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妹ですみません  作者: 九重 木春
-ひとつ屋根の下にて-
28/97

番外編2 弟の胸中

 僕には年の離れたお姉ちゃんと兄がいる。


「今日は暑いからかぶらなくちゃダメよ」

 階段から下りてきたお姉ちゃんは僕の帽子を手に持っていた。

 ソファに座る僕の所まで来てポスっと頭にかぶせてくれる。


 お姉ちゃんは眼鏡を掛けていて、普段の休みは家で本を読んでいるようなインドア派だ。そのお姉ちゃんが紺色に細いストライプの線が入ったおでかけ用のワンピースを着ている。そう、今日はいつもの土曜日とは違うのだ。


 今日はお姉ちゃんと兄と一緒に水族館に行く。夏休みになったら行こうね、とお姉ちゃんと約束していた。水族館ははじめてだからすごい楽しみだ。


「そういう悠子ちゃんは日焼け止め塗った?」

 今度はお姉ちゃんの後ろから兄が現れた。


「ちゃんと塗りましたよ」

「そう?首のうしろ焼けてるけど。普段から塗り忘れてるんじゃない?」


 お姉ちゃんの首に日焼け止めを塗ろうとしている兄をお姉ちゃんは「自分でやりますからっ」と必死に防いでいる。


 兄はお姉ちゃんのことが大好きで、世間ではシスコンというらしい。僕はそれを兄の友人である貴士お兄ちゃんに教えて貰った。兄にはぴったりな言葉だと思う。


「ほら、和泉さんは車を出して下さい。ゆた君はテレビ消して。イルカのショーに見れなくなっちゃうよ」

「はーい」


 僕はすぐにテレビを消してソファから立ち上がった。前にテレビを消さずにぐずぐずしていたら置いて行かれそうになったことがあるからだ。お姉ちゃんが兄を引き留めてくれなかったら、兄は絶対にお姉ちゃんと二人で出かけていたに違いない。お姉ちゃんを困らせると姉以上に兄が怖いのだ。





 家を出ると兄が車の前に立って待っていた。


「はいどうぞ、悠子ちゃん」

 兄が車の扉を開けると姉は顔を赤らめてそそくさと車の中に入って行った。姉はこのシチュエーションに弱いらしく兄は車にしろ、お店にしろ、姉の先回りをして扉を開ける。次に僕がぴょんと車に乗るとお姉ちゃんがシートベルトを締めてくれた。


「あのね、僕アザラシとペンギンも見たいな。お姉ちゃんカメラ持ってきてくれた?」

「カメラは和泉さんの係りだから私は持って来てないの。和泉さんがいっぱい撮ってくれるわよ」

「……そっかぁ」


 出来ればお姉ちゃんのデジカメが良かった。

 兄のカメラは重いし、初心者には難しい。まず触らせてもくれないのだ。


「うん、俺が悠子ちゃんと(ゆたか)の写真沢山撮るから心配しないでいいよ」


 運転する兄が前を向きながら答えてくれる。僕が撮って欲しいのは人じゃないんだけどな。僕が頼んでも兄は撮ってくれない気がする。お姉ちゃんから兄に頼んでもらおう。







「わぁ、すごい人」

「まさかこんな混んでるとはね」


 ちらちらと兄に視線が集まる。兄の容姿は男の僕から見ても整っていて、女の人にとてもモテるのだ。でも羨ましいと思ったことは一度もない。いつか見た背後霊のような女の人をストーカーと呼ぶと教えてくれたのは兄だった。


「そりゃ夏休みだもん。早く行こう、お姉ちゃん」

 水族館の入り口で動かないお姉ちゃんの腕を引っ張って、僕は中へ進んでいった。


「わぁ……」


 天井に広がるトンネル水槽に入るとそこはまるで海の中だった。きらめく水の中をゆったりと泳ぐ魚たちから目が離せない。テレビで見た時よりもずっと綺麗だった。


 館内は全体的に薄暗く、僕は探検に来ているような気持ちになってワクワクした。矢印に従って歩いていくとそこには見知った顔があった。

諸呂(もろ)も来てたんだ!」

 クラスメイトの諸呂だった。僕と同じ懐ゲーが好きでよく教室で話している。ラインでもこの夏休み中に一緒にスーファミでマリカーをしよう話していた。諸呂の後ろには二人の女の人が立っていた。


「あぁ、来る予定じゃなかったんだけど、夏休み初日から引きこもるなって母ちゃんと叔母さんに連れてこられたんだよ。冴草は親と来たんか」


 僕の隣にいる姉と後ろの兄を見て諸呂は頷いた。僕の顔立ちは姉に似ていて、髪の色は兄と同じ色をしている。だからこの手の間違いは昔から多かった。


「ううん、姉と兄だよ」

「うぉ、兄姉いるの知ってたけど結構年離れてんだな。若い父ちゃん母ちゃんだと思った」

 夫婦と間違えられた兄と姉の反応は対照的で兄は嬉しそうに、姉は少し困った顔で笑っている。


「じゃ、母ちゃん呼んでっからまた今度な」

 諸呂は走って親の元へと走っていった。

 すると、隣にいる姉がポンと僕の頭を撫でた。


「ゆた君はお母さんと一緒に来たかった?」

「ううん、お姉ちゃんがいい。お姉ちゃんのが楽しい」


 これは本心だった。僕は母ではなく姉に育てられたと言っても過言ではなく、母より姉の方が僕のことを解ってくれている。母とは世界が違いすぎて、何を話せばいいのか解らなくなる時がある。


