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ミステリーリレー小説2021『名探偵ミナミ・セイヨウの誕生』  作者: ミステリーリレー小説2021「学園ドラマ×ミステリー」参加者一同
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第35話 自分の立っている場所 (Kan)

 おかしい、確かにここにAはいたはずだ。走ったとしても今の一瞬で隠れられるような場所は近くにないのだ。

(Aが言ったこと、まるで僕が小説の中の登場人物であるようだった……)

 そんな馬鹿な、と思う。ところが正陽には軽々しく否定できない理由があった。

(今、自分の周囲で巻き起こっていることはすべて非現実的で、まるで小説の中の出来事のようだ。ナツ、吉岡についても……。おまけに僕の目の前にいる松林警部に関しては、まるで時代劇の役者みたいな顔をしている)


「松林さん……」

「どうした? 正陽君。浮かない顔をしているではないか」

 松林警部が口元の微笑みを浮かべつつ、尋ねてくる。

「いえ、あの、実は先ほど不審な人物が僕に話しかけてきたんです」

「不審な人物?」

「彼はAと名乗りました」

「永? 作詞家のか……?」

「それは永六輔です……」

「はっはっは」

 松林警部は、さも愉快そうに笑った。その笑い声には感情がこもっていない気がして、正陽は恐ろしく感じられた。


「その人が言うには、その人は僕の名付けの親だということでした。そして、この世界の理について僕に説明をしてくれました」

「………」

「僕はAに、この裏に喫煙所があるか、と聞かれて、あるに決まっているだろう、と答えました。それでも不安になって、僕が確認しにゆくとそこには確かに喫煙所がありました。ところがAは、喫煙所は元々そこに存在していたのではなく、僕が確認しに行ったからそこに現れたのだと説明したのです。それを彼はこの世界の理だと話しました」

 正陽は興奮しながら曖昧な記憶をたどって、数分前の会話を再現していた。

「彼の語ったことの意味は分かりませんでしたが、まるで僕たちが小説の中の登場人物だと言っているようでした」

「………」

「そして喫煙所には、あなたの姿が見当たらなかったのです」


 松林警部は、ふふっと微笑んだ。

「先ほども言ったではないか。わたしは奥の建物で妻に電話をかけていたのだよ」

「あなたのおっしゃる奥の建物とはどれのことですか。そんなものはどこにも見当たりませんけれど……」

 その言葉に松林警部の微笑みが消えた。


「………。正陽君。そのAとやらが言ったこと、君はどう考えているのだね」

「僕は……常識で考えたらそんなこと、とても信じられませんが、それでも自分の身のまわりで現に起こっていることを考えると……」

 松林警部は、再び微笑みを浮かべると正陽の顔をじっと見ている。


「ナツは神です。でも、これがもし小説の中の世界だとしたら、ナツは作者の一人だということになるでしょう」


 松林警部はその言葉を聞いて、にやりと妖しげに笑った。


           *


 その数分後、ふたりは車の中にいた。日の暮れた山道を突っ走ってゆく。坂道は奇妙なほど細かく曲がりくねっていて、まるで日光のいろは坂のようである。正陽は、ジェットコースターに乗っているように体が左右に振り回される。一体どこへ向かっているのか分からない。


「正陽君。君はとんでもない真実を掴んでしまったようだね。それでは予言をしようか。君はこの先、ナツ派になるだろう。そうでもせんとこの世界では上手く生きていけないのさ、真実を知ってしまったものにはとてもね……」

