35 実はまだ心配していた喪失理由
「見てぇフィストさん! お花ぁ」
てちてちと小さな足を必死に動かして、泥だらけの手で黄色い花を掲げるエン。
高熱に魘されて、咳で食事もままならなかった幼い少女は、すっかり回復して今日も元気に走り回っている。
「うん。可愛い花だな」
「お母さん喜ぶかなぁ」
「勿論。エンが見付けた花だもんな」
「えへへっ! もっと探すぅ」
「うん。沢山摘んでいこうな」
「きゃー!」
エンは歓声を上げて走り出した。背丈は小さく手足も短いのに、移動速度はとても速い。小動物のように駆けていく。
(小さい生き物って行動が素早いなぁ)
いずれルミネもあれくらい走り回ると思えば、楽しみなような。怖いような……。
「二人とも。遠くには行くなよ」
「はあい!」
元気に返事をしたエンと、少し離れた場所で大きく頷いて見せたジョーイ。
フィストはジョーイとエンを連れて、川の上流まで来ていた。
子供達が、母親の回復のお祝いに、花を摘みたいと願ったからだ。
(綺麗な花が咲いているのが上流近くだから、子供だけで来ちゃだめな場所、なんだよな)
ちゃんとそれを覚えていたから、二人はフィストに付いてきて欲しいと願った。
断るような事でもないので、二人を引率してここまで来ていた。
花が咲いているのは、山水が滝となって落ちてくる川の根元。色とりどりの花が咲き、水しぶきで周囲は薄く霧がかかっている。水分を含む空気はひんやりとして夏場は涼しいが、寒くなってきた季節では少々冷たい。
(ジョーイは大丈夫だったけど、エンは病み上がりだからあまり連れて来たくなかったけど……お母さんにお花って言われたらなぁ)
ふんすふんすと鼻息荒く花を物色するエン。
なんだかんだ言いながら真剣に綺麗な花を見極めているジョーイ。
病魔の影響で寂しい思いをした子供達の慰めになればと、ついついここまで来てしまった。
ちなみにルミネは、スートと一緒にお昼寝中だ。
愛らしい我が子と推しの寝顔は楽園だった。守りたい。あの寝顔。
幸せな映像を描きながら念の為、川の様子を確認する。
頻繁に来るわけでないので異変があってもわからないが、目に見えておかしい所はない。最近は雨も降っていないし、増水した様子もない。上流だけあって流れは速いが、この程度なら万が一でもフィストなら助けられる。
落っこちないのが一番だが、子供は何をするかわからない。警戒に越した事はない。
(――そういえば、アスターはこのあたりでうっかり落ちたのか?)
上流で川に落ちたと証言していた、アスターの朧気な証言を思い出す。
荷物が流されたと言っていたから、下流は見に行ったが、上流は確認していなかった。
(改めて……あいつ、こんな所に何しに来たんだ?)
子供達は花を摘んでいるが、その花だってこの山奥でないと咲いていない花、というわけではない。
幻の薬草なるものがあると知ったのは最近だが、アスターもその幻の薬草を求めていたのだろうか。
(だとしても、まずは村に来るだろ。薬草の情報収集が必要だし……まさかうっかり道に迷って、村に辿り着けなかった……とか?)
ないと断言できないのがアスターの怖いところだ。
記憶を失ったからうっかりなのか、記憶があってもうっかりなのかは、うっかり荷物を落として自分も川に落ちている様子から察するものがある。
(もし薬草を探していたなら……アイツこそ、治したい誰かが待っている可能性、あるよな)
幻の薬草は、知る人ぞ知る……病に打ち勝つ為に縋る、希望の一つだ。
もしそれを探していたなら、治療相手がいるはずだ。
(確証はないけど、それ以外にここまで来る理由も思いつかねぇんだよな)
黄色い花を右手で摘んで左手で持つエンの手から、ぽろぽろ花が落ちている。気付いたジョーイが拾い上げ、自分が摘んだ花と一緒にしている。振り返ったエンが花の増えていない左手を見て、とても不思議そうにくるりと回った。足踏みをするように回る姿がとても可愛い。
(他に理由を挙げるとしたら、私と同じように何かから逃げてきた。世間がイヤになって山籠もりする途中だった。別の何かを探していた……)
ジョーイが抱えた花をエンに見せて、エンが左手に握っている花も一つに纏める。くるりとピンク色のリボンで縛ろうとして、数が多すぎたのか花がこぼれた。ぱっと飛び散った花に驚いて、けれど勢いに笑い声が上がる。
(……なんとなくだけど、思い過ごしな気がするんだよなこれに関しては……)
キャラキャラ笑いながら花を拾い集める子供達を見ながら、足元に落ちている手頃な石を拾う。重さを確かめるように弄び、周囲に視線を走らせる。
川は村の生活に関わる場所なので、魔物が近付かないように見回りの範囲内だ。
それなりに見回ったので魔物は近付いてこないはずだが、何事にも例外はある。
子供達に危険がないように、外敵にも目を光らせていた。
