第97話
そして、週が開けた月曜日の昼休み。
「ちょっと、どういうことよ、これは?」
屋上に上がったところで、秋代は異世界ナビを永遠長に突きつけた。本当は朝イチで問い詰めようと思っていたのだが、人目を考慮して昼まで我慢していたのだった。
「そこに書いてある通りだ。他に何がある」
永遠長は、異世界ナビの画面を横目に言った。その画面には、異世界ギルドからの告知として、
モスの時間を2年間巻き戻す。
それに伴い、全プレイヤーを一時的にモスから強制排除する。
さらに、巻き戻しにより記憶がリセットされたモス人のうち、プレイヤーとの間で恋人以上の関係を有していた者がいた場合には、プレイヤーの申請により関係の修復を行う。
以上のことが記されていた。
「2年間のリセットって何よ!? あたしたち、こんなこと一言も聞かされてなかったわよ!」
秋代は柳眉を逆立てた。
「それはそうだろう。言っていないものを聞いているはずがない」
永遠長は涼しい顔で答えた。
「そういうこと言ってんじゃないわよ!」
秋代の目から火花が飛び散る。
今朝までは、新イベントでの永遠長の凶行について、一言文句を言ってやろうと思っていたのだが、もうそれどころではなくなってしまっていた。
「やるならやるで、あたしたちに一言あって然るべきだって言ってんのよ!」
ここまで拗れたモス人と地球人の関係を修復するには、もはやアーリア帝国の侵攻そのものをなかったことにするしかない。
それは秋代も理解できるし、永遠長なら実行しても驚かない。
問題は、同じ異世界ギルドの運営である自分たちに黙って、事を進めたということだった。
「言って、何が変わるわけでもないものを、なぜ言わねばならんのだ」
「こんにゃろう」
秋代は握りしめた右拳を震わせた。
「まあ、いいわ。あんたの独断専行は今に始まったことじゃないし」
秋代は気を落ち着かせるため、軽く息をついた。実際、永遠長のやることにいちいち目くじらを立てていたのでは、体がいくつあっても足りなかった。
「問題は、リセットの方法よ。まさかとは思うけど、あんた、また創造主の力を使ったんじゃないでしょうね?」
「使っていない」
「使ってないって、じゃあ、どうやってリセットしたのよ?」
土門の「回帰」を使ったであろうことは、秋代にも想像がつく。だが星1つ丸ごとリセットするには、それこそ多大なエネルギーが必要となるはず。いくら永遠長といえども、それだけの力を1人でまかないきれるとは思えなかった。
「地球を含む他の異世界と連結して、星そのものから必要なエネルギーを供給した。ただ、それだけの話だ」
「星?」
秋代は、しばし呆けた後で我に返った。
「て、それって結局、創造主化したのと同じことじゃない!」
「確かに、世界のエネルギーを利用したという点では同じと言える」
「言える。じゃないわよ! それで、もし世界が崩壊してたら、どうする気だったのよ!?」
「崩壊しなかったのだから、問題あるまい。実際、創造主化するよりもリスクが少ないと考えたからこそ、この方法を選んだのだからな」
「そういう問題じゃなくて、そもそも世界のエネルギーを使うなって言ってんのよ。マジカリオンにもそう言われたって言ったでしょうが!」
「承知したと言った覚えはない。もっとも、あの話を聞いていなければ、今回も創造主化していただろうから、あの連中も満足だろう」
「あんたねえ」
「そもそも、あの連中が使うなと言ったのは、存在が不安定なディサースの力だろう。そして今回、俺はディサースの力は使っていないし、今後も他の異世界を含めて2度と使う気はない。今回は、あくまでも特例措置だ。こうなった、そもそもの原因は異世界ストアの前任者にあるからな。その後任として、その不始末を放置しておくのは企業倫理上、問題があった。だから仕方なく使った。ただ、それだけの話だ」
