この鬼…子供好きか?
ユニバンス王国・王都北部ドラグナイト邸の近く
『これは違うですぅ~! お股で汗がいっぱい出ただけですぅ~!』とマジ泣きしたチビ姫が地面を濡らしながら僕の屋敷へ向かい走り去っていった。
うむ。汗ならば仕方ない。きっと冷や汗だろう。そんな日もある。
一応スズネを護衛としてチビ姫の後を追わせたが……彼女には常に長身のメイドさんが傍に居るので問題はないはずだ。問題があるとすればあのチビが屋敷の中を漁りまくってセシルを発見する不安があるくらいか? まあセシルには一応ユリアが付いている。大丈夫だと思いたい。
そんな訳で始まった飲み会兼食事会だが一応意味はある。人はこれを懇親会という。
決してバーベキュー大好きなドラグナイト家の気まぐれではない。そしてセシリーンの笑顔が見たいからとかそんな理由でもない。ただセシリーンの機嫌が良くなるとノイエの機嫌も良くなるので僕としては毎日でもしたいぐらいなのは秘密だ。
実施できないのは肉を扱う商人からの苦情が半端ないからである。
ウチは間違いなく上客のはずなのに『買いすぎですよっ!』と言われるのは心外である。ユニバンスの全ての肉はドラグナイト家のノイエに上納するぐらいの勢いで持って来いと言いたい。
のんびりと辺りを見渡していると厳つい一団を発見した。国軍の人たちである。
あそこは本当に真面目である。大将軍が真面目だから下の人たちも真面目なのであろう。近衛が緩いだけか?
ヤバッ……視線が合ってしまった。
参加しているのは将軍クラスだから……ミネルバさんに任せた。今回の前線指揮官は君なのだからちゃんと連携を図りスムーズに敵に備えてくれたまえ。そしてメイドさんの管理も確りとするのです。
大丈夫です。貴女ならできます。それでも不満を言うのであればポーラを呼んで来て『できますよね先輩?』と言わせましょうか? マジで悩まないで。どっちがご褒美かは知りません。言われても言われなくてもそうなった時点で貴女の負けだけは確定している気がします。
ミネルバさんもポーラを慕うのは良いんですけど、そこまで盲信すると何か間違いが起こってしまわないか僕は不安になります。それこそポーラに服を脱いでとか言われたら脱ぎそうな勢いで……何故視線を逸らした。今すぐ将軍たちとの話し合いは必要あるまい。全力で駆けて逃げ出す理由は後で問おうっ!
まあ良い。改めて辺りをプラプラしながらメイドさんからワインのジョッキを受け取り……一番盛り上がっている場所へと出向く。やはりオーガさんの所だ。何故かノワールを抱えたポーラがジリジリとオーガさんに迫っている。あからさまに不快感を漂わせているオーガさんは幼子とか苦手なのだろうか?
「何しているの?」
「助けろ旦那っ!」
何故か困った感じのオーガさんが助けを求めて来る。
これこれポーラくん。弱い者……強い者いじめをしてはいけません。何よりノワールで遊んではいけません。そんなことをしたらノイエが、はい? ノイエの指示?
「ノイエさん?」
「はい」
呼んだら横に現れるのがウチのお嫁さんです。
ただ二股に分かれたアホ毛で肉串と手羽先串を器用に確保しているのもある意味でノイエである。
「何故に?」
「はむはむ」
まずそのお肉を咀嚼しなさい。
「小さい子が言った」
ふむふむ。
「鬼に抱かれた子は元気になるって」
「……」
「だから抱いてもらう」
なるほど。
確かに地方にそんな伝承があるとか聞いたことがある。でもそれって日本の風習的なあれですよね? なまはげさん的なあれですよね? でしたっけ? まあそんな感じです。
「さあ抱いてください」
「……」
どうやら僕から救いの手が無さそうだと察したオーガさんが指で抓んで、
「これこれ。そのままあ~んとしてそうな持ち方をするでない」
「こんな小さいのは食っても腹に溜まらんよ」
だから食おうとするな。そして当社比3倍ぐらいノワールがジタバタしている。
渋々ノワールを掌に置いてオーガさんは憮然とした感じでため息を吐く。
ただきゃっきゃっと珍しくノワールが笑いだした。
「何故だ……」
ガクッと僕は膝から崩れ落ちる。こんなショックなことはない。
「ノワールが他所の女を相手にあんなに笑顔でっ!」
「兄さま。言い方に気を付けた方が」
そんなツッコミなど要らないのだよポーラくん。そもそも僕はどうやら鬼の血を引く一族の出らしい。つまり僕が抱いてもノワールは元気に育つ。そのはずである。
「さあノワール。次はパパの腕に」
「きゃっきゃっ」
掌から腕に移動し滑り落ちそうになった我が子をノイエがキャッチして、何故かオーガさんの肩に置く。頬杖をついて色々と諦めている感じのオーガさんがチビチビとワインの樽を傾けて口へ……あの~。全員で僕を無視しないで? どうして? どうしてパパンこんなに娘に嫌われているの?
