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ミステリーリレー小説2021『名探偵ミナミ・セイヨウの誕生』  作者: ミステリーリレー小説2021「学園ドラマ×ミステリー」参加者一同
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第34話 この世界 (庵字)

「喉が渇いたな……何か飲まないか」


 松林警部はハンドルをひねり、コンビニの駐車場に車を滑り込ませた。

 多少の遠慮から、やんわりと断りを入れた正陽に対して、半ば押しつけるように微糖の缶コーヒーを奢ると松林は、一服してくる、と言い残して、自分の分のブラック缶コーヒーを手にしたまま、店舗裏手にある喫煙所に消えた。

 正陽は、駐車場の一角でプルタブを開け、“微”と名乗るには甘みが主張しすぎているコーヒーを喉に流し込んだ。

 はあ、と吐息を吐き出して、思う。

 ――このまま、吉岡たちのもとに向かうべきなのか、否か。

 松林の一服は、長くとも数分程度で終わるだろう。その間に、決めてしまわなければならない。――が、行くにせよ戻るにせよ、松林には何と話したらいいのか。彼は、明らかに自分を疑っている。しかも……それは自分に着せられた数々の濡れ衣に対してというよりも、もっと根源的な、この一連の事件全体に対しての疑惑、そのように思える。冤罪に対しての疑いだけなら、ある意味、まだそのほうが気が楽だったと言えなくもない。自分がやっていないということは、自分自身が一番分かっているから。――が、今おきている事件、その全貌は、正陽自身、何も理解してはいないのだ。自分の与り知らぬ――力の及ばない事象に対して疑いを持たれてしまったら、自分自身、何も拠り所がなくなってしまう……。

 二口、三口、缶に残っているコーヒーを一気に喉に流し込んだ。自覚はなかったが、思いのほか喉の渇きをおぼえていたのかもしれない。空になった缶をコンビニ外付けのゴミ入れに突っ込む。と、そこに、


「大変な目に遭っていますね」


 横から声を掛けられ、思わず顔を向ける。そこには、ひとりの男が立っていた。

 奇妙な男だった。青年のように見えるが、働き盛りの壮年なのだと言われても納得するだろう。“年齢不詳”という表現がこれほど似合う人間も珍しいのではないか、と正陽は感じた。


「……どちらさま、ですか?」

「そうですね……」男は、少しの間考えるような素振りを見せてから、「“A”とでもしておきましょうか」

「エー? アルファベットの“A”ですか?」

「そうです。『上を向いて歩こう』を作詞した放送作家のほうではありませんよ」

「……」

「それは“永六輔(えいろくすけ)”ですね」

「……」

「――ああ、待って下さい」


 危険な匂いを嗅ぎ取り、そっとその場を立ち去ろうとした正陽を、“A”と名乗った男が呼び止める。立ち止まり、ゆっくりと振り向いた正陽に向かって、


「少し……話をしませんか」


 正陽は、その要請に応じることにした。男に対する胡散臭さは少しも薄れてはいなかったが、なぜか、()()()()()()()()()()()という気持ちが湧き上がってきたためだった。


「南見正陽くん……最初にも言いましたが、君、実に大変な目に遭っているようですね」

「は、はあ――」と、そこまで答えて正陽は、「えっ? ど、どうして、僕の名前……?」

「知っているのか、ということですか? それはもう……」Aは、わずかに口角を上げて、「存じ上げていますとも。なにせ……私は、君の“名付け親(ゴッドファーザー)”ですからねえ」

「はあ?」


 何を言ってんだ、この男? と正陽は思った。その正陽の顔を見ながら、Aは、


「四月生まれの君にご両親は、四月の異称のひとつである“正陽”と名付けました。“万物が生まれ出ようとする気、すなわち陽気が満ちている月”という意味です」

「……そ、その話」


 今、Aの口から聞かされたのは、正陽が両親にせがみ、いつか聞かせてもらった自分の名前の由来そのものだった。


「あ、あなたは、僕の両親の……知り合い……なんですか?」


 そう尋ねながらも、――矛盾している。と正陽は思った。この男は、自分が正陽の“名付け親”であると称しておきながら、その“正陽”という名前は、正陽の両親が名付けた、とも言っているからだ。


「君……」動揺する正陽を前に、Aは、「例えば、小説の世界の中に、文章で語られていない人物というものは、存在しているのかどうか? こんなことを考えたことはありませんか?」

「……はあ?」

「そうですね……君も読んだことのある小説で言うと……そう、ドイルの『緋色の研究』の登場人物でいえば、ドレッバーとスタンガスンには、父親が存在することが明確に作中で書かれていますが、ジェファスンには、そういう描写はありませんね。さて、この場合、作中でひと言も言及されていない存在――すなわち、ジェファスンの父親、というものは、いったい存在していると考えていいのでしょうか?」

