明日香の所在
未来、奏の二人と別れた真琴は一人明日香の家へと向かっていた。彼女が帰ってきているなら、ちゃんと話をしたいという思いを持つ真琴の表情は真剣だ。行き慣れた彼女の家の前に到着した真琴は迷いなく呼び鈴を鳴らす。窓から微かな光が漏れていることから誰かしらはいるのだろう。そう期待した真琴を迎え入れるかのように、玄関のドアが開いた。
中から出てきたのは明日香ではなかった。彼女の母親だった。
母親は真琴の顔を見て安堵し、それから不安そうに口を開いた。
「真琴君……」
「あの、明日香は今……」
「あの子、まだ帰ってきてないのよ。何か知らない?」
「……いえ、何も」
明日香が帰っていない。ここに帰って来ていないということはどこにいるのか。真琴には想像がつかない。幼馴染なのに、彼女の居場所も想像できない自分にため息をつく。
「見つかったら教えてもらえないかしら?」
「分かりました。伝えておきます」
そう言って、真琴は自分の家へと戻っていった。
次の日の朝にも、真琴は明日香の家に行ったが結果は昨日と同じだった。いよいよ不安を増し始めた母親をなだめつつ学校へ行く。
当然学校にも姿を現さない明日香だったが、真琴は彼女が現れるのを待った。しかし、彼女は来なかった。
いつしか放課後になり、真琴は明日香を探す決意を固めるが、その前に二人の様子を見に行くことにした。まずは未来――心は奏――の方から先に行くことを決めた。
真琴はいつも通り男の子の姿で未来のクラスへと向かう。このクラスでいい思い出は全然ないが、もし女の子の姿で行ったならば着せ替え人形にされるのが関の山だからだ。
真琴はドアに嵌められている鏡から中の様子をそっとうかがう。未来はまだ教室にいるようで、教科書をカバンに詰め込んでいた。いつもの目つきから少しだけ厳しいものとなっている未来は、誰とも話すことなく帰りの支度をしている。
そんな彼女に話しかける一人の女の子がいた。ドア越しの真琴から彼女との会話は聞き取れないが、話しかけた女の子はいつもと違う未来に少し怯えているようにも思える。
一言二言話しただけで、女の子は離れて行ってしまった。
「未来……何を話してたんだ……」
そう呟く真琴に向かって、ハリセンで頭を叩きつけた男の子がいた。真琴の頭上、いや頭に気持ちのいい音が鳴り響く。叩かれた本人の真琴は頭を押さえて少し涙目になっているが、叩いた男の子は号泣していた。
「きっさまああああああああ! 未来さんに何をしたぁー!」
「何をって、何もしてねーぞ」
「昨日まで清楚だった未来さんが、今日はすっごいクールになってるじゃないか! なんか話しかけにくいじゃねーか!」
「あ……あー……そっか」
いくら体は未来と言っても、心は奏。奏は男の子を拒絶するきらいがあるので、多分態度に出てしまったのだろう。奏は大人しいから問題ないだろうと思っていた真琴の見方は甘かったと言える。
真琴は男の子から目を逸らして話題を避けようと必死になった。
「あれは……色々あったんだよ。うん……」
「未来さん……まさか男を知ったのか!?」
「はい? 男を知るって……そりゃ知ってるだろ。何考えてんだお前」
「貴様ー! 未来さんは未来永劫永久永遠純情乙女だと思っていたのに!」
「まあ待てよ落ち着け。男なんていっぱいいるから知ってるに決まってるだろうよ」
まあ、奏を除いて……かな。
何故男の子が怒っているのか分からない真琴だったが、まあいつもと違う未来の姿に動転しているのだろうと結論づけた。
このまま男の子と話していても埒が明かない。真琴はドアを開けて椅子に座っている未来に呼びかけた。
「かな――未来! 行くぞー」
「あ、うん。ちょっと待ってて真琴くん」
未来は荷物を全て入れたカバンを手に取って椅子から立ち上がって真琴の元へ行く。
彼女の様子から疲労や憂い等が見られなかったことから、特に困らず平和に過ごせたのだろうと真琴は思った。
