くすぶる戦火
ディッツの指示通りに進むと、住宅区画から外れた場所に到着した。
大通り沿いの住宅区画は富裕層が住んでいる。
普通層、貧困層は住宅区画から少し離れた、裏通りよりの区画に住んでいる。
スラム街もあるが、そこまで行くとホームレス、奴隷、裏家業をしている連中が多い。
この街にも奴隷商は存在しているようだ。
歓楽街には行ったことがないので知らないが。
そこはかとなく興味がないこともない。
それはさておき。
ここら一帯は多少人が少ない。
人でごった返してはいないが、まばらに姿が見えた。
みんな焦りながら荷物を手に家を飛び出している。
皆が皆、借家や賃貸じゃない。
家屋や店舗は財産だ。
なのに、捨ててでも逃げようとしている姿が目につく。
それは、つまりそれほどの出来事が起こるということでもある。
俺の姿を見てぎょっとする人間もいたが、大概は無視された。
「あそこだ」
老朽化した一戸建ての前に降り立つと、ディッツは家屋に入る。
俺も倣って入口から中を覗いた。
かなり狭い。
宿の一室よりも少し広いくらいで、家具などは使い込まれてボロボロだ。
金がない、と言っていたが本当らしい。
奥にはベッドが二つ。
そこにディッツが近づいていった。
「お兄ちゃん? こほっ、こほっ」
「ただいま。リアラ」
リアラと呼ばれた少女は、恐らく莉依ちゃんと年齢は変わらないだろう。
華奢というよりは病的に細い。
肌は不健康に白く、顔色も悪い。
両目を瞑ったままにっこりと笑っていた。
銀色の髪が、彼女の存在を希薄にしているように思えた。
はっきり言おう。
全然似てない。
ディッツは妹が無事だとわかり、大きく安堵の息を漏らす。
「お客さんもいるの?」
「あ、ああ。俺の、えーと」
「仕事仲間の……虎次っていうんだ。よろしくね」
もう偽名を使う必要もないだろう。
「始めまして、私はリアラと言います。こんな恰好ですみません」
「いやいいんだ。気にしないで」
なにこの娘。
すごい礼儀正しい上に庇護欲をそそって来るんだけど。
本当に兄妹なの?
どこまで神様は悪戯好きなの?
「リアラ。街で何が起きてるか聞いてるか?」
「う、うん。お仕事してた時、色々聞いたよ。
お兄ちゃんがドラゴン退治に出かけた時から一部で噂が流れ始めて。
最初は本当に一部だったんだけど」
「噂ってなんだ?」
「オーガス勇国がエシュト皇国に攻め入って来るって。
それでここ数日、街中が騒がしくなってたんだけど。
昨日、オーガス軍隊が進軍している姿を見たって人が続出して」
「じゃあ、この騒ぎは昨日からか?」
「昨日はまだよかったけど、さっき遠くで煙が上がったから。
それにドラゴンも迫ってるって、傭兵団の人が言ってたし。
迷ってた人も避難を決意したみたい。
私は、お兄ちゃんが帰って来るまで待ってたんだけど、ちょっと体調が良くなくて。
えほっ、こほっ」
どうやらカタリナの大火球で起きた煙が街から見えたらしい。
その上、ドラゴンの襲来。
さらにオーガス軍が街を襲うかもしれないという噂。
それらが重なり合い、街の住人は一斉に街を出ている、ということか。
これは、予想以上に厄介な状況だ。
オーガス軍の進攻。オーガス所属の勇者、長府達の行動。
これらは無関係とは思えない。
沼田の所属国ケセルの皇都エシュトへの攻撃計画。
まるでタイミングを合わせたようだ。
そしてその渦中に俺がいる。
イヤな予感が止まらない。
虫の知らせが、鼓膜を際限なく震わせる。
この街に居続けるのは危険だ。
だが、確かディッツはこの街から出る金はないと言っていた。
それに見る限り、妹さんは旅に耐えられるとは思えない。
「俺はこいつと話があるから、ちょっと待っててな」
「うん」
リアラちゃんに一言残し、ディッツは入口にいる俺の元へ戻ってきた。
