第39話
初クエスト成功後、街に戻った土門たちは、その足で施療院に向かっていた。
回帰の力で生き返ったことで、禿に何らかの異常が起きているかもしれない。
そう心配した土門が施療院に行くよう、禿を説得したのだった。そして土門たちが施療院に着くと、受付で5歳ぐらいの子供を抱いた女性と看護師が言い争っていた。
「お願いします! どうか、うちの子を助けてください! お願いします!」
必死に懇願する母親を、
「ですから、さっきから言ってるように、治療費を払えない方は当施療院では診ることはできないんです。お金を工面してから、出直して来てください」
看護師らしき女性は、取り付く島もなく突き放した。どうやら治療費が払えないため、母子は門前払いされてしまったようだった。
確かに、母親らしき女性は血色が悪く、身なりもボロボロ。異世界生活の浅い土門の目から見ても、その母子が貧民街の住人であることは容易に想像がついた。
富める者は最先端の医療の下で天寿を全うし、貧しい者は満足な治療も受けられずに早死していく。
それは異世界に限らず、地球においても変わりはしない。そして、そんな世界の理を、これまで土門も甘んじて受け入れてきたのだった。無力な自分に、できることなど何もない。それが世の中というもの。仕方のないことなのだと。
そして、それは異世界に来た後も変わりはしなかった。そう、今日までは。
なおも看護師に食い下がろうとする母親に、土門が声をかけようとしたとき、
「あの、すいません。ちょっと、いいですか?」
禿が母親に声をかけた。
「話は聞かせてもらいました。ちょっと、その子を診せてもらっていいですか? 私、少しですけど、医学の心得があるので」
「え?」
突然、そう言われた母親は一瞬戸惑ったが、
「お、お願いします。どうか、この子を助けてください」
藁をもすがる気持ちで、我が子を禿に差し出した。
「わかりました。できる限りのことはしてみます」
禿は、さっそく子供の容態を確認した。
子供は5歳前後の男の子で、母親と同じく顔はやつれ、ロクな栄養を取っていないことは明らかだった。
熱があり、呼吸は乱れ、脈は早い。
「症状が出始めたのは、いつですか?」
「み、3日ぐらい前です。最初は、ただの風邪だと思ってたんですけど、だんだん酷くなって……」
母親は涙声で答えた。
「他に、何か症状はありませんでしたか? たとえば、膿のような痰が出るとか」
「あ、ありました」
「胸の痛みとかは?」
「い、痛がってました」
「……そうですか。よく、わかりました」
「な、治るんでしょうか?」
「私の見立てが正しければ、この子は肺炎です」
肺炎と聞き、土門は少しホッとした。肺炎は日本では珍しくない病気だし、治療さえすれば治る。もし、これが手術が必要な癌や心臓病だったら、それこそ打つ手がないところだった。
もっとも、それは抗生物質のある日本の話。科学知識の乏しい、この異世界に、そんなものは当然ながら存在しない。だが、外部から侵入した菌により引き起こされた病気であるならば、その菌を取り除いてやればいい。そして、それを可能にする力を今の土門は持っているはずだった。
「後は、あなた次第よ」
禿は土門とバトンタッチした。
「うん。わかってる」
土門は子供の胸に触れた。
もし本当に、ボクに水穂さんの言うような力があるのなら、できるはずだ。この子の体を、この子が肺炎を引き起こす前まで戻すことが。
土門は深呼吸した。
よく思い出すんだ。あのときのことを。あの熊が倒れたときと、水穂さんが生き返ったときの感覚を。
土門は右手に意識を集中させた。そして、
この子は絶対に死なせない!
その強烈な意志とともに、土門は回帰の力を発動させた。すると、子供の顔に生気が戻った。呼吸も落ち着きを取り戻し、あれだけ高かった熱も正常に戻っていた。そして目を覚ました子供は、
「お母さん、お腹すいた」
何事もなかったかのように起き上がったのだった。そんな我が子を、
「ハンクス!」
母親は力いっぱい抱きしめた。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
我が子を抱きしめながら、母親は何度も土門たちに礼を言った。
「なんと、お礼を言えばいいか。この御恩は、一生かけて返させていただきます」
「き、気にしなくて、いいですから」
母親の大袈裟な反応に、土門のほうが恐縮してしまった。
「そうです。それに安心するのは、まだ早いです」
禿が冷厳に言った。
「これで、とりあえずは治ったとは思います。ですが、お子さんが、ここまで酷い肺炎を引き起こしたのは、おそらく家庭環境が大きく関係していると思われます。不衛生な環境を改善して、十分な栄養を取らせなければ、また同じことが起きる可能性が高いと思われます。この次も今回のように助かる保証なんて、どこにもない。そのことを忘れないでください」
「わ、わかりました」
母親は、我が子を抱きしめながら何度もうなずいた。
「じゃ、帰りましょ、土門君」
禿は土門を見た。
「え、でも、まだ水穂さんの診察が」
「なに言ってるの? もう必要ないでしょ。そんなこと」
禿は、もう1度母子を見た。あの子供は、土門の力によって完治した。その事実は、禿の推理を裏付けるに十分だった。
「それに、こんなところで診察なんてされたくないもの」
禿は看護師を横目に見やった。
「……それもそうだね」
土門もうなずき、2人は施療院を後にした。
「それにしても驚いたよ。水穂さんに、あんな医学知識があったなんて」
帰り道、土門は素直な思いを口にした。
「たいしたことじゃないわ。うちは親が医者だったから、その手の知識は自然に覚えただけだから」
「水穂さん家って、お医者さんだったの?」
土門は初耳だった。もっとも、これまで実家の家業はおろか、禿のプライバシーに関することは1度も聞いたことはなかったのだが。
「ええ、そうよ」
禿は素っ気なく答えた。
なのに、どうして死のうなんて思ったの?
そう尋ねかけて、土門は口をつぐんだ。多少は軟化したとはいえ、まだまだ禿のガードは固い。こんな質問をしても、どうせ答えてくれないだろうし、また機嫌を損ねるだけなのが目に見えていた。
回帰の力が解明され、子供も完治した。
今は、それで十分だった。
熊に遭遇したときは、どうなることかと思った。しかし総じて振り返ると、実りある、いい1日だった。
その夜、土門は久しぶりに充実した気分で眠りにつくことができた。
だが、話はこれで終わらなかった。
どんな病気も、一瞬で治してしまう名医がいる。
その噂は瞬く間に広まり、多くの病人が土門たちのもとに連日押しかけてくるようになってしまったのだった。
ボクたちは医者じゃない。
いくらそう主張しても、病人たちは聞く耳を持たなかった。そして根が善良な土門は、なんだかんだ言いながら、病人たちを見捨てることができなかったのだった。
やむなく土門たちは、いったん冒険活動を休止。設立した診療所で、患者の治療に専念することにした。結果、蓄えは増えるものの、肝心のポイントは増えないという、足踏み状態が続くことになってしまったのだった。
そのため土門としては、また禿が機嫌を損ねないか、内心ヒヤヒヤしていた。しかし、そんな土門の心配をよそに、禿は黙々と医療活動に従事していた。口にこそ出さなかったが、元々医者志望だった禿は、自分の医療知識が人の役に立つことに喜びを感じていたのだった。
日本に帰ることばかり考えていたけど、こうして、このまま異世界で暮らすのも悪くないかもしれない。
今まで感じたことのない充実感に包まれながら、土門もそう思い始めていた。
しかし、そんな土門の淡い夢を許すほど、現在の異世界情勢は甘くなかったのだった。




