第20話 友情と卒業アルバム (孫 遼)
正陽は、涼介の家の前にいた。
のらりくらりとはぐらかす涼介のペースに飲まれて、いつの間にか北川家の門まで一緒に来てしまったのだ。
(『知的好奇心』は、なかなか苦しいよなぁ……)
今になって、自分の失策を後悔している。
むしろあのまま涼介の軽口に乗せられるふりをして、東夜鈴の家に突撃した方が確実だったかもしれない。その代わり、一生涼介には茶化され続けることになるだろうが。
卒業アルバムが事件と関係しているというのは、あくまで仮説でしかない。校長室とは名ばかりの空っぽの部屋。そこにあった六年前のアルバムに黒く読めないページがあったのは事実だ。しかしピラール神父の言う通り、ただコーヒーをこぼしただけだったとしたら。
さて、どうする。
クセのついた髪を必死に撫でつけながら考えた。
涼介はわざと歩くペースを落としているようだ。のっそりとした歩調のまま薄ら笑いを浮かべて次の言葉を待っている。
ふぅ、と大きく息をついて覚悟を決めた。ここは腹を括って、正直に事情を話すしかない。
「実はさ。さっき校長室に忍び込んできたんだ」
涼介は目を丸くする。この告白には、さすがの薄ら笑いも引っ込んだ様子だ。
「お前いったい、何やってんだ」
「朝ジョリーとミラー先生にとっつかまって、色々事情聴かれたからだよ。火事の前日のワイン事件で、どうやら校長にマークされちゃったみたいなんだな。それで……」
「逆に相手を追いつめてやろうってか。やるじゃん」
「まぁ、現行犯でつかまったんだけど」
ぶはっ、と涼介は噴き出す。
「そりゃ、詰んだな」
「だろ? だからどうしても涼介の協力が要るんだ」
涼介はにやっと笑った。
「そういう大事なことは早く言え。まずは卒アルからだな。よし」
涼介は門の脇についているインターホンを押した。しばらくして母親らしき女性の声が聞こえてくる。
『はーい。って涼介、どうしたの?』
「兄貴の部屋から高校の卒アル持ってきて?」
『自分でやんなさいよ』
もっともだ。どう言い返すのか、じっとりと涼介を観察する。
「友達と一緒なんだ。勝手に兄貴の部屋に入れてもいいなら行くけど」
『あらまぁ! たいへん!』
ブツっという音がして、唐突にインターホンの音が切れる。目が合うと、涼介は困ったように笑って肩をすくめた。
すると突然、背後で耳をつんざくような自転車の激しいブレーキ音がした。振り向くと、制服姿の男が肩で激しく息をしながら自転車ごと地面に倒れ込んでいる。
「吉岡?!」
「はぁ、はぁ。北川と南見。ちょうどお揃いで。はぁ、はぁ。アレを拾ってくれ」
そう言いながら吉岡は、数メートル先に落ちている蛍光ピンクで縁取られた黒いリュックを指さす。
「なんだ、これ」
呆気に取られながらリュックを拾い上げると、今度は遠くから女の声が近づいてきた。
「吉岡ぁー! カバン返せぇー」
「あ……西荻選手?!」
涼介が素っ頓狂な声を出した。
西荻麗はものの数秒で涼介の家の前までたどり着き、その勢いのまま吉岡に飛び蹴りをくらわした。まるでハリウッドのアクション映画のように華麗に着地を決め、膝に手を置いて大きく息をついている。
「そのリュック、私の……返して……」
涼介がすばやく正陽の手からリュックをもぎ取った。
「西荻さん、はい、これ」
「ありがとう。ついでに吉岡殺すの手伝って」
「喜んで」
涼介は爽やかに笑った。
いや、そこは紳士ぶるところじゃないだろう。
思わずツッコミを入れようとしたが「お巡りさんこちらです!」と吉岡が背中にまとわりつくので、仕方なく「さらば吉岡」と身をかわした。
「サツを呼びたきゃ呼びな! その前に殺すけどな!」
西荻麗は中指を立てた。相変わらずギャンという擬音が似合う。
「あらまぁ、『麗ちゃん』じゃない?! どうしてこんなところに?」
先ほど涼介が挙げた声より、二オクターブ以上も高い声が背後に響いた。手にアルバムを持って、つっかけサンダルで出てきたのは、涼介の母親である。
スケート界隈で『麗ちゃん』と愛称で呼ばれている西荻は、さっと中指を引っ込めて愛想よく会釈をした。その変わり身の早さに、吉岡はぱくぱくと口を開けたり締めたりしている。
「いつもテレビで見てるわー。涼介も麗ちゃんのファンなのよ、試合は全部録画しろってうるさいんだから……」
西荻はあしらいを心得た様子で、どうも、と微笑んだ。涼介は慌てて母親を止めようとするが、冷たく睨みかえされている。
「あんた、麗ちゃんが来るならそうと言いなさいよ」
「違うんです。私はたまたま通りかかっただけで。もう行かないと」
「あら、練習で忙しいの?」
「練習は夕方からですが……」
「だったら暇でしょう。寄ってきなさいよ。遠慮しないで、ほら」
涼介の母は半ば強引に、西荻の背中を押して玄関に押し込んだ。吉岡もさも当然という顔でそれに続く。残った涼介がすまなそうに手を合わせたが、正陽は『大丈夫』と首を振った。
クラスメートの女子、しかもジュニアスケーターの頃から有名だった西荻を家に呼ぶチャンスなんて、そうそうないだろう。友人として、男として、協力してくれた恩には報いねばならない。
それに、西荻麗にはなんというか華があるのだ。東夜鈴の方が一般的に見れば美形と言えるのだろうが、妙に存在感があってつい視線が吸い寄せられてしまう。
正陽たちはキッチンと続きになっている畳の居間に通されると、みな思い思いの場所に座布団を引いて腰かけた。
「ねぇ、これってなんの集まりなの?」
座布団の上でもぞもぞと動きながら、西荻が言った。
「漫才同好会」
満を持しての吉岡の発言だったが、全員が無視を決め込んだ。
涼介は卒業アルバムを手に取り、ちらりとこちらを見てくる。
「卒アルを見せてもらいに来たんだ。六年前の」
「六年前……ってお前」
吉岡が言葉を失ったようになり、涼介と正陽を交互に見た。涼介は神妙な顔でこくりとうなずく。
西荻はまったく事情が飲み込めない様子で、小首をかしげている。
「六年前に、何かあったの?」
「それを今から確かめるところだ」
ようやくだ。
正陽は大きく息を吸い込むと、布張りの黒い表紙に手をかけた。
「開けるぞ」
四人はテーブルの中央に置かれたアルバムを同時に覗き込んだ。




