幼なじみの復学
朝の8時50分。真琴は未だにベッドで就寝中である。深い呼吸を繰り返している真琴は、目覚まし時計がいくら鳴り響こうとも目覚めない。決して休日などではない。今日は平日、学校へ行かなければならない日である。
最近、真琴の生活はだらしのないものとなっていた。原因は親の不在だった。親は真琴を置いて長期の旅行へと行ってしまい、現在は真琴一人で暮らしている。
パジャマに着替えず、ジャージ姿で眠りこけている真琴。
刹那、何かに導かれるように真琴は起床し、即座に近くにあった時計に掴んで時間を見た。一瞬、何がなんだか分からず、目の前の時計の時間を受け入れることができない。だが、落ち着いて何度も見ると、真琴は突拍子もない声を上げて飛び起きた。
「おうああああああ!? 何だよこの時間は!!」
真琴は急いで学生服に着替える。その前に自分の体を見回して、今どちらの体になっているのかを確認する。
男……か。良かったぜ。
迷うこと無く、真琴は学生服がかけられているハンガーに手を伸ばし、着替えた。
玄関に向かう間に、真琴はカバンを手に取り、鍵を持った。かかとを踏みながら靴を履き、鍵を閉めて真琴は走りだした。
真琴の家と彼の通う学校は比較的近い位置に存在している。それゆえに、遅刻しても全力疾走すればなんとか間に合うのだ。息も切れ切れになりながら、真琴は校門前まで辿り着くことができた。
「ハァ……ハァ……おっさんと戦った時より辛かっ――」
落ち着いたところで、真琴はようやく校門前に立っている女の子を認識した。その女の子は――当たり前だが――セーラー服を着ていて、学生カバンを肩からかけている。さらに、彼女の身長ほどの細長い筒状のバッグも学生カバンとは別の肩にかけていた。
彼女は真琴の姿を見ると不安そうな表情で彼に話しかけた。
「真琴くん。大丈夫? 何かあったの?」
「か、奏……。何でこんなところに」
奏と呼ばれた彼女は真琴の変わらないテンションに一つの結論を浮かべた。その結論は、奏の表情を不安から呆れへと変えていった。
「何でって、遅いから敵と戦ったんじゃないかって心配して……もしかして、ただの遅刻?」
「……ああ」
真琴のその言葉と共に、学校のチャイムは授業の開始を告げた。
やってしまった。全てが無駄になってしまった。
真琴を待っていたがために一緒に遅刻となった奏は、学校にかけられた大きな時計を呆然と見つめていた。言わば、放心状態となっていた。
「あのう、奏?」
「……さない」
「あ、ヤバイやつだこれ」
「許さないぞ真琴!! 私、今日まで遅刻したことないのにー!!」
「俺を置いて行けば良かったんだよ!」
「せっかく心配して待ってたのにその言い方は何!? すっごく遅かったから敵と戦って傷ついてるのかなーって心配してたんだよ!?」
それはさっき聞いたよ。真琴は遅刻してしまったことである意味で冷静に、そして賢者となっていた。
とりあえず、謝るか。遅刻した俺が一番悪いからな。
そう思った真琴は奏に対してすぐに謝罪をした。
「悪かったよ奏。ごめん」
「ご……ごめんって言っても許さないんだから!」
「でもちょっと嬉しかった。俺のこと、大切に思ってくれてるって実感できたから」
「なっ――」
図星だったのか、奏は顔を真赤にして反論を止めた。奏の怒りを急速冷凍で冷やすことに成功した真琴はさっさと教室に入るために奏を急かす。
「早く行こうぜ。先生もご立腹かもしれないしな」
「……うん」
奏の肩を押して、真琴は二人で学校内へと入っていった。
「し、しつれーしまーす」
結局遅れてしまった真琴は教卓から一番遠いドアを開けて入ってきた。背を曲げて、腰を低くしてあくまでも申し訳なさそうに侵入する真琴。すでに授業が始まっていたため先生もいるが、先生は真琴に対して動じず授業を続けていた。
は、反応がないのもそれはそれで悲しい……。
自分の席について、真琴はカバンから今の授業の教科書を取り出そうとする。だが、いくら真琴がカバンの中身をまさぐっても、その教科書が出ることはなかった。落ち着いて、真琴は朝の出来事を思い返してみる。
真琴はいつも家に出る前に教科書などを準備している。つまり、朝遅刻した真琴は教科書の準備をしないで出てきてしまったのだった。自分の不甲斐なさにため息をつき、とりあえず別の授業で使うノートだけを取り出して、取り繕うとする。その時、横から声をかけてきた女の子がいた。
「真琴、教科書忘れたの?」
真琴が横を振り向くと、そこには懐かしい顔が真琴に対して微笑んでいた。真琴にとってはかけがえのない幼なじみが、真琴の隣でいつもと変わらない表情をしていた。真琴は彼女の名前を呼びつつ、彼女の復活を心より祝福した。
「明日香……お前、元気になったのか!」
「う、うん。まあね」
何とも歯切れの悪い返事だと思った真琴だったが、病み上がりはこんなものなのかもしれないと納得する。それよりも、真琴が今必要なのは教科書である。すぐに違和感を排除して、真琴は手を合わせて明日香に懇願した。
「頼む。ちょっと寝坊したせいで忘れちまったんだ」
「しょうがないな真琴は」
口では文句を言っても、明日香は真琴に教科書を見せるために机を真琴に近づける。真琴も一緒になって近づけて、二人の机が隙間なく並んだ。教科書を中央に置いて折り目をつけてページが勝手に移動しないようにする。
「なあ、悠太君はあれからどうなったんだ?」
授業を聞くのも重要だが、真琴は今日やっと復帰した明日香について聞きたいことがたくさんあった。
今、真琴が発した人物についてもその一つだった。明日香は複雑そうな顔をしてしゃべり始める。ただし、先生には聞こえない程度の小さな声で。
「……死んじゃった」
「……そっか」
真琴は予測はしていたつもりだった。数週間前に事故に遭ってしまったがために重症となってしまった悠太。小学生の彼は真琴と明日香にとって兄弟みたいなものだった。小さい時から悠太の遊び相手になっていた二人は、彼が事故に遭ったという事実を聞いて衝撃が走った。そのショックで、明日香は長い間登校できないでいたのだった。
そのせいとは言えないが、明日香は学校祭にも出ることができなかった。その頃にはすでに真琴も落ち着いていたため度々明日香の見舞いにも行っていた。その時の彼女は幼児退行を起こしていたのか、高校生とは思えない言動を発していた。
いつになったら全快するのだろうか。真琴は不安に思っていたが、今こうして明日香がここにいる。それだけで真琴は嬉しく思った。
「まあでも、悠太の死を乗り越えたんだ。もう大丈夫だよな」
「うん」
明日香は力強く頷く。その時、真琴は明日香の髪型に違和感を持った。普段ならば、明日香はポニーテールにして学校に来るはずだ。しかし、今の明日香はポニーテールを解いて髪を降ろしている。他人の髪など個人の自由でどうでもいいかもしれないが、長年一緒にいた真琴にとっては違和感でしかなかったのだった。
「お前、髪どうしたんだ? 今日はポニーテールじゃないのか……?」
「え? あ……うん。ちょっと、ね」
またしても歯切れの悪い回答。まだ本調子じゃないのか。そう思った真琴はこれ以上詮索しないようにした。
まあ、おいおい聞いておけばいいさ。すぐにまた別れるってわけでもないし。




