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第38話

「このままじゃ埒が明かないわ」


 異世界生活11日目の朝、禿の忍耐は、ついに限界を迎えた。


 土門たちが冒険者となって10日。しかし2人が受けるクエストは、未だ街でのお使いレベルに留まっていた。

 当然、得られる報酬も微々たるもので、このままだと目標の2000万ポイントを貯めるまで10年はかかりそうだった。


「やっぱり高額ポイントを稼ぐためには、街の外に出ないと」


 街の外には凶暴な野獣が生息している。しかし、それだけにクエストで得られる報酬も高額なのだった。


「で、でも、外に出て、またあの鳥やドラゴンみたいなのに襲われたら」 


 土門は、ささやかな抵抗を試みた。次も、この前のような幸運が重なる保証はない。そして、そのとき待っているのは、今度こそモンスターの餌なのだった。


「そんなこと言ってたら、なんにもできないでしょ。大丈夫よ。訓練も受けたし、街の外に出ると言っても、すぐそこの森に行くだけだもの」

「せ、せめて、もう少し訓練してからにしたほうが……」


 この1週間、土門たちはギルドが推奨するキャプターの基礎訓練を受けていた。しかし、まだまだ実戦で通用するレベルには程遠いのが実情だった。


「東の森は、たいしたモンスターはいないって話だし、私がいれば、どんなモンスターの攻撃も跳ね返せるんだから、なんの問題もないわ。でしょ?」

「わ、わかった。でも、危ないと思ったら、すぐ引き返すからね」


 結局、土門は禿に押し切られる形で承諾し、昼食後、2人は初の野外クエストを決行した。

 依頼内容は、コーラムという鳥の卵の捕獲。

 野外でのクエストとしては、最低ランクのクエストだったが、それでも報酬は街のクエストの5倍近かった。しかし、それは裏を返せば、それだけ町の外が危険と言うことであり、土門としては、とにかく凶暴なモンスターに出くわさないことを祈るばかりだった。


「ふ、普通、この手のゲームだと、最初に出てくるのは弱いモンスターのはずなんだけど……」


 茂みを踏み分けながら、土門がボヤいた。なのに、装備も整ってない状態で、いきなり巨鳥やドラゴンが襲ってくるとか、無理ゲーにも程があった。


「ゲームとリアルは違うってことでしょ。でなければ、この世界では、あれが最弱レベルなのかも」

「あ、あれが最弱……」


 土門は考えたくもなかった。


「なに驚いてるのよ。あなたも教官の話は聞いたでしょ。この世界には、50メートル級の野獣の普通に生息してるって。要するに、この世界は巨大隕石が衝突しなかった地球なのよ。あの時代、肉食恐竜なんてどこにでもいたんだし、安全な場所がないのは、ある意味当たり前よ」


 禿が容赦なく追撃する。


「とにかく、ビビってたところで、何も始まらないわ。街のなかでいくら訓練を受けたところで、レベルは上がらないんだから」


 訓練によって、モンスターを捕獲する技量は向上するし、ステータスも上昇する。しかし、キャプターとしてのレベルだけは、実際にモンスターを捕獲しなければ上がらないのだった。そして、キャプターのレベルが上がらなければ、武器も最低レベルの物しか使えない。それが、この世界のルールだった。


 この世界の武器にはランクがあり、下から魔器、獣器、人器、王器、神器の5つに分かれている。そして、そのランクが上がるほどに、使用者は限定されていく。特に神器と呼ばれる物は厳格で、使える人間は1時代に1人だけなのだった。


 とはいえ、そんな神器を扱える者は、それこそ一握りしかいない。そのため大多数の冒険者は、誰でも扱える人器を主な仕事道具としていた。

 そして、その人器のなかにもランクは存在し、土門たちのような初級冒険者が扱えるのは最低ランク、精霊力をかすかに宿した短剣だけだった。しかし、これではいかにも心許ないし、捕獲できるモンスターのレベルもタカが知れている。

