第91話
風花と名乗った女が消えた後、
「なんだったんだ、あの女?」
真境は混乱の極みにあった。楽楽の言動もたいがいだが、あの風花という女の言動は、それ以上に意味不明だった。そんな真境の疑問を、
「どうでもいい」
永遠長は一言で片付けた。
「どうでもいい? どうでもいいということはないだろう」
真境は聞きとがめた。
「あの女は、その子の母親になりすまして、人間を妖怪にしようとしていたんだぞ。もしかしたら、この世界を狙う魔物の先兵なのかもしれん」
先に復活した魔物の中ボスが、魔王を復活させるためにアレコレ画策するのは、ファンタジーの常道なのだった。
「だとすれば、それはこの世界を守ろうとする人間たちが考えることであって、俺が関与する事柄じゃない」
「貴様と言う奴は」
真境は渋面を作った。
「さっきのヤクザの話にしても……いや、それはいい」
真境は口をつぐんだ。どうせ訊いても、シラを切られるのが関の山。なら、訊くだけ時間の無駄というものだった。
「おまえも、どうにもならんことに頭を使っている暇があったら、強くなることだけを考えろ。あの女はともかく、あの程度の妖怪どもに苦戦しているようでは話にならん」
「ぐ……」
あれだけ苦戦していた妖怪たちを、目の前で一掃された真境としては返す言葉がなかった。
「しかし、今さらながら貴様の力は便利過ぎだろ。他人の力が自由に使えるなど、チートにも程がある」
真境としては、そう負け惜しみを言うのが精一杯だった。
「俺はチートじゃないと言っている」
「貴様がチートでなければ、誰がチートだと言うんだ。て、聞いてるのか、貴様!?」
真境は永遠長に呼びかけたが、永遠長は意に介さず、
「いつまでそうしている?」
楽楽に話しかけた。その楽楽は、いまだ呆けたまま、
「ママ……」
その場にヘタり込んでいた。
「そこで、いくら母親を呼んだところで、いなくなった人間が戻って来ることはないし、死んだ人間が生き返ることもない」
永遠長は楽楽に容赦ない現実を突きつけた。
「貴様、この子は、まだ小さいんだぞ。もう少し言い方というものを考えろ」
真境は楽楽に聞こえないよう、永遠長に小声で注意した。
「関係ない。子供だろうが障害者だろうが、自分がどう生きるかを決められるのは自分だけだ」
永遠長は言い捨てた。
「ママ、楽楽のこと、いらない子だって……」
「それがどうした。他人に不要だと言われたとしても、そんなことはそいつの都合でしかない。それで自分という存在が消えるわけでも何が変わるわけでもない」
永遠長は淡々と答えた。
「貴様の人生観、そのものというセリフだな」
真境は、しみじみ言った。
「重要なのは、おまえがおまえ自身を必要としているか。生きて何がやりたいか。ただ、それだけの話だ。他のことなど、どうでもいい。そもそも親など子供を残して先に死ぬ。子供の踏み台でしかない」
ミもフタもないな。
真境は、心底そう思った。
「楽楽が、したいこと?」
楽楽は少し考えた後、
「ママに会いたい」
ポツリと言った。
「ならば死ねばいい。そうすれば会える」
永遠長は即答した。
「おい! ちょっと待て、貴様!」
真境が永遠長の肩を掴む。
「死んだら、ママに会えるの?」
楽楽は永遠長を見上げた。その目には、かすかな光が戻っていた。
「母親が、すでに転生していなければ会えるだろう」
永遠長は真顔で答えた。
「理由はなんであれ、おまえの母親が女手1つで、そこまでおまえを育てたのは事実。そしておまえも結果はどうあれ、世界のために動いていた。ならば、どちらも地獄行きにはならないだろうから、今追いかければ、おそらく会えるだろう」
「会えるだろう。じゃない!」
真境は語気を強めた。しかし永遠長はかまわず、
「だから死にたいというのなら、俺が苦しませずに逝かせてやろう」
「おい。ちょっと待て」
「だが、その前に試してみたいことがある」
永遠長はそう言うと、楽楽の頭に手を置いた。
「何をする気だ、貴様?」
真境が永遠長に疑いの目を向ける。
