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第99話

「白血病、ですか?」


 医師の口から出た病名に、十六夜一美いざよいひとみは戸惑った。なにしろ、元々弟が入院した理由は、右足骨折に過ぎなかったのだから。


「ええ、ご存じかもしれませんが……」


 担当医はそう前置きすると、白血病について十六夜に説明した。


「……つまり九十九は、ドナーが見つからなければ助からない。仮に見つかったとしても、骨髄移植で確実に助かるとは限らない、ということですか?」


 思いもよらない医師の告知に、十六夜は鼻白んだ。


「そういうことです。世間では適合する骨髄を移植しさえすれば、即完治すると思っておられる方もいるようですが、そういうわけではないのです」

「そんな……」


 一昨年、交通事故で両親を失った十六夜には、もう家族は弟の九十九しかいない。その九十九まで失うなど、十六夜には考えられなかった。


「……ただ、ひとつだけ、弟さんを確実に完治させる方法があります」


 担当医はそう言うと、メモ用紙を十六夜に手渡した。


「これは?」

「それは常盤総という実業家の住所です。その気があるなら、そこに行ってみてください。くわしいことは言えませんが、もしその人の眼鏡にかなえば弟さんを助けることができるかもしれません」

「わ、わかりました」


 十六夜は担当医の厚意に感謝し、週末メモに書かれた住所へと出向いた。


「ここ、で、いいんだよね?」


 メモに書かれた住所にあったのは、十六夜が今まで見たこともないような豪邸だった。

 そしてインターホン越しに用件を告げた十六夜は、客間に通された。そこで、


「!?」


 十六夜は目の前に広がる光景に思わず足を止めた。

 というのも、案内された客間には、漫画やアニメのポスタ-が部屋中に、それこそ天井に至るまでビッシリと張られていたのだった。


「驚いたようだね」


 十六夜が呆然としていると、背後から男性の声がした。振り返ると、そこには50代半ばの男性が立っていた。


「よく来たね。私が常盤総だ」


 常盤と名乗った人物は、身なりこそ白いシャツとグレーパンツの軽装ながら、その落ちついた立ち居振る舞いは、大グループトップの貫禄を漂わせていた。


「い、十六夜一美です。ほ、本日はお忙しいなか、わざわざお時間を割いていただき、まことにありがとうございます」


 十六夜は、あわてて頭を下げた。


「そう畏まらなくていい。何も取って食おうというわけではないのだからね」

「は、はい、すいません」


 十六夜は恐縮した。


「まあ、困惑するのも無理はないか。なにしろ、いい年をした中年親父の自宅が、漫画やアニメのグッズで埋め尽くされているのだからね」


 常盤は自虐的な笑みを浮かべた。


「あ、いえ、そんな、わたしは別に」

「だがね!」


 常盤は身を乗り出した。


「私は、私のこの趣味に誇りを持っているのだよ! 皆、漫画やアニメと言えば、子供が見るものだと軽視しがちだが、見たまえ! 昨今のドラマや映画を! 漫画を原作にしているものが乱立しているではないか!」


 常盤は熱く拳を握り締めた。


「これはどういうことか!? それはすなわち、一昔前の制作者には、漫画を大人が見るに値するものにまで昇華させる才覚がなかっただけ、ということなのだよ!」


 常盤は鼻息を荒げた。


「にも拘わらず、そんな脳死状態の能無しどもの情報操作によって、世間には漫画やアニメは子供が見る幼稚なものだ、という先入観念が根強く植えつけられてしまったのだ! その結果、いまだ日本人のなかには、漫画やアニメ愛好者をオタクとして卑下する傾向が見受けられる! 実に嘆かわしいことだ!」


 常盤は目頭を押さえた。


「だが! その傾向も、近年払拭されつつある。当然のことだ。日本のアニメや漫画、いや、あえて言おう! 日本のオタク文化は、他のどの国よりも優れているのだから! それは最新技術云々の話だけでなく、日本語という言語がオタク文化を発展させるうえで、もっとも適した言語だからなのだ!」

