第40話
それは、診療所を開設してから13日目のことだった。
正午、午前の診療を終えた土門たちが休息を取っていると、坂越が訪ねて来たのだった。
「どうしたの? もしかして誰か怪我でも?」
焦る土門に、
「い、いや、そういうわけじゃなくて……」
坂越はバツが悪そうに口ごもった。
「休んでるとこ、悪いんだけど、ちょっと相談に乗ってほしいことがあるんだ。今、時間いいかな?」
「おことわりよ。そのまま帰って」
土門の後ろにいた禿が即答した。
マイスターとして活動している坂越たちは、今までに2度、患者として診察所を訪れていた。それだけでも禿としては「どの面下げて来てるの、コイツら?」と思っていたのだが、それでも患者と思えばこそ我慢していたのだった。
それを患者としてでなく、知り合い面して頼み事をしてくるなど、虫がいいにも程があった。
「は、話だけでも聞いてあげようよ、水穂さん」
土門が間に入って取りなそうとするが、
「嫌」
禿はソッポを向いて取り付く島がなかった。
「そ、そんなこと言わないで。こうして頼って来てくれてるんだし。ね」
「……仕方ないわね」
禿は渋々引き下がった。事、人助けに関して、土門が言い出したら聞かないことを、この数週間で禿も十分すぎるほど理解していたのだった。
「ここじゃなんだから、とりあえず入ってよ」
なんとか禿のOKを取り付けた土門は、坂越を応接間に通した。
「噂で聞いたんだけど、王様から直々に主治医にならないかって言われたんだってな。マジ、スゲーよ、おまえら」
坂越が感嘆まじりに言った。噂では治療のために王宮に呼ばれ、その際に王から直々に宮廷医への就任を要請されたらしかった。もっとも、その申し出を土門たちは断ったらしかったが、なんにせよ、ツアーメンバーの中では1番の成功者であることは間違いなかった。
「そんな大層なものじゃないよ。ボクたちがやってることなんて、しょせん問題の先送り、ゴマカシに過ぎないんだから」
土門は照れ笑った。外傷や風邪レベルならば問題なく治療できる。だが癌や心臓病など、外科手術が必要なレベルの病気になると、回帰での完治は難しく、できることと言えば、回帰で時間を稼ぐことぐらいなのだった。
「それで相談て、何?」
坂越が椅子に腰掛けると、さっそく禿が尋ねた。禿としては、坂越が自分たちの根城に入り込んだこと自体が不愉快であり、さっさと話を聞いて、さっさと追っ払いたいのだった。
「あ、ああ、実は……」
坂越の説明によると、始まりは坂越たちが受けた、ある依頼らしかった。
その内容は、ブレバンという男に捕らえられている妹を取り戻してほしい、というものだった。
ブレバンは、この街では有名な奴隷商人であり、依頼人の妹は何者かに誘拐された後、ブレバンに売られてしまったのだという。そして、そのことを突き止めた依頼人は、ブレバンに妹を返してくれるように頼んだ。しかしブレバンは正式に取引した以上、すでに商品であると主張して依頼人の話に耳を貸さなかった。しかもブレバンは役人とも通じているらしく、訴えても相手にしてもらえなかったのだという。
そこで依頼人は、冒険者に助けを求めることにした。
そして、その依頼を引き受けた坂越たちは、依頼人の妹を助け出すために、奴隷商人の館に忍び込んだ。まではよかったのだが、妹を助け出すどころか、商人の手下に見つかり、坂越以外は捕まってしまったのだった。
「……それで、あなたは仲間を見捨てて、1人逃げてきたの?」
禿は冷ややかに尋ねた。
「し、仕方なかったんだ。オレまで捕まったら、それこそ終わりだったんだから」
坂越は頭を抱えた。
「頼む! 今さら頼める義理じゃないのはわかってるが、あいつらを助けるために力を貸してくれ! 頼む! この通りだ!」
坂越は深々と頭を下げた。
「確かに、厚かましいこと、この上ないわね」
禿が容赦なく追い打ちをかける。
「でも放っておけないよ。坂越君の仲間もそうだけど、その商人が本当に無理矢理誘拐された人を奴隷にしてるんだとしたら、助けてあげないと」
できれば、その奴隷商人に人の売り買い自体を止めさせたいところだった。しかし、それができると思うほど、土門は自惚れ屋ではなかった。
「あなたって、ホントお人好しね」
禿は呆れ顔で息をついた。
「いいわ。手を貸してあげる」
「ほ、本当か? ありがとう! 恩に着る!」
坂越は深々と頭を下げた。
そして、民家から明かりが落ちた夜半過ぎ。
土門と坂越は、ブレバンの館から少し離れた茂みに身を隠していた。
ブレバンの館は王宮並の豪華さで、その一事だけを取っても、この街におけるブレバンの力の大きさを物語っていた。
そして土門たちが配置について間もなく、館の一角で火の手が上がった。
その火は禿によるもので、ボヤを起こして、その混乱に乗じて仲間を助け出そうという坂越の作戦だった。そして予定通り、警備が手薄になったところで土門たちは行動を開始した。
土門たちは、見張りに気づかれないよう邸内に忍び込むと、そのまま地下へと降りていった。坂越によると、この館の地下は奴隷用の地下牢になっていて、坂越の仲間たちも、そこに捕らわれている可能性が高いということだった。