「豊とは俺と悠子ちゃんの方が都合つけやすいしな。他にも行きたい所があるなら先に言っておくように」

「え、じゃぁプールに行きたい!流れるプールがあるところ!」

 僕は慌てて手を挙げて兄にお願いした。兄が僕の希望を聞いてくることなんて滅多にないのだ。


「よし、じゃぁ二週間後の土曜だ。悠子ちゃんはその日平気?」

「空いてますよ。問題は……いえ、何もありません」

「問題は大丈夫。俺が解決しておく」


「私、まだ何も言ってませんけど」

「もう目星はつけてあるから安心して」

「安心できませんよ!自分で買いますから。買わないで下さいよ、買ってきても着ませんからね」


 姉は顔を真っ赤にし、腕で×を作った。

 また服の話かな?


 兄はお姉ちゃんを着せかえ人形にするのが趣味で、よくお姉ちゃんに服を買っては怒られている。お姉ちゃんは節約家だから、もっと他の事にお金を使って欲しいと言っても懲りずに買ってくる。兄は大人なのに、まるで子供のように我儘なところがあった。


 そして、一番の問題は、お姉ちゃんが兄に甘いことだろう。厳しいことを言いつつも、最終的には『仕方がない』と許すのである。兄は策士だ。


「お兄ちゃん、僕は大きな浮き輪が欲しい」

「悠子ちゃんも乗れるくらい大きいのな、任せろ」

「何でこんな時に限ってチームワークを発揮するの……」


 姉は肩を落としてうなだれていた。兄はそんな姉を抱きしめて背中をポンポン叩いて励ましていた。


「悠子ちゃんは可愛いなぁ」


 兄の言葉に僕は頷いた。その上、しっかり者で料理上手でやさしい。

 だから僕はお姉ちゃんに恋人がいないのが不思議だった。

 お姉ちゃんが連れてきた人だったら絶対応援するのに。


 僕は姉を抱きしめる兄を見て、なんとなく兄のせいかなぁって思った。

 兄が妹離れをするのはいつなんだろう。

 残念なことにそんな兄を想像することさえ僕には出来なかった。






 楽しみにしていたイルカのショーを見終わると、兄とお姉ちゃんが同時に腕時計を見た。二人がしているのは大きさが違うけど同じデザインの時計だ。兄が初任給でプレゼントしてくれた時計だとお姉ちゃんが前に話してくれた。


「今からなら間に合うね」

 お姉ちゃんと兄が顔を見合わせて頷いた。


 突然、兄は僕を胸に抱き上げて早足で歩き出す。その後ろをお姉ちゃんが追いかけてくる。僕は何が何だかわからず兄にしがみついた。


「ど、どこ行くのお兄ちゃん」

「今、他のブースでカワウソの赤ちゃんのふれあいタイムがやってるんだ」

「そんなに見たかったの?」


 兄はあまりそういうのに興味がないと思っていた。

 どちらかと言えば……、


「悠子ちゃんが」


 やっぱり。お姉ちゃんは僕がイルカのショーを楽しみにしていたからそっちを優先したんだろう。やさしいけどなんだか違う。


「僕にも話してくれれば良かったのに」

 仲間はずれみたいでイヤだった。


「豊の前ではお姉ちゃんでいたいんだよ、悠子ちゃんも」

 むすくれた僕に兄は苦笑した。




 その後、カワウソの赤ちゃんに興奮したお姉ちゃんを兄はファインダー越しに見ていた。お姉ちゃんは飼育員さんに渡された赤ちゃんをだっこして終始笑顔だった。


「ほら、ほら、和泉さん見てます? 可愛いですよ、しかもふわふわっ、目がつぶらで、今のっ顔を手で掻いたの見ました? うぅかわいすぎてつらいっ」

「うん、うん、見てる。可愛いねぇ」


 シャッターを切る兄はお姉ちゃんしか見えていない。

 僕がイルカと握手していた時と明らかにシャッター音の数が違った。


 兄は遊園地でも動物園でも水族館でも僕とは目的が違う。何処に行っても姉がいないと楽しむことが出来ない人なのだ。


 でもそれが僕にとっての兄だった。


 だから兄と姉が手を繋いでも、抱き締めあっても、僕は仲がいいなぁと見守るだけだ。お姉ちゃんは僕が見てると恥ずかしがって兄から離れるけどね。あたふた慌てるお姉ちゃんを見るのが楽しくてついジィっと見てしまう。


 真っ赤になるお姉ちゃんを見て笑う僕に、いつだか兄が悪趣味だと言った。


 どこが悪趣味なんだかわからない。


 僕はただ、幸せそうなお姉ちゃんを見るのが好きなだけなのにね。変なお兄ちゃん。















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