第18話 神3 (ナツ)
一方、その頃地球から遠く離れたどこかでナツは東夜鈴を左目で眺め、右目では南見正陽を睨んでいた。そしてぶつぶつと呟いていた。
「よし、鈴よ、ちゃんと二足歩行できて偉いぞお……。あの糞ガキ、なんか勘づき始めてんなあ。あ、そっちの方向は犬の糞がある。よしよし、この俺が消してやろう。そして糞ガキ、糞を踏めえ」
他の神を名乗る者たちもこの異様な台詞には気味悪がった。今やナツの顔の左半分は溶けたマシュマロのように肉が垂れ下がり、その反対は般若のようにつり上がっている。
そしてナツの左手は東夜に降りかかる危険を排除し、右手では南見を殺そうと躍起になっている。しかし右手の方はなかなか成功まで至らず、ナツは腹を立てていた。なぜ、あの南見という糞ガキは死なないのだろうか? きっと他の神の加護があるに違いない。……イライラする。
そこでナツは腹いせにピラール神父を殺した。
正確には、ピラール神父は南見と別れたあと、横断歩道でバナナの皮を踏みつけて転び、頭を地面に打ち付けてそのまま動かなくなった。そこに車がやって来て頭部が見事に粉砕された。
キリストは激怒した。
「お、お、おまえ、なんで私の信者を殺してんだ!!ふざけんな!! 」
「いや、なんか目に入ってうろちょろしてたから……うぜえなって」
「はあああああ!?」
そして沈黙。それからキリストはまた叫んだ。
「はあああああ!?」
「うるさい。黙れ」
「いや、おまえ、黙れじゃないだろ!! なに考えてんだよ! それが人間のすることかよ!?」
「だって人間じゃないもん」
「いや、おまえっ!!」
しかしキリストを名乗る者は、自分がキリストであることを思い出して、ぐっと出てくる言葉をのみこんで咳払いをした。そして涙目で落ち着きを払って言った。
「ナツよ、あまり人間に干渉してはなりません。今のあなたは、下劣な人間にも劣りましょう。もっと神に相応しい態度でありなさい」
「黙れ」とナツは答えた。「いいぞお、東夜。息してて偉いなあ。糞ガキ、窒息しろお」
キリストは怒りと屈辱で拳を強く握り、しかしながらため息を吐いた。そしてこれまでの経験から、このナツという阿呆にこれ以上なにを言っても無駄だろう、と考えた。もう左の頬を差し出して無遠慮に殴られるのは彼としても勘弁願いたいのだ。
そこでキリストはその場を後にして、ゼウスを名乗る者に相談しに行った。
ところが、ゼウスも他の者たちからナツの悪い噂を聞いていたので、あまり関り合いになりたくはない、と思っていた。そのため調度よさそうな言い訳を考えて彼は言った。
「他ならぬお前の頼みだから助けになりたいが、しかし最近は腰が痛くてね。……ほら、妻がね、その激しくて……うーむ」
「けしからん!どの妻のことですか!!」とキリストを名乗る者は怒鳴った。それから落ち込んでしがみつくように言った。「お年なのだからもう少し落ち着いてくださいよ。それにナツをどうにか出来る方はもう貴方ぐらいしかいないのです。どうかあれを説得してください!!」
「わかった、わかったよ」とゼウスは手で制し、ため息を吐いた。「そう怒鳴るな。腰が痛くなる。……行けば良いんだろう? ちゃんと行くから」
「頼みます。もう私や仏陀には不可能なのです。太陽神や天照にも相談しましたがダメでした。もうあなたの力しか……どうか、どうか!」
ここまで下手に出て頼まれると、ゼウスも得意気になった。彼は胸を叩くと高らかに笑って言った。
「他ならぬお前の頼みだ。仕方あるまい。よし、ここは私に任せなさい!」
そして、雷鳴を轟かせると、ゼウスの体はキリストの目の前で黄色く光り、いなくなった。その場から一瞬でゼウスはナツの背後に移動したのだ。
「ナツよ」とゼウスは言った。「お前の悪逆非道な行動のせいで他の神々が激怒している。今すぐその顔芸をやめよ」
