第19話 その頃、別所では (若松ユウ)
天国だか極楽だか楽園だか知ったことではないが、ナツの私怨によりキリストが貴重な信者を失い、ゼウスが重い腰を上げねばならなくなるという地獄のピタゴラスイッチが行われている頃のこと。
帰りの通学路で、知的好奇心に突き動かされている正陽は、涼介から東夜姉妹についての情報を引き出そうと必死になっていた。
だが、その続きをお話しする前に、別所で繰り広げられていた掛け合いコントのようなやり取りを見ていただこう。とどのつまり、真相に迫る前のブレイクタイムである。
「だから、幽霊会員で構わないからさ。四人以上集めたら、空き教室を部室に出来るんだ」
「ああ、もう、うるさい! 半径六フィート以内に近付かないで」
「わお! 突然のソーシャルディスタンス宣言に、義雄ちゃんのガラスハートはボロボロです」
「やかましい! 自分のことをちゃん付けで呼ぶな」
第6話目に登場したスケート少女、西荻麗と、第19話目にして、ようやくフルネームが判明した吉岡義雄は、正陽と涼介とは別の通学路で下校していた。吉岡は荷台にエナメルの肩掛け鞄を載せて自転車を押しており、西荻はその自転車の前籠に、カラーリングがピンクではなく緑か赤なら某の出前配達員が使ってそうな四角いリュックサックを置き、手ブラで吉岡と並んで歩いている。
吉岡が入会を勧めているのは、もちろん自身が会長を務める漫才同好会であり、西荻がこの手の勧誘を持ち掛けられたのは、同じ高校に進学すると判明した中学時代から数えて、両手足の指の数に余りあるほどである。
スケート練習日なら、迎えに来た母親の車に乗ってそのままリンクまで直行してしまうので、こうした風景は見られない。しかし、今日は臨時休校ということもあって、西荻は歩いて帰るしかなかったため、運悪く同じ方向に帰る吉岡に捕まってしまったのである。
はあ。どうして自分の幼馴染は、こんなスケベ心丸出しの脳内小学生な男なのだろうか。どうせなら、北川君みたいなスポーツマンが良かった。
西荻が心中で特大のため息を吐いているとは、つゆ知らず、吉岡は通常運行でお喋りを続ける。
「風の噂で聞いたんだけど、フィギュアスケート選手がタイツの下に何も穿いてないって本当?」
「往来でするとは思えないトピックスをチョイスするわね。また蹴り飛ばされたいの?」
切れ長の目を細め、やや腰を落としてファイティングポーズを構えてみせる西荻に対し、吉岡は一瞬、蛇に睨まれた蛙のように身を竦めた。往来といっても、田舎の畦道で二人を目撃しているものといえば、古ぼけた案山子に止まる雀と、放し飼いされている合鴨くらいのものだろう。
「ひえっ。そんな刺すような視線を向けるなよ。純粋な知的好奇心じゃん。和服美人の襦袢の内側と同じくらい、世のボーイズが悶々としている疑問に答えてくれよ~」
「獣欲の油が渦巻いてる下衆に、高貴な私はお答えできませんわ」
「ご想像にお任せしますってこと? どうせはぐらかすなら『黒沢の4番よ』とでも言えば悪い気はしないのに」
「そこはシャネルの5番でしょ?」
「ナイススイング! やっぱり、俺のボケが分かるのは、うららちゃんだけだ。そういうことだから、会員になってくれ」
「どういうことよ。理由がなってないから、却下!」
「スカートの下にジャージを穿いてる女子くらい、夢の無い返事だな。あっ、でも、ワンチャンでゲリラ雷雨があれば、濡れ透けボーナスがあるか。お願い、ゼウス様! 体育の日に恵みの豪雨を!」
「あー、シューズ履いて、煩悩を滅殺してやりたい」
「やめてくれよ。あんな鋭利なブレードで踵落としされたら、脳天が割れるって」
「割れたって、中身はスッカラカンでしょうに」
「ひどいな~、傷ついた。こうなったら、別の会員候補に泣きついてやる!」
「あっ、ちょっと。待ちなさい! こら、変速するな。待てーっ!」
唐突に自転車の向きを百八十度変え、サドルに跨って走り始めた吉岡を、西荻はシニヨンに結わえた髪を振り乱しつつ、スケートで鍛えた脚力で猛追しはじめた。
十数分後、二人は北川家にアポ無し訪問し、件の卒業アルバムを見つけ出したばかりの正陽と涼介の二人と合流するのだが、そのことについては次話へ持ち越すとしよう。




