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青とオレンジの記憶  作者: 春山 灘
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その後の話④ 場末は今日も雨 【綾視点】

梅雨明け前の繁華街は少し肌寒く、ここで働き始めた頃の不安と期待を思い出させてくれる。


傘を差して歩きながら、どんよりとした暗い空を見上げた。コインパーキングで車を降りた時よりも少し小降りになっている。


一軒の古びた居酒屋の前では、傘を差したサラリーマンたちが大声で談笑していた。そのグループ以外に人は見当たらない。


所々に水たまりが出来た狭い路を、サラリーマンたちを避けるようにして歩く。


その時、後ろから一台のタクシーが走り抜けた。タイヤが弾いた水がパシャっと跳ね上がり、私の足元にしぶきが掛かった。


少しムカッとしてタクシーを見ると、タクシーは速度を落として私の少し前に停まった。そして、運転席のドアが開き、中年の男性運転手が忙しなく降りて来た。


「すまん姉ちゃん! 濡れんかったか?」

「はぁ、少しだけなので大丈夫です」

「おー、悪いなぁ」


運転手は私の足元を見ながらそう言うと、タクシーの運転席に上半身を突っ込み、何かを手に持って私の方へと戻って来た。


「すまんかったな。まだ冷えてねぇから飲んでくれや」


運転手が私に押し付けたのは、今しがた購入したばかりであろう熱い缶コーヒーが3本。自分が雨に打たれることを気にする様子もなく、運転手は軽く頭を下げてその場を立ち去ろうとした。


「いえ、全然大したことないんで。お気持ちだけで」

「怪しいモンは入ってねぇから。じゃあな」


現在、午後6時過ぎ。

深夜の稼ぎ時に向けて眠気覚ましに用意したものだったのだろうか。


その場に立ち尽くし、去って行くタクシーを見送る。


ふと気付くと、缶コーヒーを抱えたままの両手が熱くなっていた。慌ててバッグの中に缶コーヒーを突っ込み、雨の繁華街を再び歩き始めた。


服を濡らされてイヤな気持ちにならなかったのはこれが初めてだ。


ーー


「あら、いらっしゃい。雨すごかったでしょ?」

「そうですね。だいぶ小降りになってきましたけど」


3ヶ月ぶりに朱美さんの店を訪れると、お客さんの姿はまだなかった。開店直後で、しかも天気は雨。ここはどちらかというと繁盛している店だが、この条件が揃うと客足が途絶えることもある。


