第22話 ピラール殺しの犯人は (Kan)
ピラール殺しの犯人が誰なのか、読者諸君はナツと答えることだろう。しかし真実はそんなに単純ではない。
フリードリヒ・ヴィルヘルム
捜査員たちが後に、ピラールの遺品を調べたところ、彼の自宅から見つかったメモにはこんなことが記されていた。
『第七代 影の校長は440or440』
この暗号が、何を意味するのか、捜査関係者には当初、まったく分からなかった。そもそも、影の校長という言葉自体、青博館高等学校の部外者である捜査員には完全に初耳で、理解不能だったのである。
六年という歳月が経った今、青博館高等学校の呪縛を解かれようとしている。
なぜ、礼拝堂は焼かれたのか……?
最大の疑問はここである。この礼拝堂では過去に殺人が行われていて、その傍らにはバナナが落ちていたとされる。
バナナ、そしてナツ……。なぜ青博館高等学校の人々は、このことを知っているそぶりを見せながら一切語らないのか。
『青博館高等学校の秘密は誰にも語ってはならない』
この言葉は、影の校長のものとして校内に伝わるものである。
それでは、そもそも影の校長とは何なのだろうか……?
今、正陽は青博館高等学校の秘密を解き明かそうとしているのである。
そんなことは正陽自身、分かっていない。しかし、ピラールが死んだという情報はあまりにも生々しく感じられた。ピラールの若干、酔っ払ったような愉快な顔がふつふつと浮かんでくるのである。
「ピラールが、死んだだと……!」
涼介は声を震わせて、立ち上がった。
「ピラールさん、体調が悪くて、ご自宅で療養なさってたじゃない。それなのに、どうして横断歩道なんて渡ったんだろうね……」
と涼介の母親は、呟くようにそう言った。療養という語感のなせる技だろうか、まるでピラール神父がベッドに拘束されていたようなイメージになっている。
「横断歩道ぐらい、渡るさ」
涼介をぶっきらぼうにそう言うと、腕組みをし、何事か考え込みはじめた。そして母親の姿が見えなくなると、彼は正陽を呼び出して、廊下に出た。
「ちょっと正陽、席を外してくれるか……?」
「えっ、席……?」
正陽は、畳敷きの部屋を見まわしながら言った。
「お前は関わらない方がいい問題だ。このことを知らずに生きていけば、君は青博館高等学校を普通の学校と同じように通い、学び、なんの違和感も感じることもなく青春を謳歌して、卒業することができるだろう。なにも知らなければ、だ……」
「やっぱり、涼介、お前、なにか知っている……」
「正陽……!」
その瞬間、涼介が発した言葉には、小声ながらも、今までの彼のイメージをあらためなければならないほどの凄みがみなぎっていた。
「探偵ごっこもこのあたりでやめておけ。俺も考えが甘かった。ピラールが殺されたとなれば、事態は俺たちが想像しているのよりもずっと深刻ということだ」
「ま、まてよ。さっきからお前、余計、気になることしか言ってないんだってば……。ピラールが殺されたって……」
「いや、これは俺の想像にすぎない」
涼介は冷や汗を拭うと、周囲を気にしながら、まわりすぎる舌を忌々しく思ったように下唇を噛んで、うつむいた。
「どちらにしても、ここでは多くを語れない。正陽、これから先、な行とた行の言葉は一切、喋るな。家でも学校でも、通学路でもだ……」
「な行とた行って、ナツ……」
「やめろ……」
涼介は、つい声が大きくなって、はっとして畳の間を覗きこんだ。吉岡は西荻に謎のプロレス技をかけられて畳みの上にうつ伏せに組み伏せられている状況になっていた。吉岡は苦しみながらも嬉しそうにもがいている。彼は、西荻麗を怒らせるようなことをしでかしたのだろう。涼介はその様子に、安心したらしく、ため息をつく。
「ナツが何なのか、教えてくれたっていいだろ。だって僕は青博館高等学校の生徒なんだ。涼介たちが知っていて、自分だけ知らないなんて、嫌だよ」
涼介はちらりと正陽の顔を見つめた。さすがにもう、正陽をこのままじっとさせておけないことを彼は感じた。彼は黙ったまま、正陽のギラギラ光る目を見つめていた。どれぐらいの時間が経ったことだろう。
「正陽、お前は押さえつけとかないと飛び出しかねない猟犬みてえだな」
吐き捨てるように涼介は言った。
「正陽、ここから先の領域は神域だぞ。そこには人間の力を越えた恐ろしい世界が広がっている。少なくとも、この六年間のうちに青博館高等学校で起こった数々の出来事は、その世界を暗示するに充分だった」
「ああ、教えてくれ。ナツって一体、なんなんだ……」
「ここでは話せない。近くの土手まで行こう」
そう言うと涼介は、残りの二人を畳みの間に残したまま、正陽と二人で近くの土手まで急いだ。土手というには大袈裟な小川に沿って続いている小道の上に立った。
「青博館高等学校は、伝統に忠実であり、きわめて厳格な信仰を守り続けてきた、カトリック系のキリスト教の学校だ。ところが、この学校には、ある異端ともいえる信仰が秘密に伝えられてきていた。それがナツだ。そしてそれを伝えてきたのは、ナツを信仰する人々、いわゆるナツ派だ」
「悪魔のようなものか。つまり、悪魔信仰……」
「いや、ナツは神とされている。そして、それをたとえば悪魔信仰やフリーメイソンのようなものだと考える人も中にはいる。しかし、俺もそこまで詳しいわけじゃない。ナツがなんなのか、正直、俺も分かっちゃいない……」
「そうなのか」
「分からないんだ。ナツが何なのか。だが、この異端のナツ派を弾圧しようとするのが、正統なキリスト教にとっては当然の考えというべきだろう。実にこの抗争は、戦前から校内で繰り広げられてきたものだ。しかし六年前、ついに死人が出たんだ。いや、青博館高等学校の長い歴史の中では、それがはじめてのことではなかったのかもしれない。しかし少なくとも、当時の関係者にとって、死者が出たことが相当な衝撃だったことは想像できるだろ?」
「想像できる……」
と言ったが、正陽はこの話にリアリティーを感じるほどには想像力が逞しくない。ナツだの、キリスト教だの、抗争だといわれて、ちんぷんかんぷんになってしまって、死者が出たことの衝撃もいまいち想像がつかない。
「よかった。実は、ナツ派の人々は、自分の信仰を容易に他人に明かさないから、学校側が弾圧しようとしてもできないんだ。そこでつくられたのが「影の校長」だ。この影の校長というのは、生徒の中から特に才能がある者が一人抜擢され、ナツ派の過激な運動や、ナツそのものの暴走を事前に食い止める役目を担っている。しかし誰が「影の校長」なのかは、生徒同士も知らされてはいない。ナツ派がどこに潜んでいるかも分からなければ、当然、それを取り締まる側も姿を隠しているというわけさ。当然、俺も知らない」
なにからなにまで、ファンタジックで、正陽はそのあらすじで小説を書いて、小説家になろうのようなサイトに投稿しようか、などと考えてしまう。しかし涼介の真剣な表情に押されて、そんなことは口にできない。
「正陽。ナツについて首を突っ込むと、ナツ派や、ナツそのものに狙われるだけじゃなく「影の校長」にナツ派の人間なんじゃないかと疑われて、最悪、消される可能性があるんだよ。な? お前は相当、危ない橋を渡っているんだよ。分かったら、もう、このことに首を突っ込むな」
涼介はそう吐き捨てると、悲しそうにうつむき、腕組みをして、小川の流れを静かに見つめたのだった。