ナツは舌打ちをしたが、視線を地球から外さずに言った。
「俺の邪魔をするな。……誰だ、お前は?」
「我こそがゼウスである。最高位の神だ」
「馬鹿め。そんなこと、みんな言ってんだよ。だけどな、一番偉いのはこのナツ様に違いあるめえよ」
「お主は謙虚ではないようだ。自信過剰すぎる」
「んなわけあるか。これ以上、邪魔すんなら、その顎髭をぶち抜くぞ。いいぞお、東夜……」
「さて、どうしたものか」
ゼウスはそう言うと、髭を左手で撫でて考えた。
「お主、なぜそこまでその人間に入れ込むのだ?」
「黙れ、うるさい」
「いやな、よく聞け、ナツよ。私も色恋についてはそれはもう星の数ほど経験してるから、なにかアドバイスをやれるかもしれんのだ。しかし見たところ、お主はその人間と報われない恋をしているような気がしてならんのだ」
そしてゼウスはナツと同じ方角で目を細めて、東夜鈴と南見正陽を見た。それから、小さく微笑んでナツの肩に手を置いた。
「お主、さては嫉妬しておるのだな?」
ナツは何も答えずに黙った。
「しかしな、あの南見正陽という男は近いうち東夜鈴に告白するぞ。その未来が見えた」
「……なんだと?」
「間違いなくそうなる。この未来は他の神によって既に決定されておるようだ」
ナツは固まった。それから拳を地面に叩きつけて怒鳴った。
「ふざけやがって。その神の名を言え!!」
「葵紀ノ未神だ。下鴨神社からそう遠くない祠に奉られているのだが、その者が、そろそろ二人をくっつけるだろう。いや、そうに違いない」
「そんなふざけた神はとてもじゃないけれど許せそうにない。そいつをぶちのめしてやる!!」
そしてナツはすくっと立ち上がった。そして葵紀ノ未神を探そうとしたが、ゼウスがナツを羽交い締めにして、「まあ、待てよ!」と言って牽制した。
「離せ! 糞ジジイ!!」
「腰も精力もお前より現役じゃわい!! しかしな、これはもう葵紀ノ未神が決定した未来なのだ。今さら抗議をしても仕方あるまいよ。もちろん私としても宗派の違う者がそんなことをするのは許せんが、まあ、ここは寛大な心で許してやろうじゃないか。……なあ、息子よ?」
「おれは、おまえのっ……息子じゃっ……ない!!!」
「だろうな」とゼウスは言いながら、ほっと安堵した。「あまり認知してこなかったから、たまにバッタリあった奴が息子だったりするんだよ。……しかしさすがの私の種でもお前みたいな奴は産まれんよなあ。ははは」
「笑ってんじゃねえ!!」
ナツはゼウスの頭をぽかりと殴った。ゼウスは頭を押さえながら、悔しそうに呻いたが、ここは穏やかに場を納めようとと決めて我慢をすると、高位なる神の威厳を保つためにごほんと咳払いをした。
「だが、ナツよまだ希望はあるぞ。決定された未来は南見の告白までだ。そのあとはまだ不確かなのだからな」
「……なるほど、つまりそれまでにあの糞ガキを殺せばいいのか」
「それも一つの手かもしれんな。では、若人よもう少し大人しく色恋を楽しめよ。いいな? 」
ナツは無視した。だがゼウスはそれを了解という風に解釈した。
「ではまたな」
ゼウスはそう言うと、不適に微笑んで背を向けて歩いて帰っていった。しかしナツの目が届かない場所まで移ると、慌てて雷の速さで元の場所に戻った。そこには未だ帰りを待っていたキリストがいた。
困惑した様子でキリストは言った。
「どうでしたか、ゼウス様?」
ゼウスはわざとらしい沈黙をつくった。そして、「そうだなあ」とか、「いやあ、大変だった」とか言って答えを待つキリストを散々焦らし、最後に厳かに胸を張ってようやく答えた。
「しかし奴も改心したようだ。私の手にかかれば、ナツの横柄な態度も畏まったものに変わったよ。ははは、あれぐらいだったら私の若い頃に比べたら可愛いもんだろうな。ま、これにて万事解決というところだ」




