2 兄の失態
いってらっしゃい、と笑顔で見送る悠子ちゃんに後ろ髪を引かれる思いで家を出た。今日、悠子ちゃんが家に一人だって知ってたら、同窓会の誘いも了承しなかった。でも今更断れない。
俺はポケットからスマホを出して、友人に指定された店を確認した。電車に乗って十分、歩いて十分。そう遠い店じゃないのが救いだった。早く家に帰れる。
友人に会うのは、高校の卒業式以来だから約二年ぶりだ。それまでも同窓会の誘いは何度か受けていたのだが、ずっと行っていなかった。今回の誘いは、五回目だ。さすがに断りづらかったし、久しぶりだから会ってもいいか、という気になった。
電車を降りて、駅から歩いて目当ての店の看板を見つける。入り口の黒板にはランチメニューが載っていた。木調の洒落た雰囲気で悠子ちゃんと来ても良さそうだ、とデート先の候補に追加する。
扉を開けたら店内は満席だった。予約してあるって言ってたから大丈夫だろうけど……と中を見渡して友人を探すと角のテーブルに座っていた。
俺はその姿を見つけた瞬間、踵を返して店の扉に手を掛けた。その手をすばやく手刀で打ち落とされた俺は、ぎろりと相手を睨んだ。
「日野、話が違うぞ……」
「待て、待ってくれよ、和泉!」
中学からの友人、日野は俺の手を掴んで店から出ようとする俺を必死に止めた。これが純粋な同窓会であれば、俺だって出て行きはしない。
今日は男四人で近況報告でもしながら飯を食って解散。そういう予定だった筈だ。なのに友人の座る席の前には明らかに女が四人座っている。
「これは、どう考えても同窓会じゃないだろ!!」
「だって合コンだって言ったら和泉は来てくれないじゃんか!」
「当然だ!」
俺が女が苦手だと知っていてこの仕打ち……恨まざるを得ない。ジッとねめつければ、日野は両手を合わせて頭を下げてきた。
「たのむ! 一生のお願いだ。男子校を抜け出してようやく掴んだチャンスなんだ。桜森女子との合コンなんて今後セッティング出来るかどうか……!」
「俺がいなくたってどうにかなるだろ」
「女の子たちの目の輝きが違うから! 座っているだけていいから頼むよぉぉ」
日野が涙目で訴えてくる。その視線が痛くて目を逸らせば、奥のテーブルにいる友人、田中と林までもが縋るような目でこちらを見ていた。二人とも何も言わない、その無言の訴えというものが一番つらい。
しかもここは店の入り口で店員の困っている様子も伝わってきた。いつまでもここで言い争っていれば、店の営業妨害の何物でもなかった。
「っ、今回だけだからな、ニ度目はないぞ」
「ありがとう和泉~~!!」
涙目から一転、笑顔になった日野は俺の背中を押して席へと誘導していく。テーブルに近づくと女達の目が俺の顔に一点集中して嫌になる。
絆されるんじゃなかった……と早々に後悔しながら、座る席の両隣を友人達で固めた。
「待たせちゃってごめんね、和泉も皆が可愛いから驚いちゃったみたいで」
と日野は、女子達に声を掛けて店のメニューを手渡した。
んなこと一言も言ってない!!
