52 家訓の詩
ベルシエラの魂が世界の壁を超えたのは、思いがけない偶然だった。先代夫人の幽霊が美空が生まれた世界に来たのは、意図した事だ。しかし、ベルシエラ=美空の想像したのとは違って、家訓の詩とは関係がなかった。
「お姑様、家訓の詩を併用するのは如何でしょうか?」
「家訓の詩を?」
「あの詩は、杖の継承時に正確な原文を誦えると、神秘の扉が開くのですよね?」
先代夫人は飲み込めない顔になる。
「継承式で呼びかけるのは、杖に宿った開祖の魂よ?」
小説の第三部では、復讐を遂げたヴィセンテが甥に始祖の杖を継承させる。だが、儀式の詳細は述べられていなかった。
話ぶりからすると、先代夫人は、夫からヴィセンテへの継承式に同席していた。継承式は、当事者とその配偶者のみが参加できる秘儀だ。ベルシエラだけに宛てた物語とはいえ、流石に文字として残すことには抵抗があったのだろう。
「ファージョンが伝える緊急継承式については、私も分からないけど」
それは、エンリケ叔父のような悪人が現れた時に開祖の魔法道具を守る保険なのである。
四魔法公爵家の他にも魔法使いはいる。その家系でも、それぞれに一族を起こした人が使った道具が伝えられている。継承式は家ごとに定められ、その手順は門外不出だ。だから、正統継承者が選ばれる前に先代継承者が亡くなると、失伝してしまう。
その時だけ、ファージョンが密かに口承で守って来た正統継承者選定の秘技を行うのだ。その儀式を緊急継承式と呼ぶ。
「少なくともセルバンテスの継承式は、異界の壁を超えた時とは違う感じがしたわよ?」
神秘の扉とは、幽霊の領域へと導く扉だったのだ。杖に初代が宿っているのなら、家訓の詩が暗誦される間、聞いていることになる。初代が遺した家訓の詩を作者の心意気まで理解して読み上げた者が、杖の所有者に選ばれるのかもしれない。
家訓の詩は、異世界への扉を開く呪文ではなかった。だが、開祖への呼びかけであるならば、真摯に唱えれば応えてくれないだろうか?力を貸してくれるのでは?
「最初の転生は事故だったけど、意図的に超えれば記憶も持って行かれませんかね?」
「魂のままならともかく、別人に転生してしまうとなると難しそうよ?」
「今回は、既に誕生している、別の世界に生まれ変わった私に戻ればいいわけですから」
「そうかもしれないけど」
先代夫人は同意しかねる、と口の端を僅かに下げた。
「初代セルバンテス様の強大な魔法をお借りできれば、可能かもしれませんよね?」
「初代の?」
「はい。家訓の詩を誦えて、初代の魂に呼びかけるんです。心からの思いを伝えたら、力を貸して下さるんじゃないでしょうか?」
先代夫人の幽霊は、少し表情を和らげた。
「そうね、やってみる価値はあるかもしれないわね」
それから、またキリリと顔を引き締めた。
「でも今は、エンリケ一派からセルバンテスの城を取り戻すのが先よ」
ベルシエラ=美空もそれには同意する。戦士の顔になって、目の前に浮かぶ幽霊に肯首して見せるのだった。
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