「こいつと母親とは、気持ちはどうあれ血の繋がった親子だろう。なら連結の力を使えば、こいつの母親が今どこにいるかわかる可能性がある」
「…………」
「見つけた」
居場所からして、まだ転生はしていないようだった。
「今、呼び出してやる」
永遠長は招魂の呪文を唱えると、光の魔法陣の上に楽楽の母親の霊魂を呼び出した。
そして現れた母親の幽霊を見て、
「ママ!」
楽楽の顔に笑顔が戻る。しかし反対に、
『ギャアアアアアア!』
楽楽に気づいた母親の顔は恐怖で引きつった。
『な、なんで、あんたがいるのよ!?』
楽楽の母親は後ずさった。
「ママ?」
『ひっ! よるな、化物!』
楽楽の母親は近づいてくる娘を振り払った。
『なんなのよ!? どこまで、あたしに付きまとえば気が済むのよ! やっと解放されたと思ったのに! あたしが一体、何したってのよ!?』
楽楽の母親は顔を手で覆った。
「ママ?」
『よるなって言ってんだろ、この化物が!』
楽楽の母親は憎々しげに娘を睨みつけた。
『何もかもあんたのせいよ! あたしが死んだのも! あいつが出て行ったのも! 近所の連中に白い目で見られたのも! なにもかも! 全部! 全部! あんたが悪いのよ!』
「ママ」
『あっち行け! この化物! おまえなんか、あたしの子じゃない! 鬼! 悪魔! おまえなんか、さっさと殺しとけば、いや、産まなきゃよかったんだ! そうすりゃ、あたしがこんな目に合うこともなかったのに! もう嫌よ! なんであたしばっかり、こんな目に!』
「ママ」
それでも追いすがろうとする楽楽に、
『全部おまえのせいだ!』
母親は憎しみを叩きつけた。そして、
『おまえさえいなければ!』
楽楽に襲いかかり、その首を締め上げる。
「マ、マ……」
それでも楽楽は抵抗することなく、
「楽楽は…いらない…子なの?」
悲しげに、そう問いかけるのみだった。
『そうさ! おまえさえいなければ、あたしは!』
楽楽の母親は、苦しむ娘の顔を見て笑みを浮かべる。その横面を、
『が!?』
永遠長が蹴り飛ばした。
「おまえの気持ちはよくわかった」
永遠長は楽楽と母親の間に割って入った。
「おまえがいらんと言うなら、こいつは俺がもらおう。それでいいんだな?」
永遠長は楽楽の母親に詰め寄った。
『あ、ああ、どうにでも勝手にしやがれ』
楽楽の母親は吐き捨てた。
『けど、どうなっても、あたしは知らないからな!』
楽楽の母親は、そう捨て台詞を吐くと永遠長たちの前から姿を消した。
「おまえの願い通り、母親に会わせてやったがどうする? まだ母親の後を追いたいか?」
永遠長は楽楽の前に立った。すると楽楽は、
「……ママ、楽楽のこと、いらないって……」
呆けた顔で同じ言葉を繰り返していた。その虚ろな目には、もはや永遠長たちの姿は映っておらず、声も聞こえていない様子だった。
「おい、これじゃ振り出しに戻っただけ、いや前より酷くなってるじゃないか。どうするんだ、これ!?」
真境は永遠長にささやいた。
「母親に会いたいと言ったのは、こいつだ。俺は、その願いを叶えてやったまでのこと。文句を言われる筋合いはない」
永遠長は悪びれもせず言い切った。
「き、貴様と言う奴は……」
呆れ果てる真境には目もくれず、永遠長は楽楽を抱き上げた。
「だが、確かにこのまま捨て置くわけにもいかん。とりあえず正気に戻るまで、うちで預かるとしよう。一応、母親の許可も取ったことだし問題あるまい」
「大ありだろうが」
「なら、おまえが面倒を見るか?」
「できるか!」
真境の家には、共働きとはいえ両親がいる。そんなところに見ず知らずの少女を連れ込むなど、できるわけがなかった。
「なら黙っていろ。責任の伴わない偽善者の綺麗事など聞くに値しない」
永遠長はそう言い捨てると、楽楽を連れて姿を消してしまった。
「お、おい!」
1人、河川敷に取り残された真境は周りを見回した。
「て、ここは、どこなんだ?」
見知らぬ場所に置いてきぼりを食らった真境は、その後、スマホを頼りになんとか家に帰り着いた。そして、改めて心に誓ったのだった。
あの男は、いつか必ず殺してやる、と。




