第222話
「凄いな」
高比良たち「イレイズ」の力は、音和から見ても圧倒的だった。そして「イレイズ」の快進撃は、メフリス兵を全滅させるまで続くかと思われたが、
「うろたえるな!」
ヴァレルたち将軍クラスの登場によって状況は一変した。
「氷使いは私が戦る! アベルダはスライムを!」
「はい!」
「ザハリンは、あの猿を!」
「承知!」
「マルファは左の戦士!」
「おいよ!」
「ランデールとベルナーダは残りを頼む! だが、無理はするな! 抑えておくだけでいい! 氷使いを片付け次第、私も加勢する!」
「了解!」
将軍たちがヴァレルに指示された標的へと向かい、
「フレイムソード!」
ヴァレル自身も須磨へと仕掛けるが、
「ドラゴンイレイザー!」
高比良に阻止されてしまった。
「大丈夫か、須磨!?」
自分を気遣う高比良に、
「う、うん。ありがとう、高比良君」
須磨の頬が赤みを帯びる。
高比良と対峙するヴァレルを見て、
「マルファ、あなたは氷使いを!」
ポーリャ・ダリンが須磨の相手をマルファにスイッチさせる。
「あいよ」
マルファが須磨へと向き直り、
「凍れ」
須磨は氷塊で迎撃するも、
「効かねえよ」
マルファのミラーシールドに跳ね返されてしまった。
一方、孫の相手を任されたザハリンは、
「死ね、エテ公!」
孫へと銀のナイフを投げつけた。
「誰がエテ公だ!」
孫はナイフを如意棒で弾き落としてから、
「あ、いいのか、猿だから」
すぐに思い直した後、
「いや、やっぱりエテ公は失礼だろ!」
再び憤慨した。直後、
「いだ!?」
孫の顔が苦痛に歪んだ。見ると、地に叩き落としたはずのナイフが背中に突き刺さっていた。そして、その一瞬の隙を見逃さず、
「死ね」
新たなナイフを手にザハリンが孫に迫る。
そして「イレイズ」最後の1人、スードラを任されたアベルダは、スライム化したスードラに対して、サラマンダーを召喚していた。
液体であるスライムには、打撃による攻撃は効果が薄い。そこで、スライムにも効果がある炎攻撃が得意なサラマンダーをぶつける作戦を取ったのだった。
「ドラゴンイレイザー!」
高比良が繰り出す攻撃を、
「ファイアーロード」
ヴァレルは高速移動で回避すると、
「フレイムソード!」
高比良に渾身の一撃を叩き込んだ。しかし、
「く……」
高比良は弾き飛ばされこそすれ、その身には傷1つ負っていなかった。
硬いな。ダイヤモンドソルジャーか? いや、それにしては体に変化がない。別のジョブか。
ヴァレルは高比良と剣を交えつつ、その能力を冷静に分析していた。
頑丈さと攻撃力は突出しているが、それもシークレットの域を出てはいない。それに、剣技自体は未熟なうえ、身体能力もさほど高くない。
まだ何か奥の手を隠しているかもしれないが、それを出す間を与えるほど、ヴァレルはお人好しではなかった。
ならば、不動!
ヴァレルは自身のクオリティで高比良の動きを止めると、
「フレイムサイクロン!」
高比良へと炎の竜巻を撃ち放った。この自動追尾能力を持つ炎の竜巻は、敵が倒れるまで消えることはない。仮に、この男がダイヤモンドソルジャーではないとしても、高熱の炎に長時間耐えられるとは思えないし、仮に耐えられたとしても、炎の渦に囲まれた状態では呼吸もままならない。
炎の渦に囚われた高比良が窒息死するのは、もはや時間の問題と思われたが、
邪魔だ!
高比良は自身のクオリティにより、彼を取り巻いていた炎を消し飛ばした。
「はあ、はあ」
高比良は片膝をついた。
くそ。力を使いすぎた。
高比良に限らず「救済者」が「キャラクター」に変身しているためには、かなりのエネルギーを必要とする。そして、当然のことながら変身していられるだけのエネルギーがなくなれば、変身は解けてしまう。
もって、あと5分てとこか。
それまでの間に、なんとしてもこの男は倒す。
でなければ、あの男にまたバカにされてしまう。
それだけは我慢ならないのだった。
「やれやれ、俺たちゃ雑魚掃除かよ」
音和たち「パラダイムシフト」の相手を任されたランデールはボヤいた。眼の前にいるのが永遠長であれば気合いも入るが、ニセモノと小娘4人では戦る気も失せるというものだった。
「侮るな、イアン。ガキどもはともかく、あの狐は化物だとザハリンに言われただろう」
ベルナーダが僚友をたしなめる。
「化物ねえ」
ランデールに言わせれば、ヴィラは強いと言っても、しょせん女。それを倒したからと言って、強さの尺度にはならないのだった。
ホントに強いのか、こんなんが?
