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妹ですみません  作者: 九重 木春
-波乱の腐女子編-
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28 兄の降参

 急いで総菜屋の裏口に向かうとそこには既に悠子ちゃんの姿があった。先回りは出来なかったが肩を上下させている後ろ姿からしてさほど時間差はなさそうだ。


 あたかも今来たかのように装って悠子ちゃんに近づけば、「頼りない、かなぁ」と小さく呟く声が聞こえてきた。自分のことを言われているのかとビクリとしてしまう。


「何が?」

「い、和泉さん!?」

 振り向いた悠子ちゃんは驚き眼で俺を見上げた。


「ごめん、遅くなっちゃって。寒くない?」

 先程の独り言が気になるけど深く聞くのも怖くて結局、他の質問で誤魔化した。

 悠子ちゃんも先程まで走ってたけど汗が冷えて寒くなっているかもしれない。悠子ちゃんの鼻の頭は外気で赤くなっていた。

 冷たそう、と自然と悠子ちゃんの頬に手が伸びかけて引っ込めた。触りたいけど我慢しなければならない。それが悠子ちゃんの為なのだ。


「寒いです」

 手をすり合わせる悠子ちゃんの手を両手で包んであげたい……。

 しかしそれが出来ない今、他の手段をとるしかなかった。


「じゃあ、今すぐコンビニでカイロを買ってくるから!」

 ついでにホットのミルクティーも一緒に買って、体を芯から温めてもらおう。すばやくコンビニのある方へ方向転換した所で、ぐっと悠子ちゃんに手を掴まれて引き留められた。


「行かないで下さい」

「え、でも」

 寒い、んだよね……? 

 悠子ちゃんの手を振り払うのは忍びなくて、眉を寄せた。すると悠子ちゃんは更に俺の手を強く握り込んでくる。


「和泉さんがいれば必要ないですよね」

 ちょっ、心臓への負担が強すぎる発言はやめて欲しい。

 うん、俺がいればみんな必要ないよねって頷きたくなるから!


「そういうこと言わないで……悠子ちゃん、この前からちょっと変だよ。熱があるんじゃないの。早く帰って寝た方が」

 実際に寒いって言ってるし、具合が悪い自覚がないだけかもしれない。でなければ悠子ちゃんのしている事は不自然すぎる。


 顔には出てないけど実は重症化してる可能性もある。ならば今すぐタクシーを呼んで病院に直行した方がいい。ポケットのスマホに手を伸ばそうとすると悠子ちゃんは俺を睨みながら口を開いた。


「最近、変なのは和泉さんの方ですよね。いくら私だって気付きますよ。私に触られるのが嫌なら嫌ってはっきり言ってください!」

 《変》って俺の努力は何だったのか……。DVDを見たり、貴士や周囲を観察して学んだことを活かして、普通の兄として頑張ったつもりだったのに何がいけなかったのか皆目見当がつかない。


「お、俺は嫌じゃないけど悠子ちゃんが嫌なんじゃないかと」

「そんなこと誰も言ってませんよ!」

「言ったよ。触らないでって泣きながら拒否されたこともあったし、俺がソファに押し倒した時も怯えてたし、抱き締めようとしたら逃げられたし……俺、悠子ちゃんが優しいからって調子乗ってたよね」

 悠子ちゃんは態度でも言葉でも主張してくれていた。それを真面目に受け取らないでいた自分がいけなかったのだ。

 いくら悠子ちゃんの懐が深くても、見放されてしまう時が来るかもしれない。そんな未来は絶対に受けいれられない。


「だから考えを改めたんだ。今まで迷惑ばかりかけてごめんね。まだ完璧じゃないけど、ちゃんと理想の兄になるから」

 今は至らない所ばかりの兄だけどもう少しだけ待って欲しい。

 いつか悠子ちゃんが人に自慢できるような兄になってみせるから、俺をどうか否定しないでと祈るように願った。


「――理想の兄って誰のことですか」

「それは、貴士みたいな」

「何でそうなるんですか!! 私の兄は、和泉さんだけです!!」

 悠子ちゃんは怒りで顔を真っ赤に染めて声を荒げた。


「っ無理して、他の誰かになろうとしないでください。和泉さんはスキンシップが激しいというか、つい避けちゃったりすることもありますけど癖というか、本当に嫌なわけじゃないです……」

