第77話
翌日、秋代たちはテネステア教会の本部、ではなく、アーリア帝国とフーデンベルム神聖王国を分かつ国境となっている、イシュレイ山脈の麓にいた。
その理由は、入手したメダルにあった。
あの後、秋代たちは帝都の道具屋に聖印を鑑定してもらったのだが、そこで道具屋の親父に、あのメダルは本物のテネステア教の聖印は聖印だが、正確にはテネステア正道教会から分派した、テネステア真正教団のもの、と言われたのだった。
道具屋の親父の話によると、真正教団は「不信心者や不心得者は悪として、容赦なく処断するべき」とする過激思想のために、正道教会を破門された者たちが結成した教団らしかった。当然ながら、そんな連中は正道教会からしてみれば異端者であり、粛清の対象となった。そのため粛清を恐れた真正教団は、正道教会の手の届かない地へと落ち延び、その行き着いた先がイシュレイ山脈である、と。
もっとも、道具屋の親父の話だと、これさえも噂の域を出ないもので、実際に正道教団の本部を見た者は1人としていない、ということだった。
しかし他に手がかりがあるわけでもなく、秋代たちはイシュレイ山脈まで、とりあえずやって来たのだが、
「ここの、どっかって言われてもねえ」
眼前に横たわる長大な山々を見上げ、秋代はしみじみ言った。
「じゃから、永遠も連れて来ればよかったんじゃ。永遠の力なら、あのメダルから敵のアジトも突き止められたじゃろうに」
木葉が不満を漏らした。
「言ったでしょうが。それはないって」
木葉の言う通り、確かに永遠長なら犯人の居場所は突き止められた可能性は高い。だが、その場合、永遠長は単身アジトに乗り込んで、この一件の関係者を皆殺しにしかねなかった。
たとえ人死にを出すとしても、被害は最小限で止めるべきであり、そのためにも「邪魔する奴は皆殺し」がモットーの永遠長は、この一件には関与させるべきではないと判断したのだった。
「まあ、いいわ。登ってったら、どうせ向こうから出てくるでしょうから」
これは秋代の推測ではなく、これまでの状況からの確信だった。そして、その確信通り、100メートルも進まないうちに、複数のモンスターが襲いかかってきたのだった。
「みんな、気をつけて!」
秋代は剣を引き抜いた。
襲来したモンスターの数は、全部で20体。そのすべてがライオンの体に、ドラゴン、ヤギ、ライオンの三つ首、背中にはドラゴンの羽を生やし、尻尾は蛇になっていた。
「いわゆるキマイラってやつね」
秋代の記憶では、モンスターのなかでもかなり強い部類のはずだった。
「秋代さん!」
土門が呼びかけた。
「この世界に、この手の合成獣はいないはずです! だから、このモンスターたちも、きっと昨日のレイスと同じように人間がモンスター化されてるんだと思います」
「みたいね。なら、ここは」
秋代は小鳥遊を見た。すると、すでに小鳥遊はキマイラの動きを封じ込めにかかっていた。
しかしレイスとキマイラでは、その運動能力に大きな開きがある。しかも、キマイラは封印を警戒しているのか。高速で動き回り、小鳥遊に狙いを絞らせないようにしていた。そのため小鳥遊も苦戦を強いられたが、それでも十数分後には、なんとかすべてのキマイラを人間に戻すことに成功したのだった。
「今度は消えんみたいじゃな」
元キマイラたちを眺めながら、木葉が言った。
「今日モンスターにされてたのは、全員地球人だからでしょ」
秋代が答えた。元キマイラの半数は人間に戻った時点で意識があり、その話を聞く限り、全員地球人らしかった。
「昨日、あいつらが消えたときは口封じされたのかと思ったけど、あれは気体状のモンスターかなんかに変えることで、あいつらを逃したのね」
だが、地球人を助ける必要はない。だから消えることもなかった。
もっとも、それならそれで口封じされそうなものだったが、そうされなかったのは、ここで殺したところで地球に戻るだけなのがわかっているからだろう。
「とにかく、このままにしとくわけにはいかないわね」
秋代はそう言うと、木葉を連れて街まで転移した。そして街で人数分の衣服と靴を調達すると、再びイシュレイ山脈に戻った。
「たく、なんか最近、こんなことばっかしてるわね、あたし」
秋代はボヤきながら、元キマイラたちに服を配っていった。
そして全員の着替えが済んだところで、秋代たちは元キマイラたちに改めて事情を聞いた。すると、大半人間は突然モンスターに襲われた後の記憶がなかったが、3人だけモンスター化される寸前の記憶が残っていた。そして、その3人の話のよると彼らをモンスター化したのは、教団の最高位である大司教ということだった。
「クッソー、フザけやがって、あいつら」
