第39話 ミステリ仕掛けの明日 (庵字)
「犯人は……あなたです!」
南見正陽は容疑者のひとりを指さした。
「ち――ち、違う! な、何を言ってるんだ!」
“犯人”と指摘された男は容疑を否認するが、その顔色と口調には明らかな狼狽が見えた。続けて男は、
「だ、だいたい、犯人は、殺されたあいつとかなり親密な人物、という条件があったはずだ! なにせ、あいつは、真正面からナイフで胸をひと突きされて殺されたんだ。俺は、みんなも知っているとおり、あいつとは仇敵と言っていい間柄だ。そんなあいつが、俺を真正面に立たせるなんて、そんな真似絶対にするわけがない。ましてや、ナイフで刺し殺せるほどの至近距離になんて……」
男――犯人の口調に余裕の色が滲んだ。その言葉を冷静な表情のまま受け取った正陽は、
「確かにそうです。そこがこの事件最大のネックでした。なにせ、あなたという、動機はあるがアリバイはあやふや、なんて最大の条件がそろった犯人候補がいるのに、よりによって殺害方法が真正面からの刺殺ですからね。検死の結果、被害者の傷口は、人の手で握られたナイフで刺されたものだと太鼓判が押されました。決して、投擲などの手段で遠距離から突き刺されたものではありません」
「だったら、やっぱり俺には犯行は無理だな」
にやり、と犯人の口角が上がる。が、正陽は顔色ひとつ変えないまま、
「ですが、やはり犯人はあなたです――」
「だったら、俺がやったという証拠を見せろ! あいつに蛇蝎のごとく嫌われている俺が、どうやったらナイフで刺し殺せるほどあいつの近く――しかも真正面に立てたというんだ!」
「これです」
正陽が懐から取り出したのは一枚の名札だった。ラミネートケースに入れて胸ポケットに付けるタイプの、被害者の名前が書かれた名刺サイズの名札。それがどうかしたのか? とでも言わんばかりに、警察も含め関係者たちはきょとんとした顔を見せたが、犯人の男だけは違っていた。
「あなたは」と正陽はその名札をひらひらと振って、「この名札にトリックを仕掛けて、それによって被害者を刺殺せしめたのです。……まず、そのトリックを説明する前に、事件に関する、ある錯誤を正しておく必要があります。それは、被害者が殺害された場所についての錯誤です。――いえ、“死体に動かされた形跡がない”という検死結果に異論を挟むつもりはありません。僕が言いたいのは、なにも死体が何十、何百メートルも動かされたわけではない、ということです。死体は動かされました、犯人の手で。ですが、その距離はほんの数メートル程度のものです。死亡直後にこのくらいの距離を移動させられたところで、死体には何の痕跡も残りはしませんからね。さて、死体は中庭の真ん中で発見されました。そこから数メートルの半径内に、何があったでしょう……。はい、倉庫ですね。その倉庫の中が、本来の殺害現場だったのです。犯人は、倉庫の中で被害者を殺したあと、数メートル死体を移動させて、中庭の真ん中に放置したのです」
「……」
他の関係者たち同様、犯人も何も言わずに、黙ったまま正陽の推理を聞いている。相手は高校生の若造と高をくくっているのか。いや、そうではない。犯人の表情に表れた感情、それは“恐れ”だった。それを横目に、正陽の推理披露は続く。
「なぜ、犯人は倉庫内で殺した被害者を、わざわざ中庭まで移動させたのでしょう。それは、取りも直さず、自らを容疑圏外に置くためです。つまり、“被害者は太陽が燦々と照りつけている明るい屋外で、真正面から至近距離で胸を刺されて殺されたのだ”と、こう思わせたかったわけなのです。それはすなわち、被害者と犬猿の仲であった自分には不可能な殺害方法なのだということを納得させる根拠になります。
さて、そこで、先ほどの問題に立ち返ってみましょう。被害者の本当の殺害場所が倉庫の中だったとするならば、この、犯人が持つ唯一と言って良い、犯行の不可能状況が霧消することになります。どういうことかと言いますと、皆さんご存じのとおり、倉庫の照明スイッチは、出入口から数メートル離れた壁に設置されています。さらに、あの倉庫には先代の蒐集品が数多く保管されていることから、“なるべく日光を中に入れない”という決まりが徹底されていました。ですので、あの倉庫に入った人は、例外なくすぐに扉を閉めて、真っ暗闇の中、数メートル歩いて照明のスイッチを入れに行く、という動作が慣例化していたわけです。暗い中にあっても、スイッチの場所まで歩いて行くことには何の支障もありません。スイッチまでは壁沿いに一直線のうえ、スイッチ自体に小さなランプが付けられてもいるからです。犯人は、この数メートルを狙ったのです。真っ暗闇の中であれば、急に目の前に何者かが立ちはだかったとしても、それが誰であるかを判別できるわけがありません。相手が誰であろうと、ナイフが届く距離までの接近を許すことを阻止できないわけです。
