癒しが足らないんだよ~
魔眼の中枢でなくとも外の映像や音声を拾うことなど簡単だ。
何せこの場所には魔法に特化した王女と魔女が居るのだから。
「良いのグローディア? 好き放題言われているけど」
「言わせておけば良いのよ」
そう言いながら王女さまは壁を蹴り続けている。ゲシゲシと。
「だったら壁を蹴っている理由は?」
「ここの形が気に食わないだけよ」
「……」
大きくため息をついてアイルローゼは頭を振った。
まだ片足に不安があるので杖を使っているが、スライムと呼ばれていた軟体状態からはどうにか脱することができた。時折関節が軋んで痛むが仕方ない。治りかけは本当に痛いのだ。
今一度ため息を吐いた魔女は静かに相手を見つめる。
魔法は完成した。彼の望む魔法は完成しているのだ。
けれどそれをグローディアが止めた。そう止めた。
理由は分かっている。
「貴女は一度大きな過ちを犯している。あの2人が自分が歩んだ道を進むことが怖いのかしら?」
「……別にあの馬鹿がどうなろうと知ったことではないけど」
言いながらグローディアは壁を蹴るのを止めた。
「ノイエがどんな反応を示すか分からない。もし『また最悪な方へと転がってしまったら?』と考えると身震いが止まらない」
「確かにそうね」
自分たちの妹分は本当に優しい子だった。今も優しいが昔はもっと優しかった。それこそ自分の身を削り尽くしてくれた。それが原因であの子は心を壊した。感情を、表情を失ってしまった。
あの頃とは違い笑顔で癒してくれることは無くなった。
それが彼女から消えた、消してしまった優しさだ。
「でもせっかく作った魔法を試さなくて良いの?」
「……」
魔法を作る者としてその好奇心というか葛藤は常に抱え込んでいる。
自分が作った魔法が自分が描いた通りの反応を、効果を見せてくれるのか?
「何よりノイエの魔力量が無ければその魔法は常時発動できない。だから選択型にすれば良かったのよ。そうすれば少なくともノイエに言って試し打ちはできた」
「ダメよ。魂を得られる機会なんていつ訪れるか分からないんだから常に発動していないと」
「結果ノイエにしか使えない魔法になってしまったのよ?」
「……」
グローディアとて分かっている。
自分が作り出した魔法がある意味で未完成であることを。
「ノイエは魔法を扱えない。わたしたち魔法使いが持っている生まれ持っての魔法回路をあの子は持ってない。だからあの子は『魔法』は使えない」
そもそもノイエはが扱っている『魔力』ですら本当に魔力なのかすら怪しい。
「あの子はわたしたちとは違うのよ。根本が」
「分かってるわよ」
「ならどうするの?」
「……」
分かっていても踏ん切りがつかない様子だ。
「最悪わたしが出て魔法の発動は確認できる。それを維持できるかは別の話になるけど」
方法としてはそれしかない。あちこち体に不具合が残っているが、この程度であれば気合いで乗り越えられる。妹の体を借りて魔法を放つぐらいはできる。
「それでもしこの魔法がちゃんと仕事をなさなかったら?」
「ええ。その不安はあるわね」
でもそれは仕方ないことだ。
新魔法とは今まで存在していた魔法のアレンジではない。言葉の通りに新しい魔法だ。
「理想は計算通りに魂を集めることができれば良い。でも」
失敗すれば最悪魂を“奪い取る”魔法にもなり得る可能性すらある。
周りに居る生きとし生ける者全てから魂を強奪する魔法だ。
だからこそグローディアは恐れている。
自分の願望で『あの日』と呼ばれる惨劇を引き起こした魔法使いは恐れているのだ。
新しく作り出した魔法があの日の再現にならないのかと。
「大丈夫よグローディア。この魔法はたぶんそこまで酷いことにはならないわ」
「……」
王女は何も答えない。
ただアイルローゼとしては手伝った以上この魔法の性質を詳しく調べた。
その可能性、つまりどれほどの確率で最悪な事態が発生するのかをだ。
自分の見立てではそれほど悪くは無かった。色々と忙しい刻印の魔女にも意見を求めたが彼女も『まあそこまで酷いことにはならないんじゃないの?』と答えていた。
ただある可能性をあの魔女は心配していた。
それは強い効果を恐れた自分たちが知らず知らずに魔法の威力に制限を掛けている可能性だ。
もし制限を掛け過ぎていればこの魔法は違った意味で大失敗となる。膨大な魔力を使い、使用者周辺の弱きモノから魂を奪う魔法だ。その場合は良くて雑草や昆虫ぐらいの被害で済む。そのはずだ。
『野営で一発するお兄さまなら大喜びでしょうね。視界にブンブン虫が飛び交わなくて』
