死神
「――おい、見ろよ。あれだ」
沼田が指差している方向を見た。
そこには篝火がいくつも点在している。
数からして間違いない。
オーガス軍だ。
場所は平原。
比較的開けた空間で、周囲には森が立ち並んでいる。
傾斜はほぼなく、大隊で戦いを行う場所にしては最適だ。
障害物がないということは、視界が開けているということでもある。
それが俺達にとって奏功するかどうかは微妙なラインだ。
ただ、沼田のドラゴンは巨躯であることを考えると、森林や山岳地帯よりは戦いやすいだろう。
悪くない。
「で、どうする?」
沼田は横目で俺を確認する。
俺は即答した。
「突っ込むしかないな」
「おいおい、まさか、無策とか言うんじゃないだろうな?
本当に単騎で突撃するつもりだったのか?
あるだろ、食事に毒を混入させるとか、偽の情報を流すとかよ」
「毒はないし、さすがに毒見はするだろ。偽の情報を流しても信憑性を疑われる。
ここまで移動して退却する理由にしては弱すぎる。
どうせ手札は少ないんだ。無謀でもやるしかない」
「マジかよ……予想以上に、無茶苦茶だなおまえ」
「うるさいな。だったら何か策があるのか? おまえの能力とか」
「ないな。俺の能力は結構癖が強い。相手が一人ならまだやりようがあるけどよ」
「だったら愚痴愚痴言うなよ」
「愚痴くらい言わせろよ。今からあんなのに突っ込むんだぞ!」
沼田は珍しく感情的になりながら叫んだ。
確かに言葉で聞くよりも、実際に目で見ると差があった。
多い。
想定以上に数が多い。
平原、一面に火が見え、数百のテント。
人影はそこかしこに見える。
俺達は夜空にいるため、相手からは見えないだろうが、大隊は丸見えだ。
厄介なことに、大砲の類もかなりの数を揃えてあるようだ。
つまり空中戦もできてしまうということ。
機動力の高いドラゴンに直撃させても、一方的に攻撃することはできないということ。
それに魔術師らしき兵の姿もちらほら見える。
本当に戦うのか?
俺は死なないはずだ。
だけど、あんな数に対抗し得るのだろうか。
「おい、日下部。おまえ死なないんだろ?」
こいつ、俺が死んで生き返る瞬間を見ていたのか。
ドラゴンごと落下した際には姿を消していたが、遠くからでも観察していたのかもしれない。
油断ならない男だ。
「……だったらなんだ?」
「おまえ先に行け。俺は騒ぎが起こったら上から攻撃を仕掛けるからよ」
「そう言って、見捨てるつもりだろ」
「あのな、見捨てるつもりなら協力を申し出るかよ。
今更、逃げ腰になるくらいなら、こんなところにいないってんだ」
言ってることはもっともだった。
ただ、何となく命令されるのが気に入らない。
正直、嫌味の一つでも言いたかったが、沼田の言う通り他に手段はなさそうだ。
ドラゴンのように目立つ存在が現れれば、一斉に攻撃をするだろう。
そうなればさすがにグリーンドラゴンも劣勢を強いられるのは間違いない。
目標を分散させることが絶対条件。
その上、俺一人であれば、同時に相手にするのはせいぜいが十人程度。
仕方ない。
「じゃあ俺が先に行く。かき乱してくるから、頃合いを見て、空から攻撃してくれ」
「ああ、任せろ。上手くやってやる」
信用できない。
信用できる要素がまったくない。
役に立ったらラッキーくらいに考えるしかないか。
俺はそう諦観の結論を受け入れながら、高度を上げる。
そのまま野営地の真上まで移動した。
深呼吸二回、目を瞑り、心を落ち着かせる。
これからどうなるのか想像する。
虫の知らせが常に鳴り響き、戻れと言っている。
わかっている。
このまま戦いを始めればどうなるか。
これは直感だ。
イヤな予感。
恐らく、俺に最大の不幸が訪れる。
それがどういう内容なのかまではわからない。
だが間違いない。
俺のスキルが言っているのだ。
この先に踏み込めばどうなるか。
もう後戻りはできないと。
しかし、俺は目を開けると、そのまま地上に落下した。
迫る地面。
着地の瞬間、風力を操作し衝撃を吸収した。
砂埃が周囲に舞う。
周囲には焚火、哨戒中の兵、布張りの建物。
俺に視線が集まる。
数秒の沈黙の後、兵士達が一斉に口を開いた。
「敵襲だァッ!」
その一声で、テントから兵士達が飛び出てくる。
そして僅かな時間で俺は取り囲まれてしまった。
俺が知っているエシュト皇国軍に比べて練度は高そうだ。
「貴様、何者だ!」
何者か。
なんと言えばいいんだろうか。
異世界人?