「まあ、そうなんだけど」
こうなったのも、すべては、あのチャラ男のせい。自分は、その尻拭いをしただけ。
そう言われてしまうと、秋代もそれ以上強く出れなかった。
「ちゅうか、そのリセットっちゅうのを、地球でやったらどうなんじゃ? そうしたら、弱っとる結界っちゅうのも元に戻るじゃろ」
木葉が言った。
「そ、そう言えばそうね。どうなの、永遠長?」
秋代は永遠長を見た。
「やらんし、できん」
永遠長の答えは素っ気なかった。
「やらんはわかるけど、できんてどういうことよ?」
「考えればわかるだろう。その結界が、どういう仕組みで形成されているかわからない以上、リセットを行うとしたら、モス同様惑星規模で行うしかない」
「それが?」
「そうなれば、当然、そこに住んでいる人間たちもリセットされることになる」
「あ……」
「それでは、結局のところ、また同じ歴史を繰り返すだけで、根本的な解決にはならない」
「た、確かにそうね」
「これを避けるためには、全人類を一時的に地球から退避させる必要があるが、そんな方法がどこにある? 全人類を宇宙船にでも乗せるのか? それとも、全人類に異世界ナビを持たせて、異世界に避難させるか? それだけの異世界ナビがあるという保証はないし、そもそもあったとしても先進国の人間ほど納得しないだろう。自分たちが、長年に渡って築き上げてきた文明機器や財産が一瞬のうちに消えてしまい、産業革命以前の状況に戻ってしまうのだからな」
「そんなこと言ってる場合じゃないと思うけど……」
言いそうだから始末が悪かった。
「じゃあ、星全体でなく、地表から内側にかけるっていうのは? 確実じゃないけど、それでうまく行けば、それはそれで儲けものじゃないかな?」
小鳥遊が提案した。
「そのときも、地下街は消滅することになる。そして高層ビルなどの建物は、当然のことながら土台の基礎によって支えられている。もし地上全土に回帰をかけ、建物の基礎部分が消滅してしまったら、その時点でビルは倒壊、多大な被害をもたらすことになる。何しろ、地表を行使する回帰の効果を人類が回避するためには、ビルのような高層建築物か、飛行機に乗るしかないからな。それとも、全員で山にでも登るか?」
「…………」
「そして、もっとも重要なことは、異世界の存在を公にしてまで、この世界の人間を助ける気など俺にはないということだ」
永遠長は言い捨てた。
「そうだったわね」
秋代は嘆息した。
「まあいいわ。とりあえず、この件は保留ってことにして、ここに書いてある「プレイヤーの申請で、関係の修復を行う」って、具体的にはどうするわけ?」
運営として告知してしまった以上、知りませんでした。嘘でした。では済まない。だが実際の話、2年間の記憶をなくしたモス人とプレイヤーの関係を修復する方法など、秋代は元より、小鳥遊にも思いつかなかった。
「簡単な話だ」
永遠長は、分離と回帰のコンボによる記憶の回復法を、秋代たちにも話して聞かせた。そして、その説明内容は、秋代に激しい頭痛をもたらすことになった。
「えーと、ちょっと待って」
秋代は永遠長の話を脳内で整理しようとした。が、不可能だったので、1番簡単な対処法を取ることにした。
「よし!」
考えるのを止めたのだった。
「とにかく、それで解決するわけね。なら、なんの問題はないわ」
秋代は頭を切り替えると、話を新イベントに移した。
「てか、あんたが新イベントを企画した本当の目的は、あれだったわけね」
最近のプレイヤーは、正当防衛を都合のいい免罪符と考えている。
おそらく永遠長はモンスターメーカーの一件で、ストア利用者たちの規約に対する意識が緩んでいると感じたのだろう。そして、その引き締めが急務であると考えた。
しかし、ただ注意を促したところで、ゲーム感覚で異世界に来ているプレイヤーたちが聞く耳を持つ可能性は低い。
