176 魔王
長い階段を抜けると、二階までとは打って変わって明るい雰囲気の通路が広がっていた。
そして、見る限りでは警備兵もいない。ほとんどいないんじゃなくて、一人も。
白や茶を基調とした割と豪華な内装は、どこかシレンシア城を思い出させる。ここが魔王城だなんて信じられない。二階までは本当に薄暗くて照明も蝋燭みたいな灯りだけで――いかにもって感じだったし。
っと、こんなこと考えてる場合じゃなかった。エリッツさんの話では、この三階に一際目立つ巨大な扉があるらしい。そこが王の間だとか。
一人も警備兵がいないから想定より楽に見つかりそうだ。これならエリッツさんよりも早く到着できるかもしれない。
「――あった」
巨大な扉。間違いない。他の木製のものとは違って、ここだけ黄金に縁取られた金属製だ。
慎重に触れると、扉は重い音を響かせて開き始めた。どうしよう、なんて言うんだっけ。考えてたことが一つも思い出せない。それもそうだ、間違いなく人生で一番緊張してる。
「おや、また異界の子か」
広い部屋の奥の玉座に腰掛けているのは、人間なら4、50歳くらいの見た目の男性だった。
表情こそ優しげだけど、その威圧感は確かに魔王のそれだ。魔王は目を逸らすと、僕の左前方を見た。
「エリッツさん!?」
そこに転がっていたのは見覚えのある鎧姿、間違いなくエリッツさんだ。駆け寄って脈を確かめる――まだ生きている。目立った外傷はないけど、剣は折れてる……つまり交戦した後ってことだ。僕は間に合わなかったらしい。最悪の展開だ。
「まあ落ち着きなさい。少し魔術で眠らせているだけだ。私とて、命を狙ってくる相手に怪我をさせないのは難しいからね」
意外なことに、魔王の声色は表情と同じように優しげなものだった。
「私は対話を望んでいるんだ。貴殿はどうだ?」
「僕も……私もそうです」
「それは良かった。さて茶の一つでも入れたいところだが、エシオ?」
側近らしい鎧騎士は首を横に振る。明かりを反射して兜が鈍く光った。
「この通り私たちの土地は飢饉……とまではいかずとも、軽い物資不足に陥っていてね。王族といえども質素な生活を余儀なくされているんだ。客人をもてなせないのは心苦しいが」
「い、いえいえ、お構いなく」
思えば、最初に行った村も、僕らが拠点にしてた街も、どこか寂しい雰囲気ではあった。曇り空のせいだとばかり思ってたけど、流行病とか災害とかがあったのかな。
「うん、ご友人かな。エシオ、椅子を頼むよ」
魔王の言葉に振り返ると、龍牙とシエル、そして二人に支えられて歩くルインの姿があった。
「みんな!」
「なんとか死者ゼロだぜ。……エリッツさんは?」
「気絶してるみたいだけど、無事だ。僕より先に到着してたらしい」
龍牙はハっとしたように魔王の方に向き直ると、深々とお辞儀をした。
「シレンシアから参りました、私はリョーガ――」
「そう固くならないでいい。魔王だなんだと言われているが、別に私は偉くはないんだ」
偉くないって、そんなはずがない。魔族のトップだし。でも謙遜をして言っているという風でもなかった。
と、エシオさんたちが豪華な椅子を持ってきてくれた。最後に渡されたのは薄めの敷き布団……? 気絶したエリッツさん用かな?