勇者?
それともリーンガムの住人?
いや違う。
そんな普通の名で称させるような存在じゃない。
俺はこれから、ここにいる奴らを殺して殺して殺しつくす。
鬼畜の所業に手を染める。
手加減なんてする余裕はない。
圧倒的劣勢、絶望的な状況で抗うには、相手の命を摘み取るしかない。
これから俺がするのは、人道に悖る行為。
殺し。
それを俺は覚悟してここにきた。
何かを守るならば何かを捨てなければならない。
最早、人道的な倫理的な道徳的な考えはいらない。
この世界には、そんなものは役に立たない。
思いを貫くには、非情でも何でも、経緯の良し悪しを選別する余裕はない。
ならば。
そう、俺は。
「死神だよ」
半ば無意識に出した答えは、思いの他しっくりと来た。
死なずの存在であり、今から俺は彼らに死をもたらす。
ならば死を司る存在であると称してもおかしくはない。
俺は哄笑しながら、周囲を見回した。
俺に正義はない。
ここにいる連中も恐らくは、何かを守るために戦うのだろう。
だったら同情はない。
俺の大事なものを守るため。
そのためだけに、俺は戦おう。
「く、黒い髪、黒い瞳、こ、こいつ異世界人だ!」
「エシュトの異世界人かもしれん!」
「こ、殺せ!」
「囲め! 油断するな!」
人人人。
人だかりの中心に俺はいる。
奴らは手に槍や剣を持っている。
外には弓兵、魔術兵もいるが、味方がいるためどうもできないようだ。
次々に兵が集まってくる。
早いところ数を減らしていかなくては。
「やれぃ!」
なにがしかの隊長らしき男が叫ぶと、同時に兵達は俺に向けて凶刃を振るう。
俺はブーストで宙に飛ぶ。
俺がいた場所は槍や剣で貫かれた。
「上だ!」
俺は宙で軌道を変え、包囲陣の外側へ移動、そして着地する。
「え? ぶェッ!?」
素っ頓狂な声を上げた兵士の顔面を全力で蹴る。
「うぁっ!」
蹴り飛ばされた兵士は吹き飛び、後方の兵士もろともなぎ倒される。
彼の顔は陥没し、穴という穴から出血していた。
恐らくは、死ぬだろう。
「死ね!」
「ぶっ殺せ!」
口汚く気勢を発する兵士達。
般若の如き表情と憤怒の形相。
一目見れば殺意の衝動が表れているのがわかる。
だが俺の心を揺さぶる効果はなかった。
背後からの攻撃を、半歩移動するだけで避けると同時に、裏拳で殴り飛ばす。
そのまま回転し上半身への白刃を避けつつ屈み、水平蹴り。
逆立ちしつつ両足で左右の兵士を蹴る。
「がふあっ!」
胸骨の折れる感触が足首に伝わる。
そのまま態勢を整え、宙に浮かびあがると、回転蹴りをする。
周囲の兵達の首が折れる。その数四。
複数人を巻き込みつつ兵士達がきりもみしつつ跳ねる。
「ラアアァ!」
槍が俺の頬を切り裂く。
薄皮を撫でた一撃により、鮮血が顎に滴る。
俺は柄を掻い潜り、掌打で相手の顔面を抉る。
衝突と共に、風圧を発生、そのまま上方に吹き飛んだ。
「ば、化け物だ!」
「さ、さっさと殺せ!」
兵士の瞳に怖気が浮かび始める。
だがそれさえも押し込み、なおも俺を殺そうと得物を振るう。
なるほど、鍛え上げられている。
だが、死をも恐れぬ人間が、死を幾度も経験している俺に勝てるか?
