二話 鍛冶屋ゴウライの場合
視点が変わります。お気を付けください。
「もう少しだ、もう少し待ってくれ、ミリー」
あの噂に間違いがなければ、この先に伝説の作物が実る畑がある。
そこで、あの野菜を手に入れたらっ!
家で待つ娘ミリーのことを思うと胸が張り裂けそうになるが、あの子を救う唯一の手段がこれしかない。
この一ヶ月、娘の体調は悪くなるばかりだ。
あらゆる手を尽くしてきたが、一向に良くなる気配がない。あの子は気丈だから、俺に弱った姿を見せまいと明るく振舞っていたが、とうとう倒れてしまった……。
精のつく料理を食べさせても食欲がないらしく、あまり口にしないので元気は戻らず、原因不明のまま弱っていく娘をこれ以上見ていられない。
そんなとき俺は、近くの食堂で耳寄りな情報を入手した。
数年前、魔物の襲撃に遭遇して壊滅した村の近くに、常軌を逸した味がする神の与えし作物が実っていると。それを口にした者は、経験したことのない味わいに気を失う者もいるらしい。
そんなに美味しいのなら、弱り切っている娘でも沢山食べてくれるのではないか。そう思い聞き耳を立てていると、新たに得た情報を耳にして思わずその場に立ち上がってしまった。
その野菜を食べると病が吹き飛び、体中に元気が漲る、と。
俺はその噂話に花を咲かせていた行商人らしき二人組に、懇願して詳しい情報を聞き出すと、妻と娘に「暫く旅に出る。必ずお前を治してやるからな!」と伝え、ハンター時代に使用していた冒険用の一式を持ち出し、伝説の畑へと向かった。
ここは魔物が多く、普通ならば一人で向かうなんて愚の骨頂だが、名の知れたハンターだった俺ならば不可能じゃない。
あの頃より衰えてはいるが、弱くなってはいない。俺の背には大切な娘の命が懸かっているのだ。子を想う親の気持ちを、魔物ごときが妨げられるかっ!
「とはいえ、無理をしすぎたか」
革鎧は所々に穴が開き、最も得意とする得物である両刃の斧も血と油にまみれている。
そろそろ、休憩をして武器と防具の整備をしたいところだが。
疲労を吐き出す様に、小さく息を吐いた――そのとき、風もないというのに草が大きく揺れて擦れる音がした。
「また、魔物かっ!」
ここの魔物は駆け出しのハンターでも何とかなる程度の魔物しか存在しない筈なのだが、どうにもおかしい。ベテランのハンターが複数で当たらなければ勝てない魔物が頻繁に現れるのだ。
角が生えた人型の魔物、紅鬼。
黒魔犬の上位種である、闇犬。
といった、かなり手を焼く魔物を結構な頻度で目にしている。
一対一なら勝てる自信もあり、実際何体が撃退してきたが、疲労が溜まっている今の状態では、やり過ごしたいところだが。
かなり近くまで接近を許してしまったか。草の鳴る音に混じり、足音も聞こえる。
これは四足歩行か、それも二体。
黒魔犬なら問題ないが、闇犬二体となると、かなり危険だな。
「すうううううぅ」
大きく息を吸い、頭へ空気を送り込み意識を鮮明にする。
疲れはあるが、まだやれる。ここで死ぬわけにはいかない。
斧の柄を握り締める。長年愛用してきた、この斧は無骨でありながら最も手に馴染む、俺の相棒だ。どんな窮地も切り抜けてきた、こいつと一緒なら。
よっし、対象が視界に飛び出してきたところを先制攻撃で一体やるか。相手がどんな魔物であれ不意を突けば……。
心を穏やかに保ち、音に全神経を集中する。
草を掻き分ける音が徐々に大きく鮮明になってきた。間合いに入ってくるまで、あと、五秒といったところか。
5、4、3、2、い……ち?
全身に力を蓄え、放つ直前だった一撃を俺はなんとか押し留めた。
これは、エシグか。にしては二匹とも大きすぎないか?