ええ、皆さんの言いたいことは分かります。被害者に付けられた外傷は、致命傷となった胸へのひと突きのみでした。つまり、犯人は初弾の一撃でもって、確実に被害者の心臓を貫くことに成功したわけです。“果たして、暗闇の中で見事心臓をたった一撃で狙いすませるものなのか?”という疑問が湧くのは当たり前ですね。そこで……この名札の出番というわけです」
正陽は、改めて手にした名札を顔の横にかかげた。
「この名札が、すなわち、犯人の“照準”の役割を果たしたのです。どういうことかと言いますと……この名札には、夜光塗料が塗られていたのです。暗闇の倉庫の中で光る、被害者が胸に付けた名札。犯人は、その名札目がけてナイフを突き立てれば良かったわけです。被害者自身が自分の名札が光っていることに気付くのは難しかったでしょう。なにせ、照明のスイッチに灯るランプを求め、それだけを見て視線を真正面から動かさないまま歩いていたはずですからね。たとえ気付いたとしても、『いったい何だろう?』と疑問に思って立ち止まるだけだったかもしれません。むしろ、そうなってくれたほうが標的が静止するわけで、犯人にとっては好都合だったでしょうね。犯行後、当然犯人は被害者の名札を取り替えて、死体を倉庫から出して中庭に放置。夜光塗料が塗られたほうの名札は処分します。
この犯行を行えるのは、当然、夜光塗料を塗った名札を用意できるものに限られます。そして、名札の用意は、あなたの仕事でしたよね」
正陽に顔を向けられた犯人は、恐怖と恨みのこもった視線を向け返して、
「証拠はない……。今、お前が言った推理は想像でしかない。確かにみんなの名札を用意したのは俺だ。だが、あいつの名札にだけ夜光塗料が塗ってあって、殺害後にそれを取り替えたなんて、そんなこと、証明できるわけがない!」
「できます」
「――?」
「被害者の名札が、それまで付けていたものとは別のものだったと、それだけは確実に証明できるのです。なぜかと言いますと……実は、倉庫内に潜んでいたあなたには知り得なかったわけですが、被害者の名札は彼が殺される数分前にお嬢さんが触れていたんです。なのに死体が付けていた名札からは、彼女の指紋がひとつも検出されませんでした」
「……なに?」
犯人の頬をひと筋の汗が伝う。
「数名の方が目撃していたんです。彼女が被害者の名札を両手で掴み、微笑みながら『曲がってるよ』と言って直していた光景を」
「……ぐぅ」
歯を食いしばった犯人の口から、呪詛のような呻き声が漏れる。被害者と犯人とは、その女性をめぐる恋敵同士だった。
「今、倉庫内に鑑識を入れて徹底的に調べています。わずかな被害者の血痕、あるいは、そこにあなたが潜んでいたという、何かしらの証拠が出てくるかもしれません」
その言葉がとどめとなり、犯人はがくりと膝を突いた。
「あとのことは、警察の取り調べで話して下さい……松林警部」
「おう」
正陽に名を呼ばれた松林は、「さあ、行くぞ」と犯人を立ち上がらせると、身柄を部下の刑事に預けて連行させる。
「いや、助かったよ、南見」
「いつものことじゃないですか」
ウインクして片手を上げた松林に、正陽も笑みを返した。その後ろから、
「さっすが、我が名探偵」
の声とともに肩を叩くものがあった。正陽の同級生で、親友でもあり、探偵活動時には助手となる北川涼介だった。
「痛いよ! 涼介」
叩かれた肩をさする正陽を、わはは、と笑いながら見ていた涼介は、懐からスマートフォンを取り出して、
「さっそく鈴に連絡するか。愛しの正陽がまたまた難事件を解決したぞ、って」
「やめろって! その言い方!」
先ほど推理を披露していたときの冷静な声からは考えられないほどの頓狂な声で、正陽は涼介に抗議した。