俺は初っぱなからホラを吹く日野の足を踏んでやった。日野はそれでも鼻の下をのばした状態で、メニューを見ながら悩む女子達を眺めている。余程今日という日を楽しみにしていたらしい。
正直、前に座る女子達は皆似たような髪型、化粧に服装をしていて見分けがつきにくい。その上、甘ったるい香水の匂いは鼻につくし、気持ちが悪くなるから勘弁して欲しい。
俺は適当に食事とドリンクを選び、その後は聞き役に徹した。友人達は話し上手で話題も豊富だ。ただ男子校育ちで女子に免疫がないだけで、気遣いも出来るし、面倒見がいい。中学の時、愛想の欠片もなく生意気だった俺とも友達になってくれたくらいだ。……今日くらいは耐えてやるしかない。
「成人式の振り袖はこれにしたんだ」
「わ、すごい綺麗だね。着たところも見てみたい」
昔を思い出している内に、話題は成人式の話に移っていた。女子の一人が隣の席の日野にスマホで振り袖の写真を見せている。桃色の振り袖に臙脂と黒の帯か。組み合わせは悪くない。
悠子ちゃんなら何色が似合うかなぁ。赤もいいけど、悠子ちゃんの好みは寒色系だ。青よりは明るい水色の方が似合うだろう。想像するだけで楽しい。悠子ちゃんの成人式まであと三年、あっと言う間だ。今から考えておいて損はない。
振り袖っていくらくらいするんだろ。せっかくならレンタルじゃなくて購入したい。そうすればいつでも振り袖姿の悠子ちゃんが見れる。
「冴草さんはこの中ならどれが一番好きですか?」
俺の前にずらっとに四つのスマホが並べられた。画面には振り袖の写真、全部悠子ちゃんには似合いそうにない。
「ない」
「ってお前、即答かよ!」
隣の田中が俺にツッコむと女子達はクスクスと笑った。
「じゃあ振り袖はいいんで、冴草さんの好きなタイプの女の子教えて下さい」
「私もそれ聞きたい!」
「俺も!」
田中まで話に乗っかってくる。何でこんな話の流れになったんだ。俺がパス、と話を切ろうとするのを察した日野が両手を合わせて、俺に何度もウィンクしてくる。
心の中で『たのむ、一生のお願いだ』と言ってるんだろう。都合のいいヤツだ。
「好きなタイプっていうよりは、好きなコの話になるけど……小柄で可愛くて、さらさらの黒髪」
頭の中に思い浮かべるとどんどん言いたいことが増えていった。
「髪はひとつに結んでて照れ屋で努力家。不器用な所もあるけどそこもぎゅってしたくなるくらい可愛い。料理上手で家族思いの優しいコだよ」
俺の片思いだけど、と付け足す。悠子ちゃんに嫌われてるとは思わない。けど俺はもっと好きになって貰いたい。俺と同じ分だけ返して欲しい、こういう所がほんと片思いだと思ってしまう。
友人も女子達も顔を赤くしたまま話そうとしない。
言えって言うから話したのにその反応はなんだ、失礼だろう。
「お前、愛がだだ漏れ……」
「溢れてるから。まだ聞き足りない?」
悠子ちゃんの可愛さについてならいつまでも話せる。
「もういいっ、女子だけじゃなくて俺らまで孕むわ!!」
はらむ? 男のお前が何を言ってるんだか。
女子の前だからパニックになっているのかもしれない。
「じゃあ、帰っていいか」
「あと一時間でいいから、な!」
女子達はその後も俺に何度か質問してきたが、友人達の鉄壁のガードにより何も答えずに済んだ。最初からそうしてくれれば良かったものを。
俺はコーヒーを飲み、時々スマホをいじりながら時間を潰した。
予定時刻になりようやく解放される! と俺だけ席を抜けようとすると皆で立ち上がった。これから二次会に移るらしい。
帰ろうとする俺に日野はしぶとく食い下がってきたが「もう一生のお願いは聞かない」と突っぱねた。
「冴草さん!」
女子の一人が話し掛けてきて、俺は隣にいる日野をバリケードにした。女子は気にした様子もなく、俺に向かって手を差し出した。その手の上にはイヤフォンジャックが乗っている。以前悠子ちゃんに貰った犬のストラップを俺が加工してイヤフォンジャックに作り直したものだ。恐らくスマホをポケットから出し入れしている時に落ちたのだろう。
「イスに落ちてたんで冴草さんのかなって」
「――ありがとう」
日野の後ろから手を伸ばしてイヤフォンジャックを受け取ると自然と笑みがこぼれた。これは悠子ちゃんから貰ったものだから失くしたくなかった。