「な……何を言っているんですか? あなたは……」

「どうですか、正陽くん。君は、ジェファスンに父親はいると思いますか? それとも、いないと思いますか?」


 Aとしばし視線をぶつけてから、正陽は、


「……さ、作中に、書かれていようがいまいが、その人物が存在している以上、親もいるに決まっているじゃないですか……」


 その答えを聞くと、Aは、にこりと微笑み、


「それじゃあ、もっと身近な問題で考えてみましょう……」と、コンビニ建物の奥を指さして、「案内板に寄れば、あの角の先には喫煙所があるそうですね」


 正陽も顔を向ける。壁に張られた案内板に、喫煙所が設けてあることの文面と、その場所を案内する矢印が書き込まれていた。


「正陽くん、その向こうに、()()()()()()()()()()()()()()()?」


 正陽は、まじまじとAの顔を見つめる。


「……何を言ってるんですか?」

「どうですか? 喫煙所は、ありますか? ありませんか?」


 Aは、何かを挑むような笑みを浮かべながら、建物の向こうを指し示し続ける。


「あ、ありますよ……」


 言うなり正陽は駆け出し、案内板の矢印に従って建物の角を曲がる。果たして、そこには、トタンで三面を囲われ、中央に円筒型の灰皿が置かれた、紛れもない“喫煙所”があった。


「あ……ありましたよ」


 歩きながら戻ってきた正陽は言った。若干、その息は荒くなっている。()()()()()()()()()()()。明らかすぎる事実を確認してきただけだというのに、なぜ自分はこうも安堵しているのだろう、という不可解は気持ちを抱えながら。それに対して、あくまで涼しい表情を崩さないAは、


「それは……少し違いますねぇ」

「な、何が違うっていうんですか?」


 むっとして正陽が詰め寄ると、


「喫煙所は……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()わけです」

「……はあ?」

「もし、君が、わざわざ喫煙所を見に行かなかったとしたら……喫煙所は存在していなかったんです」

「……あ、あなた……大丈夫ですか?」


 明らかに怪しむ視線を向けられても、Aは少しも態度を崩すことなく、


「これが、()()()()(ことわり)、です」

「……」

「腑に落ちませんか?」

「お、落ちないも……何も……」

「ところで……正陽くん、君、喫煙所に行ってみて、何か()()()を憶えませんでしたか?」

「い、違和感……?」


 正陽は、今しがた訪れた喫煙所の様子を思い出す。トタンに囲われ、灰皿が置いてあり、喫煙所として何もおかしなことはなかったが……。


「――あっ!」正陽は、違和感の正体に気づいた。「……()()()()!」


 そうなのだ。自分に缶コーヒーを渡したあと、一服しに行ったはずの松林が、喫煙所にはいなかった!

 勢いよく首を左右に振り、正陽は松林を捜す。が、コンビニの駐車場、その脇の道路にも、松林の姿はどこにも見られない。彼が運転してきた車だけが、駐車スペースに駐められているだけだった。その車内にも、松林はいない。

 正陽は視線をAに戻す。そのAは、わずかに会釈してから、


「君と二人きりで話したかったので、少しの間、松林さんには消えてもらったんですよ」

「き――消えた?」

「最初のほうに、松林さんの行動を、“喫煙所に消えた”と書きましたが、あれは比喩でも何でもなく、言葉そのままの意味だった、というわけで……。反則ですけれどね」

「な、何を言ってるんだ? あ、あなた――」

「正陽くん」

「は、はいっ?」


 Aの表情が引き締められたものに変わり、思わず正陽は背筋を伸ばした。


「私が、こうして君に会いに来て、“この世界の理”を教えたのはですね……もう、終局が近づいてきたからです」

「しゅ、終局?」

「そうです。終局です。この事件……そう遠くない未来に、結末を迎えます」

「えっ?」

「この先、君や、君の大切な人たちに、どんな事が起ころうとも、それはすべて、“この世界の理”のもとに成されたのであるということ、それを分かってもらいたく、そして、覚悟をしてもらいたくて、いささかルール違反ではあったのですが、私は、こうして君と話をしに来たと、そういうわけなのです」

「……あ、あなた、いったい、何者なんですか?」

「……このくらいにしておいたほうがいいでしょう」

「えっ?」


 と、そこに、


「おお、すまん、すまん」


 聞き慣れた声を耳にして、正陽は顔を向ける。そこには、ばつの悪そうな顔をして駆けてくる松林の姿があった。


「ま、松林さん、い、今まで、いったいどこに?」

「いや、すまん」松林は、片手で正陽を拝んでから、「一服してたら、妻から電話がかかってきてな。君に聞かれるのも恥ずかしかったので、喫煙所を出て、さらの建物を奥に行って通話してたんだ。待たせて悪かったな」

「い、いえ……」

「じゃあ、行こうか」

「はい――あ! ま、待って下さい!」

「ん?」


 正陽は振り向いた。が、


「……」


 そこにAの姿はなかった。

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