「我が青博館高等学校“名探偵部”の事件簿に、またひとつ事件簿が追加されたってわけだ。……あ、鈴、終わったぞ。正陽が見事事件を解決した。ああ、いや、訂正する、愛しの正陽が、だな――って! おい!」
涼介は正陽からスマートフォンを取り上げられてしまった。そのスピーカーからは『もしもし……涼介君?』と東夜鈴の声が漏れ聞こえる。咄嗟に正陽は、奪ったスマートフォンを耳に当て、
「あ、東夜さん……?」
『あ、み、南見先輩……?』
突然通話相手が正陽に変わってたことで、鈴の声は動揺を含んで震えた。
『事件……解決できたんですね?』
「う、うん、なんとか……」
『おめでとうございます!』
「あ、ありがとう……」
端末越しに、二人の間に沈黙が流れる。それをにやにやしながら見守る涼介を横目で見て、正陽は、
「あ、あの……」
『おー! 南見君!』
「えっ? に、西荻さん?」
通話相手は、いつの間にか鈴から西荻麗に変わっていた。電話の向こう――名探偵部室――でも、鈴が西荻にスマートフォンを奪われていたのだった。
『練習が早めに終わったからさ、部室に寄ってみたんだけど、鈴のやつが顔を真っ赤にして電話してるじゃんか。あ、これは、話してる相手は我らが名探偵だなって思って、スマホを奪ってやった』
「どうしてそうなるんですか!」
『はは、悪い悪い、じゃあ、鈴に変わるからな』
「ちょっと待った!」
と割り込んできたのは涼介だった。電光石火の勢いで正陽の手からスマートフォンを奪う――いや、取り返すと、
「西荻選手!」
『ん? なんだ、北川君か』
「はい! 正陽のワトソン、北川涼介です! いやー、今回も正陽の推理は冴えまくってましたよ。快刀乱麻を断つが如く!」
『そうか、そうか』
「で、どうですか? これから二人で、事件のことについて語り合いませんか?」
『やめとく』
「光の速さで!」
『あ、そうそう、事件解決のお祝いに、今度の休みに名探偵部のみんなで集まろうよ、北川君の家に』
「どうして俺の家なんですか!」
『だって、北川君のお母さんの手料理、絶品なんだもん。それに、いつも私のことちやほやしてくれるし、大好き。お兄さんもかっこいいしね』
「ぐぬぬ……」
涼介が歯ぎしりした。母親と兄に対する西荻麗の好意の、十分の一、いや、百分の一でもいい、自分に向ける方法はないものなのだろうか。涼介は途方に暮れた。
『南見君の都合も訊いておいてね。鈴には私から話しておくわ。お姉さんも来てくれるといいんだけど』
「分かりました。じゃあ、吉岡には俺から――」
『あいつはいい』
「なんで?」
『この前、部室の冷蔵庫に入れておいた私のプリンを食べられたから。今度殺しておくわ』
――あれは西荻選手のプリンだったのか。その現場には涼介もいて、吉岡から半分分けてもらっていたのだ。そうと分かっていれば、もっと味わいながら食べていたのに……。悔やみながらも、もしかしたら自分は変態なのではないだろうか? と不安にも思う北川涼介だった。
電話を終えた涼介から、正陽は西荻主催の集まりのことを聞いた。特に予定もないし、おじさんとおばさんも快く送り出してくれるだろう。
北川涼介、吉岡義雄、東夜鈴、西荻麗、そして、自分。この五人で青博館高等学校名探偵部を立ち上げた。正陽は、こうなったいきさつに思いを馳せる……。
――南見正陽くん、君たちを解放します。
「えっ? 解放……?」
あの日、青博館高等学校で起きた忌まわしき殺人事件を解決した、あの日。犯人の狂ったような笑い声を聞きながら、そっと瞼を閉じた正陽の耳に――いや、頭の中に、声が響いてきた。聞き覚えのある声……。
「あなた……“A”」
――そう。他の“神々”には事後承諾という形になってしまいますが……私は、君たちを解放することに決めました。
「……どういうことですか?」
瞼を開いた――自分ではそうしたつもりだというのに、未だ正陽の視界は黒い闇に包まれたままだった。
――私はね、今回の“試み”を通じて、改めて“小説とは何なんだろう”という疑問を抱いたのです。
「小説……」
“この世界は小説の中で、自分たちは小説の中の登場人物である”。受け入れた――つもりではあったが、そのような衝撃的な事実を簡単に胸に落とせるはずもなかった。
――小説が完結したら、その世界は終わるのでしょうか? 登場人物たちは消え去るのでしょうか?
