外に出よう!
真琴は一度自分の家へと帰って自転車を取りに向かった。ここでモタモタしていたら未来を外に連れ出す時間がなくなる。真琴は急いで自転車にまたがり、未来の家へと漕いだ。
自転車のおかげで、未来の家へすぐにたどり着くことができた真琴は自転車から降りて即座に呼び鈴を押した。
「はい。どなたでしょうか」
玄関先のスピーカーから聞こえてきたのは妙齢の女性の声だった。真琴はそれが未来の母であると理解し、声を上げようとした。
「あ……」
だが、ここで真琴は余計なことを考えてしまった。未来が引きこもっているのに男性が訪問にやって来た。これは確実に未来の彼氏だと勘違いされるかもしれない。いや、同じクラスメートということにしておけばいいだろうか。
様々な考えが真琴の脳内をぐるぐる駆け巡るが、それら全てを簡単に解決できる方法を真琴は知っている。
真琴は女の子に変身し、軽く咳をした後、もう一度スピーカーに呼びかけた。
「あ、あの。お……私、未来の友達なんです。未来のお見舞いに来たんですけど入れさせてもらえないでしょうか?」
「ああ……構わないわ」
そうスピーカーから声が聞こえると、ガチャリと鍵の開く音がした。真琴はドアノブを捻って前へ押し出す。すると、ドアは真琴の命令通り奥へと動き出し、真琴を玄関へと招き入れた。
「お邪魔しまーす……」
そそくさと玄関に入った真琴は、またそそくさとドアを閉める。奥の廊下からパタパタとスリッパとフローリングが擦れる音がしたかと思うと、先ほどのスピーカーから声を発した女性が現れた。
顔つきは未来にとても良く似ていた。いや、未来の方が彼女に似ているといった方が語弊はないだろう。さすがは家族だ。真琴はポケーっとしながらそんなことを考えていた。
「あなたが未来の友達? 未来なら二階にいるわ」
「ありがとうございます。失礼致します」
礼を忘れず、真琴は靴を脱いでフローリングの床へと足をつける。そして、すぐに後ろを振り返るとしゃがみ込んで靴を揃えて反対に置き直した。
「あら、最近の人にしては偉いわね。あなた、きっといいお嫁さんになれるわ」
「あ……アハハ、恐縮です……」
何とも複雑な苦笑いをしながら、真琴は母に言われた通りに二階へと上がって未来の部屋へと向かった。
未来の名前の看板を見つけて、真琴は立ち止まった。小さな看板が立てかけられているこの部屋に未来がいる。真琴はつばを飲み込んで軽くドアを叩いた。
「……誰?」
「……真琴だよ。久しぶりだな、未来。その……入っていいか?」
「……うん」
未来の了承を得た真琴はゆっくりとドアノブを捻って未来の部屋へと入り込んだ。
カーテンを締め切り、電気もつけず、パジャマ姿の未来は体育座りで部屋の隅っこでジッとしていた。
その光景に思わず言葉を失った真琴だったが、気持ちを切り替えて未来に話しかける。ここで何もしなかったら、今日来た意味がない。
「未来、調子はどうだ?」
「……あんま良くない」
「そっか。……やっぱりショックだったのか? 命を狙われているってのが」
「まあね。さすがの未来ちゃんも堪えたってところかな……ハハ」
いつも通りの言葉遣いで未来は真琴と会話を繰り広げているが、テンションはまったくといっていいほど死んでいる。目にはクマが出来ており、焦燥しきっているのが見て分かる。
真琴はカーテンに近づいて手で掴む。一気にカーテンを引くと、夕日の光が未来の部屋を赤く照らす。
「うおお……眩しい……今の私には眩しすぎる光だよ……」
「何言ってんだよ。太陽の光を浴びないからそんな落ち込むんだよ」
「だって……」
「だってもあるか。ほら、行くぞ」
真琴は小さく縮こまっている未来に手を伸ばした。その意味が分からない未来は顔を上げて真琴に向けて小さく頭を傾けた。
「今日はお前を外に連れ出すために来たんだ。少しは外の空気を吸い込め、バカ」
「……外、か」
思うところがあったのか、未来は真琴の手を掴んですっくと立ち上がる。
「うん、分かった。……着替えるから、ちょっと部屋から出てくれない?」
その言葉の後、未来はセーラー服に着替えて真琴と一緒に外に出ることになった。未来の母は喜んで未来を送り出し、未来は少しだけ恥ずかしそうな表情をして真琴に付いて行った。
そんな未来が外に出て目線を向けたのは、一台の自転車だった。
「これ、真琴ちゃんが持ってきたの?」
