第24話 過去と現在を繋ぐもの (葵紀ノ未)
甘味を司りたい神が姉妹と出会ったのは、良く晴れた春の日だった。
京都府に位置する、下鴨神社からほど近いその場所にて。
神は、行き倒れていた。
事の始まりはもちろん、旬の卵における卵焼きの味つけ論争である。
神を筆頭とした砂糖派。
これを邪道と罵る天使が率いるは出汁派。
それをもナンセンスと言い切った上で原始人類が生んだ美味を突き詰めれば塩であると主張する天使らは、スクランブルエッグ派を抱きこみ革新塩分派を立ち上げた。
本来、神とは、揺るがぬ己の正義を他者に見せつけ、人々に崇め奉ってもらうことではじめて存在するのだ。
この神は誕生してから、たったひとつ。
揺るがぬ真実を周囲へ見せようとしていた。
甘い食べものは、世界を救う!!!!!!
これを信じ、これを証明せんとするチビ……葵紀ノ未神である。
人間の姿に変換してから地上へ――なんとなく目についた高く赤いタワーの天辺に降りた。事前の調査で甘い卵焼きの聖地はミヤザキだと知っていたので、直行……を試みたのだが。
いくら神とはいえ人間の姿である。休息を可能な限り疎かにした葵紀ノ未は、やがて力尽きてしまった。
その残念な行き倒れ神を最初に見つけたのは、5歳くらいの少女だった。
しゃがみながら頬をつついている。
「どぉしたの?」
「おなか……すいたよぅ……」
何度か大きな瞳を瞬かせると、彼女はポケットから何か探り出した。
「どーぞ」と口の中へ押し込まれて広がったのは、イチゴミルク味――穏やかな甘酸っぱさと自然な甘み、上品なミルクが一体感のある甘みを創り上げる。
食事も友情も、量より質が重視されるべきであるからして。
数分もしないうちに少女を探しに来た姉は、ふたりの間に確固たる友情が築かれているのを見た。
神と姉妹。
立場は大きく違えど、親密になるまでに時間はいらなかった。ついには姉妹に連れられ、葵紀ノ未は東夜邸に住み着く座敷童として過ごしていた。
かの神が有する力は、小さな願いを叶える。正確には、単純な未来を決定できる。複雑な願いや道理に反する内容を決めることはできないが、座敷童扱いするのは、理にかなっていた。
「ん……。
飴。お願いある、から」
東夜邸の縁側にて。
首を傾げながらも、受け取った飴を口に含んだ。少年はむすっとした口調でつぶやく。
「麗ちゃんにカレシ作らせないで」
「カレシってなあに?」
「恋人って、兄貴が言ってた」
「へー、がんばれ」
「無理。言えない、そんなカッコ悪いこと」
カレシ≠お菓子と判明した瞬間、明らかにやる気をなくした葵紀ノ未。少年は追加の飴を渡して姿勢を正させた。
「そっか、アニキがウララちゃんじゃなくてカレシは人間なんだね!」
「よくわかんないけど、とにかく、大会とかでよく遠くに行っちゃうから麗ちゃんに」
「んあ。ウララちゃんってだあれ?」
「とっ、友達! 学校の、ただの友達」
「へー。あ!」
「な、何?」
「ついでに、君もだあれ?」
「……北川涼介。これ7回目なんだけど」
「……。
ウララ――ニシオギウララかな? よーし、彼女にはしばらくスケートに夢中になってもらおうね!」
「……」
「えーっと、九九だっけ? 言えるようになったんだよね? すごいね、うん、逆上がりもすごい!」
「それどっちも鈴だし。俺、小3だから」
微妙な空気が流れる中。「帰るぞー」とやってきた少年を「しゅーすけ!」と呼べば「崇め奉れ、ちびっこ」と言われつつ、パックのイチゴミルクをもらえた。
しかし、穏やかな時間はそう長く続かないもので。
座敷童生活を開始して5年ほど経過した、ある日のこと。
いつものように主食代わりの飴とホットミルクを恵んでもらった葵紀ノ未だったが……
