裏切りの放課後
奏と諌見は武道場へと辿り着いた。奏が扉を開けると、武道場には誰一人としていない。それもそのはず、今日は部活は休みだったからだ。奏も部活がないことを知ったために、真琴たちと帰ろうとしていたのだ。
奏はオドオドしている諌見を武道場に招き入れて、鍵を閉めた。誰も入ってこないだろうとは思うが、誰にも知らせず小学生を簡単に入れてしまったことに対する罪悪感があったのかもしれない。
カチャリと音がなって錠が閉まったことを確認した奏は剣道の道具を取り出しながら表情を明るくさせている。後ろの、諌見の冷ややかで乾いた笑みに気づけないのは奏の油断だった。
諌見は自分の能力を開放する。近くにある武器……つまり、奏以外の全ての竹刀に自分の意識を流し込む。数多くの竹刀は、諌見の意識と繋がった。
自分の道具を確認した奏は、次に諌見が使用する道具を探し始める。
「えーっと、ここ高校だからなー。諌見ちゃんに合った道具があるかなー?」
「いいよ、気にしなくて」
「気にするよ。だって私と一緒に稽古するんでしょう? しまったなー、一番小さいので合うかな?」
「ううん。そういうことじゃないの。稽古、する必要がなくなったってこと」
「……え?」
諌見の異変に気づいた奏は彼女の様子を見るために後ろを振り向いた。その瞬間、奏の目に入ってきたのは数多くの竹刀が空中に浮いている光景だった。ポルターガイストなど奏は信用していなかったが、今この瞬間はテレビで放送されていたポルターガイストの症状と一致していた。
驚きながらも、諌見を守ろうとするために彼女に近づいた。
「諌見ちゃん! こっちに来て!」
「ん? ああ、そっか。勘違いしてるんだね」
「どういうこと?」
「私も能力者なの。あなたと同じ、ね」
そこまで言われて、奏は気づいた。諌見が新たなる能力者だということに。いつもならばいの一番に疑いをかけることのできる奏だったが、あまりにも自分を信頼している諌見に油断をしてしまっていた。
それを理解できた奏は諌見と距離を取って、彼女の出方を伺う。
「……私と戦いにきたってわけ?」
「うん。まあ、別の目的もあるんだけどね」
「どうして私たちが戦う必要があるの?」
「……しょうがないんだよ。こっちは人質に取られてる人がいるんだ」
それが本当だとしたら、何て酷いことをするんだろう。
奏は諌見に同情すると共に、話し合いで解決できないかを探る。もしかしたら、戦わないで諌見の人質を救える方法があるかもしれない。
「ねえ……私も協力するよ。人質を開放できるように。だから戦うのは止めない?」
「……気持ちは嬉しいよ。だけど、それは無理なんだ!」
諌見は何かを決意したのか、目を見開いて奏を睨みつけた。その瞬間、竹刀が次々と奏に襲い掛かってくる。規則的な動きではない。何かの意思に支配されているような人間的な動きに翻弄されながら、奏も戦う決意を固める。
奏は変身して男の姿になる。制服もセーラー服からスラックスとYシャツに変化して、奏は唯一動いていない自分の竹刀を手にとって真剣に変化させた。
竹刀の動きを見極めて奏は剣を振るう。宙に浮いた竹刀だが、鞭や拳銃よりは戦い易い相手だった。ほぼ毎日相手にしている竹刀には恐怖心は生まれず、いつも通りの戦い方が実行できるのだから。
次々と向かってくる竹刀を真剣で打ち倒していく。真剣に叩き付けられた竹刀は意識を失い、床へと落ちていく。
「へえ、やるじゃない……」
「これでも結構戦ってるからね」
「でもね……相性ってのがあるのよ」
「何を言って――!?」
諌見は奏が持っている真剣に力強い目を向けた。真剣にさえも、諌見の心が侵入していく。
奏は諌見の睨みつけた表情を自分に向けているものだと思っていた。しかし、真相は違う。奏の意思とは別に勝手に震え始める真剣。奏は驚いて真剣を両手で握って暴走を抑えようとする。
その隙に、残っている竹刀が奏を襲う。時間差で自分の体を打つ竹刀の痛みに耐えながらも、奏は必死に真剣の動きを止めようとしている。
「無駄だよ。だって、『私』が入ってるんだもの」
「何ですって!? くぅ……!!」
とうとう、奏の手を離れてしまった真剣は、今までのご主人だった奏に剣先を向けていた。刃物がこちらに向いていることに、少し恐れを感じた奏だが負けるわけにはいかないという強い意志がある。奏は近くに落ちている竹刀を拾って、新たな真剣を作り出した。
「ダメだって。それも『私』のものにするよ?」
諌見は先ほどと同じように奏の持った真剣を睨む。すると、この真剣もさっきと同じく動き出し、奏の手から離れようと暴れ始めた。
二度も同じヘマはできないと必死に引き止める奏だが、そんな彼女に最初に奪われた真剣が動き出す。
怪しくきらめく真剣は高速で移動して奏の肩を切り裂いた。
「――っ!」
