コミック発売記念 妹の聖地 中編 (兄視点)
続いてしまいました…。
「か、かっこいい……!」
一つ目のスタンプを押したスタンプ用紙を手にして、悠子ちゃんが喜びに打ち震えている。
目をキラキラさせて可愛いなぁ。
京都駅に着き、新幹線を降りた俺達は駅のホームを出てスタンプが置いてある小さな机の前に立っていた。今回も箱根旅行の時のように車で来ることを考えたが、なるべく時間を有効活用したいので新幹線を利用することにした。
「ほら、和泉さんも押して下さい」
悠子ちゃんに促されて、机の上の用紙を一枚貰って主人公である飛人のスタンプを押す。その間も悠子ちゃんは満開の笑顔で俺も嬉しくなってきた。
妹の 笑顔まぶしい ふたり旅
そんな一句が頭に浮かんで脳内保存した。
――このフライングバッターのスタンプラリーの情報を知ったのは先月、月曜日の朝だった。大学に向かう途中で悠子ちゃんが購読している週刊誌をコンビニで買って講義が始まる前に読んでいた時、その企画を見つけて俺はチャンスが来た! と机の下で小さくガッツポーズを作った。
上手くいけば、悠子ちゃんと京都旅行に行ける。
一緒にスタンプラリーに参加して、美味しいご飯を食べて、神社で今年受験生である悠子ちゃんの為に合格祈願もしたいし、二人で温泉に入れたりしたら最高なんだけど……既に悠子ちゃんが越田や仲島、成瀬の誰かと出掛ける計画を立てている可能性も高かった。
しかし、この企画は今日発表されたばかり。俺が誘ってもまだ間に合うかもしれない。一縷の望みを掛けて、帰宅して悠子ちゃんに予定を確認してみれば一人で行くつもりだったようだ。
しかも長時間一人でバスに乗って……!
危険要素が多すぎる。聞いておいて良かったと心の底から安堵した。バスで隣に座った男に目をつけられて襲われたり、逆に意気投合してしまうことだってあり得るし、そもそもバスが事故にあったりしたら……想像するだけで体が震えた。
先手を打って悠子ちゃんを旅行に誘うことに成功した俺は、すぐに以前からチェックしていた旅館を予約して翌日、悠子ちゃんに伝えた。旅館の写真を見て、悠子ちゃんが目を丸くしていたのは不思議だったけど旅館自体は気に入ってくれたみたいで良かった。
そして半月後、うきうきしながらスタンプラリー初日の朝を迎えたのだ。6月になり、雨が降らないか不安もあったが天気予報ではこの土日の天候は晴れだった。天も俺の味方をしてくれているようだ。
京都駅の次に向かったのは、地元のバスに乗って十分程した所にある小さな商店街だった。悠子ちゃんは「ここが飛人と穂積君が生まれ育った街……」ときょろきょろ周囲を見渡しながら商店街の中へ入っていく。所々にフラバタのキャラクターの等身大のパネルが立っていて、それを見つける度に悠子ちゃんはカメラで写真を撮っていた。
二つ目のスタンプを置いてあるお店の前に着くと、悠子ちゃんはポンッと飛人のペットである柴犬のスタンプを用紙に押した。傍には原作を忠実に再現した犬小屋まで置いてあり芸が細かい。
「中で和泉さんの分のアイスも買ってきますね。ちょっと待ってて下さい!」
悠子ちゃんが指差した先には、宇治金時抹茶アイスクリームという珍しいアイスの写真が貼られていた。いかにも悠子ちゃんが好きそうな味だ。
「いや、俺はいいよ。悠子ちゃんのだけで」
「いえいえ、ここまで来たからには食べないと絶対に後悔します。和泉さんが食べきれなかったら私が食べますから!」
まるで子供のように走ってお店の中へ入っていき、おばちゃんにアイスをふたつ頼む悠子ちゃんに笑みが零れた。
今日は可愛さが爆発している……。
