー、ほら、この前、選挙で演説してたじゃん? あの声……とかしゃべり方、前からいいなって思ってた」
「ほんとに? ……ありがとう」
まだ少し驚いたまま、恥ずかしそうに彼女が言った。それに無言でうなずいたけれど、自分の頬が熱くなっているのがはっきりわかる。
ちなちゃんは自分の机まで行くと、荷物を置いてくるりと振り返った。
「この前、ミアにも言われたんだよ。演説してるときはカッコいいって」
「え、そうなんだ……」
(先を越されてた。しかも仲里に……)
頭が真っ白になった。あんなに考えて、必死で言ったのに!
俺は誰かと同じことしか思いつかない平凡な男なんだ……。
「あのね?」
声が聞こえて、落胆でぼんやりしかけた焦点を急いでちなちゃんに合わせる。
「うん」
「あたしもね」
そこでちなちゃんは迷うように視線をさまよわせ、それから少し楽し気に、そして秘密を打ち明けるような表情で俺を見上げた。その目を見た瞬間、今からいいことが起きるという予感にハッと息を詰めた。
「水澤くんの声、いいなって思ってた」
「う……」
そのまま呼吸の仕方がわからなくなる。焦っているうちに息がフッと漏れ、同時に心臓が一層強くドン、と打った。
「剣道部で鍛えてるからかなあ? 良く通るきれいな声だなって思ってた」
丸っこいメガネの向こうから迷うように見上げる瞳。ふっくらした頬とにこにこと口角が上がった唇。その笑顔もストレートな褒め言葉もやさしくてやわらかい。なのに俺にはまるで正面から大きなものがぶつかってきたような衝撃で、思わずよろめきそうになった。
「え……、はは、ありがとう」
心臓の音がガンガン耳に響いてる。と思ったら、ニヤニヤ笑いが浮かんできた。頭をぐちゃぐちゃに撫でまわしたくなってくる。
「いや、なんか……へへ、そんなこと言われたの初めて」
「そう? 前から思ってたよ?」
「そ、そっか。サンキュー」
何がなんだかわからない。視点は定まらないし、足元がふわふわしてきた。その場で倒れたらカッコ悪いので、とりあえず自分の席に向かって歩き出すことにした。彼女に背を向けてから、自分の言った「サンキュー」が軽すぎたような気がして後悔の念が湧いてくる。でも。
(俺の声、好きだって……)
俺の何かを好きだと言われたことなんて――いや、ちなちゃんは「好き」という言葉は使わなかったけど、同じことだ――今まで一度も無かったけど……。
(一番最初がちなちゃんだなんて!)
教室中を飛んだり跳ねたりしたい気分だ!
なんとか無事に自分の席に到着。荷物を置いて振り返ると、ちなちゃんはもう何事も無かったように英語の教科書とノートを準備している。でも……。
彼女の頬と耳がいつもよりも赤いような気がするのは、気のせいだろうか。
(また話しに行っちゃおっかなー♪)
だって、ちなちゃんは俺の声が好きなのだ。たくさん話せたら嬉しいに違いない! ……よね?