「セシリーン~! みんながイジメるんだよ~!」
涙を溢しつつ僕は女神に救いを求める。
ただ女神周辺は大変カオスだ。知っている。だから避けていた。
椅子に腰かけ周りの雰囲気にニコニコと笑っている歌姫さまは、その手にグラスを持っている。中身は果実のジュースである。基本彼女はアルコールを摂取しない。母乳に出るのもあるが、喉に良くないモノは絶対に口にしない。故に辛いモノとか刺激的な調味料とかも一切口にしない。
その辺は徹底したプロのようだ。プロだったね。
それは良い。笑顔の歌姫の左右には魔道具を展開した二代目メイド長とコロネが居る。
スカートが怪しい感じでフワフワさせているフレアさんはいつでも動ける状態での待機状態である。見ていて余裕が見て取れる。あれがメイド長としての余裕だろう。
比べてコロネは義腕を膨らませていつでも動ける状態を維持しつつ辺りを威圧する子犬のように余裕がない。キャンキャンと吠えている感じで見てて愛らしいが。
「どうかしたんですか?」
周りの雰囲気にセシリーンの様子は大変穏やかである。
その様子に将軍たちと一緒に来ていたのであろう若い騎士やハルムント家の若いメイドさんたちがキュンキュンしている。
はて? 若い世代はセシリーンを知らないとばかり思っていたのだが?
「説明を求む」
「真っすぐわたしを見られましても」
教えてフレア先生とばかりに彼女の傍に移動したら、二代目メイド長は大変深いため息を溢した。
「若い世代は上の人たちからその伝説ばかりを聞かされているのです」
「歌姫伝説?」
「はい。それに若いと言っても彼ら彼女たちも子供の頃にその歌声を聞いています」
ですね。余りにセシリーンを古い人扱いしすぎると後で怒られる。怒りはしないか。拗ねるだけだ。
「子供の頃に一度でも聞いた者たちはあの歌声を忘れられません。何より子供の頃というのは印象が深く心に刻まれるモノです。故にある種の信奉に近い状況が生じているのかと」
「納得した」
まあ子供の頃に見たアニメとか漫画とか印象に残るモノは残る。僕だってあの作品は絶対に譲れないと言うものもあるし、たぶんどんなに大人になってもあれを抜く作品は生じないだろうと思うこともある。
「ある種の擦り込みかね?」
「そう言えなくもないですね」
何故かフレアさんがフッと笑った。
そう言えばこの人も絶対に譲れない第一位を胸の中に宿しているわけだ。
「アイルローゼ以外にも凄い魔法使いは居るかもしれないとかは絶対に……はいはい。睨まないでくださいな」
揶揄ったら物凄い目で睨まれた。
というかフレアさんなら頑張れば師匠越えとかできなくもないような気が……無理だな。フレアさんはアイルローゼを信奉しているし、何よりあの魔女は現在進行形で勉強し続けている。進化する天才ほど厄介なモノはない。
あっ忘れてた。
「で、オーガさん」
「んだよ!」
頭にノワールに抱き着かれたオーガさんが大変不満気に僕を見てきた。
「オーガさんへの依頼は“ウチの子供”とセシリーンの警護なので宜しく」
「あん?」
鬼が睨んできた。面倒臭いと言いたげにだ。
「見返りは望むがままでどうでしょう?」
「……」
それを最初から分かっているから僕の返事もいつも通りである。
「なら今度からアタシから子供を遠ざけな」
「あう~。あっ」
「ああもうっ!」
オーガさんの言葉に反応し増々抱き付こうとしたノワールが滑り落ちそうになる。けれどオーガさんがキャッチして今度は自分の頭の上に乗せた。
「そこで大人しくしてな」
「あ~」
ノワールは大変ご機嫌だ。
そしてそれを見ていた僕らは気づく。
『この鬼……子供好きか?』と。
© 2025 甲斐八雲
オーガさんは子供好きなのではありません。
基本弱くて幼い存在を守る傾向が強いだけです。
ただポーラは例外です。はっきり言って苦手です。
何故ならあの子に似ているから…