ひと言多い魔女だが確かにその通りだ。その程度の効果しかない可能性もある。
「やっぱり実験は必要よ」
「……」
まだ悩む相手にアイルローゼは背を向けた。
コツコツと杖を、エウリンカに作らせた杖型の魔剣を手に彼女は歩く。
「まっ最悪、この悪名高き魔女が勝手にしたことにすれば良いのよ」
「アイルローゼ?」
「気にしないで」
足を止め魔女は肩越しに振り返って笑った。
「わたしはユニバンスの歴史で最も人を殺した大罪人よ? とても悪い魔女なの」
クスリと笑い魔女は正面を向いた。
「それに刻印の魔女が言っていたわ。魔女は悪く見えるほど強く見えるそうよ」
癖の強い刻印の魔女の言葉だから鵜吞みにはできない。けれどある意味でこの言葉に違和感を感じなかった。確かにその通りとアイルローゼ自身がそう思ってしまったからだ。
「でもあの魔法は」
「ええ。確かに全部は貴女しか知らない」
でも作ることを手伝っていたのだ。
部分的なパーツを頭の中で組み上げるのはアイルローゼの得意技だ。
「魔法でわたしに隠し事をするなら、まずパーツでも見せちゃダメよ? それだけのヒントがあれば、わたしは十分にその魔法を把握することができる」
告げてコツコツと魔女は歩き出した。
「大丈夫。わたしがうまく立ち回るから王女さまはそこで静かに座ってなさい」
「……」
コツコツ。コツコツと……その音を残し魔女は消えた。
大陸北西部・ユーファミラ王国王都
「ん」
フワリとノイエが姿を現した。
開いた扉から軽い足取りでやって来たノイエは真っすぐ僕の方へと歩いて来る。
そんな彼女の後ろに居る椅子が、両腕に大量の食べ物を抱えているが気にしない。
きっと抱えている物はノイエのおやつだろう。
「ただいま」
「ノイエ」
「はい」
「膝の上」
「はい」
その声に反応してノイエがちょこんと僕の膝の上に座る。
自慢のお嫁さんを背中から抱きしめる感じで……あ~。落ち着く。やはり昨夜ノイエに過剰摂取された何かを僕も補充する必要があるのです。こう抱き締めてノイエから溢れるノイエニウムを全力補充する。これは彼女の首元に鼻を寄せてスンスンすると最も効果的に補充できます。ついでに肩口にキスとかすると分泌量が増えるので効果的です。でも舐めてはいけません。過剰摂取は相手のやる気を促進させる恐れがあります。十分に気を付けましょう。
「揉む?」
「触ってるだけで」
「むぅ」
揉まれたいの?
否。これは巧妙なお嫁さんの罠である。
今の僕の手は片方が胸をホールドしてもう片方が太ももをホールドしている。これ以上は危険だ。
僕の理性は耐えられてもノイエの理性が耐えられない。きっと襲い掛かってくる。
「しない」
またまた~。
「いっぱいして少し満足」
……あれで少し満足なの? 僕ってば昨日結構頑張ったよ? 何度も自分に『目覚めろ野生!』と発破をかけたんだからね? それでもウチのお嫁さんは満足してくれないの?
「少し満足」
「少しか~」
まだまだ頑張る余地があるということか。それは良い。
スンスンを継続しましょう。ノイエニウムが圧倒的に不足しています。
これが欠乏すると僕のやる気が無くなります。頭の回転も悪くなります。
これから僕は正しい公国への嫌がらせを考えなければいけません。
ホリーお姉ちゃんが出て来てくれれば一発解決なんだけど……ホリーはどうしているんだろう?
「なに?」
「お姉ちゃんに甘えたい年頃なだけです」
「はい」
ノイエが僕に背中を預けて来てスリスリと甘えだす。
甘えたいのであって甘えて欲しいわけじゃないんですが、これはこれで悪くない。
ただ荷物をテーブルの上に戻した椅子がこちらを親の仇でも見るような目で見ています。テレサさんは両手で顔を隠しながら指の隙間からガッツリ見ています。
「ん~。もう少し癒しを得られれば公国攻略の道筋が出てきそうなんだけど」
だからそこで覗いている2人よ。これは行為ではありません。
僕の脳を活性化させるための燃料補給なんです。
スリスリしてくるノイエが僕の耳元に唇を寄せた。
「ならアルグちゃん? お姉ちゃんが甘やかしてあげましょうか?」
「……」
僕を『アルグちゃん』と呼びそして姉キャラな人物は1人しかいない。
「お姉ちゃん。癒しが足らないんだよ~」
「うふふ。ならいっぱい甘えなさい」
彼女の手が伸びて来て顔に触れたと思ったら唇が頬に寄ってきてチュッとされた。
© 2025 甲斐八雲
アイルローゼが出て来てあたふたすると思ったでしょう?
残念。現在魔眼の中枢に居るのはホリーでしたw