「日本語が、ですか?」

「その通り! そのいい例が一人称だ!」


 常盤は爪先立ちで身を反らすと、十六夜に人差指を突きつけた。


「一人称?」

「そうだ。考えてもみたまえ。日本語の一人称には、それこそ数え切れないほどの数がある。パッと思いつくだけでも「ぼく」「おれ」「わし」「わたし」「あたし」「わたくし」古典的なところでは「それがし」「せっしゃ」「まろ」「われ」「よ」その他にも地方の方便や外国の一人称だって使おうと思えば使える。それに加え、文章にした場合には、平仮名、カタカナ、漢字と書き分けることができ、その各々において読み手に違う印象を与えることができるのだ。こんな多種多様な一人称が存在する言語は、日本語をおいて他にはない! わかるかね? すなわち日本語は、エンタメにおけるキャラ立てという点において、諸外国の追随を許さぬ、まさにキングオブ言語なのだよ!」


 常盤は、そう熱く語り終えたところで、ようやく自分が暴走していることに気づいた。


「いや、あー、まあ、その、なんだね」


 常盤はバツが悪そうに、咳払いを繰り返した。


「すまないね。少々話が逸れてしまったようだ」


 常盤はソファーに腰掛け、十六夜にも座るよう促した。


「えー、それでだね。大まかな話は若井君から聞いているが、なんでも白血病の弟君を助けたいのだそうだね」

「は、はい、それで先生が、あなたなら弟を助けることができると聞いて、それで」

「よろしい。では君の頼みを聞くかどうか、ひとつテストさせてもらおう」

「テスト、ですか?」

「なに、テストと言っても、数学や物理のテストじゃない。これだ」


 常盤は飾り棚からチェス盤を取り出した。


「チェス、ですか?」

「そうだ。これで私と勝負をして、もし君が勝てば君の願いを聞き届けよう。ただし負けた場合は、この話はなかったものとする。どうだね? 受けるかね?」

「はい、やります」

「いい返事だ。それと、白(先攻)は私がもらうよ。試合だと黒(後攻)のほうが不利だが、それで私に負けるようでは話にならないからね。いいかね?」

「はい、かまいません」

「よろしい。では始めよう」


 2人はチェス盤に駒を並べると、まず常盤が中央のポーンを動かした。そして次の手番、十六夜も中央のポーンを前進させる。

 チェスは両親の影響で子供の頃から慣れ親しんでいたから、ある程度の定石は頭に入っている。なにより、弟の命が懸かっている勝負で負けるわけにはいかなかった。

 だが常盤の腕も上級レベルで、両者の勝負は一手のミスが命取りになる厳しい攻めぎ合いとなった。しかし、


「チェックメイト」


 最後は弟を思う十六夜の気持ちが常盤を上回った。


「ふむ……」


 常盤は満足げにうなずいた。


「いいだろう。約束通り、君の願いを叶えてあげよう」

「ほ、本当ですか?」


 十六夜は目を潤ませた。


「もっとも、私が君に与えるのは、あくまでも君の弟君が助かるチャンスに過ぎないのだがね」

「あの、それはどういうことですか?」


 十六夜は眉をひそめた。


「君の弟君の病気は、確かに我が社が開発した技術を用いれば必ず治る。それは保障しよう。ただし、それはあくまでも副産物的な効果であり、結果として白血病も完治するに過ぎないのだよ。はっきり言うと、我が社が成功させた研究は不老不死なのだよ」