「僕がナツ派に? それは一体どういうことですか」

 正陽は、それまで将軍風であった松林警部の声の調子が突如、悪代官風に変化したことに恐怖を感じながら尋ねた。


「よかろう。信じるか信じないかは君の自由だが、我々の仲間に伝わる、ある風変わりな話をしよう。君は、小説家になろうという小説投稿サイトは知っているかね?」

「小説家になろう……。確か、誰でも自作の小説が投稿できるサイトで、異世界転生もののファンタジーや、恋愛ものの小説が人気の……」

「その通りだ。その「小説家になろう」というサイトは、2085年に投稿小説のバーチャルリアリティー化に踏み切って、大成功をおさめている。大反響を呼んだのだよ」

「2085年? バーチャルリアリティー化? 一体何のことですか」

 現在は2022年である。2085年だと未来の話ということになってしまう。


「つまりだね。このサイトではこの年に、自分が書いた小説の世界を仮想現実(バーチャルリアリティ)化できるという機能が追加されたのだよ。そしてその機能は、作者本人や、読者もその世界を体験することもできるというものだったのだよ。たとえば、君が小説家になろうのサイト上で小説を書いたとしよう。君が「太郎はコーヒーを飲んだ」なんて文章を書くと、その仮想現実空間の中の太郎くんは、本当にコーヒーを飲むことになるのだ。君が「太郎はコーヒーをこぼした」と書くと、太郎くんはたちまちコーヒーを床にこぼしてしまうというわけ。そして君は、その世界に入って、こぼれたコーヒーに触れることができるわけだ」

 正陽は意味が分からず首を傾げた。


「2088年の夏に、とあるユーザーが企画を立ち上げた。それはリレー小説の企画だった。七人のユーザーが集まり、一つの小説を共同で執筆をしたのだ。はじめはただの学園ドラマ風の青春小説だった。七人のユーザーがかわるがわる筆をとり、あっという間に仮想現実の空間に、青博館高等学校の建物ができて、楽しい学校行事や、退屈な授業、生徒たちの他愛もない会話が生み出され、平和な日常が繰り広げられたというわけだ。

 執筆者たちは協調して、理想的な学園生活を創造していった。ところがある時、執筆者の一人が学園の生徒に関わりを持ち始めたというわけだ。

 この執筆者は、度々、自分の小説に顔を出して、生徒と交渉を持とうとしたので、登場人物たちに存在を知られ次第に「神」と崇められていった。しかし、小説の中の人物と、小説の外側の作者が交流をすることは小説そのものの構造を破壊する危険性がある行為で、小説家になろうの規約にも反する行為だった。

 仮想現実とはいえ、それはすでに一つの世界であり、その住人たちには人間と変わらない人格があった。その人々が、自分たちの住む世界が「つくりもの」だと気づいたらどうなるか。恐ろしいパニックが起こることだろう。

 しかし、このナツという執筆者はさまざまなシチュエーションで、自分を小説の中に登場させた。次第に物語の内と外の境界線は曖昧になり続けた。

 この神と崇められた執筆者こそが「ナツ」なのだ」


「そ、そんな馬鹿な話、信じられません!」

 正陽はたまらなくなって叫んだ。そしてぐいと前に起き上がろうとして、シートベルトに押さえつけられる。


「すぐには信じられなくても仕方ないだろう。しかしわたしは繰り返そう。いいかね。ここは、小説の中の世界なのだよ。ここが小説の中の世界だと住人に感づかれたら、それこそ世界はめちゃくちゃになってしまう。先ほども話したが、長い年月が過ぎ、ナツの存在に感づきはじめた人々がいた。彼らは「ナツ」に供えものをして、信仰することで、ナツに「自分に都合の良い文章」を書いてもらおうとしたのだ。たとえばナツを信仰し、ナツに「この人は億万長者になった」と書いてもらいさえすれば、その人はあっという間に、億万長者になることもできるというわけさ」

「その人々がナツ派……」

「その通りだ。そしてこれが小説の中の世界だということを住人に知られないために、ナツ派を見つけ出して、倒して真実を隠蔽するのが「影の校長」というわけだ。吉岡義雄だよ」


