覚醒する真琴
真琴は地面に横たわっている未来をジッと見つめた。無表情で生気のない目が、まだ真琴を見つめている。未来の周りには血だまりが出来ており、その何十年も前から敷かれていた道路に新たな色を塗りたくっている。道路の亀裂に染み込んだ赤い血は向こう数ヶ月、消えることはないだろう。
「み……らい……?」
何故か彼女の名前を呼んでしまっていた真琴は、呆然として言葉にするしかなかった。何故か、真琴は千鳥足で未来の元へと歩いた。血だまりがあるにもかかわらず、真琴は未来の側に膝をついた。ストンと地面に座り込んだ真琴は、呼吸を停止している未来に呼びかけた。
「ねえ……生きてないの? 死んでるの……?」
また、俺のせいで死んだ……。
その瞬間、真琴は全てを思い出した。自分が男の子で、今までの姿は偽りだったということに。
「俺は……何をやってたんだ……」
バカか、俺は。
「おい未来こんなところで寝てたら風邪ひくぞほら起きろよ」
死んだ目をした真琴は未来の手を掴んだ。骨が砕けてしまったのか、未来の手はぐにゃりと歪んでしまった。
ああ、女の子だから柔らかいんだな。
頭が現実に追いついていない真琴は、どう考えてもあり得ない光景に無理矢理結論をつけて正常を保っている。いや、もはや保っていないのかもしれない。
とにかく、真琴は立ち上がって未来を引き上げた。
血のねっとりとした音を引き立てながら、未来の体は真琴に引き上げられる。しかし、死んでいる未来は反応すらしない。
真琴が手を離すと、未来の死体は再び地面に落ちた。その衝撃で血が飛び散り、真琴の頬に一滴ついてしまう。真琴はその雫を手で拭い、血の痕を見つめた。
「あ……ああ……あああっ!!」
真琴は声を震わせながら自分がした過ちに気づき、頭を抱えた。
全部俺が悪いんだ……! 俺が逃げたから! そんなことをしても、もう明日香は戻ってこないのに!
真琴が手を引いたおかげでうつ伏せの状態になっている未来に、真琴は即座に土下座した。血など気にする必要はない。今の真琴は謝ることしかできないからだ。
「未来! ごめんなさい!! 俺の……俺のせいでこんなことに!! ごめんなさい……!!」
未来はあさっての方向を向いて静かに佇んでいる。その目は、真琴が自分から動かない限り彼に向くことはない。
「俺は最低だ……!! うわあああっ!!」
過去を振り返って……未来から目を逸らして……!! 過去を肯定して、未来を否定して!
激しい慟哭が真琴を中心として響き渡る。真琴の声が枯れるまで、そして真琴の一生分の涙が流れるまで終わることはないだろう。
「素晴らしい茶番を見せてもらったよ。ありがとう」
まだこの場には和島がいた。元々、未来の約束など守るつもりはなかった。それを未来に話さなかったのは、和島の歪んだ優しさだった。
赤く腫れて充血した目で和島を睨んだ真琴は、土下座していた手で拳を作った。同時に、地面の血だまりが手の中に入っていく。
「お前か……! お前なのか和島ぁ!!」
「何を激情しているんだ。お前のせいではないだろう。全てはオレの素晴らしい催眠術のおかげでそこの物体は横たわっているんだ」
「物体……? 未来が、物体だと!?」
「そうだ。それはもう人じゃないだろう。まあ、蘇ったらまた人として扱ってやるがな。まあ無理だろう」
「……う……うわああああっ!!」
思考がまとまるよりも先に、真琴は和島に向かって走った。和島は鉄球を用意し、彼に向かって投げつけた。
真琴は避けるという思考を放棄したため鉄球を腹部に受けて、後ろへと吹き飛ばされる。その先は未来が死んでいる場所だった。全身に未来の血を塗りたくって、真琴は地面に倒れた。
「無理だ。お前もオレの能力には敵わない」
「いい加減にしろ……」
「ん?」
「お前のその面……不快なんだよ!」
「真琴。お前はオレに勝ちたいと思っているんだろうがそれは無駄だ」
「無駄じゃねえ……」
「いや、無駄だよ。最初から負ける勝負に挑むのなら、オレも容赦しない」
未来は俺のせいで死んだ。その俺が、こんなところで死ぬわけにはいかない……!! アイツの分まで生きなきゃならない!