「不老不死?」


 十六夜には、常盤の言っていることがわからなかった。いや、不老不死の意味自体は知っていたが、そんなことが現実に可能とは思えなかったのだった。


「現代科学が日進月歩なことは、君も知っているだろう。そして人類は、その科学力をもって、ついに人類の長年の悲願であった不老不死を現実のものとしたのだよ」


 常盤の口調は淡々としており、そこに嘘偽りは感じ取れなかった。それでも、すぐには信じられない話だった。


「信じられないかね?」

「だって、そんなことニュースで一言も」

「それはそうだ。このことは、まだ一部の有力者にしか知らされていないからね」

「じゃあ、もうすぐ発表されるんですね?」

「いや、当分の間、このことが世間に発表されることはない」

「どうしてですか?」

「この不老不死の法には、ある問題があるからだよ」

「ある問題?」

「そうだ。この技術を用いれば、人は確かに年老いることなく永遠に生きることができる。だがそのためには、ある行為をし続ける必要があるのだよ」

「ある行為?」

「食事だよ」

「それの、どこが問題なんですか?」


 生きるために食事をする。そんなことは当たり前のことであり、十六夜には取り立てて問題視するようなことには思えなかった。


「わからないかね? だが、君も現代の食料危機の話ぐらいは聞いたことがあるだろう?」


 常盤にそう言われ、十六夜にも話が見えてきた。


「わかったようだね。そう、昨今よく言われているように、現在この世界は深刻な食料危機に直面している。日本にいる君には今いちピンとこないかもしれないが、今このときも世界では飢餓により多くの人間が命を落としているのだ。現在、地球の人口は100億を超えようとしているが、この地球には100億の人口を支えるだけの食料はないのだよ」


 その話は、十六夜も聞いたことがあった。


「そんな状況下で、もしこの不老不死の方法が公になったらどうなると思う? 人は死ぬことなく増え続け、しかしその増えた人口を養うだけの食料がないとなれば」

「みんな、飢え死にしてしまう?」

「最終的には、そうなるかもしれないね。だが、その前に食料を求めて人同士の略奪や殺し合い、果ては戦争へと突入する可能性が高い。不老不死を手に入れた人類が、その不死を失わないために殺し合うなど、ナンセンスだと思わないかね?」

「そう、ですね」

「だからこそ、この事実は現在のところ、世間には秘匿とされているのだよ。そして、それは全人類を飢えさせなくて済むような画期的な食料の生産法か、それこそ食事の必要がない、本当の不死の法が発見されるまで変わることはないだろう」

「それじゃ」


 鼻白む十六夜を、常盤は右手で制した。


「落ち着きたまえ、十六夜君。確かに、この不老不死の方法は世間には秘匿とされた。だが、その一方で有力者たちはその立場を利用して、自分たちだけは不老不死の恩恵に預かることにしたのだよ」

「え?」

「不完全でも不死は不死。完全な不死の法を待つにしても、その前に自分の寿命が尽きては元も子もない。ならば不完全でも不老不死となっておき、もし完全な不老不死の方法が発見されれば、そのとき改めて完全な不老不死になればいい。特権階級にある人間たちは、そう考えたのだよ。富裕層でもある彼らにとっては、毎日の食事に事欠くことなど考えられないし、自分たちだけが不老不死となるだけなら、世界の食料事情も関係のない話だからね」


 常盤の話は理不尽なものだった。しかし、それが現実の社会だということを、すでに十六夜も理解できる年になっていた。


「まったくもって、身勝手で不愉快な話だ。そこで私は、彼らにひとつの提案をしたのだよ」

「提案?」

「そうだ。あるゲームを行ない、そのゲームの勝者には彼らと同じ不死の恩恵を与える、というね。そして有力者たちも、この提案を受け入れた。それが戯れからなのか、残った良心からなのかはわからないがね」

「……それで、そのゲームというのは、どういうものなんですか?」

「盤ゲームだよ」

「盤ゲーム?」

「そう。だからこそ、君のチェスの腕前を見せてもらったのだ」

「それって、つまりチェスで勝てばいいってことですか?」

「いや、チェスはあくまで、このゲームの基本ゲームに過ぎない。君がこれから戦うゲームは「地球棋」。あらゆるゲームの頂点に立つ、究極の盤ゲームなのだよ」

「究極の盤ゲーム?」

「そうだ。このゲームは、確かにチェス盤を使って勝負する。ただチェスと違うのは、その駒のひとつひとつに、また別のゲームをセットする、というところなのだよ」

「セットする?」

「そうだ。たとえばビショップには将棋、クイーンにはオセロという具合にね。自陣の駒はキングを除いて15だから、プレイヤーは勝負の前に15のゲ-ムを選び、それを好きな駒にセットしておくのだ。そしてプレイ開始となるわけだが、チェスと違うのは、どちらかが相手の駒を奪いにいった場合、ただちに奪えるわけではないということだ」