「い、いいいいえ! どういたしまして!」
女子は両手で顔を隠して友人達の元へと走っていった。
「これ、フラバタの飛人んちのワンコじゃん、和泉こういうの趣味だったっけ?」
「可愛いだろ?」
「……変わったなぁ、お前」
日野は感慨深げに俺を見ていた。昔の俺は漫画もアニメも見なかったから、日野もその頃のことを思い出しているに違いない。
自分でも変わったと思う。親父が再婚して、悠子ちゃんと出会って、全てが変わった。生活が色づき、将来の夢も出来た。
「変わりたかったから。じゃあな、日野もう絶対合コンには呼ぶなよ、次やったら縁切るからな」
「容赦ねぇ! 騙して悪かったよ、本当にごめん。今日はありがとな、和泉」
謝る日野に手を振って、俺は店を離れた。
家に着いたのは十五時。帰りがけに買った焼き芋を悠子ちゃんと食べるにはちょうどいい時間だった。 鍵を回して玄関の扉を開ける。足元には悠子ちゃんのスニーカーが置いてある。いつもなら音を聞きつけて玄関まで顔を出してくれるんだけど出てこない。
――ってことはまたこたつに入り浸ってるんだな、きっと。
風邪を引くから気を付けてって言ってるのに。
靴を脱いで、リビングを覗くと案の定こたつに入っている悠子ちゃんの後ろ姿が見えた。
「ただいま、悠子ちゃん」
背後から悠子ちゃんを包むように抱きしめる。ふわっと項からは石鹸の匂いがして、いつまでも嗅いでいたくなる。合コンで会った女達の胸やけするような香水とは比べようもない。
「悠子ちゃんの温もり、あったかい……」
同窓会と称された合コンで荒んだ心が悠子ちゃんによって癒されていく。
「は、離してくださいっ」
「え~」
一時間くらいこのままでいたいんだけど。腕に力を込めると悠子ちゃんが俺の手をつねってきた。抵抗の仕方も可愛いとか、際限がない。
けれど、悠子ちゃんに本気で嫌がられたくはないので、ゆるゆると腕を解いた。
「帰りに焼き芋買ってきたから一緒に食べよう」
「いただきます!」
「じゃあ、ちょっと部屋で着替えてくるね」
「はい、全然ゆっくりでいいんで」
自室に入り、コートを脱ぐ。ハンガーに掛けると香水の匂いがした。すぐに消臭除菌スプレーを取ってコートに吹きかける。
自分の着ている服も脱いで、他の服に着替えた。部屋を出てリビングに戻る途中に先程着ていた服を丸めて洗濯籠に突っ込む。
悠子ちゃん、さっきの匂い気付いたかな……。
悠子ちゃんには合コンに行った話をするつもりはない。行きたくて行ったんじゃないけど後ろめたい気持ちと、騙されて参加してしまった恥ずかしさがあった。それに、何より悠子ちゃんには合コンに参加するような兄だって思われたくなかった。
リビングに戻ると悠子ちゃんがいなかったので、台所で急須を出してお茶を入れた。お盆に湯呑みと急須、焼き芋を乗っけて、こたつの上に置く。
こたつに足を入れて待っていると悠子ちゃんが戻って来た。
「お茶も入れてくれたんですね。ありがとうございます」
「飲むだろうなぁって思ってね」
素早くこたつに入り、悠子ちゃんは早速焼き芋を食べ始めた。小さい口で大きい物を食べる姿は小動物みたいに愛らしく、見てて飽きない。
「和泉さん、帰り早かったですね。同窓会楽しくなかったんですか」
「ん、あぁ、あんまり仲のいい奴らがいなくて退屈だったからさ、早めに抜けてきたんだ」
「へぇ、そうだったんですね」
俺の嘘にも素直な悠子ちゃんは少しも疑う様子はない。
気付かれなくて良かった。
「その、同窓会でさ、成人式の話になったんだけど」
「そういえば今年ですよね、和泉さん」
「うん、俺自身のは興味はないんだけど。悠子ちゃんはどうするのか気になって」
「どうするのって三年後の話ですよ。ちょっと気が早くないですか!」
「三年なんてあっと言う間だよ。着物とか決めてるの?」
悠子ちゃんは顔を顰めた。シャイな悠子ちゃんは可愛い服を着るのも抵抗があるようなコだ。きっと振袖も着たくないんだろうけど、成人式には不参加でも振袖姿は絶対に見たい。
「振り袖は、実はもうあるんですけど……」
「え! そうなんだ。なら見てみたいな、どこにしまってるの」
「おじいちゃんちに大切に保管されているかと」
購入済。先を越されたか!!