3人から事情を聞いた残りのメンバーが、教団への怒りを顕にする。
「ゼッテー許せねえ! ブッ殺してやる!」
いきり立つ20人に、
「気持ちはわからないでもないけど、そのナリで何ができるってのよ?」
秋代は冷めた目を向けた。実際、20人は秋代たちが調達してきた服以外、なんの装備もないのだった。
「だ、だからって、このまま泣き寝入りできるかよ!」
20人のうち、もっとも血の気の多い黒鉄拓斗が声を上げたが、
「でも、確かにそうだよな」
他の面々の熱は急速に冷めていった。
「お、おまえら、悔しくねえのかよ?」
黒鉄が煽るが、
「そりゃ悔しいけどさ」
やはり他の面々の腰は重かった。そのなかで、
「私は彼に同意する」
真境司だけが、黒鉄の考えを支持した。
「お、話がわかるじゃねえか」
黒鉄は嬉しそうに白い歯を見せた。
「勘違いするな。私が反対しているのは、もっと切実な理由だ。より正確に言うならば、帰らない、のではなく、帰れないのだよ」
「ど、どういうことだよ?」
「わからないのか? 今の私たちは丸裸。なんの装備もない。つまり帰るために必要な、異世界ナビも持っていないのだよ」
真境の言葉に黒鉄たちは鼻白んだ。
「そ、そう言えば……」
「ナビがなきゃ、帰れねえじゃん」
「え? なきゃ、帰れないの? タイムリミットが来たら自動的に帰れるんじゃないの?」
動揺する黒鉄たちを横目に、
「小鳥遊さん、知ってる?」
秋代は例によってパーティーの知恵袋に丸投げした。
「規約通りなら、タイムリミットがきたら自然に戻れるはずなんだけど、もしナビが破壊されたり、封印されてたりしたら戻れないかも。永遠長君がモスから戻れなくなったのも、この世界が封印されてたからでしょ? それと同じ要領でナビが封印されてれば、帰れない可能性は十分あると思う。実際、この人たちの話を聞く限り、異世界チケットのタイミリミットが過ぎてる人も、まだこっちの世界に残ってるみたいだし」
冷静に分析する小鳥遊たちの話を聞き、黒鉄たちは鼻白んだ。
「じゃ、じゃあ、もしナビが壊されてたら、オレたちずっと帰れねえのかよ」
黒鉄は小鳥遊に詰め寄った。
「落ち着きなさいって。まだ壊されたと決まったわけじゃないんだし、壊されてたら壊されてたで、運営に言って新しいナビを調達してもらえばいいだけなんだから」
秋代は淡々と言った。
「運営には、あたしたちが知らせとくから、あんたたちはとりあえず山を降りなさいな」
「悪いが、それはできないのだよ。助けてもらっておいてなんだが、今日会ったばかりの君たちを、そこまで信用することはできないのでね」
真境が言った。
「それに見たところ、君たちの目的も教団のようだが、アジトの正確な場所はわかっているのか?」
「それは、まだだけど」
「なら、なおさらだ。私は奴らのアジトを知っている。時間短縮のためにも、連れて行って損はないと思うが?」
「え?」
「そもそも、私が奴らに捕まったのは教団本部を突き止めるという、クエストを受けたからだからな」
「あ、それ、オレたちもだ。な」
黒鉄が言い、仲間3人もうなずいた。
「なるほどね。そうやって、カモを誘き寄せて拉致ってたわけね」
「それに」
真境は、そう前置くと自分の周りに結界を張った。
「見ての通り、自分の身は自分で守れる。あのときは不意を食らって不覚を取ったが、同じ轍は踏まん」
「だったら、オレも行くぜ!」
黒鉄が名乗りを上げた。
「そいつに結界があるなら、オレにはコレがある」
黒鉄は右腕を突き出した。すると、その上腕が鉄に変化した。
「後、武器も取り返さなきゃなんねえしな。せっかく苦労して手に入れた王器。奴らに奪われたまんまにしてたまるかよ。ゼッテー取り返してやる」
黒鉄は仲間たちを見た。
「て、ことだから、おまえらは麓で待ってな。オレが、おまえらの武器も取り返して来てやっからよ」
「いや、おまえが行くならオレたちも行くよ。なあ」
「そうだよ。ボクたち仲間なんだから」
「仕方ないね。焔は言い出したら聞かないからね」
仲間3人も同行を希望し、それ以外にも2人が同行に名乗りを上げた。
「たく、しょうがないわね」
秋代は肩をすくめた。
「土門君、悪いけど、全員連れて1度帝都に戻ってくれない」
「え?」
「さすがに、この人数は連れてけないでしょ。だから1度帝都に戻って、全員の装備を調達すんのよ。手間だけど、そのほうが話が早そうだわ」
「そうですね。わかりました」
土門は手提げ袋から転移アイテムを取り出すと、全員を連れて帝都に転移した。そして1時間後、黒鉄たちは装備を整え、秋代たちも自宅で夕食を済ませたところで、
「さて、そんじゃ行きましょうか」