「?」

「たとえば、こちらのルークが相手のポーンを奪いにいったとするね。そして、そのルークには将棋がセットしてあったとする。この場合、相手のポ-ンを奪うためには、改めて将棋で勝たなければならないのだよ」

「それって」

「そう、つまりこのゲームで勝つためには、ただチェスが強いだけではダメなのだ。チェスの地力はもちろんのこと、自分で決めた15のゲームと相手が決めた15のゲーム、計31のゲームによって勝敗が決するのだよ」

「31のゲームで」

「そうだ。そしてこの形式の場合、当然のことながら得意とするゲーム数が多いほうが有利となる。だが、互いのセットゲームすべてに精通している人間は、そうそういまい。そこで駆け引きが必要となってくるのだ。まず初めに、どんなゲームをどの駒にセットするか。そしてその駒を使い、いかに相手の力を封殺するか、というね」

「……セットするゲームは、なんでもいいんですか?」

「かまわんよ。将棋のような盤ゲームだろうと、トランプのようなカードゲームでも、それこそTVゲームでもいい。とにかく1対1で戦える、既存のゲームであればいい。ただし、テニスや柔道のようなスポーツ物はNGだがね」

「つまり、頭脳を競うゲームに限定されるわけですね」

「そういうことだ。この大会のコンセプトは、あくまでも「一般人でもセレブに匹敵するほど優秀な人間ならば、不死を得る資格がある」というものだからね。脳筋は、その対象外というわけだ。実に傲慢な話だがね」


 常盤は自虐的な笑みを浮かべた。


「さて、それでどうするかね?」

「え?」

「この不老不死の争奪戦に、君が参加するかどうかだよ。今言ったように、このゲームの勝敗は経験したゲームの数と、そのレベルによるところが大きい。未成年の君には、かなり不利な戦いとなることは間違いない。しかも、不死を手に入れることができるのは優勝者だけだ。出場枠こそ秘密漏洩の危険を最小限におさえるため250人と少なめだが、それだけに出場してくるのは腕に覚えのある強豪揃いになるだろう。それこそ一回戦で敗退して、ただ恥をかいて終わることにもなりかねない。それでもやるかね?」

「はい」


 十六は迷わず答えた。優勝できる自信などない。しかし、たとえわずかでも可能性があるのなら、あきらめるわけにはいかなかった。


「いい答えだ」


 常盤は目を細めた。


「それと、大会出場を許可するには、もう1つ条件がある」

「なんでしょうか?」

「大会期間中、君が我が家でメイドとして働くことだ」

「え?」

「この大会は、先に言ったような事情で秘密裏に進める必要がある。そのため君には大会期間中、我が家に滞在してもらい、無用な外出や不必要な外部との連絡は極力控えてもらいたいのだ。君のことを信用していないわけではないが、主催者である私の推薦者から秘密が漏れたとあっては、私としても立場がないのでね。むろん、その間の給与は保障させてもらう。どうかね?」

「わかりました。そういうことなら、ここで働かせてもらいます」


 ここまできて、十六夜に否応はなかった。


「よろしい。では、私の推薦枠で君を出場させてあげよう。大会の開催は1月後の6月20日だ。それまでの間、私が可能な限りサポートしよう。だから、がんばって優勝して弟君を助けてあげたまえ」

「はい! ありがとうございます!」


 十六夜は深々と頭を下げた。


 こうして十六夜の不老不死をかけた戦いは、その幕を開けたのだった。


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