真琴は未来と一緒に廊下を歩く。いつもはため息の対象だったこの時間も今は少しだけ気持ちが高揚してくる。
ふと、話のタネにでもと真琴は先ほどの男の子の話を始めた。
「なあ奏。お前、男の子に対していつもの感じで話しただろ」
「う……うん。本当は未来みたいな八方美人を演じたかったんだけど」
「まあしょうがないさ。とりあえず変な事は起こさなかったんだろ?」
「それは大丈夫だよ」
ついでだ。真琴は未来に向かって愚痴を言い始めるのだった。
「それにしても、さっきの男に変な言いがかりをつけられたんだよなー」
「何?」
「あいつ、未来に向かって『男を知らない』とか言いやがったんだ。人間誰しも男に会うんだから知ってるのは当然だと思うんだがなぁ」
「真琴くん。私のせいでごめんなさい」
「どうして奏が謝るんだよ」
「どうしても。それと、後で調べた方がいいよ。その意味……」
そんな会話を繰り広げながらも、真琴と未来は奏の様子を見るために武道場へと到着した。武道場の外からでも、竹刀を打ち合っている音と奇声がひっきりなしに聞こえてくる。ここまで真剣に活動している中に入るのもはばかられるが、未来はお構いなしに武道場の扉を開けた。
一部の人は未来と真琴の姿を見たがすぐに稽古へと戻る。ただ、一人だけを除いては。
奏は未来の姿を見ると一目散に駆け出してきて彼女に抱きついた。いきなりで反応に遅れた未来は抵抗せずに奏に抱きしめられてしまった。
「奏ちゃーん! 寂しかったぁー」
「うわっ! み、未来! 恥ずかしいじゃないの!」
「だってだって、一人で夜ご飯食べたの始めてだったし学校でもちやほやされないんだもん……」
「そ、そりゃ私はあまりクラスメートと関わらないようにしてたんだから当然よ」
「んで、お前はちゃんと奏の代わりに剣道してるってことか」
奏は未来から離れて真琴に話しかける。
「そりゃあね。ま、意外と体も動くし大丈夫かなって」
「心配ないようだな」
上手くいってなかったら、奏も連れて明日香の捜索に乗り出そうとした真琴の杞憂は徒労に終わった。
まあ、猫かぶりも得意だし大丈夫か。
安心した真琴は足早に武道場から立ち去ろうとする。しかし、それに奏は反対した。
「え? もう行くの?」
「ああ。大丈夫そうだからな。明日香は俺とみら……奏が探す」
「後は任せて。未来は私をちゃんと演じてて」
「いやいや、それはダメだよ真琴ちゃんに奏ちゃん。私も行かなきゃヒロインがいないじゃないの」
「お前がヒロインだとしたら、誰がヒーローなんだよ。んな訳も分からないこと言ってないで、奏を演じてくれ」
「えー、二人で行くってなったらとたんに剣道が面倒くさくなってきたなー。私も行きたーい」
口を尖らせてジト目で真琴を睨みつける奏。こういったあざとい表情をする奏は普段ならば考えられない。真琴はすぐに目を逸らして彼女を視界に入れないようにした。普段のテンションを変に意識してしまう。いつもなら、いつもならと真琴は普段の彼女たちの影を追う。真琴は様子の違う二人に対して少し顔が赤くなってしまった。
「お、真琴ちゃん。顔が赤くなってますよー」
「ちょっと相田っち。いつまで油売ってんのよー。練習しよーよ」
チャンスだ。真琴は赤い顔をはぐらかすかのように、奏の後ろから呼びかけた人物に身振り手振りを交えて話を繋げた。
「おお。しっかりと鍛えてやってくれ。奏は最近サボりがちだからな」
「アンタ誰? まあいいか。ほら、行くよ相田っち」
「ちょ、まっ! 私も真琴ちゃんと一緒に行くー!」
「てか相田っちってそんなキャラだったっけ?」
奏の練習相手と思われる女の子は、嫌がる奏を強制的に引っ張っていって練習を再会した。しょぼんとしながら竹刀を持って打ち付けを始める奏。
少し可哀想だと思った未来だったが、彼女はただ黙って奏の練習を見つめるだけだった。




