母と父の天秤
未来の記憶を取り戻した少女は、真琴に対して自分が遭遇したことを話し始めた。
「真琴ちゃん。今、私はこの子の皮を着せられてるの」
「皮か……やっぱり、そういう能力もあるんだな」
「うん。それで、男がこの子に成り代わってたんだけど、私にこの子の皮をかぶして男は私に成り代わってしまった。私は今までの記憶を忘れてこの子に成りきってたというわけだね」
「それを奏は見抜いていたってことか」
「多分、私のスマホに気づいてくれたんだと思う。そういうところは奏ちゃんさすがって感じだよね」
奏の洞察力に真琴は感嘆した。未来が豹変していたにもかかわらず、あそこまで冷静でいられるのは、多分奏だけかもしれない。アイツが入れば、逃げた男も捕まるだろう。真琴は奏を高く評価し、そして尊敬した。
「……だな。奏たちが追ってるならここで待ってれば大丈夫だろうな。お前に女の子の皮を被せた男が捕まるのも時間の問題なはずだ」
しかし、未来は何か思う点があるようで不安を表していた。
「あのね真琴ちゃん……皮は誰にでも変身できる。それは奏ちゃんの変身能力と同じかもしれないけど、奏ちゃんのとは違って、皮は記憶も読めるみたいなの。男がすぐに逃げ出したのは、何か理由があるんじゃないのかな?」
「俺たちに勝つ方法があるってことか。じゃあ奏たちがその罠にかかる可能性だってあるのか。……未来、一緒に行くか?」
未来はうんと頷いて、真琴と一緒に階段を下りて行った。
一階に到着して外に出た二人は、奥の方から歩いてくる人物を発見した。よろよろと千鳥足になっているその姿は、近づくにつれて傷だらけのボロボロだということが分かる。そして、その人物は奏を追っていった明日香だということも判明する。
真琴たちはすぐに駆け寄った。未来はふらつき倒れ掛かった明日香を抱きしめる。
自分を助けてくれた人物を見た明日香は一瞬だけ怪訝そうな顔を見せたが、雰囲気ですぐに未来だと察知した。
「みら姉……なんだよね?」
「そうだよ。今は仮の姿だけど……ってふざけてる場合じゃないっか」
「明日香。一体どうしたってんだよ。奏は? 一緒じゃないのか」
明日香は怪我とトラブルにより完全に焦燥しきっていたが、真琴たちに何かを伝えようとする意識は残っている。一生懸命口を開こうとしていた。
「かな姉が突然ヘンになっちゃったの。いきなりね、かな姉のお父さんが現れて、かな姉はお父さんの言いなりになっちゃったの……」
真琴は衝撃を受けた。なんで奏があんなに嫌い、恐れていた父の元の言いなりになってしまったのか。確かに、彼女は自分の父に対して恐れという感情を持っていた。しかし、それだけで彼女が父の言いなりになるとは、真琴にとっては考えにくかった。突然、父のかつての言葉が蘇る。
『その甘さ、いつか後悔することになる』
その意味はこの事だったのか? だとしたら、俺はあの時点で父を殺すべきだったのか? いや違う。俺は人殺しはしたくない! だけど、今奏がこんなことになっているのは俺が仕留めなかったから! 俺に、甘さがあったから……。
悩んでいる真琴に未来が様子を伺いながら話しかける。
「真琴ちゃん。その奏ちゃんのお父さんの正体……あの男って可能性はない?」
「どういうことだ未来。何でそう思う?」
「私、この子の皮を被される前に見たのよ」
そう言って、未来は自分の胸に手を当てた。
「あの男は私に別の皮を見せてた。友だちの父の皮だって言ってた」
「もしかして、奏はその皮の能力で騙されてるってことかよ……」
根が真面目な分、コロッと騙されるんだよな。
真琴は気を引き締めて、奏の元に向かうことを決めた。
「未来、明日香のこと頼んだぞ」
「真琴ちゃんこそ、気をつけてね」