地下にいた牢番は坂越が殴り倒し、その鮮やかな手並みに土門は感心した。
「凄いね、坂越君」
「ま、まあ、これでも1ヵ月近く、冒険者やってるからな」
坂越は壁に吊り下げられていた鍵を掴むと、まず1番手前の牢屋の鍵を開けた。
「土門、俺は畑たちを探すから、おまえはここにいる依頼人の妹を助け出してくれ」
「わ、わかった」
土門は坂越が解錠した部屋に踏み込んだ。すると、直後に地下牢の扉が閉まった。
「坂越君?」
戸惑う土門に、
「悪いな、土門」
扉の窓から坂越が顔を覗かせた。
「これは、一体、どういう?」
「まだ、おわかりになりませんか? 噂の名医殿は随分と察しが悪いようですね」
坂越に代わり、中年の優男が窓から顔を見せた。
「あなたは、ここにいるサコシ君に売られたんですよ」
「う、売られた?」
「そうです。彼の仲間と引き換えにね」
そのために、坂越はブレバンの取引に応じたのだった。
事の起こりは、坂越たちが奴隷商人ブレバンの元から妹を救出してほしいという依頼を受けたこと。それは間違いのない事実だった。そして、ブレバンの館に忍び込んで、ブレバンの配下に見つかってしまった。それも本当だった。
そして坂越の説明では、その後坂越だけが館から脱出できたことになっていた。
しかし、事実は違っていた。
実際には、坂越を含めたパーティー全員が、その場でブレバンに捕まってしまっていたのだった。
そして捕らえた坂越たちに、ブレバンはある取引を持ちかけた。
それは「土門と禿、この2人を自分の館に連れてくれば仲間を解放する」というものだった。
そのための計画もブレバンが用意し、その取引に坂越は応じた。そして計画通りに、土門たちをブレバンの館へと連れ込んだのだった。
「どうして、そんなことを?」
得意げに説明するブレバンの真意が、土門には理解できなかった。
第三者を利用してまで、土門たちを自分の館に誘い出したところで、この商人に得などないはずだった。
「やれやれ、本当にわからないのですか? まったくもって察しの悪い、いや、おめでたい人ですね」
ブレバンによると、土門たちを捕らえたのには2つの理由があるらしかった。
まず1つは、この街の医師ギルドの存在。
どんな病気も低料金で治療する土門たちは、この街の医師たちにとって邪魔な存在だったこと。
そして2つめが、軍医への就任辞退。
以前、土門たちは、この国の王に軍医への就任を要請されていた。しかし、これを断ったために国王の不興を買ってしまったのだった。
そして医師ギルドと国王、この両者の話を聞いたブレバンは、一計を案じた。
それが、坂越たちを使って土門たちを自分の館に誘い込むことだった。
医師ギルドは土門たちが邪魔で、国王は土門たちの医療技術が欲しい。ならば答えは簡単。土門たちが、国王の誘いを断れない状況を作り出してしまえばいいのだった。
現在の土門たちは、立場的には一般人。だからこそ、医師ギルドも国王も強くは出られない。ならば、土門たちを一般人でなくしてしまえばいい。そのために仕組んだのが、今回の茶番劇なのだった。
たとえ経緯がどうであれ、今夜土門たちが行ったことは犯罪行為に他ならない。ならば、その身をどう処したところで、それは正当防衛ということになる。
そして土門たちに奴隷としての十分な調教を施したところで、役人に窃盗犯として引き渡せば、国王の命令に従順に従う、優秀な軍医が出来上がるという寸法だった。
ブレバンの話を聞き終えた土門は、自分の甘さを心の底から後悔した。
坂越の真意に気づかなかったこともそうだが、医師ギルドや国王が、そこまで醜悪な考えの持ち主だとは夢にも思ってなかったのだった。
「な、なあ、約束は守ったんだ。あいつらを返してくれよ」
仲間のためとはいえ、坂越が土門たちを騙したことは紛れもない事実。そのことに少なからず後ろめたさを感じていた坂越としては、少しでも早く退散したかったのだった。
「ああ、そうでしたね」
ブレバンがうなずいた直後、
「が!」
坂越の背中に痛みが走った。振り返ると、ブレバンの手下が坂越の背中に剣を突き立てていた。
「確かに、あなたはもう用済みでした。ご苦労さま。後は任せて、ゆっくりお休みください。君の仲間たちも、先に行って待っているでしょうから、心置きなく、お逝きください」
「な?」
鼻白む坂越の身体に、さらに別の手下の凶刃が突き刺さる。
「なんてことを……」
土門はブレバンを睨みつけた。確かに坂越は自分を騙したし、それは許せない。しかし、殺されるほどの罪でもなかった。
「仕方ありません。彼らに今回のことを吹聴されては、お客様の名誉が損なわれてしまいますから」
「何が名誉だ!」
「そんな顔をしていられるのも、今だけです。明日から主に対する礼儀作法というものを、きっちり叩き込んで差し上げますので。では、お休みなさい」
ブレバンがそう言った直後、壁からガスが吹き出してきた。そしてガスを吸い込んだ土門の意識は、次第に遠ざかっていったのだった。