 段々小さくなっていく声はしっかり耳に届いている。嘘だとは思いたくない。でもこれまでの経験から信じ難かった。


「けどあの時、俺が上着を脱がせようとしたら抵抗したよね……?」

 恐らく悠子ちゃんが同人誌即売会から帰ってきた日、成瀬に借りたであろうコートを脱がそうとしたら悠子ちゃんは俺の手を拒否した。あの日のショックは今も忘れられない。そんなにあいつのコートを脱ぎたくないのかと心が痛かった。


「あ、あんな所で全部脱いだら痴女じゃないですか!!」

 ぜ、全部脱ぐって? そんなこと悠子ちゃんに言った記憶がない俺は内心焦った。男物のコートを羽織った悠子ちゃんを見た時、冷静ではなかった自覚はある。しかし、そこまではお願いしていない筈だ。


「えっと、俺はコートだけ脱いで欲しかったんだけど」

 そう言うと悠子ちゃんは俺が同情してしまうほど顔を茹で蛸のように赤くした。あ、可愛いと思ったのも束の間、すぐに悠子ちゃんは両手で顔を隠してしまった。


「あ、俺が言い方が良くなかったよね。だからそんなに照れなくても」

 と悠子ちゃんをフォローしながら、先程の悠子ちゃんの台詞を思い出した。悠子ちゃんは、もしかしてあんな所(・・・・)でなければ了承してくれる気があったのだろうか。想像した瞬間、かっと顔が赤くなった。


「……何で和泉さんも赤くなってるんですか」

「何でだろうね?」

 本当のことはとても口には出せなかった。そんな俺を見て悠子ちゃんは笑っていた。


「やっぱりいつもの和泉さんがいいです」

 ふふっと笑い声を漏らした悠子ちゃんを堪らず抱きしめていた。

 いつもの俺がいいって……悠子ちゃんは言ってくれた。嘘で塗り固めた俺じゃなくてもいいのだ。俺が思うがままに行動しても構わないのならばもう迷う必要はない。


 ぎゅうぎゅう抱きしめていると俺の胸に顔を埋めていた悠子ちゃんがばっと顔を上げた。目があった悠子ちゃんの赤い鼻の頭に唇を落として、顔を確認すればびっくりはしていても嫌がっているようには見えなくて嬉しくなった。


 悠子ちゃんは、一体どこまでだったら許してくれるんだろう。

 細い腰を一撫ですると悠子ちゃんはビクっと体を震わせた。


「ちょ、ちょっと、和泉さん?」

「ん? なぁに?」

 この距離でも逃げようとしないんだもんなぁ。昔のことを思えば凄い進歩だ。首を傾げながら尋ねれば、悠子ちゃんは口をパクパクさせて声にならない声を上げていた。俺に何か訴えたいんだろうけど、


「それ、可愛いだけだよ」

 前髪を摘んで口づければ「あの、ここ外ですからっ」と恥ずかしそうにしている。夜になって周りも暗いし、あまり人もいないと思うんだけど、悠子ちゃんは気になるらしい。

 ここは、シャイな悠子ちゃんの要望を聞き入れるべきだろう。


「あぁ、そうだね」

 俺は悠子ちゃんを抱きしめていた腕を解いて、上着を脱いだ。ようは、人の視線が気にならなければいいのだ!

 パサッと悠子ちゃんの頭にコートを掛けて、俺もコートの下に潜って悠子ちゃんに顔を寄せた。


「これなら誰にも見られないからいいよね?」

 悠子ちゃんからの返事はない。けれど強い拒否は感じなかったので俺は話を続けた。


「悠子ちゃんは前に俺にも話せないことがあるって言ってたの、覚えてる?」

 仲島と交際しているのではないかと疑う俺に悠子ちゃんは本音を伝えてくれた。


『正直、和泉さんには話せないことだってあります。でも私の特別は和泉さんだけです。私の心を無視しないで下さい』

 彼女なりにまっすぐ俺と向き合う努力をしてくれていた。なのに俺は悠子ちゃんを追いつめるばかりで、まったく余裕が持てなかった。だから悠子ちゃんはその圧力に耐え切れずに成瀬の前で泣いてしまったのだろう。

 結局、臆病な俺は悠子ちゃんが勇気を出して伝えてくれた言葉を心の底から信じることが出来ていなかったんだと思う。


 不安が拭えないからこそ悠子ちゃんの全てを知ることで理解者になれると勘違いしていた。悠子ちゃんが秘密にしたいことさえも強引に暴いて本人の気持ちを無視するような行為に走っていた。とても理解者のすることではない。


