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29 母体

「話している暇はありません。

 直ちに離脱して地上を目指しましょう」


 青年の言葉に反対する者はだれ一人いなかった。

 ヒリムヒルでさえこの場を離れる必要性を感じていたようだ。


 のそのそと洞窟の奥から巨大な何かが近づいて来る。


「葬儀屋、この遺体はどうする?

 ギルバードじゃなくて影武者なんだろ?

 運ぶ意味なんてないよな?」


 不眠症が尋ねると青年は――


「いえ、運びます」

「……え?」


 目を丸くする不眠症をしり目に、青年は遺体を背負子に括り付ける。


「おいおい、葬儀屋。

 お前、正気かよ?

 影武者かもしれない奴の死体を運ぶのか?

 意味がわからねぇ」

「仮にこのご遺体がギルバード様でなかったとしても、

 運ぶ価値は大いにあります。

 だって……この人にも家族がいたはずですから」


 青年は迷わなかった。


「それに、ヒリムヒルさんが嘘つきで、

 このご遺体が本人だったらどうするんです?」

「うっ……確かに」

「どちらにせよ。

 僕はこのご遺体を地上へとお返しするつもりです。

 それが僕の仕事ですから」


 青年は作業を続行。

 ロープで遺体を背負子に括り付け、手足を固定する。


「あっ、私も手伝います!」

「じゃぁ君は僕の作業を見ててね」

「え? あっ、はい」


 少女が手伝うと言うが、下手に手を出されるとかえって邪魔になる。

 黙って見てくれていた方がいい。


「じーっ」


 緊急事態にも関わらず、言われたとおりに青年の作業を凝視する少女。

 この人は本当にどこかおかしいと青年は思った。


「おい! まだか?! 来るぞ!」


 ハンスが叫ぶ。


 洞窟の奥から姿を現したのは幼体とは比べ物にならないほど巨大な死体かつぎ。

 その背中には、生物の残骸が満載されている。


 人だったもの。

 モンスターだったもの。

 何もかもが一緒くたになったその塊は醜悪の一言に尽きる。


 死そのものを背負った巨大な蟲は、感情のこもっていない黄金色の目玉で獲物を睨みつける。


「ギギギギギ……ギィィィィィィイイイイ」


 耳障りな鳴き声を上げる死体かつぎの母体。

 背中の肉塊はまるで一個の生命体のようにうごめいている。




 ぐじゅり、ぐじゅり。




 聞いたこともない不気味な音。

 肉塊から大量の体液があふれ、死体かつぎの身体を伝って地面に流れ落ちて行く。


 この世の物とは思えないあまりにおぞましい光景を前に、誰もが戦慄せんりつして言葉を失った。


「終わりました! 行きましょう!」


 ようやく作業を終えた青年が、背負子を背負いながら言った。

 彼の言葉によって現実へ引き戻された一同は、一斉に走り出す。


「ギイイイイイイイイイイイイイ!」


 金切り声をあげる死体かつぎ。

 足元から無数の幼体が這い出してきた。それぞれが死体を集めて作った肉塊を背負っている。


「このままだと追いつかれるぞ! どうすんだ!」


 青年よりも一歩先を進む不眠症が後ろを振り返り、背後から迫る蟲たちの様子を見ながら叫ぶ。


 蟲たちの移動速度は思っている以上に速い。

 このままでは全滅はまぬがれない。


 早くなにか手を打たないと――


「――あらゆる悪意を隔絶せよ。

 ホーリーウォール!」


 青年の隣を走っていた少女が足を止めて振り返り、魔法を発動。

 光り輝く壁が彼女の目の前にいくつも錬成され、蟲たちの行く手を阻む。


「やっ、やったぁ!」

「早く! 立ち止まらないで!」


 魔法を発動して喜ぶ少女の手を引いて、必死で逃走を促す青年。

 彼にも余裕はなかった。


 人一人を背負いながら足場の悪いダンジョンの中を走るのは、慣れている者からしても困難を極める。

 追いつかれるのも時間の問題かと思われた。


 ――その時だ。



「ファイアストーム!」



 突如として放たれた火柱が死体かつぎの幼体を薙ぎ払う。


「炎の魔法⁉ いったい誰が⁈」


 青年が選んだメンツの中に、攻撃魔法を扱える者はいなかったはずだ。


 この魔法を放ったのは――

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