82 幻惑
少し進んで確信した。見た目は森だが、ここは確実に迷宮の中だ。
どういう仕組みかは知らないが、魔物の死体も残らないし迷宮外とは考えにくい。
それと――
「うわあ――浮翔」
――それと、さっきからやたら罠が多い。もう既に五回くらいは罠に当たってる。狭い獣道は罠だらけだが、茂みに入ると魔物を見つけにくいから困る。
先頭は罠を躱しやすいハルティアさんに任せることにした。ユネは不服そうだが仕方がない。てか納得はしてるはずだ。さっき落ちて死にかけたからな。
「雑魚ばっかでつまんないにゃー」
「そうだねえ、拍子抜けだよう」
罠は凶悪だけど、とハルティアさんは付け足す。毒沼落とし穴ならまだいい方で、周りの木が全部倒れてきたときは流石に心臓止まるかと思った。
「――風槍」
ハルティアさんが風の槍を飛ばす。次いで魔物の死体が地面に転がる音。ずっとこんな調子で飽きてきた。眠くはないが欠伸が出てくる。
神、さては手抜いたな? これだから初心者はダメだ。俺ならどの階層も全力で――
「――あれ、ここさっきも来たかもねえ」
「ええー、そうだっけにゃー?」
「そうだよう。ほら、僕の魔力が少し残ってる」
「素因の残留魔力なんてわかんないにゃー……」
……もしや迷った?
なるほどな、魔物がやたら弱かったのはそういうことか。やれやれ面倒なことになったぞ。いや、むしろやっと迷宮らしくなってきた、か?
「分かれ道も多かったしねえ。ま、通ったとこは全部覚えてるし次は別の道行くよう」
「任せたにゃー」
ハルティアさん、記憶力良さそうな雰囲気あるもんな。ついてくだけでちょっと申し訳ない。道が細いせいで並んで歩くことすらできないのが困るな。
つーかいつの間にか辺り一面凄い霧だ。二人とはぐれないようにしないと……
*
……あれ? ここどこだっけ。俺今何して――ってオイオイ大丈夫か迷宮探索だ。急にどうした、俺。寝不足か? 一瞬脳みそがニートしてた頃に戻ってたぞ。
『天の羽衣により状態異常:幻惑を無効化しました』
罠踏んだわけじゃなさそうだ、ハルティアさんが躱した様子もない。
急に精神攻撃してくるモブが湧いたか? この霧が怪しいな。数メートル先も見えねえ。ハルティアさんもユネも見えなくなってる。
「――っ!」
嫌な予感がして屈む。直後、すぐ横をそれなりの重量の何かが通り過ぎた。
頬を少し切られたな。出血は大したことなさそうだがヒリヒリする。
ヒリヒリ? いやガッツリ痛い気がしてきたぞ。
『天の羽衣により状態異常:毒・麻痺を無効化しました』
出血は大したことないと言ったな。あれは嘘だ。
結構パックリ裂けてる。なんかヌルっとしたし。こんな汚い手で触っていいレベルの傷じゃない。
屈むのが一瞬遅れてれば首やられてたと思うと背筋が冷える。集中して気配を探るが、霧のせいで全くわからん。仕留めたと思ったのか、はたまた戻って殺す程でもないと思ったのか、少し経っても二撃目は来ない。
「――……時遡」
念のために小声で。傷が深いせいで時間かかりそうだし、移動は治しながらだな。
……どこへ? 下手に動いて二人と離れるのも危険か。なんたってこの霧だ。
仕方ない、大声で呼ぼう。遅延くらいはすぐ撃てるように準備して。
「ユネー! ハルティアさーん!」
ああダメだ、来た。聴覚が発達してない可能性に賭けてたが、どうやらそんなことはなかったらしい。
「――遅延!」
効いたか確認する余裕もない。とにかく今この場所に留まるのは間違いなく悪手、てか死ぬ。
だが離れすぎるのも大概まずい。返事してくれ二人とも。
「ってハルティアさん!?」
左手の木に寄りかかって座り込む姿。うっすら見えた髪色からして多分ハルティアさんだろ。よく見つけたな俺、運がいい。
「ハルティアさん?」
返事はない。が、目立った傷もなさそうだ。
気絶、か? いや、寝息……?