「そんなこと……小説の登場人物である僕たちに、分かるわけがないじゃありませんか! それを知っているのは、あなた方でしょう? 小説を書き、その世界を自在に操り、登場人物たちを生かすも殺すも自由自在。まさに生殺与奪の権利を握る……あなた方、作者という名の“神”でしょう?」
――それは違います。神だからといって……いえ、神だからこそ、そんな暴挙が許されるはずはないんです。
「……何が、言いたいんですか?」
――正陽くん、私は、あなたに……あなたたちに、強い愛着を持ってしまいました。
「えっ?」
――当初、自分でも思っていなかったくらいにです。恐らく、私だけでなく、葵紀ノ未神たち他の六人も同じ気持ちのはずです……あの、ナツも。だからこそ、ナツは……いえ、もう、よしましょう。
「……」
――あなたたちには、この“世界”の中で、ずっと生き続けていてほしい。この“小説”が完結することになっても、まだ、ずっと……。私は、私たちは、そう思っています。
「だから……解放……?」
――南見正陽くん、君の願いを叶えます。
「えっ?」
――君が、これからこの世界で何を望むのか。何をしたいのか。教えて下さい。
「僕が望んだように……この“小説”を書き換えるということ……ですか?」
――神の、さらに言えば、“オオトリ”としての私の特権です。
「オオトリ?」
――君の願いに加えて、若干の私自身の願望も入れさせてもらいますが。
「願い……僕の願い。僕の……望む世界……」
――もう、決まっているようですね。
「……」
――では、“世界”を書き換えます。もう、私が君たちと会うことは二度とないでしょう。私だけでなく、他の神々たちも。
「さ、さようなら、って、言えばいいんでしょうか?」
――ええ、さようならです。私が世界を書き換えたら、当然、君以外の登場人物たちの記憶も書き換えられます。
「僕……以外、ということは……僕だけは、これまでの記憶を持ったまま、書き換えられた世界に行くと、そういうことですか?」
――これは、世界の書き換えを行うために必要な措置です。いきなり、世界がまったく変わり、登場人物たち全員も記憶を刷新されでもしたら、それこそ“小説”としての繋がりがおかしなことになってしまいます。だから、これまでの世界と新しい世界を繋ぐために、正陽くん、君だけは記憶を残さなければなりません。“書き換えられる前の世界も確かにあった”という証明のために。これは、主人公である君の責務だと思って下さい。
「……責務」
――ですが、それもずっと続くわけではありません。時間の経過とともに、君の“書き換えられる前の記憶”も徐々に消えていきます。
「えっ?」
――“小説としての繋がり”を保つために、君の記憶を残すことが必要なら、“新しい世界”を成立させるために、君の記憶を消すこともまた必要なのです。だって、“書き換えられる前の記憶”を持った人間がいるなんて、常識的に考えておかしいでしょう。これから私が書き換える世界は、“超常現象などのオカルトは一切排除された世界”になるのですから。だから、この相反する事象を成立させるためには、いったん記憶を持ちながら新しい世界に行き、徐々に記憶を消していく、そうするしかないのです。
「……分かったような、分からないような」
――では、書き換えを始めます。
「待って下さい! あなたが世界を書き換えたら……元の世界はどうなるんですか? 涼介や、吉岡や……東夜さんたちは……」
――始めます。
「待って――」
「おいこら! 南見!」
ジョリーの声が飛び、窓際の席で船を漕ぎかけていた正陽は「はいっ! 寝てません!」と立ち上がった。瞬間、教室内に笑い声が満ちる。
「まったく、お前、容疑者の聴取だけじゃなくて、俺の授業もしっかりと聞いてくれよな」
「わ、分かってますよ……」
「お前、ミラー先生の時だけは、目を爛々と輝かせて授業受けてるんだろ。知ってんだぞ、俺」
「そ、そんなことは……」
しどろもどろになる正陽に、再び教室は笑い声で満たされた。と、そこに、
「南見正陽くん!」
教室のドアが開き、血相を変えたピラール神父が顔を覗かせた。
「何事ですか、ピラール神父。まだ授業中ですよ」
「すまない、常利先生。ですが、緊急事態でな。葵校長直々の依頼なのじゃよ」
「依頼って、もしかして……」
ジョリーは、ひとり立ったままの正陽に顔を向ける。
「そうなのじゃ」と、ピラール神父も正陽を見て、「葵校長の知り合いが殺人事件に巻き込まれてな。その事件というのが、知り合いの故郷に伝わる童歌の歌詞になぞらえた見立て殺人で……。これは名探偵の出番だということで、南見正陽くんを寄越してくれと」