一行は真境の先導で改めてイシュレイ山脈に向かった。そして真境が転移アイテムで到着した先は、イシュレイ山脈の山間らしき峡谷だった。
「あれが教団のアジトなわけね」
月明かりのなか、秋代は岩陰から巨大な洞穴を覗き見た。すると、洞窟の入り口には神殿のような柱が立ち並び、その両端には見張りらしき男が2人立っていた。
「じゃ、行くわよ、正宗」
秋代は自分の胸と木葉の肩に手を置くと、
「転移付与」
洞窟の入り口へと転移した。そして速攻で見張りを殴り倒すと、そのまま洞窟内に踏み込んだ。真境の話によると、この先には大聖堂として利用している空洞があり、大司教はその大聖堂の奥にいるらしかった。
秋代たちは罠を警戒しつつ、慎重に歩を進めた。すると、大聖堂内では信者と思われる100を超える男たちが待ち構えていた。
「あたしたちの動向は、とっくにお見通しだったってわけね」
そう言う秋代に、さして驚いた様子はなかった。
「そういうことだ」
正面に立つ、大司教らしき初老の男が言った。
「異なる世界より湧き出た、悪しき異教徒どもよ。女神の裁きを受けるがよい」
大司教の宣告とともに、信者たちの姿が異形の怪物へと変化していく。
「こうなったらやるしかないわね」
秋代は剣を引き抜いた。とはいえ、本気で信者たちと戦り合う気など秋代にはなかった。このモンスター化が大司教の仕業だと言うなら、要は大司教さえ倒せばいいのだった。
そして、いつも通り、まず小鳥遊が敵の動きを封じようとしたとき、
「待って」
禿が押し止めた。
「なに、禿さん?」
「要するに、あいつを捕まればいいのよね? だったら」
禿は剣を大司教に向けると、
「牽引!」
神器の力を発動させた。すると、大司教と彼をガードしていた側近の体が地を離れ、禿めがけて飛んできた。間髪入れず、禿は自分と大司教たちの間に反射板を作り出すと、
「リフレクトアタック!」
反射板を思い切り押し出した。結果、
「うぼあ!?」
カウンターで反射板に直撃した大司教たちは、なすすべもなく地に落ちたのだった。
禿の剣には、物体を引き寄せる力がある。そして、その力で大司教たちを引き寄せながら、一方で反射板を押し出す。本来、攻撃向きでない2つの力も、こうして使えば強力な攻撃技となるのだった。
エ、エゲツない。
秋代たちは大司教たちを不憫に思いつつ、その身柄を拘束した。
「捕まえた? じゃあ、いったん撤退しましょう」
秋代と木葉に取り押さえられた大司教を見て、禿が言った。
「ま、待てよ。まだ、オレたちのナビが」
黒鉄たちにとっては、そっちのほうが重要なのだった。
「ナビは後でも取り返せるし、なんなら新しいのを手に入れれば済む話でしょ。それに、そいつが黒幕なら連れ帰って洗脳するなり殺すなりすれば、モンスター化した連中も無力化できるかもしれないし。ナビを回収するのは、それからでも遅くないはずよ」
過激なことを平然と言ってのける禿に、黒鉄も二の句を告げずにいた。
「ミ、ミッちゃん」
土門が、あわてて禿の耳元でささやく。
「……というのが、1番平和的な解決方法だと思うんだけど、ダメかしら。あ、殺すのは言葉のアヤってことで、なしの方向で」
禿は、ぎこちなく愛想笑いを浮かべた。
「そうね。最初から目的はコレだったわけだし。コレの身柄を押さえた以上、撤退が正解ね」
秋代は周囲を見回した。大司教が気絶したにも関わらず、信者たちのモンスター化が解ける様子はない。ということは、この信者たちのモンスター化を解くには、大司教が死ぬか、解除するかしかない可能性が高かった。だとすれば禿の言う通り、大司教の記憶を改変して、大司教にモンスター化を解かせるのが1番平和的な解決策と言えた。
「みんな、逃げるわよ」
秋代がそう決断した直後、
「あいにくだが、そうはいかないのだよ」
真境がつぶやいた。そして、
「動くな!」
真境が鋭く言い放った直後、
「な!?」
その場にいる全員の動きが止まった。
「う、動けねえ? どうなってんだ、こりゃ?」
黒鉄は体を動かそうとしたが、指一本動かすことさえできなかった。
「やはり、保険をかけておいて正解だったようだな」
真境は微笑した。
「それにバカが多くて助かった。アジトへの侵入を伸ばしてくれたおかげで、楽に接触できたからな。まったく、バカとハサミは使いようとは、よく言ったものだ」
「なんだ? 何言ってんだ、おまえ?」
黒鉄には、真境の言っていることが理解できなかった。
「まだ、わからないのか? 貴様らをモンスターに変えたのは、その男じゃない。この私だ」
「な?」
「そう、私こそ貴様らが探していた、地球人をモンスター化していた犯人。モンスターメーカーなのだよ」