エシグは大きくても体長30センチ程の動物だというのに、目の前に出てきたエシグは倍、いや、それ以上あるぞ。
農作物を荒らす害獣ではあるが、人を見ると逃げ出す臆病な性格をしている。にもかかわらず、何故こいつは逃げない。
それにあの目は何だ。動物とは思えない知性の輝きを感じるぞ。まるでこちらを見透かしているかのような、冷静さを感じる。
じっとこっちを見据えたまま、近づくことも逃げることもしない。
「どういうことだ?」
思わず独り言が口から漏れてしまった。
えっ?
まるで俺の言葉を理解したかのように、二匹のエシグは顔を見合わせ頷くと、前方へ跳ね、数歩進むとピタリと脚を止め、こっちをじっと見る。
「ついてこいと言っているのか?」
まさかそんなことは有り得ないだろうと、頭では理解しているのだが、無意識の内に俺の体は数歩前に進んでいた。
エシグたちは再び、数歩飛び跳ねて進み、またこっちに視線を向けた。
これは、噂にあった畑の守護者の僕なのか。
あの噂の一つに、畑を守る守護者に従う、知を持つ動物たちが存在して、伝説の野菜を求める者をかの地へと誘う。との眉唾な話があったが、本当だったとは。
ということは、娘を治す野菜も存在するということか!
疑いを捨てよう。この二匹に付いて行けば、きっと辿り着ける。信じよう。ここまできたら、もう信じるしかない。
俺は祈る気持ちで、二匹のエシグに導かれるまま山中を進んでいった。
「ここが……そうなのか……」
あまりにも見事な光景に、感嘆の息が漏れた。
何と言う美しさだ。広大な畑には色とりどりの野菜が、規則正しく並んで育っていて、まるで一枚の絵画を見ているかのようだ。
どの野菜もみずみずしく、かなり距離があるというのに新鮮な野菜の香りが鼻孔をくすぐる。
それだけだというのに、口に唾液が溜まり、飲み込んだ音が自分の耳へ鮮明に聞こえてきた。
み、見とれている場合ではなかった。
情報が確かなら……あるな、四角い妙な家らしき物と畑の脇に磨かれた大きな石が。あれが、お墓か。
エシグの二匹はいつの間にかいなくなっている。案内役は終わりだということか。
まず、墓の前に行き手を合わせるのだったな。
「私は鍛冶屋を営んでいるゴウライと申します。貴方の土地に足を踏み入れることをお許しください」
お参りをするとあったが、これでいいのだろうか。
特に何の反応もないということは間違ってないと思いたい。
問題はこの次だ。畑に向き直り、頭を下げて目を閉じる。
よっし、そして次に――
「うちの娘が病にかかり、ここの野菜を必要としています。日に日に肌が荒れ、食欲がなくなり、体中にできものが無数に現れ、体から妙な匂いがするようにまでなってきました。動くこともきついようで、トイレにすら殆ど行かず、私はどうしていいのかっ」
冷静に頼みごとをするつもりだったが、感情が抑え切れなかった。
いつも辛そうなのを我慢している娘を思うと、涙が堰を切って溢れ出しそうになる。
何とか助けてやりたい。苦痛を和らげてやりたい。屈託なく笑う娘の姿をもう一度みたい。
必死の想いで祈り続けていると、ドサッと近くに何か重い物が落ちるような音が聞こえた。
まさか、願いが通じたのか!
恐る恐る目を開けると、目の前には野菜が満載された背負うタイプの籠があった。
「こ、これを貰って、よ、宜しいのでしょうか!」
思わず大声で叫んでしまったが、歓喜の心が抑え切れなかった。
返事の声はしなかったのだが、その時、不思議な光景が目の前で起こった。
自分の目の前にある畑から五つの突起物が産まれ出たのだ。
何だこれ……え、伸びて、こ、これは手。い、いや腕なのかっ!?
小さな突起物は指先だったようで、徐々に盛り上がった土が停止すると、そこには土で出来た一本の腕があった。
う、で。これが噂話にあった畑の守護者!
まさか、対応を間違ってしまったのか? 記憶違いでなければ何のミスもしていない筈だ。だが、伝え聞いた噂に間違いがあったのかもしれない。
ど、どうする。あの腕は畑の怒りを買った者に鉄槌を下すらしいぞ。俺はこんなところで死ぬわけにはいかないっ。一か八か相手の隙をついて野菜を背負い、逃げるしかっ……はあ?
