第25話 神降臨 (ナツ)
「駄目だよ、余計なことを考えちゃ」
葵紀ノ未神がにこりと笑って言った。葵校長は項垂れた頭を上げる。すると葵紀ノ未神は校長の背中に移動し、背後から腕を回すと、顔を近づけて耳元で意地悪く微笑んでいた。
「六年前のこと考えてたでしょ? 私、そういうの分かるって言ったよね?」
葵校長はため息をついて横目で少女を見た。
「全く、神様の考えることは理解が及びませんな。しかし私は反対なんです」
「それって南見正陽と東夜鈴をくっつけること?」
「ええ」と校長は言った。「私はこんなことに関わりたくはなかった。神が許そうと私が自分を許せない。人の運命を操作するなんて非道な行いです」
「私は神様だから非道で構わない」と葵紀ノ未神は言った。「それにね、私はいつだって人間が望むことを叶えてあげているだけだから」
「しかしナツは違うのでしょう? あの神は人への思いやりがないらしいじゃないですか」
「あいつは例外」と葵紀ノ未神は肩をすくめて言った。「それにね、もう誰にも止められないよ。さすがのナツでもどうしようもない。もう運命の日がすぐ目の前までやって来てるんだから」
葵紀ノ未神はそう言うと、扉から反対にある方の壁の方に歩いた。そしてその目の前に立ち止まると、何かを調べるように指で壁を叩き、両手で小さな輪っかを作ってそこに息を吹きかけた。すると壁に楕円形の鏡のようなものが貼りつき、その中に南見正陽と東夜鈴が湯気のようにゆらりと現れた。
葵紀ノ未神は壁の斜め上にある時計を見て納得するように頷いた。
「十七時五十二分三十三秒、正陽と鈴がばったり出会う。そしてこれから正陽が鈴に告白する。二人は付き合うことになる」
「つまりあなたのタイムテーブルに狂いはなかったわけです」
「いかにも」と葵紀ノ未神は呟いた。「運命はね、いつだって私の手の中にあるんだよ」
そして二人は二人の男女が映し出された壁を見つめる。正陽の顔が真っ赤になってる。そして上ずった声が聞こえる。それを聞いた東夜も顔を赤らめる。葵紀ノ未神はにやりと笑った。
「さあ、これで終わりだ」
しかし東夜が返答をしようと口を開いたその瞬間、一筋の光が天からずどんと落ちた。
激しい音を轟かせ、黄色い閃光で何もかも見えなくなる。やがて光の放つ力に耐えられなくなり、映像を映し出していた銀色の楕円形はぱりんと割れて床に散らばった。
最初、葵紀ノ未神は自分の見た光景についていけず、口をぽかんと開けていた。しかしすぐに理解が追い付き、目をしかめ、舌打ちをした。
「ヤバい」と葵紀ノ未神は引きつった笑みで呟いた。「ナツが来た」
校長はその言葉を聞き取れなかった。しかし事態の深刻さに顔を蒼白とさせながら言った。
「……終わった」
一筋の光が落ちる十分と少し前、宇宙の外側にいるナツは五人の神を名乗る者たちの前にいた。それぞれの神の名はウーノ魔神、孫遼神、庵字菩薩、若松仏、KAN音菩薩であった。この五人は葵紀ノ未神と同じく、この世界におけるマンションの管理人のような立ち位置であり、神が起こした地球の諸問題を適切に取り扱い、罰することを主な生業としていた。しかしながら神を名乗る者たちは我こそが一番だと信じて疑わない連中が多いため、神が神を罰することを良しとせず、管理人たちもその力を振るうことはなかった。とはいえ、見過ごすにも限度があり、ナツの暴走が激しすぎて他の神々からも苦情が多数寄せられて関与せざる負えなくなった。仕方なく、管理人たちは長い話し合いの結果、ついにナツを永久追放にすることに決めたのだった。この永久追放を意味するものとは、簡単に説明してしまうなら消滅のことである。
そういうわけで鬱憤晴らしも兼ねて管理人たちはナツの周りに囲って蹴ったり殴ったりを始めた。ナツは血反吐を吐きながら叫んだ。
「てめえら、それでも神や仏かよ!」
「残念です、ナツさん。我々も我慢はしてきたんですがね、あんたはどうにもエキセントリック過ぎたんです」とKAN音菩薩は何度も蹴りながら言った。「特にピラール神父を殺したのは絶対に許させない!」
「いや、あのクソ爺は文脈的にあそこで登場するのは逆に――」
ナツはすかさず言い返そうとしたが、そこで他の神からの制裁が下った。彼は悶絶した。
「そうですよ、我々はあんたのせいで面倒を被ったんです!」とウーノ魔人は左拳でナツの顎を殴った。「全く、貴方はどれだけ私達がフォローをしてきたかご存じでないんだ」