(もしアイツが、幻の薬草を誰かの為に求めていたなら……こう、焦燥感とか出している気がする)
手頃な石でお手玉をしながら、フィストは基本的に穏やかな表情をしているアスターを思い描く。
記憶を失った焦燥はあるだろう。しかし、アスターはいたって平和に日々を過ごしている。
記憶喪失と言うが、アスターは体験した出来事や学んだ知識は覚えている。忘れているのは自分自身の経歴で、世界の常識や倫理観はしっかり持っていた。
(あの善人が、誰かの為に必死に薬草を探していたなら、その目標は忘れないだろ)
根拠のない事柄だが、知識や常識を忘れていないのだから、あり得ない事ではないと思う。
(まーつまり、結局どれだけ考えてもわからねぇんだよな)
フィストは小さくため息をついて、六つに増えていた石を足元に落とした。
「……あ、おいこらジョーイ! そっちは危ないからダメだぞ!」
キャッキャと花を集めていた二人が、いつの間にか滝に近付いていた。危険なので二人に近付き、抱えるように抱き寄せる。
「川に落ちたらまた熱が出るぞ。危ないから離れて……」
「フィストさん、あそこなんかあるー」
「あそこ、何か引っかかってる!」
「は?」
二人揃って指差す先を見上げたフィストは、思わずスンッと表情を消した。
山水が落ちてくる、小さな滝。その滝が流れ落ちてくる入り口。
そこに、明らかな人工物……革の鞄が引っかかっていた。
どっかの誰かが落とした荷物が、引っかかっていた。
多分恐らくきっと、アスターの荷物が。
(……アイツもしかして、更に上から落ちてきたのか!?)
アスター、小さいとはいえ、滝から流れ落ちてきていた説が浮上した。
やっぱり記憶喪失の原因は、フィストがぶん投げた所為ではないかもしれない。
「うっわ、すっかり嵌まっちまってる……」
引っかかっている荷物を確認したフィストは、ひとまず子供達を抱えて村まで戻った。
小さいとは言え滝なので、子供達を放置して見に行く訳にはいかない。
子供達が摘んできた花を見て、スートは花を飛ばす勢いで喜んだ。二人を抱きしめて頬ずりしてキスを贈り、全身を擽って喜びを表わした。キャッキャと響く高い声が、この間まで響かなかった子供の笑い声が、幸せの象徴でほっこりする。
推し一家のほのぼのを目に焼き付けて、可愛い我が子に昼ご飯を食べさせて、ご機嫌に子供達と遊ぶのを見てから外に出た。
アスターに荷物の話をしようと思ったが、炊き出しで忙しそうだった。炊き出しは良いが、背後に夜空を背負っていた意味がわからない。なんだあの顔。どういう感情だ。
終わりまで待つべきか悩んだが、つれて行ってうっかり再び川に落ちられても困る。
フィストは自分一人で荷物を回収する事にして、速やかに滝上へと向かった。
そんなフィストが山の急斜面を危なげなく進んだ先で見たのは、岩の隙間に引っかかり、水の勢いにも負けずその場に留まり続ける革の鞄。
逆にすごい。水に揉まれながらも、ずっと引っかかり続けている。
「……位置的に、素手じゃ危険だな。いっそつついて落として、下流で拾った方がいいか……割れ物が入ってなけりゃいいんだが」
近くで検分してわかったが、川に入って荷物に近付く前に、自分が流される。川に入るのは悪手だ。
壊れて困るものが入っていないか聞きたいところだが、記憶喪失だから何もわからないだろう。荷物の心配はしていたが、割れ物の心配はなかったので多分大丈夫とは思う。
フィストは良い感じの枝を拾い、荷物をつついた。水の流れが速く枝が持って行かれそうになるが、フィストの筋力の方が強かった。負けねぇ。
荷物をつつくより、引っかかっている原因の石をどけた方がよいと判断して石の根元をつつく。わりとあっさりぐらついた石が流されて、革の鞄も滝へと流された。滝の下から大きめな飛沫が上がる。
念の為覗き込んだ下流で、鞄らしき物が別の石に引っかかるのが見えた。
……川の流れに乗らず、とことん引っかかり続ける鞄だ。流されてたまるかという強い意志を感じる。
(まあ、好都合か。この下なら拾えるし。あれがアスターの荷物なら、アイツの身元もなんかわかるだろ)
多分というか、こんな所に荷物を落とす輩など、アスターしかいないと思うけれど。
アスター以外の落とし物なら、それはそれで問題だ。
(これで、アイツがどこ所属かわかるといいんだが……)
たとえば聖人の証が出てきたら、教会に問い合わせれば名前がわかる。
通行証が出てくれば、出身地と名前がわかる。
アスターがうっかりそれらを紛失していない限り、荷物を見れば身元がわかるはずなのだ。
(身元がわかったら、アスターも帰る場所がわかるな)
彼の目的も、仕事も、居場所も。
忘れてしまった全てがわかる。
いつ頭をぶつけたのか問題。
アスターが、どこの誰なのかわかるまで、あと少し。