「まあな。これで好きなところまで行けるぞ」
「……ねえ、真琴ちゃん。私、色んな景色が見たい」
「よし、まあ乗ってくれ」
真琴がまず乗って、それから未来が後ろに腰掛ける。未来が乗ったことを確認した真琴は勢い良く自転車を発進させた。
自転車に乗って風を受けることが新鮮だった未来は、次第に閉ざしていた心も融解していく。未来からのリクエストが特になかったため、真琴は適当な道を漕いで移動している。
「あ、ここで止めて」
未来がそう言った場所、それは河川敷だった。夕日が全ての建物と川を自分色に染め上げ、配色を支配している。川を挟んで、それぞれの都市が栄えていた。都市を繋ぐため、川の上には大きな橋が建てられており、車の行き来が遠目から見ても分かる。
真琴は道路を外れて川沿いの道へと自転車を止めると、未来を優先させて、それから自分も降りた。
「ねえ真琴ちゃん。凄いと思わない? この景色」
「まあ……そうだな。あんまり意識して見てなかったけど、芸術的だって今気づいた」
未来は意気揚々とスマホを取り出して景色を撮影していく。様々な角度から撮影を行い、未来の納得する額縁に入るまで、撮影は続いた。
納得したのか、未来はふうっと安堵のため息を吐くと真琴に振り返って笑ってみせた。
夕日に映える未来のはかなげな笑み。手を伸ばせばすうっと消えてしまいそうな脆弱な雰囲気。
真琴は思わず息を呑んで未来に見惚れてしまっていた。
「ちょっと撮り疲れたから休憩するー」
未来は川沿いと道路の間の斜めの部分に座って、川をジッと眺めていた。真琴も未来の隣に腰かけて、会話を交わすことなく二人で川を見ている。
川は夕日の光を浴びてあらゆる場所に光を反射させている。それがキラキラと輝いてダイアモンドのように美しい光を放っていた。
……今がタイミングか?
真琴は己の心臓が高鳴っていることに気づき、意を決して未来と向き合うことを決断した。
いつもよりゆっくりと横にいる未来に顔を向ける真琴。
「未来……。ちょっといいか?」
「ん? 何さ?」
「俺……ずっと考えてたんだ。お前が好きなのか、奏が好きなのか……」
「うん。それで?」
「それが今、決まった。未来、俺……お前のことが――」
そう言いかけた時、未来が真琴の口を人差し指で塞いだ。未来はニッコリとして嬉しそうにしていたが、真琴に対する言葉は否定だった。
「……ダメだよ。今の真琴ちゃんの言葉は受け入れられないかな?」
「な、何で!?」
訳の分からない未来の否定に、真琴は焦る。こんなシチュエーションで断られたら、男として情けなく恥ずかしい。これから未来の顔を見ることさえできないかもしれない。
「奏ちゃんの能力の反作用……聞いてた?」
「……自分の望んでいることができなくなるってやつか?」
「うん。奏ちゃんは私を守るためにその力を使って代償を得てしまった。真琴ちゃんも知ってるでしょう? 奏ちゃんの好きな人……」
「……ああ」
「だから、今ここで私がオッケーって言わなきゃいけない因果が発生してるってこと。でも、それは本当の決着にはならないよ。私だってそんなの納得できないし、したくもない。私を守ってくれるために能力を使ってくれたのに、卑怯だしね」
「未来……」
「だから、今の話はこれでおしまい。奏ちゃんがその代償を乗り越えるまではお預け」
そこで、真琴は最近の奏の様子に合点がいった。
俺を避けてたのは敢えて俺に嫌われることで因果を回避しようとしてたからだったのか……。
「あいつ、だから俺のことを避けて……」
「え? どういうこと?」
「いや、本当は奏も誘っていこうと思ってたんだけどさ、何かあいつ俺に冷たいんだよなーって思ってて。別に俺は怒ってないけど、そうか、あいつそういうことだったのか……」
「今まで気づかなかったの?」
「ま、まあな」
「呆れた。乙女心の分からない男の子との恋愛は長続きしないぞー?」
「う……反省してます」
「……まったく、しょうがない親友だなー。私がいないとダメなのかな?」
未来は立ち上がってスカートについた砂埃を手で払う。
「まあ、奏ちゃんのことは明日考えるとして――」
「明日、来るのか?」
「もちろん。だって、私がいないと奏ちゃんと仲直りできないでしょう? その代わり、今日はとことん付き合ってもらうからね!」
「……ああ分かった。どこだって連れてってやる」