死の感覚を常に持ち、忘れぬよう記憶に刻まれてしまった存在が、死から逃れ、相手を殺す方法を知らぬ道理はない。
わかる。
数百、数千にもおよぶ死の境を超え戻ってきた俺だからこそ。
相手の攻撃、殺意の流れ、生の保つ方法。
すべての奔流が直感的に俺を導く。
流れるように敵の攻撃を回避し、攻撃を繰り出す。
手から足から伝わる人体を破壊する不快な音さえ、一つの達成を表す証拠となり、徐々に悦楽に変わる。
流れるように相手を殺していく。
殴り、蹴り、打ち、穿つ。
五体を破壊し、一つ一つの命を壊す。
綺麗な土は赤く染まり、やがて肉塊が転がっていた。
すべては俺の仕業。
怒りから憎しみに変わり、恐れへと変貌した。
だが兵士達は俺を殺そうとし続ける。
兵が更に増える。
五千の兵達はここに集結しつつあるのかもしれない。
あるいはたった一人だとわかり、まだ甘く見ているか。
一兵卒の攻撃を弾く。
と、尻餅をつき、俺を見上げた。
「や、やめ」
俺は兵の顔面を殴りつけた。
ピクピクと痙攣していたが、やがて動かなくなる。
逃げるものは追わないが、挑むならば殺す。
殺したいわけじゃない。
殺されたくもない。
だが、俺の道を阻むならば殺すしかない。
一人、二人、五人、十人、二十人。
それが五十に達した時、流れは止まった。
俺の拳は大男の大槌で止められた。
見上げる。
二メートルはありそうな巨躯で、髭面、まさに歴戦の兵士といった風貌だ。
「儂はオーガス勇国第八中隊長コボル・ポルフ! いざ尋常に勝負!」
戦場で名乗る人間がいるとは聞いたことがあるが、本当にいるとは。
「……6000」
「今、なんと?」
「レベル。あんたの」
「何をわけのわからぬことを! 戯言は無用!
貴様の所業はどのような理由があろうとも許されぬこと!
死ぬことでその罪をあがなえ!」
男は槌を振りかぶる。
俺は、大振りの攻撃を軽く避ける。
鉄塊は地面を破裂させ、石礫を周囲に弾き飛ばした。
仲間の兵士達に石が当たっているが、本人は気にしていない。
俺は嘆息する。
「どんな理由があろうとも、仲間を傷つけるのはどうかと思うぞ」
「減らず口を! さっさと死ね」
学習しない、またしても大振りの攻撃だった。
こんなの一生かかっても当たらない。
俺は僅かに前方へブースト移動し、相手の懐に入った。
そのまま勢いを殺さず、拳を突き出す。
「ふぼおおおぉっ!」
鳩尾に埋まった腕。
その衝撃に男はくずおれる。
嘔吐しながら腹を抑え、そのまま気を失った。
殺すつもりだったんだが、筋肉が邪魔して殺せなかったようだ。
失神している人間まで殺すつもりはない。
周囲は騒然とする。
「あ、あの百人斬りのコボル隊長を一撃で……!」
倒れている男は腕に覚えがあったのだろうか。
兵達に動揺が広がっている。
俺が歩き出すと、自然に距離を開けられた。
雑魚に用はない。
将を殺すことこそ肝要だ。
先ほどの男、第八中隊長と言っていた。
オーガス勇国の軍構造について詳しくは知らないが、おおまかにはわかる。
数人規模の組、十数人規模の班、五十人程度の小隊、二百人程度の中隊、千人程度の大隊から成り立っている。
それぞれに長がおり、すべての頂点に将軍が存在しているという比較的わかりやすい構造だ。
いくつかある大隊の長を殺せば打撃を与えられるはず。
隊を率いる将軍を殺せれば俺の目的はほぼ達成できるかもしれない。
そんな状態で作戦を遂行するかどうかはわからないが。
とにかく、数いる将を仕留めるのが最も有効な手段だ。
と、不意に周囲の兵士達が更に距離を開けた。
同時に頭上から多数の矢が落ちてくる。
俺は瞬間的にシルフィードから風を発生させ、矢を吹き飛ばす。
しかし矢に混じり、火球や氷柱が俺へと迫っていた。
魔術師と弓兵によるものだ。
俺は即座にその場から離れ、後方へ跳躍しつつ、魔術を回避した。
間を縫うように飛び交う。
だが、空中に移動したことは失敗だった。
弓兵や魔術兵の攻撃が俺へ集中する。
周囲の歩兵達がいないことで、遠距離攻撃を得意とする兵の猛攻が続く。
「くっ!」
俺の肩に矢が突き刺さる。
痛みは無視してさらに回避を続けると、腹部に火球が破裂した。
「がはっ!」
激痛のままに、落下しそうになったが、地面に落ちる寸前で風を生みだし衝撃を吸収。
「今だ! 殺せ!」