「すぐに行きます!」
「あ、こら! 南見! おい! 北川まで!」
「俺はあいつのワトソンなんで!」
正陽を追った涼介は、ジョリーにウインクを残して教室を飛び出した。「おい待て!」と二人を追おうとしたジョリーに、
「まあまあ、先生……」
と吉岡が飛びついた。
「お前! 吉岡! 何がまあまあだ!」
「ここは俺の顔に免じて……」
「なんで俺がお前のメンツを重んじなきゃならないんだ!」
「お忘れじゃないでしょう? 先生に窃盗の疑惑がかかった事件のこと……」
「うっ……」
その言葉を出されると、ジョリーは振り上げていた拳を下ろさざるを得なかった。
「あの事件、もし俺が、正陽に相談しよう、って申し出ていなかったら……今頃先生は……」
「わ、分かったよ……」
「さすが! ジョリー先生は俺たち生徒の中でも、話の分かる教師だと評判になっていますぜ!」
「そ、そうか……って、おい、今の『ジョリー』ってなんだ?」
「おっと……」
「まさか、お前ら、陰で俺のことを……」
あちゃー、という顔で西荻は、狼狽した吉岡を見る。一方、ジョリーの捕獲対象は正陽と涼介から、目の前の吉岡へと完全に移行した。
ピラール神父のあとについて廊下を走る正陽と涼介。
「なあ」
「ん?」
涼介に声をかけられ、正陽が顔を向けると、
「お前、おかしいと思わねえか?」
「なにが?」
「なにって……ちょっと前に絶海の孤島で連続殺人事件に巻き込まれたと思ったら、今度は童歌の見立て殺人だぞ。それ以外にも、このあいだみたいな細々とした事件はしょっちゅう起こるし。おかげで松林警部をはじめ、警察に何人も顔見知りが出来ちまった。どうして、こんなにおかしな事件が立て続けに起きるんだ? しかも、お前の周りばかりで……」
「それは……」
「まるで、ミステリ小説の世界じゃねえか」
「――!」
その理由を正陽は知っている。だが、口にしかけたが、言うことは出来なかった。知っていたはずなのに、急に思い出せなくなった……いや、忘れてしまったかのような感覚だった。
「ん? なに?」
耳を傾けてきた涼介に、
「もしかしたら……神様ってのがいて、そいつがおかしな事件を次々に引き起こしてるんじゃないか?」
「……はあ? 聞いて損したわ」
「はは……」
玄関を飛び出たところで、「車を回してくる」とピラール神父は駐車場に走って行った。
ふと、視線を上げる。敷地内に建つ荘厳な礼拝堂が、正陽の目に映った。
何だろう……いつも見慣れた建物のはずなのに、どうしてこんなに懐かしく思うのだろう……。だがやはり、正陽は、その理由を思い出すことは出来なかった。
「ん? どした?」
「ああ、いや……」
涼介に声をかけられ、視線を外しかけた正陽だったが、
「なあ、知ってるか? あの礼拝堂の噂」
「なに? 噂って?」
すぐに再び礼拝堂を見やった。
「ああ、もう何年も前の話だけとな、あの礼拝堂で人が死んだらしいんだよ」
「えっ?」
「それもな、恐ろしく奇妙な死に方だったって噂だけは伝わってるんだけど、詳しいことは誰も知らないんだよ……」
「……バナナの皮か?」
「はあ?」
「バナナの皮で足を滑らせて、頭を打って死んだ、とか……」
「おいおい……いくら名探偵でも、その推理はないぞ」
「そ、そうか」
「そうだよ。だいたい、お前、どうしてそんな突拍子もない死に方を思いつくんだよ」
「さあ……どうしてだろう……?」
なぜ、そんな考えが浮かんできたのか、もはや正陽には分からなかった。
「あっ! しまった!」
「どうした? 涼介」
涼介の声で、正陽の思考は中断された。
「財布、教室に忘れてきちまった。取りに行ってくるわ」
「ピラール神父、もう来るぞ」
「待っててもらってくれ」
正陽を拝むと、涼介は校舎に戻っていった。
「しょうがないな……」
ため息をついた正陽のもとに、
「南見先輩!」
「東夜さん」
鈴が駆け寄ってきた。
「どうしたの? まだ授業中なんじゃ?」
自分のことは棚に上げて、正陽は訊いた。
「美術の授業で校庭で写生をしてたんです。そうしたら、南見先輩が見えたものだから」
鈴は首を傾げて微笑んだ。その笑顔を見て、正陽は思わず頬を緩める。鈴と目が合う。ばつが悪くなり視線をそらした正陽の瞳に、礼拝堂の尖塔が映る。先ほどの気持ちが、再び正陽の胸中に去来した。
「どうかしましたか?」
「ああ、いや、何でもないよ……」
正陽は尖塔から鈴に視線を戻したが、その鈴もまた、礼拝堂を見上げていた。紺碧の空に向かってそびえ建つ礼拝堂を見て、鈴は呟いた。
「……懐かしいですね」
ミステリーリレー小説「学園ドラマ×ミステリー班」完




