人質
諌見は後ろが気になってしまった。いくら無視しようとしても、自分の秘密を知っている人物がいた衝撃からどうしても頭の中に残ってしまう。
……ちょっとだけ、見ようかな。
そう思った諌見は少しだけ首を動かして後ろを見た。彼女の見たところ、女性は後を付いて来ていないようだった。ホッと安堵する諌見。
もし付いてきてたらどうしようかと思っちゃった。でも、警察を呼んだ方がいいかな?
すでに女性を不審者扱いにしている諌見は足早に帰宅する。郊外にある一軒家は諌見の自慢だった。最近で言えば都会で一軒家に住んでいること自体、珍しいものでほとんどが賃貸だからだ。この一軒家に欠点があるとすれば、郊外のため登校に時間がかかってしまうことだろう。
諌見は玄関のドアを開けていつものように大声で自分の帰宅を家中に知らせた。
「ただいまー! ママ、私帰ってきたよー!」
諌見は靴を脱いでちゃんと並べてから居間へと入っていく。リュックをソファに置いて手洗いに台所まで来て、諌見は違和感に気づいた。
母の姿がない。いつもならば、諌見の母は台所に、いなければ居間にいるはずだからだ。今日は居間にいなかったから、諌見は台所にいると思っていた。しかし、母はいない。
先ほどの女性を突然思い出し、諌見は思わず身震いしてしまう。
関係ない、ママはきっと買い物に行ったんだよ。そうに違いない。
その時、階段を降りる音が居間に鳴り響いた。そこで諌見は安心した。母は二階にいたのだ。恐怖心も消え去り、母を迎えに行くために諌見は居間を出て階段に向かう。
しかし、諌見を出迎えたのは先ほど外で出会った女性だった。女性はニヤニヤ笑いながら諌見に向かってしゃべり始める。
「はーい、ママだよー……なんてね」
「どうしてあなたが……!! それと冗談は止めてよ!!」
「お母さんと呼ばれたことはあるけど、ママって言われたことないの。ちょっとだけでも呼んでくれない?」
「……ふざけんな!」
諌見は近くにあった花瓶に意識を送り込む。花瓶は諌見の意思を受けて宙に浮いた。諌見はこの花瓶を女性にぶつけようとしている。死人になるかもしれないが、諌見はこの不可解な状況を打破するために必死だった。
しかし、諌見の計画は女性の一言によって消滅する。
「はい、そこまでよ。それを受けたらさすがに私も死んじゃうからね。これを見たらあなたも攻撃できないんじゃないかしら?」
女性は指をパチンと鳴らした。すると、廊下の奥からゆらゆらと歩いてくる一人の影があった。次第に近づいてくるその影に諌見は目を見開いてしまった。目をこらして何度も確認する。その姿は、諌見の母だった。
生気のない土気色をした顔と無表情は諌見が普段目にしている母の姿とまったく違う。しかし、彼女は確かに諌見の母だ。
心をかき乱された諌見は花瓶から意識を手放してしまう。宙に浮いていた花瓶はそのまま廊下に落ちていき、花瓶としての役目を終えた。バラバラに散らばる花瓶を司っていた破片。今、この場でそれを気にする者は誰一人としていない。
女性は階段から降りて母の前に立つ。そして、拳銃を取り出して諌見の母の頭に銃口を合わせた。
「さてと、これからどうするかな諌見ちゃん? ママを殺してまで、あなたは私を殺せるかしら?」
「……汚ねぇマネしやがって」
「あらあら、口調が昔のものに戻ってるわよ。それじゃあ立派なレディにはなれないわね」
「うるせぇ!! どうしても俺に人減らしさせたいようだな……!」
「そうよ。どうなの? するの? しないの? 早くしないとあなたのママから酷い悪口が出ちゃうわよー。今は私の思い通りに動かすことができるんだからね」
自分も母を経験しているからか、女性は次々と諌見に対して心を抉るような言葉を投げかけていく。
諌見の選択肢はすでに一つしか残されていなかった。それは、彼女の母の口が開く前に言わなければ心に傷が残ってしまう。諌見は両手に拳を作ってギュッと握りしめながら、観念した。
「……分かった。分かったから、これ以上母さんを苦しませないでくれ!」
「お利口さんね。でも、あなたのママはまだ使い道があるからこのままにしておくわ。私の保険でもあるしね。下手な考えを起こしたら、彼女を殺人犯にしちゃうから」
「俺はどうすればいいんだ……。俺の能力って言っても、自分自身よく分からないんだぞ」
「大丈夫、あなたには使える駒を渡してあげるわ」
そう言って、女性は一枚の写真を投げつける。諌見の胸に当たった写真はそのまま地面へとヒラヒラ落ちていく。廊下に落ちた写真は一人の少女が写っていた。ショートカットがよく似合う女の子で、剣道着を身にまとって真剣な表情をしている。
「この人は一体……」
「相田 奏。高校生よ。どう? 少しは楽しめるんじゃないの? そのチンケな体よりは」
「俺はそんな下らない目的のために能力は使わない。……要は、その奏ってやつの体を使えってことか」
「そうよ。ちなみにこの娘も能力持ち。変身っていう能力を持ってる」
写真を見つめれば見つめるほど、奏という少女が頼りになる存在に思えてくる。どうせなら、自分の力について彼女に相談したかった。それも、もう叶わぬ願いだろう。全てを諦めた諌見は廊下に落ちた写真を拾って、名残惜しくジッと見ていた。