とりあえず龍牙に目配せして、その鎧ごと布団の上に運んだ。勇者じゃなければ持ち上げられなかったと思う。
「さて、まずは手荒い歓迎をお詫びしよう。実は事前に連絡があってね、貴殿らが来ることは知っていた。城内の兵が少ないとは感じなかっただろうか。彼らは融和に反対の者たちで、兵の中ではほんのひと握りに過ぎない」
少ないだなんてとんでもない。普通にかなりの数だと思ったけど。
「貴殿らもどうやら仲間内で意見を違えたらしい。融和派同士がこうして対話の席に付けたことを喜ばしく思うよ」
でも、結果的にはそれに救われたってことだ。全員で迎え撃たれたら、今頃ここに辿り着けてないかもしれない。
「貴殿らの目的は融和という話だが、異界の王から受けた指令はそうではなかった。違うかな」
「……仰る通りです」
「そうだろう。そこの聖騎士からもそれは明らかだった。彼女はお世辞にも友好的とは言えなかったからね」
そこで魔王は再びエリッツさんに目をやった。
「眠ってもらったままの方が楽ではあるが、それでは不公平か。――起きよ」
「……っ! 魔王!」
「念のため動きは封じさせてもらっている。それに、骨も何本か折れているから動かない方がいい」
エリッツさんは、目が覚めた瞬間に体を捻り起き上がろうとした。けど、魔王の言う通り大きくは動かせないらしい。
「そう睨んでくれるな。私たちは融和に向けた話し合いをしたい。争っても無駄に血が流れるだけだ」
「融和なんて! どうせ忘れているんでしょう、滅ぼした辺境の村のことなど!」
「忘れるものか。ライネルにミトラ、そしてイーラス。全て私の愚息によるものだ。今一度謝罪しよう」
スラスラと村の名前を挙げる魔王に、エリッツさんは一瞬目を丸くした。が、すぐに元の表情で口を開く。
「今一度? 魔族は人族にたった一度だって謝罪したことはないでしょう!?」
「……あまり言いたくはないが、異界の王は色々と隠し事をしているようだ。シレンシア側が謝罪を受け入れたという書状をお見せしようか。エシオ、あの棚の三段目だ」
エシオさんは隣の部屋に入っていくと、ものの数分もしないうちに戻ってきた。
手にしていたのは高級そうな紙の巻物。白い紙は久々に見た。ひょっとすると向こうの世界ぶりに。
魔王は巻物を広げて僕に手渡した。……けど、何が書いてあるのかまるで分からない。
龍牙も当然分からないみたいだし、シエルも頭に疑問符が受かんだような表情だ。
「この魔術刻印は偽装ではない印だ。聖騎士の貴殿なら分かるだろう。送ったゼレィトスの頭数まで残っている」
龍牙がエリッツさんの前に紙を持っていった。長い沈黙が場を支配した。
沈黙を破ったのはエリッツさんの細い声だった――嘘、と一言だけ呟いて、肩を震わせ、涙を流し始める。
「どうして……駄目なのに……こんな形で……」
「それが真実だ。異界の王が欲を出したのだろう。こんな枯れた土地を征服して何になるというのか。魔族と名付け追い出したかつての同胞を、今度は奴隷にでも落とす算段だったのか」
魔族は元は魔界に住んでいたわけじゃなかったのかな。最初の村でも魔界とか魔族とか、そういう呼ばれ方に対して思うところがあるような雰囲気だったし。
ただ一つ明らかなのは、僕らはいいように利用されてただけってことだ。ここまで大変な思いで旅をしてきたっていうのに。……怒りが湧いてきた。
魔王は小さく溜息をつくと、こちらに向き直った。
「話が逸れたね。とにかく、貴殿らは人族の王にこう伝えてほしい。''魔族とは融和の形で決着した''と。多くは望まない。ただ不干渉でいるだけでいい。私たちもそうあることを誓おう」
魔王はどこからか新しい紙――先ほどの書状と同じように真っ白の――を取り出すと、一言二言呟き、サインをした。
「これを異界の王に。近いうちに正式な使者も送る。そこの聖騎士が落ち着いたら、王族用の転移陣で帰るといい。異界の近くに繋がっているものがある」
いつの間にかエリッツさんの拘束も解けていたみたいだ。さっきの様子だと、涙を手で拭うことすら難しそうだったから。
「おおっと! 綺麗にまとまってもらっちゃ困るぜえ!」
――僕が手紙を受け取った瞬間、爆音と共に天井に穴が空いた。
そこから降りてきたのは、魔族の男。
「誰だ!」
龍牙の言葉には返答せず、ただそこでニヤニヤと笑っている。エシオさんたちも男を囲むようにしてじりじりと散開し始めていた。
「……何用だ、レイレス。入るなと言っておいたはずだが」