明日香から話を聞き、真琴は奏の居る先へ向かう。もちろん、女の子に変身して戦う場合を想定する。出来ればそうなりたくないというのが真琴の願いだが。
奏は奏の父と一緒にいた。それを見た真琴は立ち止まって彼女たちと距離をとった。
何が起こっても不思議じゃない。真琴はあくまで警戒心を怠らない。
傍から見ると、奏はとても嬉しそうに見える。父に頭を撫でられてまんざらでもなく、むしろ大層ありがたがっている。当の父はとても冷淡な眼差しで奏を見ていたが、彼女はそれに気づいていない。
真琴の視線に気づいた奏はゆらあっと後ろを振り返り、大きなため息をついた。
「真琴くん……君には来てほしくなかったな」
「奏……そして、おっさん」
「真琴君か。久しぶりだな、君の姿を見るのは」
男はニヤリと怪しげな笑みを浮かべて、奏の背中を後押しした。抵抗することなく、奏は押されて前へと出る。すでに彼女は竹刀を持って佇んでいる。
「さあ、次はあの真琴君だ。彼を殺せば、私は無償の愛を誓おう」
「……分かったよお父さん。私、頑張る」
「奏! お前は騙されてるんだよ!」
奏は男の子に変身して真琴に襲い掛かってくる。すでに真剣へと変化した竹刀を振り上げて、真琴の脳天目掛けて振り下ろす。
真琴は後ろに飛んで間一髪で回避した。
「ダメだよ真琴くん避けちゃあ。これじゃあ、お父さんに褒めてもられないじゃない。フフフ、待っててねお父さん。私、絶対に殺してみせるから……」
「くっ……」
何か手はないのか。奏の目を覚ませられるようないい手は……!
真琴は必死に考える。奏が自分自身を取り戻せるような何かを。そして、真琴は奏の両親に注目した。母親と父親の違い。それに気づいた真琴は一か八か、それに訴えることにした。
依然として襲い掛かる奏に真琴は逃げない。彼は絶対変換領域を発動させて彼女の攻撃を無効化させた。
領域に侵入した奏は女の子の姿になり、真剣も竹刀へと元に戻る。変身した男の子をベースにしているからか、今の奏の姿はいつものとは違う。いつの日か、未来が似顔絵で描いた女の子の絵そっくりの風貌だった。
「これが無効化か……。うかつには手を出せないってことなんだね」
「奏、落ち着いて聞いてくれ。今、お前の後ろにいる父親はお前のことなんかちっとも考えちゃいない!」
「嘘よ。だってお父さんは私を愛してくれてる。私はその愛を貰うために真琴くんを殺さなきゃいけない」
「条件付きで愛す親を……おかしいと思わないのか?」
「何ですって?」
「お前の母親はどうだったんだよ。確かに人質を取ったり、お前以外を傷つけてたが……お前自身に命令して愛してたか? 違うだろ!? 子どもへの無償の愛が……親の愛なんじゃないのか!?」
「う……嘘よ! お父さんの愛とお母さんの愛はおんなじだよ!」
「もし、俺がここでお前を殺そうとしても、あの男はお前を守っちゃくれない。見捨てるだろうな」
「――え?」
その瞬間、奏の脳裏に母親のことが過った。自分の命もいとわず助けてくれた母親。それに比べて後ろの父親はどうか?
奏は恐る恐る後ろを振り向いて自分の父を眺める。奏の父は先ほどと変わらない無表情で奏たちのことを観察していた。その眼差しに愛は感じられなかった。ただの対象――物――としか見ていない。
「どうした奏? 早く真琴君を殺して俺を喜ばせてくれないか?」
「え……あ……」
「奏! いい加減に目を覚ませ! 少しでも感じた母親の愛情は、父親の物と本当に同じだったのか!?」
「う……うあああ!!」
奏は頭を抱えてうなだれ、悩みだす。何が真実で何が嘘なのか。今の奏にはまったく分からない。いつしか絶対変換領域も消え去り、奏は元の女の子の姿で地面にしゃがみ込んでいる。自分で答えが出せない奏は、心の底で無意識に誰かを頼っていた。この疑問に答えをくれる絶対的な存在を……。