「悠子ちゃんはそのことをうしろめたいと思ってるのかもしれないけど、気にしないでね。家族にだって言えないことはあるよね?」

 俺自身、ストーカーが現れても妃さんや悠子ちゃんには隠した。最終的にはバレてしまったけれど家族だからこそ話したくないこともあるのだ。


「何で、急にそんなことを……」

「もう本当に大事なことが解ったからいいんだ」

 不安げな顔をする悠子ちゃんに俺は首を振って伝えた。

 悠子ちゃんの趣味が何であろうが俺の気持ちに変わりはないし、悠子ちゃんだって俺が普通からはみ出た人間であっても嫌いになったりはしない。それが解っていれば充分なのだと、今更になって気づいた。 


 体を震わす悠子ちゃんを抱き寄せて上下に背中を撫でた。少しでもいいから悠子ちゃんを恐怖から解放してあげたかった


「大丈夫だよ、心配しないで。悠子ちゃんが怖がる必要なんて何もないんだ」


 泣きそうな顔をする悠子ちゃんに「泣かないで」と親指で涙を拭えば、

「和泉さんの所為ですよ」 と涙目で俺を睨んだ。


「俺の所為?」

「胸が苦しくなるのも、恥ずかしくなるのも、涙が出てくるのも和泉さんの所為です」


 あまりに可愛らしいことを言うから……その言葉を飲み込むまで少し時間が掛かってしまった。

 都合よく解釈させて貰えば胸がドキドキするのも、照れてしまうのも、思わず泣いてしまうのも俺が相手だからと言っているようなものだ。

 

「何で笑ってるんですか」

「だって嬉しいから」

 怒っている悠子ちゃんには悪いけど笑みが零れてきてしまう。


「悠子ちゃんがそうなるのは全部、俺の所為なんでしょう?」

 俺が問いかけると悠子ちゃんは先程までの勢いを失くして、少しずつ顔を赤く染めて顔を伏せた。


「そ、そうやって、いつも和泉さんは……っ」

「いいよ。いくら責めてもいいから。そのままの悠子ちゃんでいてね」

 変わらず俺限定で可愛い顔を見せて欲しいし、俺のことを考えていて欲しい。我儘だってわかってても言わずにいられなかった。


 ふふふと笑い続けていたら悠子ちゃんは俺に驚く質問をした。


「和泉さん、この前私が寝ている時に何かしませんでしたか?」

「え、いいきなり何?」

 突然の質問に俺は戸惑った。はっきり覚えている。きっと悠子ちゃんは、先日ソファで寝てた時のことを俺に尋ねている。


「私の気の所為ならいいんですけど……」

「俺、何かしたかな?」

 平静を装って俺は問い返した。正直になんて話せるわけがない。

 悠子ちゃんの首筋にキスしたなんて……言えば流石に軽蔑される。


「いえ、身に覚えがないならいいんですよ。きっと私の夢だったんですねぇ」

 それ以上の追及がされずにホッと胸を撫で下ろした。

 だけどどうしても気にかかることがあって、恐る恐る尋ねた。


「そ、それって悠子ちゃんにとって嫌な夢だった?」

 悠子ちゃんにとっては死ぬほど嫌だったのかもしれないという不安に襲われたのだ。


「そうですね、まるで悪夢のようないい夢だったかもしれません」

「つまりどっち……?」

 悪夢のようないい夢を俺には理解出来なかった。


「嫌じゃないから、困る夢でしたよ」

 少し照れながら答えた悠子ちゃんに俺の方が困った。

 その反応は……予想してなかった。


「和泉さんはどんな夢だと思います?」

 と首を傾げた悠子ちゃんに顔が段々熱を増していった。


 何て、答えればいいのか、言葉に迷っていると悠子ちゃんは楽しそうな顔で俺を見ていた。これはバレているかもしれない、と思った。


 俺の所為だとか、いい夢だとか、嫌じゃないとか、俺の心臓のはもう限界を迎えようとしている。悠子ちゃんは完全に俺の願望を越えていた。もういっそこれが夢なんじゃないだろうか。


 黙ったまま答えを求める悠子ちゃんに俺は遂に降参した。

 

「ごめん、許して……」


 力ない声を吐いた俺に、「何のことですか?」と笑う悠子ちゃんはまるで小悪魔のようだった。















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