敵の敵は敵であり味方
リーンガム北、平原から森林に変わり、更に渓谷の様相を呈していた。
周囲は闇の帳が降り、野生の動物や魔物の気配が蠢いている。
オーガス軍の正確な位置はわからない。
だが、ある程度の目測はついている。
オーガス勇国とエシュト皇国とが面している領域は然程広くはない。
五国が互いに隣接し、狭い領地を取り合っているグリュシュナ大陸全土において、二国間の国境もまた狭い。
必然、軍隊の進行方向は限られる。
国境沿いに位置している、オーガス勇国の都市レメアルを経由しているのは間違いない。
リーンガムを活動拠点としていたため、それくらいの知識はある。
問題はどの経路をとるか、だ。
夜中では、鳥瞰的に地上を見下ろしても、軍隊の位置がわからない。
無闇に移動しても相手を見つけるのは困難だ。
関所を強行的に通らないのであれば、山岳か深い森を通らなければならない。
しかし、強固な防衛箇所でもあるまいし、わざわざそんな遠回りをしないだろう。
五千程度の兵数、それは先遣隊であることは明白。
つまり、まだオーガスは本格的に侵攻を開始する段階にはないか、分隊として出兵させていると考えるのが妥当だ。
必然、進軍を悟られることを危惧しない。
侵攻作戦をひた隠している様子はないからだ。
ならば直進するだろう。
無駄な小細工なんてしない。
首都オーガスからレメアル経由で国境を超え、リーンガムを目指す、となれば順路は見えてくる。
国境までの距離は、馬で全力で移動しても一週間程度。
大隊となれば倍近くかかるかもしれない。
しかしすでに先遣隊は明日にはリーンガムに到着するという情報が流布されている、
相手も移動しているから、半日程度で俺とかち合うだろう。
燦然と輝く星々の下、俺は疾走している。
ほのかに夜風が心地いい。
火照った体と心を冷ましてくれる。
勝てるとは思っていない。
皇国軍が到着するまで時間稼ぎができればいいのだ。
ただ不安はある。
『本当に皇国軍は来るのかどうか』
領地を侵されても、援軍を出さないのではないか。
仮にではなく、本格的にリーンガムを見捨てたのではないか。
俺は、皇国軍は一時的にリーンガムを譲渡し、その上で占領したオーガス軍を叩くという心づもりであると考えていた。
商業都市であるリーンガムは防壁が脆弱だ。
籠城戦を目的として建設されたわけではないからだ。
つまり、リーンガムを拠点として戦うのは好手とは言いにくい。
オーガス軍が占領し、籠りながら戦っても有利とは断じにくいのだ。
外部にばらつく敵兵を相手にするよりは、一所に集まらせる方が叩きやすいだろう。
だが、それさえも必要ないと考えていたら?
ハミルさんの言う通り、街の浄化を目的とし、完全にリーンガムを見捨てたとしたら。
もしかしたら、助けるつもりなんてないのでは。
リーンガムを放棄し、僅かながらも準備の時間を稼ぎ、態勢を整え、その上でリーンガムの占領軍を叩き、オーガス進攻を目論んでいるのではないか。
つまり急ぎ、援軍を送ろうとなんてしていないとしたら?
そうなったら、リーンガムに残っている人達はどうなるか。
援軍が来るなんて希望的観測だということになる。
だがそれに縋るしかない。
エシュト皇国の都市であるリーンガム、そこに住まう人達は、国家そのものに縋るしかない。
もしも見捨てられたなら、打つ手はない。
賭けるしかない。
皇国軍がまだリーンガムを放棄していないと。
俺にできるのは時間を稼ぐだけ。
そして、あわよくば撤退させること。
俺一人に甚大な被害を出されてしまえば、あるいは進軍を躊躇するかもしれない。
それには俺を脅威と思わせることが重要だ。
……やるしかない。
俺は意を決し、暗闇を駆けた。
●□●□
数時間、ほぼ休みなく俺は移動を継続していた。
シルフィードの魔力をある程度消費したら、自らの足で走る。
そしてしばらく走ったらまたシルフィードで移動、を繰り返す。
方向は間違っていないはずだが。
時刻は多分、丑三つ時くらいか。
こんな時間まで移動しているとは思えない。
となると、どこかで野営をしているはずだが。
もちろん、見張りは立てているだろうし、哨戒兵も出しているだろう。
そして、奴らが警戒しているのはエシュト皇国軍だけだ。
俺のような個人の存在まで考慮していないはず。
例え、異世界人だろうと、こんな夜中に攻め込んでくるとは思うまい。
五千の兵だけでなく、沼田や長府達も気になる。
沼田はわからないが、長府達はオーガスの隊と合流しているかもしれない。
気をつけなくては。
俺はある程度走ったあと、宙に飛びあがり周囲を見回す。
暗い中、火を焚けば目立つ。
が、俺の視界に入ったのは別のものだった。
「あれは」
夜目でぼんやりと見える。
見慣れた姿だった。
バサバサと耳障りな羽音を響かせるそれは、確かに爬虫類の王。
竜、グリーンドラゴンだった。
「ようよう、数日ぶりだな」
軽妙な口調に、片手をあげ、友人に出会ったかのような仕草だった。
沼田力だ。
まさか、こんなところにいるとは。
報復を目論んでいる可能性は考えていたが、オーガス軍の近辺にいるとは考えなかった。
何をしている。
こいつも俺も、オーガス勇国にとっては敵だ。
宙で睨み付けていたが、沼田は肩を竦めて言った。
「とりあえず降りねぇか? バサバサうるさくってしょうがない」
「……ああ」
俺が地上に降りると、ドラゴンも地に足をつく。
翼の羽ばたく音が止むと、静寂が辺りを包み込む。
何を考えている?