「ディッツ、どうするんだ?」
確実なのはドラゴンと長府達の存在。
長府達がリーンガムに来る可能性は高い。
沼田もあのままで終わるとは思えない。
かと言って、どこへ逃げのびるべきかも浮かばない。
最大の問題はオーガス軍。
オーガスとの国境に近いリーンガムを最初に攻めるのは常套手段だろう。
交易も盛んだったおかげで物資も残っているはず。
港町だから物資の移送もしやすい。
さらに五千人規模の街で、居留地としても申し分ない。
占領戦の第一手としては悪くないはず。
しかしそうなった場合、エシュトの人間はどうなるか。
渉外の手段として、捕虜とするか。
いや。
ジュネーブ条約があるわけじゃない。
捕虜を人道的に扱う可能性は低い。
それに、エシュト皇国が交渉に応じるとは考えにくい。
俺は、現皇帝リーンベルの冷酷さを知っているのだから。
ならば無残に殺される可能性が高い。
だから街の人間は逃げているのだと思った。
「残る、しかねぇ」
渋面のまま、ディッツは言葉を漏らす。
苦渋の選択なのだろう。
険しい顔のまま、リアラちゃんを見ていた。
その瞳には強い慈愛が滲んでいる。
「いいのか?」
「オーガス軍がこの街を占領したら、多分俺達は無事ではいられねぇ。
だけどよ、妹の身体は旅に耐えられない。肺が弱くてな……。それに目も見えねぇ。
なのに毎日、無理して街中で花を売っているんだ。少しでも家計の足しにしたいってよ。
けど、それもかなり休み休みだ。エシュト皇国まで一週間はかかる。
そうなったら妹はどうなるかわからねぇ……。
それに金もない。皇都なんて俺達が住める場所じゃねぇんだ。
だったら住み慣れた家で最後まで過ごしてぇ」
「……そうか」
それは俺達も同じだ。
周囲は敵だらけ。
エシュト皇国軍には狙われ、オーガスの勇者、ケセルの勇者も俺達を殺そうとしている。
他の国軍も同じだろう。
逃げ場はない。
考えなければ。
全員が生き残る方法を。
でなければみんな死んでしまう。
北にはオーガスの軍隊。
東は海が広がり。
南西にはドラゴンと沼田、そして長府達。
一番近い街は、西にある皇都だけ。
ネコネ族の集落はリーンガムから馬で数時間の位置だ。
ババ様たちも危険に巻き込まれるかもしれない。
だが、今から状況を説明に向かう時間はないし、途中で沼田や長府に見つかる可能性がある。
今は、誰にも見つかれないことを祈るしかない。
逃げる、か。
逃げる?
どこに?
考えれば考える程にどん詰まりの現実が見えるだけ。
落ち着け。
俺が不安になれば全員に伝播する。
「悪い、ちょっと妹さんに話を聞きたいんだけど、いいか?」
「ああ、構わねぇが。変なことするなよ」
「するか!」
俺は心外だとばかりに全力で否定したが、ディッツは目を細くして俺を睨む。
「いや、だっておまえロリコ」
「殴るよ?」
「な、殴るなよ」
俺の手はぷるぷる震えている。
俺はロリコンじゃない。
……きっと違う。
ちょっとそうなのかなと思うこともたまにあるけど、違う。
そう俺は普通なのだ。
俺は嘆息しリアラちゃんの傍に移動し、腰を落として目線を合わせる。
しかし目が見えないことを思い出して、自分の行動が無意味だとわかった。
まあ、この方がリアラちゃんも話しやすいかもしれないし、と思いながら会話を始める。
「リアラちゃん、だったかな? ちょっと聞きたいんだけど」
「は、はい。なんですか?」
「うん。オーガスの軍隊が来ているってのは本当なのかな?」
「一昨日までは噂という雰囲気だったんですけど、昨日目撃した人の話が出てからは事実だと思い始める人が増えているみたいです。
明日辺り、リーンガム付近まで進軍する可能性が高い、と。
風の噂で聞いたんですが、噂の出所は情報ギルドらしくて」
確か、依頼をすれば何でも調べてくれるギルドだったか。