「しっかりしてください寝てる場合じゃないですよ!」
「ん………………」
少し揺するとハルティアさんは目を開いた。だがその眼は虚空を見つめるばかり。
そうこうしてる間にも気配は近付いてくる。
「ハルティアさん、ひとまずこの場から離れましょう! そしてユネを探さないと」
「……ユネ? いえ、それより、ここは何処です? 風の精霊の声も小さい――母上は? まさか……まさか、また私の魔力が暴走したと言うのですか?」
勘弁してくれ何を言ってんだ。てかなんだよその喋り方。
「とにかく逃げますよ! ほら」
「見慣れない姿ですが……貴方は?」
「んなこた逃げながら教えます! 思い出してくれるのが一番ですけどね!」
腕を引っ張って、半ば強引にハルティアさんを立ち上がらせる。そのまま走ってユネの名を叫び続ける。返事はない。
「それにしても邪魔な霧だ――風刃」
風の刃が真っ直ぐに飛んでいき、前方の霧が晴れる。ユネの姿は見当たらない……が、その手があったか。
「ハルティアさん、今こそ大嵐をお願いします! あれならこの霧だって一気に吹き飛ばせる――」
「大嵐? はは、可笑しなことを言う人だ。あれは、ファルンスターク家では現当主――私の父上にしか扱えない大規模魔術です。それもかなりの準備が必要、貴方もご存知でしょう?」
いや知らないが?? この世界だと当然知ってるような知識なのそれ?
「――おや、てっきり使用人だとばかり思っていましたが……その様子では違うようですね。ますます貴方がわからない」
そう言って笑うハルティアさん。さっきまでと同じ声、同じ笑顔なのにまるで別人に見える。
こうして見ると結構イケメンだな。ずっとそのキャラでいれば?
「それに……わざわざ大嵐なぞ使わずとも、霧を晴らす程度ならわけありませんよ」
ハルティアさんが杖を頭上に掲げる。
「危険ですから、側の木にでも掴まっておいてくださいね」
魔力みたいなものがハルティアさんに集まっていく。本能でヤバいってわかるこの感じ。大嵐のときの感覚に近いぞ。
「古なる風の精霊よ、契約者、ハルティア・ベス・ファルンスタークが願う。永久の契約に従い、その力を我に貸し与えたまえ。さすれば、汝が器を我が力で満たさん――」
空気が変わった。嫌な緊張感だ。大嵐程じゃないんだろうし、この木に掴まってりゃ大丈夫だよな。折れたりしたら許さん。
「――障害を払い除けよ――吹風!」
ハルティアさんを中心にとんでもない突風が巻き起こる。これもうほぼ大嵐じゃねえか。中心に背を向けておいたお陰で、吹き飛ばされることはなさそうだが。
「なんだか久々に詠唱したような気がしますね。先程まで魔力制御の訓練をしていたはずなのに」
全くなんの記憶だか。まあ確かにハルティアさんが詠唱してるのは初めて見たな。
……そういやこれユネ吹っ飛ばされたんじゃね? 上手いこと目覚めるだけに留まってりゃいいけど。
「ユネー! 起きてたら返事してくれー!」
「キチキチキチキチキチキチ」
突然、石を軽くぶつけて擦るような音が響く。それが魔物の鳴き声だと理解するのに数秒かかった。
そして、俺の頭に降ってきた液体が魔物の唾液だと気付くのに更に数瞬かかった。
「――風槍! ご無事ですか?」
「ご、ご無事じゃない……です……ね」
腰が抜けた。マジで食われたと思った今。
「こちらへ――吹風」
優しげな風が俺を包み込み、ハルティアさんの足元に運ぶ。さっきの偽大嵐と同じ魔術とは思えん。
「そう怯えずとも、魔物はすぐには襲ってきませんよ。今の一撃で目の一つを潰しました」
目の一つって言い方に少し違和感を覚える。恐る恐る振り向くと――
「キチ、キチキチキチキチ」
残り七つの真っ赤な目で、大蜘蛛がこちらを睨んでいた。