詳しく聞けばその振袖をおじいさんが買ったのは、悠子ちゃんが中学に入学した時らしい。何となく予感はしてたけどおじいさんは相当悠子ちゃんを可愛がっているようだ。
「そっか、じゃあ見れるのは三年後かぁ」
今見れないのが残念でならない。
まだ一度も会ったことのない妃さんの両親の元へ行って『悠子ちゃんの振袖と昔のアルバムを見せて下さい』って一人で行っていいものか。きっと驚くよな。それこそ親父みたいに門前払いされる可能性もある。 三年、待つしかないのか……と俺は肩を落とした。
数時間後、悠子ちゃんとこたつでテレビを見ていたら両親と豊が帰って来た。妃さんが玄関で悠子ちゃんを呼んでいる。悠子ちゃんがこたつから出て行ったので俺もついでに一緒についていった。両親も予定の時間より早く帰宅した来たから気になった。
「母さん、おせち買ってくるんじゃなかったの?」
「それどころじゃなくなったわ。これから出掛ける用意をして。あ、良かったわ和泉君も帰ってきてたのね」
「妃さん、それじゃあ説明が足りないよ。実家に帰るんでしょ」
「そう、これから行くわよ。さっき母から電話があってね。父さんが豊の為にベビーベッドやら玩具やら離乳食まで買って待ってるってね。母も母で私たちの為に沢山おせちを作って、子供達にお年玉も用意してるからねってあそこまで言われたら帰らない訳に行かないじゃないの」
おせちやベビーベッドまで準備して待ってくれているとは……確かにそれは妃さんも無下には出来ないだろう。
「豊と私は夏に顔を見せに行ったけど、悠子は三年も帰ってないのよ。和泉君に至っては、私の両親に一度も顔を合わせたこともないの。そのことを母にも責められてね……。ごめんなさい、和泉君、貴方にとってのおじいちゃんとおばあちゃんでもあるのに」
「いえ、そんな気にしないでください。これから祖父母に会えるのはとても楽しみです」
先程一人でも行きたいと考えていたくらいだ、渡りに舟だった。しかも俺の事も歓迎して貰えるようで少し安心した。父方の親戚に会うよりずっと楽しみだ。
「今から行けば年越しに間に合うから。皆準備して。一時間後にリビングに集合よ!」
妃さんは自分の分と豊の準備もあるから急いで部屋に入って行った。悠子ちゃんには防寒はしっかりした方がいいと言われたので、厚手のコートを出して普段はあまり使わない耳あても鞄の中に詰めた。あとはスマホの充電器と時間つぶしに本も入れておくか。
支度を終えて、リビングに行くと親父がいた。鞄の他にも紙袋や仕事で使うカメラまで抱えている。
「親父、物、多過ぎだろ」
「いいんだ、忠義さんには渡したい物が沢山ある」
少し前に、悠子ちゃんは祖父である忠義さんに家族写真が詰まったアルバムを渡せば、家族が仲良く過ごしていることが伝わって安心して貰えるんじゃないかと提案していた。その写真も勿論あの紙袋あたりに詰めてあるのだろう。
「和泉、くれぐれも忠義さんには失礼のないようにな。御年七十歳だが忠義さんは紅帯有段者だ、お前でも敵わないぞ」
黒帯はよく聞くが紅帯なんて聞いたことがない。
「黒帯じゃなくて?」
「黒帯の次に紅白、その次が紅帯だ。オレは忠義さんと握手した瞬間、宙を舞った」
俺もきっと有段者なら、悠子ちゃんが親父みたいな男連れてきたら同じことをする。おじいさんとはとても気が合いそうだ。
「俺は早く会ってみたいな」
「お前勇気あるなぁ」
親父の場合は自業自得だ。
……まぁ、妃さんと結婚してからは大分マシになったけど。
階段を降りてくる足音が聞こえて、目をやると豊を抱いた妃さんと悠子ちゃんが姿を見せた。全員準備が整ったようだ。
両親と豊には先に家を出て貰い、悠子ちゃんと手分けして戸締りを確認する。玄関で悠子ちゃんと合流して一緒に靴を履く。
「まさか、急に出掛けることになるとは思いませんでしたよ。……家でのんびりする気満々だったのに」
「でも今年は行くべきだよ」
「振袖、見に行く為にですか?」
「それもあるけど……俺だったら、三年も悠子ちゃんに会えなかったら寂しくて堪らないな。だから行こう」
よくおじいさんは我慢出来たと思う。
俺だったら自分から悠子ちゃんに会いに行ってしまう。
手を差し出すと悠子ちゃんは俺の手に掴まって立ち上がった。
「行きますよ、私だっておじいちゃんとおばあちゃんに会いたい気持ちはありますから」
ポツリと言った悠子ちゃんの小さな声を俺は聞き逃さなかった。
俺はぽんと悠子ちゃんの頭を撫でた。照れた顔を隠すように悠子ちゃんは家の電気を消して、俺と一緒に家を出た。