 そんな劣悪な現状を打破するためにも、禿は一刻も早く、1匹でも多くのモンスターを捕獲して、さっさとレベルを上げたいのだった。


 そして2人が森を分け進むこと1時間。


「あった」


 土門は目的の卵を、大木の幹に穿たれた巣穴のなかに発見した。幸い、母鳥は不在らしく、


「ごめんね」


 土門は罪悪感にかられながらも巣穴から卵を取り出した。


「よかった。なんとかモンスターに出くわさずに済んだ」


 捕獲器に卵を保管したところで、土門は安堵の息をついた。


「そういうセリフは、街に帰り着いてから言うものよ。こんなところで、そんなことを言うなんて、それこそ死亡フラグ」


 禿がそこまで言ったところで、近くの茂みで音がした。

 そして、死亡フラグが二人の前に立ち上がる。


 土門が立てた死亡フラグ。

 それは6本の足を持つ、全長5メートルを超える大熊だった。


「土門君が変なフラグ立てるから」


 禿は土門に非難の眼差しを向けた。


「ええ? ボクのせいなの?」


 土門にとっては、理不尽極まりない話だった。とはいえ、今はそんなことを言い争っている場合ではなかった。


「とにかく土門君は逃げて。後は、私がなんとかするから」


 禿は土門を庇う形で、大熊と相対した。


「なんとかって……。無茶だよ、そんなの」


 立ち上がった大熊は、170センチの土門の3倍近い高さがあった。いくら禿に反射の力があるといっても、力の維持には限界がある。そして力尽きたら、それまでなのだった。


「このままじゃ、どの道2人揃ってコイツの餌でしょ。それに、私だけのほうが動きやすいの。はっきり言うと、邪魔なのよ」


 元々、自殺志望の禿だったが、ここで死ぬ気はサラサラなかった。まずは土門を逃し、反射の力で大熊を牽制しながら、自分も隙を見て逃げ出すつもりだった。


「わ、わかった」


 土門は大熊に背を向けた。悔しいが、禿の言う通りだった。今の自分に、この大熊を相手にできるだけの力はない。なら、せめて禿の足手まといにならないことが、今の土門が取れる最良の選択だった。しかし、土門が逃げ出した直後、


「キャアア!」


 大熊の振り払った前足の一撃により、禿が吹き飛ばされてしまった。


「水穂さん!」


 土門が振り返ると、禿は大木を背に座り込んでいた。どうやら殴り飛ばされたときに、大木に叩きつけられてしまったようだった。


 どうして反射の力を持つ禿が倒されたのか。

 土門にはわからなかったが、すべては禿の過信が招いた事態だった。


 禿の「反射」は、確かに大熊の攻撃も跳ね返すことができる。しかし、その反射の土台は、あくまでも禿自身。そのため、禿本人が受け止めきれないほどの物理攻撃を受けた場合、禿のほうが吹き飛ばされてしまうのだった。ちょうど、巨鳥から落ちたときに、禿たちのほうが宙に跳ね上げられてしまったように。

 しかし、あのときは対象が地面だったため、そのことに気づかなかったのだった。


 大熊は倒れた禿を中足で抱き上げると、そのまま締め上げにかかった。


「キャアア!」


 大熊の怪力で締め上げられた禿の口から、悲鳴とともに血が吹き出す。


「やめろお!」


 土門は、炎の短剣で大熊の背中を突き刺した。しかし短剣程度では、分厚い筋肉を多少切り裂く程度。致命傷はおろか、大熊を怯ますことさえできず、逆に前足で殴り飛ばされてしまった。


「くそおおお!」


 それでもあきらめることなく、土門は持てる限りの力で大熊の背中に再び短剣を突き刺した。すると、


「え?」


 短剣を突き刺した箇所が大きくえぐれたかと思うと、大量の血が吹き出したのだった。そして深手を負った大熊は、しばらく地面をのたうち回っていた後、動かなくなった。


 土門には何が起きたのか、まったく理解できなかったが、今そんなのことはどうでもよかった。


「水穂さん!」


 土門は、あわてて禿に駆け寄った。しかし倒れた禿の顔からは血の気が失せ、呼吸も完全に止まっていた。


「そ、そんな……」


 この人を死なせたくない。

 ずっと、そう思っていた。

 それなのに……。


 土門は禿の亡骸を抱きしめて、


「うわあああああ!」


 号泣した。


 禿をこんな目に合わせた寺林と、何より無力な自分自身が許せなかった。


 土門が絶望感にうちひしがれているなか、


「う、う…ん…」


 不意に禿の口から声が漏れた。


「え?」


 見ると、死んでいたはずの禿の目に生気が戻っていた。


「いったい、どうなって……」


 土門には、わからないことだらけだった。それでも、ただひとつ確かなことは、今禿が生きて自分の目の前にいるということだった。


「よかった!」


 土門は禿を抱きしめた。だが、

 