普段の悠子ちゃんはここまで無邪気に動き回るタイプではなく、どちらかと言えば大人しい。旅行に来て少し開放的な気分になっているのだろうか。フフフと悠子ちゃんを眺めていると目の端に見覚えのある姿を見つけた。
目が合った途端、ゲッと嫌そうな顔をして離れていこうとする相手の首襟を俺は素早く掴まえた。
「た、隊長が何故ここに……?」
「勿論、悠子ちゃんと一緒にスタンプラリーに参加しているわけだけど、お前もだろ?」
仲島は、「まぁ、そうっすけど」と溜息交じりに答えた。
「まさかこんな所で会うとは……しかも隊長と来るなんて冴草のヤツ、腐女子だって本気で隠す気あるんですかね」
「悠子ちゃんから趣味のことを打ち明けやすいように環境作りをしている俺の成果だな」
「嫌な成果だなぁ……あんまりやりすぎると冴草も逃げますよ」
それは既に経験済みだ。さり気なく痛い所を突いてくる仲島を軽く睨んだ。
「そもそも仲島は、何で俺の顔を見て逃げたんだ。逃げられるとつい追いかけちゃうだろ」
「肉食動物ですか!? 俺は一人でのんびり聖地を満喫するつもりだったんです! そこで隊長の姿を見たら普通逃げるでしょう」
俺はそんなに仲島に迷惑ばかり掛けているつもりはなかったが思い返してみたら、否定出来なかった。記憶を遡っていると少し離れた場所から俺を呼ぶ悠子ちゃんの声が聞こえてきた。
「ほら、隊長! 俺が見つかる前にさっさと行って下さい」
「あぁ、そうだな。あそこの店のアイスはお勧めらしいからあとで仲島も行った方がいいぞ」
「今、正に行こうとしていた所だったんですよ……」
仲島に背中を押されて、俺は悠子ちゃんの元へを戻っていった。悠子ちゃんは俺を見つけてホッとした顔を見せた。
「良かった! どこに行ったかと思いました。はい、どうぞ」
俺は悠子ちゃんからアイスクリームを受け取り、「ごめんごめん」と謝った。
その後も悠子ちゃんは商店街を巡り、フライングバッターの世界を満喫していた。フラバタグッズやフラバタとコラボレーションした食べ物に夢中になっていて悠子ちゃんはまったく気付いていなかったが、何度も仲島と鉢合わせしそうになっていた。俺達を見付けては方向を変えたり、人の後ろに隠れたりする仲島を見る度に俺は笑いを噛み殺していた。
全てのスタンプが揃ったのは夕方になる頃だった。引換場所でスタッフの人にスタンプ用紙を渡して限定ポスターを貰った悠子ちゃんはにっこり笑ってご満悦だ。
途中、ひとつだけスタンプがわかりづらい場所にあり、一時間程ロスをした。周囲を歩き回ったおかげで足はくたくただ。きっと俺より悠子ちゃんの方がもっと疲れているだろう。当初の計画では今日、神社にも寄るつもりだったが遅くなってしまったので明日に変更することにした。
駅に戻り、旅館から指定されていた時間なると送迎の車が来た。車から出てきたのは、着物を着た恰幅のいい男性でにこやかに対応してくれた。運転中、旅館に着くまでの間、近所の様々な見所を説明してくれたが、疲れ切っていた俺達は軽く返事をするのが精一杯で少し申し訳がなかった。
「あの、暑いんでクーラーをつけてもらえますか……」
旅館に着いた悠子ちゃんは、部屋に荷物を置いて壁を背にして座り込んだ。先程スタンプラリーを回っていた時の勢いはすっかり失っている。
クーラーを見上げてみれば電源は入っていて、中は十分に涼しい。
しゃがんで悠子ちゃんの顔色を確認すると顔は赤く、首筋に汗も掻いて息苦しそうだ。手で額を押さえ、歪んだ表情で目を閉じている。恐らく頭痛も併発している。症状をみる限り熱中症の確率が高かった。