俺の印象では、情報を扱うのは盗賊ギルドだったが、考えてみれば盗賊って犯罪集団なんだよな。
わざわざ名前を出すわけがないか。
裏稼業的な色合いが強いらしいが、利用したことはない。
しかしこんな小さい子がそんなことを知っているとは、世も末だな。
「ってことは、情報としての信憑性は高い、か」
「はい……多分ですけど。えほっ、こほ」
リアラちゃんは苦しそうな表情で何度も咳をした。
俺は心配になり、ディッツに視線を移した。
大丈夫だ、と口の動きだけで教えてくれた。
そしてリアラちゃんの背中をさすってあげていた。
「ごめん。色々聞いて、話疲れたよね」
「す、すみません、大丈夫です」
本人はそう言ってくれているが、長話は負担になりそうだ。
「ありがとう、もう大丈夫だから。助かったよ」
「いえ、あまりお役に立てなくてすみません」
「そんなことないよ。本当に助かったから」
本心からの言葉だ。
事情がわからない中での情報は貴重だ。
リアラちゃんは目を瞑ったままなのに、俺の方を向いた。
まるで視線が合っているような感覚に陥る。
「優しいんですね」
突然言われて、俺は面食らう。
しかし、無言でいるわけにはいかず、なんとか答える。
「いや、優しくはないさ」
「……いえ、虎次さんは優しいです。
今もこうして目線を合わせて、話してくれてますから。
目が見えなくても、声の位置はわかります。
声が遠くだったり上からだったり、そうなると少し不安になるんです。
でも、虎次さんとはとても話しやすいです」
「あんまり褒められると照れるな」
俺は苦笑するしかない。
褒められるとどうしても背中がむず痒くなる。
俺の様子を見ているかのように、リアラちゃんはクスッと笑う。
「お兄ちゃんが連れて来る人って今まではちょっとその……怖い人が多かったので。
なんだか意外です」
「らしいぞ、お兄ちゃん」
「う、うるせぇな……仕事柄そういう奴が多くなるんだよ」
自然に笑みがこぼれ、三人で笑いあう。
しかしあまり時間がないことを思い出し、俺は二人に言う。
「とりあえず、状況をもっと詳しく知りたい。
一度、情報ギルドに足を運んでみるよ。人が残っているかはわからないけどな」
「裏通りと港の人達は残っていると思います。その……離れられない人が多いので」
なぜ、とは聞かなかった。
そこら辺の事情は直接話すか見ればわかるだろう。
それにこれ以上話して、リアラちゃんに負担をかけたくはない。
「そうか。わかった。じゃあ、行ってくることにする。
ディッツはリアラちゃんの傍にいるんだよな?」
「そのつもりだ」
「何かわかったら知らせに戻る。軍隊やらがいつ来るかわからないから気を付けてな」
「そっちもな」
「俺は死なないさ。絶対にな」
俺は二人に手を振り、莉依ちゃん達の元へ向かう。
その前に……。
もう限界。
もう無理だわ。
ずっと我慢してたけど、もう耐えられないわ。
「ディッツ」
「え? なんだ?」
俺は向き直り、カッと目を見開いた。
「腹減ったんで、何かください」
俺は真面目な顔でディッツへと真っ直ぐ視線を向ける。
「お、おう」
ちょっと格好つけた別れの挨拶の後だったので、気恥ずかしい。
顔がちょっと熱かった。
俺は死なないさ、とか言っちゃって調子に乗っちゃったのバレバレだよね?
やばい、リアラちゃんの顔が見られない。
「ほら、食べていいぞ?」
ディッツは妙に優しい口調で俺を気遣ってくれた。
そしてテーブルの上に食事を並べてくれた。
瞳にはこれみよがしに、同情心が浮かんでいる。
おまえも大変だなみたいな感じがありありと浮かんでいる。
やめろ!
そういうのやめろ!
俺は必死で無言を貫き、出された食事を咀嚼した。
硬いパンと水と干し肉と果物を頬張っている最中、リアラちゃんは可愛らしく笑っていた。