 一体この車はどこに向かっているのだろう。吉岡たちと合流しようとしているとはとても思えない。


「そんな馬鹿なことが……。でも、だとしたらなぜそのことを松林警部が知っているのですか……?」

「………」

「だっておかしいじゃないですか。ナツが何者で、影の校長の目的が何で、ここが小説の中の世界だなんてことを、なんで松林警部が知っているのですか?」


「それはだね。正陽君。わたしがナツ派だからだよ……」

 車はその瞬間、車道から外れて、雑草と岩肌に乗り上げる。正陽は脳天を思いきり振り回されて、目眩がした。


「あっ!」


「君にこのことを話したのは、君をこちら側に引き込むためさ。君を正式なナツ派の一員にしてあげよう。どうだね。ここは所詮、小説の中の世界だ。我々は小説の登場人物にすぎないのだよ。ナツを崇めれば、思いのままにこの世界を変えることもできるというわけだ。それを知らずに、自分を欺いて他人が描いた物語のレールの上を生きてゆく。そんな人生が楽しいかね?」

 正陽は震え上がった。こいつ、ナツを信仰している。


「触るな! ナツ派なんかになってたまるか!」


「ナツを信仰すれば、運命は変えられる。人生が思いのままになるぞ!」


 松林警部は微笑みながら車を運転している。正陽は、松林警部を振り払って、林の向かって駆け出したい気分だが、車内なのでそんなことはできない。松林警部は、

「ふははっ!」

 と叫んで、ものすごい勢いで車を走らせた。


 正陽はわかった。ナツがこの世界の作者だとして、松林警部が以前話していたように、ナツの手足となって実際にナツが殺したいと思う人物を殺した人物がいるとしたら、それはナツ信者であるナツ派の人間の仕業ではないとおかしい。ところが、松林警部は「犯人はナツ派の人間ではない」と言った。ところがこれこそがトリックなのだ。松林警部はナツ派の人間であり、ナツ派の犯罪を隠蔽しようとしていたに違いない。


(そうだ。間違いなくそうだ。そして、この車はどこへ向かっているんだ!)


「見えてきたぞ! 正陽君。あれがナツ神の像だ!」


 松林警部が叫んだ先には、30メートルはあるだろうと思われるナツの巨像が純白の輝きを放って立っていたのである。


「そんな馬鹿な!」

 こんなものが山の中に立っていたら、地元住民に気づかれないはずがない。しかしもしこれが小説の中の世界だとしたら、こんなことも可能だ。「ナツの巨像が立っている」と一文だけ書けば良いのだから……。


「君をナツ派のみんなにご紹介しよう!」

「やめてくれ!」


 白いらっきょうの形をしたお堂のようなものがあり、ナツの神像と並んでライトアップされている。その中から黒装束の人々が蟻のように走り出してくる。

「松林警部!」「ようこそ!」「お待ちしておりました!」


 松林警部は窓を下ろして、嬉しそうに手を振る。

「おおい、新入りを連れてきたぞぉ!」

「やめてください!」

 正陽は、松林警部の手をぐいと握って、無理矢理ハンドルをきった。車は大きく曲がって、車道から飛び出し、杉の大木にぶつかった。

「うおおお! 無礼者!」

 正陽は、ドアを開けると夢中で走り出した。


 黒装束の人々が正陽を逃すまいと正面から走ってくる。こいつはみんなナツ派だ。正陽はそう思って、バスケットボール選手のように黒装束の人々を交わして、通り抜けようとする。

 黒装束の一人が正陽の右手首を掴む。正陽は相手の手首を握り返すようにもって、くるりと軽快な体捌きで半回転。相手は関節がきまって、両足を宙に浮かべて倒れた。合気道の技らしい。正陽は合気道など習ったことがないのに、何故こんなことができてしまったのか謎である。


(これも作者の一人が「正陽は合気道の技で相手を投げた」と書いたからだというのか?)

 正陽はそれがひどく不気味に感じられた。


 設定というのは、ご都合主義で追加されるものである。しかしそれはフィクションの世界に限る。ノンフィクションの世界では、突然武術家になったりはしないのだ。正陽が今こうしているのも、これがノンフィクションの世界でないことの証拠だろうか。

(わからない……、わからない……!)


 誰に助けを求めればよいのか。

(そうだ)

 正陽は思い付いた。

(もう一人の創造主、葵紀ノ未神だ!)

 正陽は黒装束の人々が怯んだ隙をついて、全力で駆け抜けた。頭上にはナツの巨像がそびえている……。

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