「そうだそうだ!」と孫遼神は叫んだ。
「オオトリの俺の気持ちにもなってくれよお……」とナツにビンタをしながら庵字菩薩は嘆き、「特にお前の尻拭いをさせられた俺に謝れ!」と若松仏は憤った。
「いや、お前たちだってかなり好き勝手やってたじゃねえか!」
沈黙。五人の神々は驚いたように顔を見合わせた。しかしにこりと微笑みあうと、再びナツを蹴ったり殴ったりし始めた。
「とにかくなあ!」と目を真っ赤に血走りながらKAN音菩薩がナツの頭を踏みつけた。「我々にはこの一連の始末をつける犠牲が必要なんだよ! ……そろそろ綺麗に纏まらさせてくれよお!」
「知るか、そんなもん! 俺にはそんなことよりもっと大切なものがあるんだ!」
ナツはそう叫ぶと、KAN音菩薩の足を掴んで転ばせ、その場から走って抜け出した。急いで他の神々も走って追いかけてくる。しかし後もう少しで首を掴めそうなところで、「ゼウス!」とナツは叫んだ。「俺をその雷で吹っ飛ばせ!」
その頃、ゼウスは自宅でソファで寛いでいたが、地獄耳なのでどこか遠くにいるナツの声も聞こえないわけではなかった。もちろん、なぜ、そんなことをする必要があるのか彼には全くわからなかった。
しかし事情は分からないが、ナツを攻撃しても良いとなると、それを断る理由もない。報復は怖かったが、ナツ本人の要望であるのでそこを心配する必要もないのであれば、普段から苛められている分も含めてここで痛い目に合わせてやろう。ゼウスは悪魔のような笑みで唇を歪めると、一差し指をナツのいる方角に向けて黄色い閃光を放った。その一筋の光はKAN音菩薩たちの間を一瞬で通り過ぎ、気づいた時にはナツの身体に当たって吹っ飛んでいた。管理人たちは消えたナツのいた場所を眺め、やがて絶望したように項垂れた。
「ヤバい」と五人の管理人たちは呟いた。
一方、ナツは光に包まれながら宇宙の外側から脱出した。自身も雷の一部に姿を変え、とりあえず住むのに都合の良い星を探し、色々と熟考したのだが、結局うまくきめられず地球へと向かって行った。この間、0.1秒である。雷となったが通常のものとは異なるので地中を遊泳するミミズのように宇宙空間を漂う衛星を潜り抜けた。しかし、しばらくしてナツは後悔の念と共に泣き始めた。今となってようやく自分の行いを振り返ったのだ。これから仏陀ともキリストとも会えないのだと思うと、少し辛かった。なんだかんだ友人のように思っていたのかもしれない。彼らとはもう二度と会えないのだ。
その時、ナツは地球に向いながら東夜に告白する南見の姿を捉えた。「東夜、俺と付き合ってくれ」と目をぎゅっと瞑って言う南見を見て、これまでの一連の思考を頭から放り出し、ナツは改めた考えをもう一度改めた。
「あいつ、ぶち殺してやる!」
ナツは一筋の雷として南見の頭上に落下することを決めた。俺がこんなに不幸だってのに南見の野郎は東夜と幸せになろうとしてやがる。どうしてもそれは許せそうになかった。ナツはばりばりと火花のような音を鳴らした。しかし大気圏を突き抜ける直前で、面白いことにナツは気づいた。
俺が南見正陽になれば良いのだ!
そうしたらこの先の人生、俺は東夜鈴と共に生きていける! こうなった以上、神の立場を気にすることもないのだ。共に手を繋ぎ、愛し合えるのだ! 天涯孤独の身の俺でも人間として東夜の側にいることが出来る!
ナツは笑い叫びながら言った。
「クソガキ、お前に乗り移ってやる! お前の運命は俺が掴んだ!」
そして落雷が起きた。
あまりに激しい衝撃だったためか、落下地点の周囲は白い煙で覆われて影も見なくなった。そんな中、彼は立ち上がり、自分の姿を見渡した。傷はない。それにほっと安堵すると、すぐに東夜のことが心配になって彼女の元に駆けて行こうとした。しかしそこで彼は自分の耳を疑った。
「ははは、そうきたか! 予定とは異なったが、ある意味では願いは叶った。これもまた一興である」
煙が薄れ、姿を見えた。東夜はクレーターのように割れたアスファルトの上でげらげらと笑っている。そしてこちらに気づくと、その口元は蛇のように狡猾で歪んだものに変わっていた。その瞳はきらりと輝く光は消え失せ、ゴミ溜めから湧き出た害虫を見つめるような憎悪が入り混じっている。彼女はゆっくり立ち上がり、スカートの汚れを手で払って言った。
「お前なんて嫌いだ」