そこでプレイヤーたちの耳目を引くために、新イベントを発表した。そうして、より多くのプレイヤーが競技場に集まるように仕向けたところで、規約違反者に厳罰を食らわせる。そのうえで、居合わせたプレイヤーたちに警告を与えることで、これ以上の規約違反者の増加を防ごうとしたのだ。そして狙い通り、永遠長が去った後のプレイヤーたちの肝は冷え切った。
「だから、最初からそう言っている。あのイベントを開催する目的は、プレイヤーたちのルールに対する意識を改めさせることだと」
永遠長は淡々と答えた。
「やり方ってもんがあるでしょうが! やり方ってもんが!」
柏川たちのことは、秋代も土門たちから聞いていた。話を聞く限り、ロクでもない奴だったようだが、いくらなんでもやりすぎだった。
「あれが俺のやり方だ」
永遠長は悪びれた様子もなく言い切った。
「てか、あいつらが都合よく現れたからよかったものの、じゃなかったら、どうしてたわけ? それとも、実はアレも、あんたの仕込みだったわけ?」
永遠長なら、やりかねなかった。
「そんなわけなかろう」
「じゃあ、どうしてたのよ?」
「決まっている。あの中で規約違反を犯していた者を吊るし上げるか、おまえが以前連れてきた3人を使っていた」
「……命拾いしたわね、あいつら」
と言いながら、少し見たかった気もする秋代だった。
「じゃなくて、アレのせいで、あんた今やプレイヤーの間じゃ完全に悪逆非道の大魔王ポジションになっちゃってるわよ。それでなくても元から評判悪いのに」
帰っていくプレイヤーたちは、競技中の熱気はどこへやら、それこそお通夜状態だった。
「問題ない。他人に好かれたところで、なんの意味もない。むしろ馴れ合いは妥協を生む苗床であり、妥協は世界を歪める温床でしかない」
永遠長は言い捨てた。
「で? 妥協しなかった結果、テネステア教会の本部を襲撃したわけ?」
秋代は皮肉った。
昨日、土門がロセから聞いたところでは、異世界選手権の前夜、テネステア教会の本部が何者かに襲撃されて教皇が殺されたのだという。そして、直後に世界がリセットされた。
このタイミングで、そんな真似をする人間は世界に1人しかいなかった。
「悪巧みしてたのは教団でしょ? なのに教会の人間を手に掛けるなんて何考えてんのよ、あんたは?」
秋代は永遠長に冷ややかな視線を送った。
「何を当たり前のように、俺が殺したことを確定事項として話を進めている」
永遠長は不本意そうに切り返した。
「まあ、あんたのことだから、教会の教皇が教団の黒幕だったとか、新イベントの邪魔しようとしたから始末したってところなんでしょうけれど」
「だから俺が殺したことを前提に、話を進めるなと言っている」
「異世界人に危害を加える奴は、誰であろうと許さん! てタンカ切った張本人が、実は直前に異世界人殺してたなんて、説得力がないにも程があるでしょうが」
息巻く秋代に、
「俺は、異世界人に危害を加えること、それ自体を否定した覚えはない」
永遠長は言い捨てた。
「それが、本当に正当防衛であると俺が納得すれば咎めはしない。そう言ったはずだ」
「やっぱり、あんたが犯人なんじゃない」
白い目を向ける秋代に、
「誰も、そんなことは言っていない」
永遠長が憮然と言い返す。
「そんなことよりも、おまえたちにはおまえたちで、地球方面の担当としてやるべきことがあるだろう」
「やるべきこと?」
「地球の治安を維持することだ。一昨日の一件でわかったろうが、悪魔に取り込まれた連中は、人類抹殺のために本格的に動き出そうとしている。もしおまえたちが、本当に地球人の平和を守りたいと思っているのであれば、異世界での揉め事を気にする前に、契約者や歪んだ救済者の動向にこそ注意を払うべきだろう。今のおまえたちは、力の入れどころを完全に間違えている。人のやることにケチをつけている暇があったら、自分のすべきことに注力しろ」