槍兵達が俺を取り囲み、一気に突き出す。
俺は仰臥位になり、全ての攻撃をギリギリで避け、地面を転がる。
シルフィードで身体を跳ねさせ地上すれすれを移動。
「こ、こいつ! ごあッ!」
空中で横たわり、回転しつつ兵士達を蹴り飛ばす。
途中で体勢を整え、地面に降り立つと同時に周囲の兵の顔面を殴る。
だが、敵が多すぎる。
そのため視界外の攻撃で俺は足を貫かれてしまう。
「くそっ……!」
痛みで一瞬反応が遅れてしまう。
飛び上がろうにも囲い込まれ、眼前には月明りで不気味に輝く刃物が。
複数の凶刃が俺の身体に吸い込まれる。
セーブ。
血飛沫を舞わせ、俺は喀血する。
「ご、ほっ」
僅かに残った命の灯も、急激に火勢を失う。
「や、やった!」
「殺したぞ!」
意識が薄れ、急激な眠気に身を委ねる。
やった、やった! と兵士達は喜び、安堵の声を漏らし、そしてなんだったんだと疑問を浮かべた。
その声を死への子守唄に、俺は意識を失う。
確実に死んだ。
完全な黒が俺を侵食する。
そして再び世界に舞い戻った。
「よし! 隊長殿に報告だ! ん? あ?」
「どうした? 何が……え?」
「おい、さっさと死体を、あれ? 死体は?」
「じょ、冗談だろ」
俺を指差していた兵士は声を震わせていた。
俺が死んだその場に俺は再び傷一つない姿で立っている。
「痛かったぞ」
薄く笑い、動揺している兵達を風圧でまとめて吹き飛ばした。
カマイタチで切り刻み、濁った血を吹雪かせる。
兵達の俺を見る目は、人間を見る目ではなかった。
わなわなと震え、恐れおののいている。
「さ、さっき、死んだ、は、はずだ」
「どうして、生きてるんだ!?」
「う、うそだろ」
「ば、化け物!」
「人間じゃない! 化け物だ! ま、魔物以上の化け物だ!」
「し、死神!?」
人間じゃないと言われても、俺は一切狼狽えない。
そんなことは俺自身が良く知っている。
死なない生物なんて存在しない。
俺は人間じゃなくなっている。
だが、それがなんだ。
知ったことではない。
俺は隊の長を探すため歩く。
優雅に。
敵だらけの陣営の中を。
ゆったりと歩いた。
しかし、俺が死なないとわかり兵士達はどうしたらいいのかわからなくなったようだ。
一定の距離を開け、そのまま維持された。
「止まれ」
威圧的な言葉に、俺はわざと足を止める。
屈強な男、明らかに一兵とは違う。
独特の空気感を纏わせている。
間違いない。
こいつはかなりの手練れ。
恐らくは、それなりの地位についている。
「貴様が、この騒動の原因か。何者だ?」
「日下部虎次。あんたは?」
「オーガス勇国第三大隊長リカルド・メナス」
大隊長。隊全体を指揮する将軍の下位階級。
だが、大隊といえば、五千の内、せいぜいが四つか五つ。
その内の一つの隊を率いる人間。
いわゆる、千人隊長だ。
かなりの大物。
「……異世界人。その見目、さながら死神とは、言い得て妙な。
何が目的だ。エシュト皇国には勇者は所属していないと聞き及んでおるが?」
「リーンガムを攻め落とそうとしているからだ」
「つまり、街を守ろうとしている、と? 愚かな。たった一人で軍勢に対抗するつもりか?」
「残念ながらエシュト皇国は腰が重い。
一個人がこんなことをしないといけない程度にはな」
「くくく、時間稼ぎのつもりか? 重ねて言おう。愚かだ、貴様は。
エシュト皇国軍はリーンガムに援軍を送りはせん。
その情報があるからこそこれだけの兵しか送っておらんのだ。
貴様もわかっておるのだろう?」
それくらいは考えていた。
だが、僅かな可能性に賭けたのだ。
敵の言葉を鵜呑みにはできないが、援軍の可能性は低くなってしまった。
やはり将を殺し、隊として機能できないようにするしかない。
俺の能力ならそれができる可能性がある。
無数の命がある俺ならば。
「問答はよかろう。ここで貴様は死ね。構え!」
リカルドはバッと手をかざす、と兵達が一斉に武器を構えた。
先程とは打って変わり、瞳には闘志が滾っている。
なるほど、やはり将の存在は大きいらしい。
リカルド本人は戦うつもりはない、か。
懸命だ。むしろさっきのコボルとかいう大男が馬鹿なのだ。
こんな名誉もくそもない一騎打ちをする必要はないのだから。
さあ。
ここからが本番だ。
俺は態勢を低くし、攻撃に備えた。