え、何をしているんだ、この腕は。地面に落ちている枝を拾って、何か書いているが。これは、文字なのか。こ、ここは読むしか選択肢はないよな。脅し文句があるかもしれないが、覚悟を決めろ!
『どうぞ』
と書いてあるな。え、つまり――
「あ、ありがとうございます! これで娘も助かります! 本当に、本当にありがとうございます! そ、そうです、謝礼を! これだけしかありませんが、どうぞお納めください!」
腰に装着した革の袋から数枚の銀貨を取り出し、地面に置こうとした瞬間、土の手が文字を手で払って消し、またも棒で絵を描き出した。
これは、鍬やジョウロの絵か。ということはもしや、
「お金はいいから農耕具を持ってきてほしいということなのでしょうか?」
途端、農耕具を取り囲むように大きな円が追加され、絵の脇に『はい』という文字が書き込まれた。
「わかりました! 娘が元気になった暁には、私の腕を振るい最高の農耕具を作り、もってこさせてもらいます。しばし、お待ちください! 必ず持ってきますので!」
感謝の気持ちを少しでも表すように何度も頭を下げ、野菜の詰まった籠を持ち上げ、この場を離れようとしたのだが、思わず足が止まった。
目の前に荷馬車……ならぬ、荷ウナススがいたのだ。車輪が二つ付いた荷台に、本来ならそれを引く馬が居る筈なのだが、そこにいるのはウナススだった。
これまた、立派な体躯の白く輝くウナススではないか。ここまで大きいと最早、魔物といった方が良いかもしれない。
額から生えた一本角もねじれが入った槍のようなフォルムで、鍛冶屋として唸ってしまう程の力強さを感じる。
「もしや、この荷台に乗っても良いと?」
思わずウナススに話しかけてしまった。
「ブヒュー」
まさか言葉が通じたのか。鼻息を吹き出し、頭を上下に揺らしている。
このウナススも畑の守護者の僕なのかもしれない。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
見た目は獣だが、守護者の僕だ。礼儀を忘れてはいけない。
荷台に乗り、椅子が取りつけられていたので、そこに腰を掛けたまではいいのだが、この革の紐はなんだ?
背もたれのある椅子に、二本革のバンドが垂れ下がっているのだが、何か意味があるのだろうか。籠を荷台に置き背もたれに、体を預けると革の紐があたって気になる。
ふと、何かの視線を感じて目を向けると、ウナススの背に一羽のキリセが止まっていた。
これまた見事なキリセだ。羽の艶も良く黒光りしている。その姿は神々しさすら感じるな。
ウナススの背にいるということは、畑の守護者の僕なのか。
え、なんだ。跳ねるようにこっちに近づいてくる!?
「な、なにか用ですか?」
俺の問いには答えず、キリセが至近距離まで近づいてきた。その迫力に思わず目を閉じてしまった俺の耳に、カチッと何かが擦れるような音が届いた。
恐怖よりも好奇心に勝てず、恐る恐る目を開けると、革の紐が胸の前で交差していて、俺の体は椅子に固定されている!?
「えっ、どういうことなのですか?」
よく見ると、荷台に置いた籠も同様に、荷台の隅に固定され蓋もされていた。これはつまり――
「荷台から落ちないようにしてくれたのでしょうか?」
正解だったらしい。ウナススは納得してくれたようで、もう一度鼻を鳴らすと、一気に駆けだしたああああああっ!?
「うおおおおっ、何だっ、この速度わあああああぁぁぁ」
あまりの速度に風で顔が押されているっ!
この革紐がなければ、ふ、振り落とされていたっ!
あ、革紐を取りつけてくれた、漆黒のキリセは何処に……なん、だと。この風の中、ウナススの背に乗ったまま羽を腕の様に組んで平然としているだとっ!
な、なんという堂々とした態度。その姿は美しさの中に神々しさすら感じさせる。
最後に畑の守護者にもう一度お礼を。
上下の揺れと向かい風に何とか抵抗して後方を振り返ると、そこには大きく手を振る守護者様の腕があった。
必ず、約束は守ります!
本当にありがとうございました!
声に出すことは出来なかったが、心からの感謝の想いを胸に抱き、俺は猛烈な速度で家路へ着くこととなった。