「な、何よ、いきなり。離して。気安く触らないでって言ったでしょう」


 事情のわからない禿は、泣きながら自分を抱きしめる土門に困惑するばかりだった。


「ご、ごめん。つい」


 土門は、あわてて禿から手を離した。


「いいけど、一体何があったって言うの? ていうか、ここどこ?」


 禿は、なぜ自分が森の中にいるのか、わからなかった。今の今まで、宿屋にいたはずなのに。


「お、覚えてないの?」

「だから、なんのこと?」

「ボクたちは、大熊に襲われたんだよ。そして君は、さっき1度その大熊に殺されちゃったんだよ」

「私が殺された? 何言ってるの? 私、こうして生きてるじゃない」

「そうなんだ。だからボクも、何がなんだかわからなくて」

「待って。順を追って説明して」

「う、うん。じゃあ、まずボクたちが、この森に来たことは覚えてる?」


 土門は、禿に順を追って、今日起こったことを説明していった。


「……つまり、ここに来たのは、私が言い出したからで、そのクエストの最中に、そこにいる熊に出くわして私は殺されたと。そして、その熊は土門君が何度ナイフを突き立てても平然としてたのに、突然血を吹き出して死んでしまった。そういうことね?」


 土門の説明を聞き終えた禿は、


「だとすると……」


 状況からひとつの答えを導き出した。


「考えられることはひとつ。その熊を倒したのも、私を生き返らせたのも、犯人はあなたってことよ、土門君」


 禿は土門を指差した。


「犯人て……。て、ボクが?」

「そうよ。不可能なことを排除した後に残ったものが、真実なのよ。たとえ、それがどんなにありえない、現実離れしたことであってもね」


 なんだか、とても酷いことを言われている気がしたが、とりあえず土門がスルーした。


「でも、ボクに、そんな力なんて……」


 土門には、まったく実感がなかった。


「忘れたの、土門君。あなたの力は回帰。そして、あなたはその回帰の力で、その熊の体を無に帰したのよ」


 禿は再び土門を指差した。


「無に帰した?」


 ていうか、なんでそんなにドヤ顔なんだろう? なんか、決めポーズまで取ってるし。

 と、土門が思ったが、怖いので黙っていた。


「ええ、そう。あなたが、わたしを生き返らせたという話が、あなたの見た白昼夢でないのだとしたらの話だけど」


 酷くない?

 土門は心のなかでツッコんだ。


「あなたは回帰を使って、私を死ぬ前まで戻したのよ。私に、この森に来た記憶がないのも、たぶんそれが原因だと思うわ。あなたが回帰を使ったときに、私の記憶も巻き戻されたのよ」


 確かに、それならば禿が生き返ったのも納得がいくというものだった。しかし、


「じゃあ、大熊が死んだのも」

「そう、原理は同じよ。私を死ぬ前まで戻したように、その熊の時間も巻き戻したのよ。ただし、私に使ったのよりも遥かに長い時間をね」

「どういうこと?」

「聞いたことない? 人の体は新陳代謝によって、数ヶ月で細胞が完全に入れ替わるって。これは今では諸説あって、しかも神経とか入れ替わらない部分もあるから、全部が全部ってわけではないけれど、それでも仮に生まれる前まで時間を遡れば、誰でも消滅する。あなたがやったのは、それってわけよ」

「熊の背中に穴が空いたのは、ボクが熊の細胞の時間を巻き戻したから。そういうこと?」

「そういうことよ。背中だけだったのは、まだあなたに熊の全身に「回帰」を使うほどの力がなかったせいでしょうね。だから、力が発揮できる一部分だけが消滅し、結果的に、その熊に致命傷を負わせることになったのよ」

「ボクに、そんな力が……」


 禿の説明を聞いても、土門にはまだ信じられなかった。しかし、もし禿の言うことが本当だとすれば、朗報だった。なにしろ、この力さえあれば、この先禿がどんな目に逢おうと死なせずに済む。さっきのような思いを、2度としないで済むということなのだから。

 それだけでなく、どんな大ケガをした人間でも一瞬で治すことができるし、不治の病を治すことさえ可能かもしれなかった。


 何もないと思っていた自分が、他人の役に立つことができるかもしれない。

 土門は、そのことが純粋に嬉しかった。


「そういうこと。そしてそれは同時に、この力さえあれば、あなたを足手まとい扱いした連中を見返すことができるってことよ」


 禿の目は、復讐心に燃えていた。そのとき、あの連中がどんな吠え面を見せるか、禿は今から楽しみだった。


 いや、ボクを1番足手まとい扱いしてたの、君だと思うんだけど……。


 土門は心のなかでツッコミを入れたが、やはり怖いので口には出さなかった。


 ともかくも、大熊を撃退した土門たちは、野外での初クエストを無事成功で終わらせたのだった。




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