「ご丁寧に俺様だけ弾く結界なんて張りやがってよ。ぶっ壊すのも面倒だったんだぜ?」
レイレスと呼ばれた男は、低い声で叱責する魔王をものともせず、ヘラヘラとした様子で言葉を返す。
「この際諸々のことは不問に付す。即刻ここから出ていきなさい」
「冷てえなあ。息子の俺様にだって、お客人に挨拶する権利くらいあるはずだろ?」
息子、と聞いたエリッツさんの行動は素早かった。
「貴様が!」
折れた剣を拾って距離を詰める。が、やはり流石に無謀すぎた。何かの術に吹き飛ばされ、エリッツさんは地面に打ち付けられる。
レイレスは硬そうな革靴でその頭を踏みつけ、嗤った。
「いいよいいねえ最高だ! なあ異界の女! その目、その顔だ……額縁に入れて飾っておきたいほどに一色の憎悪!」
「やめなさい! これ以上の狼藉は許されない!」
斬りかかったからある程度は仕方ないのかもしれないけど、一応今の僕らは客人扱いだったはずだ。頭を踏みつけて地に擦り付けるなんて、度を越してるような気がしないでもない。
だけど魔王の言葉に耳を貸す様子もなく、レイレスは続ける。
「力さえあれば俺様を殺してやるって顔だ。たまんねえよな。弱え異界人は皆その顔をする。だがお前には力がねえ、そして手に入れる機会も永遠に訪れねえ!」
レイレスが腰の剣を抜いた。何をする気だ? まさか。
「いけない! ――茨よ!」
魔王の手のひらから茨が伸びる。龍牙とシエルも何かを唱えていた。それがとても遠くに聞こえるようだった。
振り下ろされる剣を、僕はただ見ていることしかできなかった。
「エリ姉!」
「姉さん!」
首元から勢いよく鮮血が噴き出す。助からない。助けられない。そんな。
「ああ……! なんてことを!」
「いーい匂いだ。極上の香水にも勝る」
「国賊レイレスを捕らえよ! 今すぐに!」
レイレスはエリッツさんの首を捩じ切り、髪を掴んで高々と掲げた。まるで僕らに見せつけるかのように。
どうしてこうなった。どうして。
「ヒュー! 本気で俺様のことを捕まえたいなら、殺す気でやんなきゃだめだぜ」
「くっ……!」
レイレスは余裕の表情で拘束魔術を躱し続ける。だけど時間の問題だ。包囲陣はどんどん狭くなってる。
動け、僕の足。あいつが連れていかれる前に。仇が討てなくなる前に。
「そうそう、これを待ってたんだ。てめーらが馬鹿みてえに俺様の近くまで寄ってくるのをな! ――平伏せよ!」
瞬間、エシオさんたちは地を這うように倒れ込んだ。魔王も含めた全員が。
「何だと……!?」
「長いこと魔力を溜めた甲斐があったぜ。じゃあなジジイ共。悪いがここで世代交代だ――消し飛べ!」
鼓膜を破るかのような轟音と、失明しかねないほどの閃光。咄嗟に腕で庇ったけど、視界は真っ白で何も見えない。
「誠、シエル、無事か!」
「僕は大丈夫!」
「ボクも平気だよ、でも何も見えない!」
二人は無事らしい。少し安心した。
数分で視界は元に戻り始めた。けどそこで見えたのは、信じられない光景だった。
「冗談だろ……」
「……ああ。冗談ならどんなにいいか」
目の前のほぼ全てが消滅していた。レイレスのいる場所を囲むようにして、円形に地面が抉れていた。
僕らの場所までは届かなかったようだけど、エシオさんも、魔王も、エリッツさんの亡骸も、その全てが消えてなくなってしまっていた。
「っと、気い失っちまってたか。だがこれで俺様が魔王に……なってねえだと? ありえねえ! 俺ほど魔王に相応しい奴はいねえだろ! 今日までどれだけ――あ?」
レイレスが僕らに気付いた。まずい。あんなのに勝てるわけない。
「おやおや、これはお客人方。ご無事なようで何よりだ。お仲間は残念でございましたねえ」
気色の悪い猫撫で声を出しながら、僕らの場所まで跳んできた。もう数メートルって距離だ。
「本当なら今すぐ血の海に沈めて差し上げたいところだが、てめえらは後だ。隠し玉は今使っちまったし、まず魔王の力を継承しねえとな」
レイレスは大袈裟な身振りで嘆いてみせ、僕らに背を向けた。
どうやら魔術でどこかに飛んでいくつもりらしい。なんとか助かっ、た?
「逃がさない――創造・土鎖!」
「龍牙!」
ダメだ。今追っても死ぬだけだ。僕はここで死にたくはない。
「おおっと危ねえ危ねえ。そう焦らねえでもちゃーんと殺してやるよ。いい子で待ってな、異界のガキ共」
「創造・雷裂……!」
龍牙の努力も虚しく、レイレスは一瞬にして遠くまで飛んでいった。
助かった。助かった、けど。
僕らは一体、これからどうすればいいんだ。
次回から第7章です。