「わあああああああああああ!!」
真琴の全てを諦め、全てを捨てた覚悟を象徴するような大きな枯れた叫び声が響き渡る。
その瞬間、真琴の体を光が包み込んだ。それは奏が親から愛されている、親を乗り越える決意をした時と同じ光だった。
その光は真琴の手に集まる。真琴は無意識に使い方が分かっている。それがどんなご都合主義であろうとも、今の真琴には関係なかった。
真琴は未来の死体にその光っている手をかざした。すると、未来の体が光を帯びて輝きだしたのだ。
「死という『陰』を……生という『陽』に……転換――トランス――する」
すると、未来の傷ついた体はみるみるうちに治っていく。未来の指が、少しだけ動いた。
それから、未来は一度目を閉じてからすっと目を見開いた。自分が何故ここにいるのか、記憶の整理がついてないのだろう。肉体と精神が合致した時、未来はようやく目を覚ますことになったのだ。
「あ……あれ? 私……生きてる……」
ゆっくりと起き上がって自分の体の様子を見る未来は、生きていることが不思議だった。しかし、自らの体にまとわりついてくる血が自分の死を確信させた。
なら、なんで私は生きているの……?
その時、未来を抱きしめる人物がいた。力強いが、確かな優しさで包み込む安心感のある抱擁。顔を上げた未来は思わず涙を滲ませた。
「真琴……ちゃん……」
「良かった! 未来が生き返って……本当に……良かった……!!」
「ふ……ふざけるな!! そんなことがあっていいのか!?」
「……いいんだよ。これが、俺の能力だからな」
真琴は立ち上がって、和島に向かってゆっくりと歩いてくる。その目は鋭く、全てを射抜く。
うろたえる和島を守るようにかつての仲間が立ちはだかる。しかし、今の真琴には雑魚同然の存在にしかならない。自分の意志で動かず、催眠術で命令されているだけの人間には、真琴は負けない。
「催眠という陰を……覚醒という陽に転換させる」
真琴が手のひらをかざして、三人の覚醒を促す。すると、三人の目は光を取り戻し、自我を復活させた。
催眠が解けた奏は真っ先に未来の元へと走っていった。
「み……未来!! 大丈夫!? てか……私たちがやったの? これ……」
未来の周りの惨状を目の当たりにして、奏は自分の行為に恐怖する。いくら操られていたとはいえ、平気でこんなことをする人間だと自分自身思わなかったからだ。しかし、未来は目を閉じて奏に抱きついて優しく頭を撫でただけで咎めることはなかった。
「いいの……もういいんだよ……みんなが無事なら……」
真琴は依然として和島に向かって歩いていた。和島は次々と鉄球を真琴に向かって投げつけるが、真琴はその度に手をかざして鉄球をただの炭クズにし、速度も転換させて殺していた。
「あり得ない! オレの計画がこんなところで終わるなんて……あり得ない!!」
「準備はいいか」
和島と目と鼻の先にまで近づいた真琴は和島の心臓にそっと軽く作った拳を置いた。それから、真琴は言葉を呟く。
「俺の拳はこれから……静止した軽いパンチから、豪速球の重いパンチに変わる」
「クソッ――」
「遅えんだよ」
和島が何かをする前に、真琴の拳が和島の心臓をいとも簡単に貫いた。
「うぐあああ!!」
「痛いのか? でもな、未来はもっと痛かったんじゃないのか?」
「あ……あが……!」
「未来の経験した痛み……全部受けてもらおうか」
「ぐ……」
和島は自分の死を確信した。だが、その死が先延ばしにされようとしている。真琴は明らかに自分の体を癒やそうとしている。無表情で自分を監視している目が和島には怖く思えた。
和島は後ろに下がりながら、小さな声で引き笑った。
「フフフ……もう俺は死ぬようだ。だがな、お前の手では殺されん。自分の落とし前は、自らつけさせてもらう!!」
そう言って和島は自らの喉に剣を突き立てて刺した。血が辺りに散らばり、和島は絶命して仰向けに地面に倒れる。
真琴は和島を見下ろしながら手をかざそうとする。そう、生き返らせようとしたのだ。
しかし、それは未来の叫びによって手を止めた。
「真琴ちゃん……! もういいよ! ……もう、私は満足だよ」
「……分かったよ。未来が言うなら、このままにする」
未来の願いに従って、蘇らせるのを中止した真琴は、市内に張っていた和島の催眠が晴れていくのを感じた。