「っ?!」
くれた飴は、爽やかさを通り越した刺激物――ハッカ味だった。
異変に気がついた少女がティッシュを差し出す。
戦慄く口から飴を吐き出して「こんなの飴じゃないもん!! 華のイジワル!! 大嫌い!!」と叫ぶと、東夜邸を飛び出した。
途中、少年にぶつかったが「ハッカ味なんて飴じゃないんだからね?! 絶対に認めないんだから!」と八つ当たりをして、再び走り出す。
「吉岡、何してんの?」
「怒られたいのかもしれない」
「は? バカなの?」
「は! これは、需要と供給……」
少女が少年にハイキックをかます瞬間に目もくれず、走った。そのうち見知らぬ場所にたどり着き、ついには迷子になってしまった。
それから、およそ6年が経過したころ。
理不尽な言葉を謝りたいとは思った。しかしながら、すぐに帰ることができるならば、もはやファッション方向音痴である。
要するに、葵紀ノ未神は東夜邸に帰れずにいた。
そんなある日。ぼんやりと横断歩道を渡る、見覚えのある少女を見かけた。
――次の瞬間。
視界の端からまっすぐ突っ込んでくる車が現れ、驚く暇もなく、車が1回転したのだ。
少女は呆然とした後、ふと気を失った。
葵紀ノ未は人々が集まるの眺めつつ、考える。
(人体に変換しないまま降りた神さまが引き起こす天変地異? 10万年、いや、2000年前だっけ? 火山噴火の異常気象から始まって感染症の蔓延、海が赤く空が灰に染まって、あと時空のゆがみで……
うん、他の神様がやってきたわけじゃないね。
でも――)
たった今、干渉はあった。
人間の成せる技ではない。
神による干渉であると、確信した。
影の校長があくびとともに帰宅した後。
表の校長・葵小次郎は来たる瞬間に備え、入念に準備を整えていた。
「第三者、使いこなしてほしいなーぁ……」
おねだりの言葉とともに暗闇から姿を見せたのは、シンプルな衣装に身を包んだ7歳くらいの少女だった。
「お言葉ですが彼はまだ子どもでございます」
「数年で交代するの、止めたらいいのに」
「なりませんぞ、学校の長ゆえに校長なのですから。
ところで……いつまで東夜華鈴に固執なさるおつもりでしょう?」
「ダメなの?」
「あの東夜家でございますれば」
「しゅーすけに相談した華を守れなかったの、忘れちゃった?」
「……」
「わたし、神様だもん。こじろーの考えてること、わかるんだよ?」
「僭越ながら、自重という言葉をご存じないので? 力を用いて第三勢力を立ち上げようとなさるなんて。我々はナツ派に対抗することで精一杯だと言いますのに」
「あはは、やだなー。鈴の誕生から活発だったナツ派を抑えることになったのも初代影の校長を育てる隙ができたのも偶然だよ。
なんか変なお願い多いなって思ったけど、あのとき、わたし卵焼きで忙しくって職務サボってただけだもん。
それに、今は、華を殺した人間を告発してほしいだけ。正陽は適任だから、お願いしちゃったの」
「仮に……青博館高校に編入すること、東夜の女子へ興味を抱くことを南見正陽に対して強制した理由がおっしゃる通りだといたしましても、彼が東夜鈴へ明確に告白する未来を決定したのは……なぜです?」
「告白の内容までは決めてないよー? 感情は操作できないもん」
「さすが若人。大森林さえ驚くほどの、青い春だと。
もはや誰の願いなのか……」
「結構前になっちゃうけど、ちゃんと人間からのお願いだよー?」
葵校長は6年前を、青博館高校の秘密を調べ上げて当代影の校長を特定した少女のまっすぐな言葉を思い出した。なぜ我々に協力するのか、尋ねたときだった。
「私は、妹を利用したくありません」