その痛みから思わず手を弱めた結果、もう一つの真剣も奏の手を離れてしまった。仕方なく、切られた肩に手を乗せて出血を防ごうとしている奏を、諌見は笑い飛ばした。
「アハハ。残念だったね奏先輩。あなたが何を作っても全部『私』のもの」
「……そんな、私の戦いが出来ないなんて……」
勝ち目がない。奏の脳裏にその言葉が過る。それは自分の敗北を認めることになる。
そんなこと出来ない。まだ何か方法があるはずだ。
奏は諦めずに勝つ方法を探す。とりあえず変身を解除して女の子の姿に戻る。これ以上変身の能力を使用して武器を作っても諌見に奪われるだけだ。それに、諌見に奪われた武器は奏が変身を解いても真剣で在り続けている。
諌見はまだ目に炎が宿っている奏に対して恐れを抱いた。心が折れないということは自分の能力が通用しない可能性が高くなる。それでは自分の母を人質に取った女性の計画に背いてしまうことになる。なんとしても、奏の心を折る必要があった。その時、神は諌見に微笑んだ。
武道場の扉を叩く音が聞こえたのだ。
「あれ? 何で閉まってるのよ……。一応鍵持ってきててよかった」
「……ダメ! 来ないで!!」
「その声は相田っちじゃん。来ないでってどういうことよ。ここは剣道部の部室でしょーに。忘れ物があるんだから入れさせてよ。大丈夫だって。練習していることは誰にも言わないからさ」
違う、そういうことを言ってるわけじゃない。しかし、奏の願いも叶わず、剣道部の部員は扉を開けてしまった。部員は武道場の光景を見て言葉を失った。宙に浮いている真剣が二本。そして床に散らばる幾つもの竹刀。小さな女の子と対峙している奏。部員にとって、訳の分からないことばかりだった。
その心の隙を狙った諌見は彼女に向かって自分の意思を送り込んだ。
「相田っち。これはどういう――あっ……!」
体をビクつかせた後、ガクッとうなだれた部員は目を開けてそれから無表情で奏を見つめた。普段の部員からは想像できないほどの冷たい表情。奏は全てを理解した。
「まさか……人を操ったっていうの!?」
「操ったって言うよりは『私』になったって方が正しいかな?」
部員と諌見は同時に言葉を喋った。予めタイミングを合わせていなければ難しい同時の発音に奏は驚きを隠せない。もしかして、諌見はあの部員と知り合いだった……? ありもしない妄想を駆り立てて平常心を保とうとする奏だったが、混乱した心は戻ることない。
「じゃあ私、奏先輩を始末しよっか」
「分かったよ私。宙に浮いてる剣を使ってもいいかな?」
「もちろんだよ、私」
部員は空に浮かんでいる剣を手にとって奏に構える。その構え方は素人同然の構えだった。この事から、部員の記憶までは盗めないことを知って、奏は少しだけ安心する。
部員は奏に向かって真剣を振るう。避けなければ死ぬ。奏は慎重に剣を見極め、そして回避した。だが、竹刀が奏の頭を打つ。
「グッ……!」
避けたはずだったのにバランスを崩してしまい、部員の元へ倒れかかってしまう奏。部員はニヤッと笑うと剣を奏に振り落とした。剣は奏の背中を打ち、奏は床に叩き付けられてしまった。
「安心してよ。みねうちだから。死なすわけにはいかないの」
「私を操るつもりなのね……!」
「そうだよ。それじゃ、そろそろいこっか」
諌見は地面に這いつくばっている奏を睨みつける。その瞬間、奏の中に何者かが侵入してきた感触が襲った。自分の中で何かが塗り替えられていく感覚は、入れ替わりの時より気持ち悪く吐き気がしていた。
奏は自分の意思をしっかりと持って彼女に抵抗する。しかし、部員が奏の耳元で怪しくささやき始めた。それは、奏の知り合いだということを使った罠であった。
「相田っち。諌見ちゃんになるのってね、すごく気持ちが良いんだよ。我慢しちゃダメだよ。一緒に気持ちよくなろう?」
「……ふ、ふざけないで……。それも、操ってるから……に決まって……」
部員の言葉が体に染み渡っていく。否定をしても、声や姿はいつもの彼女であるから、奏は頭で分かっていてもどうしても友達の言葉だと受け取ってしまう。
数分の抵抗があったが、諌見の力と部員の言葉によって奏は意識を手放してしまった。薄れていく意識の中で、奏は真琴に助けを求める。
お願い真琴くん……。諌見ちゃんを助けてあげ……て……。
余計な力が抜けた奏は少しだけ上げていた頭を地面に触れさせた。それから、ゆっくりと立ち上がって諌見を見つめた。
「ハァ……やっと乗っ取れたよ。やっぱり能力者は違うねぇ」
その言葉を奏の口から言わせて彼女の心を侵略したことを実感させる諌見。ひとまず女性から言われたことは達成できた諌見は武道場をそのままにして立ち去ることにした。
奏以外から、自分の意識を取り除く。宙に浮いた剣や部員は地面に倒れてしまう。
力なく寝ている部員に向かって、諌見は申し訳なさそうに呟いた。
「……ごめん。巻き込みたくはないかったけど、俺も人質がいるんだ……」




