母との会話
「奏……奏……」
奏の心に呼びかける声があった。よく聞いているようで、あまり聞いたことのない声。曖昧で、確かな矛盾。それに気づいた奏は同じく心の中で言葉を発した。
「だ……誰?」
奏の呼びかけに応じた声はとても優しく彼女を包み込む声で語りかけた。
「私の声が聞こえたのね……。良かった……」
奏が彼女を認識することで、声が次第にハッキリとしてくる。そして、その声の持ち主が誰だったのかを、奏は思い出した。
「もしかして、お母さん?」
目を開けて辺りを見回すと、自分が白い空間の中にいることを理解した。先ほどまで真琴や父親といた場所でないことは明らかだ。あそこは廃墟で、雑草が生い茂っていた。そもそも、一面が白いこの空間がこの世にあるのだろうか。地面に座り込んでいた奏は立ち上がってボーっと奥を眺めていた。
「こっちよ、奏」
声のした方に体を向けると、奏の母がそこにいた。奏の母は微笑んで手を振っている。
元気な姿を見て、奏は自然と母の元へと歩いてしまう。その様子を、少しだけ困ったような表情で見ている。
奏は自分の母に近づいて、抱きしめてもらおうと腕を伸ばしたが、母は首を横に振るだけだった。
「私、あなたを抱きしめられないの」
「え……?」
母は奏を抱きしめようと腕を絡ませたが、それは奏の体をすり抜けてしまった。
「お母さん……やっぱり、死んでるんだ」
出会えた時、もしかしたらと思った。自分が勘違いしただけで、生きているのかもしれないと思った。しかし、現実は現実だった。母は死んでおり、その体に触れることさえ叶わない。
ならば、何故母は奏の前に現れたのだろうか。
「……ごめん。私のせいで苦しませてしまって」
奏は母の言った言葉を否定する。
「違うよ。私はただ……ただ愛してもらいたくて」
「奏……。あのお父さんはお父さんじゃないの」
「どういうこと……? お父さんも生きてないの?」
奏の母はゆっくりと頷いた。奏の瞳に次第に涙が溜まっていく。
自分の親は二人とも故人となってしまった。その事実は、高校生の彼女にはまだ重すぎる。
「私はどんな結果になろうとも、あなたを愛しているわ。そして、これだけは言える。真琴君の言う通り、あの人はあなたのことをちっとも思っちゃいない」
「お母さん……」
「こうして現れても、あなたの頭を撫でることもできない。残念だわ」
母は腕を伸ばして手を奏の頭に乗せて彼女の頭を撫でた。しかし、奏に感触が伝わることはない。あくまで母は死人なのだ。
「……でも、あなたのことはいつでも見ているからね」
奏の母の姿が薄くなり消えかかっていく。奏は彼女を呼び止めようと必死に叫ぶが、母は寂しそうな笑顔を見せて何もしない。いや、何もできないのかもしれない。
「頑張ってね。奏……」
「お母さん!!」
母の姿が消えると、景色が白く光りだす。奏は腕で光を遮ろうとしたが、あらゆる場所が白き光に包まれ、奏もそれに巻き込まれてしまった。
「奏! 目を覚ましてくれ!」
突然、真琴の声がして奏は目を開ける。すると、辺りは先ほどの白き空間から廃墟の空間へと戻ってきていた。傍らには真琴がいて、遠くには父の姿が見える。
今のは一体何だったのだろうか。
その時、奏はポケットに入っていたある小物を取り出した。それは、母の形見の若葉マークのバッヂだった。バッヂはぼんやりと光りを帯びている。それを見て、奏は確信した。
「お母さん……いつでも私を見てくれてるんだね」
お母さんは私の味方でいてくれる。いつでも、ずっと……。それが、愛されてるってことなんだね。
奏はバッヂを握りしめ、涙を堪えながら立ち上がった。それから自分の父を睨みつけた。始めて彼女は父に反抗の意思を示す。今まで恐怖で震えていた奏の姿はそこにはなかった。
奏の様子が変わったことを訝しげに思った男は父の記憶を使って奏を操ろうとした。
「奏。その反抗的な目はなんだ? そんな目をしていいと――」
「私はもう迷わない。お母さんが見てくれてる。それだけで、私は強くなれる!」
「何……?」
奏は後ろを振り返って真琴に微笑む。全てを振りきった、快い笑顔だった。
「ありがとう真琴くん。でも、お父さんとは私一人で決着をつけさせてくれないかな?」
「……ああ。分かった」
迷いを捨て去った今の奏なら問題ない。そう思った真琴は奏を快く彼女を戦いへ送り出した。
奏の確かな足取りは、心理的な意味でも、実際の意味でも男との距離を詰めていく。そして、木刀を男へと向けた。
「今から私はお父さんを超える。克服するんだ……!」
「フ……フフフ! 無駄なことを! お前は俺に逆らえないんだぞ!」
「もう……そんな言葉で弱くなったりしない。私は勝ってみせる!」