俺は訝しがりながらも、警戒を継続する。
沼田もドラゴンもHPが回復している様子だ。
戦う準備は万端、といったところか。
沼田はドラゴンの背中から降りた。
「そう睨むな。今は戦う意思はないんだわ」
「どういうことだ?」
「気が変わったってことだ。
俺もオーガスのエシュト皇国侵攻を知ったのはごく最近でな。
まあ、ケセルからすればオーガスの侵攻によって、エシュトが対応を迫られると助かりはする。
なんせ、ケセルはエシュト皇国と隣接しているからな、エシュトの軍力が分散すれば攻め落としやすくなる」
「その話だと俺達を殺そうとする方が妥当だと思うが?」
「まあな。たださっきの話は、あくまでケセル側が先陣を切れば、の話だ。
エシュト皇国の立地は知ってるな?
オーガス勇国からエシュト皇国への距離の方が近い。
つまり、単純な話、オーガスの方がエシュト皇国を先に落とす蓋然性が著しく高い。
現状を鑑みれば、俺達ケセル王国が今更出兵したところで、オーガス勇国のエシュト皇国侵攻作戦の手助けにしかならないんだわ」
ケセルはオーガスと同盟を組んだわけでもない。
あくまで状況的に挟撃のような様相になっているだけ。
そして、ケセルの存在があるおかげで守りも視野に入れなければならず、エシュト皇国はオーガスの侵攻に全兵力を投入できない。
必然、ケセルはメリットなく、オーガスの侵攻を助けてしまっているということ。
オーガスも当然、エシュト皇国への進軍に兵力を割き過ぎれば、隣国であるトッテルミシュア合国に背中を斬られる。
その塩梅から生まれたのが、先遣隊の派遣という結果だったのかもしれない。
「それで、おまえはどうするつもりだ?」
「なあに、一時的におまえに力を貸してやろうかと思ってね。
まさか一人で立ち向かおうとするとは思わなかったけどな」
「どういうつもりだ?」
「そのままの意味さ。オーガスがこのまま進めば間違いなくリーンガムは占領される。
そうなると、一拠点を奪われて、エシュト皇国は皇都近くの商業都市を失うことになる。
物資は運び出してるらしいけどな、痛手ではある。
どんな手を残しているか知らないが、エシュトはオーガスが侵攻を開始する前に、リーンガム付近で守りを固めるべきだったんだよ。
なのにそれをしなかった。なぜかはわからねぇけどな。
ただの蒙昧かそれとも何か策があるのか。
どっちにしても、このままだとエシュト皇国は落とされる。
そうなったらオーガスが有利だ。あそこは兵力だけは抜きん出ているからな。
資源の豊富なエシュト皇国を占領したら、手がつけられなくなるってわけだ」
沼田は理路整然と話を続ける。
この男、俺との関係性を理解していないのか。
俺は半ば意固地になり、表情を厳めしくする。
「……おまえの手助けはいらない」
「おいおい、待てよ。考えてみろ、一人でどうにかなるわけないだろ?
昨日の敵は今日の友っていうじゃないか。昨日までのことは水に流そうぜ」
「水に流そう? ふざけるな。おまえは傭兵団の連中を殺した。
騙し、謀り、殺した。なのに、なかったことにしろって……?」
「そう言ってる、何が悪い?」
俺は反射的に沼田を殴ろうとした。
だが、俺の反応を予期していたのか、沼田は難なく回避する。
「おっと、大人になれよ。
確かに俺達は、手を取り合って同じ目標に向けて戦えるような間柄じゃない。
けどよ、それでいいのか? おまえはなんで一人でここにいる?
街を守りたいんだろ? 仲間を殺されたくないんだろ?
だったら、妥協しないといけない点もあるよなぁ?」
確かに、俺一人で戦える数じゃない。
沼田にはドラゴンがいる。
協力すれば、対抗できるかもしれない。
だが、全く信用できない。
突然裏切り、殺されるかもしれない。
そう考えれば、戦いにも集中できない。
口八丁で言い訳を並べ立てているが、本意を話しているようには見えない。
しかし、こんな最悪の状況で共に戦えるのは、信頼しておらず、死んでも構わないと思える相手だけだろう。
もしも莉依ちゃんや朱夏達と戦っていたとすれば、気になって戦いに集中できない。
死ぬ可能性が高い状況に身を置かせるわけにはいかない。
オーガス勇国軍、五千。
オーガス勇者隊、五人。
対して、味方は俺だけ。
……そうか。
もうこれ以上、状況が悪くなることはないのだ。
仮に沼田が何か企んでいようと、変わりはしない。
ならば、負の感情を飲み込み、割り切れば少しは好転するかもしれない。
「わかった。一時的に協力しよう」
「へぇ、思ったより冷静だな。俺は蹴られると思ったぜ」
「……手段を選んでられないだけだ」
「そりゃいい。綺麗事を言ってるだけの奴よりは悪くない」
俺は沼田を一瞥すると、宙を舞った。
「手助けはしない。あくまで同じ目標を持っているというだけ。
互いに邪魔をしない。互いに敵を叩く。それでいいな?」
「ああ、いいね。それくらいの方が楽だしよ。こいつも思う存分暴れられるってもんだ」
沼田はドラゴンの背に乗り、俺の隣を飛翔している。
信頼は皆無だ。
許しているわけでもない。
しかし、味方にすればこれほど頼りになる存在はいない。
利用すればいい。
沼田も俺を利用しているのだから。




