過去、そして未来
「おはよう、真琴!」
真琴の真後ろで、いつも通りの声がした。幼少時から聞き慣れている声だからこそ、真琴は振り向くことなく歩き続けていた。
彼女と話すよりも、大事なことがあったからだった。
「おい、無視すんな」
真琴の横に並んできたその女の子は、真琴と同じ高校のセーラー服を着ていた。
季節は夏を過ぎ、秋真っ只中だった。落ち葉が地面に落ち、風も少しだけ肌寒くなってくるこの季節。
女の子は表情を変えない真琴に対して顔をむくれさせてふてくされ始めた。
「酷いな真琴は。どうして無視するのかな?」
「……あのな明日香。俺は今すっっごく悩んでるんだよ!!」
やっと自分の名前を呼ばれたことに、満足した明日香だったが、真琴の話題が気になった。
本当は少しの挨拶だけで終わらそうと思っていたが、興味を持ったから話を続けることにした。
「悩み? 真琴が何を悩むっていうのよ」
「実はだな……幼なじみのお前だから言えることなんだが……」
「うんうん」
「……好きな人ができた」
「え? もしかして、私のこと?」
明日香は胸が張り裂けそうな気持ちに誘われる。自分の想いが届いた。その事実が明日香の頬を赤く染め上げる。
しかし、真琴の答えは明日香の思惑とは真逆だった。
「んなわけあるか。明日香はアウトオブ眼中だ」
「そっか。……ってふざけるなー!」
「そこで何で怒るんだよ! 幼なじみは幼なじみだろうが!」
「私だってなー! 女の子なんだぞ!」
あれ?
明日香は少しだけ違和感を持った。自分はこんなに強い心を持っていただろうか。真琴は自分に興味が無いと言っているが、何故かショックが大きくない。むしろ、まだまだチャンスがあると思い込んでいる。
真琴は呆けている明日香に呆れながらも、こっそりと彼女に耳打ちを始めた。
「それで……俺の好きな人なんだけどな」
「チッ、しょうがない。聞くだけ聞いてやるか。誰よ?」
「……神野さん」
「神野さんって神野未来さん?」
真琴は明日香の口を抑えながら必死に頭を縦に振る。
「バッ! 神野さんは信者が多いんだぞ! 大声で言うなよ!」
真琴の手を引き離して、明日香は大声で笑い出した。
「アハハハ!! 真琴があの神野さんとぉ!? 身の程を知りなよ! 絶対吊り合わないって!」
「……そうか?」
「そうそう。真琴は私のような幼なじみが一番いいの」
「それってお前に誘導してないか?」
「してるけど、何か?」
「やっぱりそうか。ちくしょう! 俺をバカにして!」
その時、二人の横を通り過ぎた女の子がいた。
細長いカバンを肩に掛けて重そうに歩いている女の子は偶然にも真琴と目が合ってしまった。彼女はキッとしたキツイ目つきを真琴に送ったが、すぐに目を丸くした。
そして、真琴の元へと近づき、彼の顔に手を触れた。その際、明日香はその女の子によって押されて地面に倒れこんでしまった。
「あなた……前に会ったことある……?」
「え? ……さ、さあ。どうだかな」
ショートカットのその女の子を見た真琴だが、何故か目をそらしてしまう。恥ずかしさがこみ上げてきて、まともに見れないのだ。
その感情は、未来に向けられている感情と同じものだった。
も、もしかして、一目惚れってやつなのか?
「……勘違いか。邪魔」
女の子は真琴を手放してビンタをした。
まさか攻撃されるとは思わなかった真琴はビンタを頬に受けて、頭に星が浮かんだ。
「痛っ!? いきなり何すんだよ!」
「男の子が私に触らないで。汚らわしい」
「いやいや、お前が勝手に触ったんでしょうが!」
「う……うるさい! 私は男の子が嫌いなの!」
「じゃあ何で俺に触った!?」
「それは……何か、気になったから……。で、でも! 嫌いなものは嫌いなんだから!!」
「一々ムカつく奴だなお前は! 名前を言え! 一生覚えててやる!」
「奏よ。相田奏。今日から月の出てない夜には背中に気をつけなさい」
「闇討ちかよ……」
「おはようー奏ちゃん。よくも私を押し倒してくれたねー?」
奏によって地面に倒れた明日香が引きつった笑みで彼女の肩を叩いた。
奏はため息をつきながら、明日香の手を払った。
「生憎だけど、私には時間がないの。これで失礼させてもらうわ」
奏は二人を無視して前を向いて歩き始めた。
「何だったんだアイツは……」
「さあねー、ただの頭のおかしな人だったんじゃない? 受験ノイローゼってやつ」
「あー朝からドッと疲れた……」
「アハハ。じゃあね真琴。また放課後に会おう!」
話題も尽きたと思ったのか、明日香は真琴から離れて歩き出した。そして友達のところへと合流すると、楽しく話を再開し始めた。
「何だよ……俺だけかよ疲れたのは……」
大きくあくびをしてボーッとしながら通学路を歩く真琴。だが、真琴はその態度をすぐに改めることになる。
彼の意中の女の子がやって来たからだった。
その女の子は清楚な雰囲気を醸し出し、それでいて優雅でもある。
彼女は天使のようなほほ笑みを真琴に送りながら、挨拶を交わした。
「おはよう、真琴君」
「へっ!?」
お、俺の名前……!? ま、まだ自己紹介もしてないのに! 事故紹介!? って何変なこと考えてるんだ俺は!