寺林の話を信じるならば、復活チケットを持たずに焼身自殺した柏川は、あの時点で異世界のことを忘れているはずなのだった。しかし再び現れた柏川は、土門たちのことを覚えていた。ということは、考えられる可能性としては、寺林が嘘をついていたか、でなければ誰かが失われていた柏川の記憶を蘇らせた、ということだった。そして、もしそうならば、そんな人物が地球や異世界に好意的であるとは、とても思えなかった。
「それとも、また「誰かがなんとかしてくれる」と、他力本願するつもりか」
永遠長は皮肉った。
「だとすれば、異世界ギルドの運営など続ける価値も資格もない。辞めて、一般人として暮らしていろ。そうすれば魔物が復活するまでの間は、平和に暮らしていられる。それこそ、うまくすれば何事もないまま、天寿を全うすることもできるかもしれん」
「自分の命運を、運や他人に預けるなんて冗談じゃないわね」
秋代は毅然と言い返した。
「ま、あんたとしちゃ、あたしたちが異世界ギルドを辞めたほうが、好き放題できていいんでしょうけどね」
「何を自惚れている。おまえたちがいようといまいと、俺の行動は何も変わりはしない。今のおまえたちの存在など、その程度のものに過ぎん」
永遠長は傲岸不遜に言い捨てた。
「悪かったわね、弱くて」
「わかってるなら、せいぜい強くなることだ。「女神の大迷宮」も復活したことだしな」
何気なく言った永遠長の言葉に、
「今、なんちゅうた、永遠!?」
木葉が食いついた。
「気付いていなかったのか。モスの時間は2年前まで戻った。ということは、当然「女神の大迷宮」も復活したということだろう」
「なんじゃとお!」
木葉の目の色が変わる。
「自分の手で攻略したかったんだろう。女神の大迷宮を」
「うおっしゃあああ!」
木葉はズボンのポケットから異世界ナビを取り出したが、
「だから!」
秋代に取り上げられてしまった。
「返せ、春夏!」
「返すわけないでしょうが。これは放課後まで没収よ」
「こうしとる間にも、誰かが攻略してしまうかもしれんのじゃぞ!」
「何百年も、誰も攻略できなかったダンジョンなんでしょ。そんな今日明日で攻略されやしないわよ」
「そう言うてて、されたらどうするんじゃ!?」
「決まってんでしょうが。あきらめんのよ」
「嫌じゃ! 返せ! わしは今すぐ大迷宮に挑戦するんじゃ!」
木葉は秋代の持つナビへと手を伸ばすが、
「転移付与」
また異世界ナビを別の場所に瞬間移動されてしまった。
「あああああ……」
露骨にショボくれる木葉を見て、
「とに、しょうもない」
秋代が嘆息する。
「だいたい、あんたは余計なこと言うのが悪いのよ。今そんなこと言ったら、こいつがどうするかわかりそうなもんでしょうに」
秋代は永遠長に非難の眼差しを向けた。
「知らんし興味ない」
永遠長は言い捨てた。
「だが、余計ついでに言っておくなら、女神の大迷宮は長く深い。だから、当然ながら攻略には時間がかかるし、そうなれば当然ながら用を足したくなる」
「何、いきなり?」
秋代は眉をひそめた。
「だが、そのときは必ず所定の場所で済ませることだ」
女神の大迷宮には、各階ごとに必ずトイレが備え付けられていて、その中だけは安全地帯となっている。そのため、そこで食事をしたり休憩場所にしている人間も多いのだった。
「もしこれを破り、所かまわず小便やクソをしようものなら、その瞬間に大迷宮から強制排除され、2度と挑戦できなくなる。後でどんな弁明をしても無駄だから、せいぜい気をつけることだ」
永遠長の説明を聞き、全員の視線が木葉に集中する。
「なんじゃ、その目は?」
「あんたが1番、ヤバそうってことよ」
秋代が全員の思いを代弁したところで、予鈴が鳴った。
「話は以上だ」
そう言うと、永遠長は秋代たちを尻目に屋上を後にしたのだった。