「綾ちゃん、ちょっと足元濡れてるんじゃない?」

「あぁ、さっきタクシーにかけられちゃって」

「あら、着替えはあるの?」

「ないですけど、足元だけだから平気です。すぐ乾きますよ」

「ほんと危ないわよねぇ。この辺狭いのにみんなあんまり速度落とさないから。言ってもダメなのよ」

「土地柄ですかね。みんな自由というか」

「そうなのよ。昔のまま時間が止まってるの」


会話を交わす中、朱美さんはカウンターの下から真っ白なタオルを取り出し、私に手渡してくれた。


素直に甘えてそれを受け取り、服を拭き終えてからカウンター席に腰かけた。


「でも、ぶっきらぼうだけど人情深い人が多いですよね。向こうに住んでるとよく分かります」

「ここに比べたら都会だものね。私もまぁ、何だかんだ言ってもここの人たちは嫌いじゃないわ」


その時、膝の上のバッグからはみ出していた缶コーヒーが転げ落ち、床でカツンと音を立てた。


「あ、すみません」


拾い上げてもう一度バッグに詰め込む。こんな小さいバッグに3本も収まる訳がない。無理矢理詰め直したところで、どうしても1本だけははみ出してしまう。


「ん? それどうしたの?」

「さっき、そのタクシーの運転手さんからもらったんです。水掛けたお詫びって。全然大したことないから断ったんですけどね」

「だったら最初から気を付けて欲しいわよねぇ。今度また苦情入れておくわ」


私の様子を見ていた朱美さんは、今度は小さなレジ袋を私にくれた。


ようやく落ち着いて話せる状況になると、自然な流れで私の近況についての話題になった。


「どう? 最近は」

「いいことがあったんですよ」

「あら、どんなこと?」

「莉子が主任に昇進したんです。ウチでは女性の昇進は珍しいんですよ。だからホントに嬉しくて」

「あら、それはすごいわ。出来る人なのねぇ」

「そうなんです。それで個人的に何かお祝いしたいんですけど、こういう時ってどんなお祝いがいいのかなーって……」


莉子から昇進の話を聞いた時、私は『やっぱり莉子はスゴい!』と大喜びして思わず莉子に抱きついた。


『ホントに綾は純粋だよねぇ。私が先に昇進して悔しくないの?』

『えっ!? なんか呆れてる!?』

『全然。ただの照れ隠し』


あの時のやり取りを思い出し、ニヤつきそうになる顔を無理やり無表情に持っていった。


「そうねぇ。無難なのは仕事に役立ちそうな品を贈ることだけど、綾ちゃんたちはそういう関係性じゃないわよね」

「だから難しいんですよ。あんまり堅苦しいのもイヤだし」

「ふふ。相変わらず生真面目ねぇ」

「治したいとは常々思ってるんですが……」

「形にこだわる必要ないわよ。気持ちが大事なんだから」


私はそもそも、人に贈り物をするのが苦手だ。相手の好きなものから選ぶにしても、『もし趣味に合わなかったらどうしよう』とか、『同じ物を持っているかも知れない』などと余計なことばかり考えてしまい、結局いつも無難な消耗品に落ち着いてしまう。


あれこれ考え込んでいる間に、朱美さんがノンアルコールのドリンクを用意してくれた。


「今までのお祝いはどんな感じだったの?」

「誕生日はケーキと外食みたいな感じです。特別に何かプレゼントしたことって今までなかったような……」

「だったら、思い切って高価な物を贈るのはどう? 相手は恋人なんだから」

「うーん……。そういえばこの前オーブンが壊れたって言ってましたけど、恋人にそういうプレゼントってどうですか? ……あ、でもいらなかったら邪魔になりますよね……」

「実用的でいいと思うわよ。あぁ、綾ちゃん器用だから何か手作りの物を添えるのもいいんじゃないかしら?」

「あ……。そうですね。手作りか……」


莉子本人の絵を贈ったことがあるとは気恥ずかしくて言えなかった。相手が朱美さんでもさすがに無理だ。


「直接本人に聞いてみるのもいいと思うわ」

「えっ?」

「綾ちゃん、もしかしてサプライズとか好きじゃない?」

「……えーと、実は狙ったりはするんですけど、毎回感づかれて微妙な感じになるんですよね……あははは」

「じゃあ、今回は敢えて聞くのよ。お祝いしたいけど何が一番嬉しいかって。逆にサプライズになると思うんだけど、どうかしら?」

「なるほど、それもいいですね。でも『綾がいてくれるだけで嬉しい』とか言われたらどうしよう。結局何もできなくなりますよね……」

「だったらそれでいいのよ。そばにいてサポートしてあげれば」


朱美さんがいつものようにニコッと微笑んだ時、店の出入り口の方が急に騒がしくなった。

ようやくお客さんが来たようだ。


「それにしても……」

「え、なんですか?」

「サラッとノロケるのね。綾ちゃん変わったわねぇ」


朱美さんがクスクス笑い始めた瞬間、顔が一気に熱くなって居た堪れない気持ちになった。


腕時計を確認して席を立つと、朱美さんは思い出したように壁掛け時計に視線を移した。


「あ、もう実家に向かう? お兄さん夫婦の出産祝いだったわよね?」

「そ、そうですね。そろそろ……」

「あんまり遅くなったらいけないものね。今度はゆっくりしてって」

「はい。相談に乗ってくれてありがとうございました……」

「こちらこそ、いつもありがとう。また来てね」


隣の席に置いたバッグと、3本の缶コーヒーが入ったレジ袋を手に取った。


欲しかった物ではなくても、想定外に増えた荷物を邪魔だとは思わない。


雨上がりの繁華街を歩きながら自然と笑みがこぼれた。





おわり


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