真琴はドギマギしながら未来の挙動一つ一つに惚れ込んでいた。
「未来お姉ちゃん。お弁当ありがとう!」
「……はい?」
今まで真琴は未来にしか目に入ってなかった。だから、下からの声に情けない声を出してしまったのだった。
目線を下の方に移すと、小学生くらいの小さな女の子がランドセルを背負っていた。手にはお弁当が入っているのだろう。巾着袋を持ち、未来と楽しそうに話をしている。
未来は女の子の頭を撫でながらにっこりとした表情をしていた。
ああ。未来さんはお弁当も作れるのか……。何て素晴らしい人なんだろうか。
女の子は未来たちとは違う通学路になるのか、未来から離れて大きく手を振り始める。
「じゃーまたね! 未来お姉ちゃん!」
「うん、諫見ちゃん!」
「い、諫見……」
どこかで聞いたことがあるような。ああ、そうか。悠太君から聞いたんだっけか。お兄さんを幼くして亡くしたって聞いてたけど……。
未来は笑顔のまま、真琴にお辞儀をして離れていった。もう、真琴の心は未来一直線だった。
そうだ。告白するとしたら今日しかない。ええい、当たって砕けろだ!
そう決断した真琴は放課後、校舎裏に未来を呼び出すことに決めたのだった。
真琴は遂に意中の女性を校舎裏に呼び出すことに成功した。『校舎裏』というのが何ともモテない人間の常套句のように思えるが、告白で舞い上がっている真琴は気にしなかった。
校舎の角から姿を現した人物、それが意中の相手の未来だった。
歩く動作にも一つ一つ気を遣い、おしとやかにしている未来に、真琴はすでに釘づけになっている。
未来は太陽のような眩しい笑みをしながら真琴に話しかけた。
「真琴君。今日は私に何の用事かな?」
透き通るようだが、しっかりと耳で聞き取れるハッキリとした声色で自分の名前を呼んでくれる。その事実だけで真琴は卒倒しそうになるが、自身を奮い立たせる。そして、若干どもりながらも自分の言葉で愛を伝えた。
「あ……あの! 未来さんのことが好きなんです! よ、よければ俺と……付き合って下さい!」
真琴は誠心誠意を込めて頭を下げた。不祥事を起こした会社の会見の時よりも、真摯な想いを伝えたかったのだ。
数秒の沈黙があり、それから未来は口を開いた。
「……ごめんなさい」
なるほど、と真琴は思った。案外自分に対して冷静でいられることに驚きを感じながらも、自分では釣り合わないのだろうという気持ちが表に出てきてしまっていた。
絶望を胸に秘めながらも、真琴は未来の見るために顔を上げた。彼女は先ほどの笑顔を無くして、代わりに真剣な表情を向けていた。
「真琴君」
「ふぇ!? は、はい! 何でしょうか!!」
未来は神妙な顔つきをして真琴に近づく。そして、そっと彼に耳打ちした。
「……私、絶対にみんなの記憶、戻してみせるから」
「え? それってどういう……」
「それまでは、お預けだからね」
「お預けって……何を?」
「ん? 全部。恋も何もかもね。だから、真琴君への返答は『ごめんなさい』なの」
何が何だか分からない真琴は口をポカーンと開けて呆けてしまっている。
未来はそんな真琴に苦笑しながらも、小さくお辞儀をして歩き出した。
心の中で、未来は新たなる決意を胸に秘める。どんなに絶望しても、決して諦めないその願い。必ず、叶うと信じて未来はこれからを生きていく。
「……大丈夫。みんなは私が取り戻してみせる。これが、私のみんなへの恩返しなんだから」
明日からどうやって記憶を戻せばいいか。未来の頭の中はそれだけで一杯になっていた。
「……いよっしゃああああああ!!」
景気づけと言わんばかりに、未来は大声で空に向かって叫んだ。
後ろからビクついた声が聞こえたような気がしたが、記憶が戻るのならば関係のないこと。
未来は空を仰いで、雲一つない青空に手を伸ばした。
みんな、待っててね。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます!
最終章の方は少し駆け足かつTSFとはあまり関係のない展開になってしまい申し訳ありません。
読んでいただいてどんな感じだったか、何かご感想をいただけると嬉しいです。
最後に、重ねてお礼申し上げます!