俺はすぐに布団を敷き、悠子ちゃんを抱き上げてゆっくりと布団の上に下ろした。
「悠子ちゃん、ツライと思うけどすぐに戻ってくるからね。ちょっとだけ待ってて」
部屋を出て、廊下にいた旅館の従業員に声を掛けて「家族が熱中症で体調を崩しているのでスポーツドリンクと氷のうを出来るだけ早く用意して欲しい」とお願いした。旅館の従業員は「すぐにお持ちします」と素早く動いてくれた。
従業員から話を聞いた女将さんがスポーツドリンクや氷のう、うちわやタオルなどを藤かごにまとめて入れて持ってきてくれた。それを女将さんから受け取り、部屋で寝ている悠子ちゃんに「スポーツドリンク飲めそう?」と声を掛けた。
こくんと頷いたので悠子ちゃんの上半身を片腕で支えて起き上がって貰った。ペットボトルの蓋を開けて、微かに開いた口元へ持っていくとごくごくと少しずつ飲み込んでいった。悠子ちゃんが少し首を振ったのを見て、ペットボトルを口から離し、口の端から零れた水分を指で拭った。スマホで調べたら首の両脇や脇の下、大腿の付け根の前面に氷のうを当てるといいと書いてあったので、もう一度寝かせて急いで氷のうを当てていく。
日中、様々な場所でスタンプを押して楽しそうにしてた姿が目の裏に浮かんでくる。
もっと注意深く見ていれば良かった。今となっては後悔しかない。
悠子ちゃんの傍に座って、タオルで額の汗を拭いてあげていると悠子ちゃんがうっすらと目を開けた。
「……いじょうぶですか……?」
悠子ちゃんに弱々しい手で頭を撫でられて「俺は大丈夫だから」と泣きそうな声で答えた。
俺の返事に安心したのか悠子ちゃんは小さく息を吐いて瞳を閉じた。
今は俺のことを心配している場合じゃないのに……。
俺は悠子ちゃんの体調が良くなるまで傍でずっと見守っていた。
悠子ちゃんが起き上がれるようになったのは深夜だった。あまり食欲はないようだったが、女将さんが用意してくれたゼリーや経口補水液だけでも口にしてもらった。
「和泉さん、汗を流したいんですけどこの時間に温泉って難しいですよね?」
「うん、今日は我慢して欲しいな」
本当はこの部屋には内風呂がついていて、窓の外には二人くらい入れるような檜風呂があるから入ろうと思えば入れるけど、お風呂の熱気で熱中症が悪化することだって有り得る。お風呂に入れば体内の水分だって奪われるだろう。
「でも汗をかいてて気持ち悪いよね……。俺が悠子ちゃんの体を拭くからそれでもいい? 今、お湯でタオル濡らして絞ってくるよ」
俺がタオルを持って立ち上がろうとすると「ま、まま待って下さい!」と悠子ちゃんに服の袖を引っ張られた。
「自分で体は拭けますから大丈夫です」
「本当に……?」
こういう時の悠子ちゃんの大丈夫は信用ならないんだけど、あまりに必死の形相で俺を見上げてくるものだから譲歩することにした。
「じゃあ、俺に手伝って欲しいことがあったら遠慮しないで言ってね」
「はい、その気持ちだけで嬉しいです」
その答えを聞いて甘えてもらうのも難しいな、と痛感した。
だからせめて今は悠子ちゃんのお願いを叶えてあげられなくても、もし一晩眠って元気になっていたら内風呂に入れてあげたい。傍で見張っていればもしもお風呂で具合が悪くなったとしてもすぐに助けてあげられる。きっと悠子ちゃんは恥らって抵抗するだろうけど……対策は考えてきた。
無言で見つめる俺に悠子ちゃんが小首を傾げてへにゃりと笑った。
その顔は、抱き締めていい合図かな……?
俺が困ってしまうくらい、悠子ちゃんの可愛さは夜まで絶好調だった。
本日、『腐女子な妹ですみません』三巻(電子限定)の発売日です!
詳しくは活動報告にて^^>




