39 何れも夢でも小説でもない
ベルシエラは、全てを思い出した。無念の死を遂げた時、犯人にも夫にも見えない幽霊と出会ったのだ。それは、城の回廊に飾られた肖像画で観た先代セルバンテス夫人であった。
ベルシエラは、いつか見た夢の貴婦人は先代夫人だと気がついた。彼女は「エンツォ」「息子」と言っていた。ヴィセンテがエンツォと呼んでくれと言った時、なにか引っ掛かりを感じたのはそれだったのだ。
監禁場所から逃げ出した一周目のベルシエラは、惜しくもここでエンリケ叔父に撲殺されてしまった。帰りがけに花粉を採取しようなんて欲を出さなければ、と後悔した。拉致された時にもこの花の花粉を集めに来たのだ。ここは道から外れた急斜面である。犯罪にはうってつけの場所なのだ。
その時、先代セルバンテス夫人の幽霊が現れた。
「ベルシエラさん、あんなに不機嫌な息子を助けようとしてくれてありがとう」
「お姑様ですね?」
「ええ、そうよ。私も魔法の力を買われてここにお嫁に来たの」
貴婦人は唇を僅かに緩めて、ベルシエラを優しく見た。優しいふりをしているエンリケとは大違いだ。ベルシエラは心の底から安心感で満たされた。
「それにしても、この花の花粉に魔法酔いを和らげる効果があったなんて」
「はい、巡視隊のファージョン様が古い記録から見つけ出して下さったのです」
一周目のベルシエラも、巡視隊の世話になっていた。建国よりもなお古いあらゆる記録を今に伝えるファージョン家は、何よりも強い味方であった。
「ですが、呪いが込められた薬を処方され続けたら、完治は難しいですわ」
「そうね。エンツォが薬を怪しんでくれたら、あら?」
言いかけて先代夫人が何かに気付いた。
「エンツォよ?どうしたのかしら?共の者も連れずに」
「花粉の発見で、少しずつお元気にはなられてましたけど」
ベルシエラも、ヴィセンテが朝の散歩をひとりでする姿は初めて見た。
「相変わらず不機嫌そうな顔だこと」
先代夫人は息子に小言を言いたそうだった。
足音に気が付いたのは、先代夫人だけではなかった。木立の中でしゃがんでいたエンリケも、ハッとして立ち上がる。ベルシエラが事切れたのを確認した後、遺体を魔法で燃やそうとしていたのだ。エンリケはベルシエラほど魔法の力は強くない。杖に長いこと力を込めないと、人を焼くほどの炎は出せないのだ。
魔法を中断して、エンリケは慌てて木陰に身を潜める。ヴィセンテはつづら折りの路を伝って、ぶらぶらと現場に差し掛かった。
「おや、あの花は」
ヴィセンテは言葉を溢して花樹に近づく。
「ガヴェンの手紙にあった、魔法酔いの薬になる花じゃないか。ベルシエラさんが枝ごと見せてくれたっけ。こんな急斜面から採ってきてくれていたのか!」
ヴィセンテの顔には、驚きと共に苦味が現れた。
「そんなにも真剣に僕の病気と向き合ってくれたのに、酷い言葉ばかり浴びせて。僕はなんて嫌な、弱い奴なんだ」
自責の念に苛まれながら、ヴィセンテは急斜面へと一歩踏み出す。
「危ない!」
ベルシエラと先代夫人は、二重の意味で注意を促す。病人にこの傾斜はきつい。そして、木陰には殺人犯が潜んでいるのだ。だが、幽霊たちの声は、ヴィセンテには届かなかった。
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