自分の眼前にチョコンと座る狐を、ランデールは胡散臭そうな目で見下ろした。
まあいい。弱きゃ弱いで、サッサと片付けて他の獲物をいただくだけだ。
「おらよ」
ランデールはハクに剣を突き出した。舐めきっていても、ランデールも一国の将軍。その一撃は、並の獣はおろか、上級冒険者でさえ葬り去れる威力と速度を秘めていた。
ほい。いっちょ上がり。
ランデールがそう確信した直後、
バシ!
ハクが無造作に振り払った右前足によって、ランデールの剣は弾き飛ばされてしまった。
「へ?」
何が起きたのかわからずにいるランデールの顎に、次の瞬間ハクのアッパーが炸裂する。そして顎の骨を砕かれ、地面に大の字で倒れ込んだランデールは、そのまま動かなくなった。
「イアン!」
ベルナーダはランデールに駆け寄ろうとして、
「う……」
ハクから放出される鬼気に気圧された。
「ルスラーン! ドミトール!」
ベルナーダは副官2人に声をかけた。
「この化物は私が相手をする! 貴様らは、そこのニセモノどもを片付けろ!」
将軍の指示を受け、
「はっ!」
副官2人が音和と相対する。
「投降しろ。もう、おまえたちに勝ち目はない」
ルスラーンが音和に降伏を勧告したが、その言葉は脅しでもハッタリでもなかった。実際、主力である「イレイズ」とハクは将軍たちに抑えられ、残るはニセモノと小娘4人を残すのみ。客観的に考えて音和たちの勝機はゼロに近かった。しかし、
「それは、こっちのセリフだ」
なおも音和は強気だった。
「なんだとお?」
ドミトールは自分より一回りは小さい、小生意気な小僧を睨みつけた。
「普通に考えて、おかしいと思わなかったのか? これだけの人数で、真っ昼間に真正面から殴り込みをかけてくるなんてさ」
音和に嘲笑され、副官2人の顔から余裕が消える。
「俺たちは囮だよ。別動隊が、この城からペストの治療薬を待ちだすまでのね」
「なに!?」
「治療薬がなければ、ペストはバラまけないだろ。もし、治療薬がない状況でバラまいたら、下手をしたら自分たちまで被害を受けることになるからな」
「き、貴様!」
「俺たちの目的は、あんたたちを殺すことじゃない。あくまでも、あんたたちがやろうとしている大量虐殺を止めることだ。そして、それが達成された以上、この勝負は俺たちの勝ちなんだよ」
「こ、このガキ!」
ドミトールは気色ばみ、
「ベルナーダ隊! いや、誰でもいい! 今すぐ宝物庫へ向かえ!」
ルスラーンが部下たちに命令する。しかし、それこそが音和の狙いだった。
「やっぱり、ここにあったんだな」
「なに?」
いぶかしむルスラーンに構わず、
「ハク!」
音和はハクに呼びかけた。
「ここは俺たちでなんとかする! 君は今の連中を追ってくれ!」
音和の意図を察し、ハクが地を蹴る。
「き、貴様、今のはわざと」
鼻白むルスラーンに、
「そう」
音和はシレッと答えた。
この城に治療薬があるというのは、あくまでも音和の推測に過ぎない。それに、もし本当にあったとしても、このバカ広い城の中から治療薬の保管場所を探し当てるのは骨が折れる。そこで、音和はハッタリを交えてカマをかけることで、治療薬の有無を確かめるとともに、兵士たちに治療薬の在り処まで案内させようと考えたのだった。
しかしハクが玄関に辿り着こうとしたとき、
「ファイアーウォール!」
ハクと玄関の間に炎の壁が出現した。
「行かせん」
ヴァレルはファイアーロードで玄関前へと高速移動すると、ハクに剣を突きつけた。
「たとえ、この命にかえても」
決死の覚悟でハクと対峙するヴァレルの背後から、
「覚悟は買うがね、若者が簡単に命を投げうつものじゃない」
緊張感に欠けた声がした。そして、2つに分かたれた赤壁の間から歩み出て来たのは、エメリック・シモンだった。
「まして、あんな上司のために」
「なに!?」
「そう怖い顔しなさんな。私は、この不毛な争いを止めに来たのだから」
「不毛だと!?」
「そうとも。なぜなら、もうすぐ君たちが戦う理由は消えてなくなるんだから」
「どういうことだ!?」
「その説明をする前に」
シモンは右手に握っていたリモコンのスイッチを押した。すると、ハクの体が霧散した。
「ハク!」
血相を変える音和に、
「心配しなさんな。別に死んだわけじゃない」
シモンは軽い調子で答えた。
「彼がいると落ち着いて話ができないから、少しの間ご退場願っただけだ。なに、心配しなくても、またすぐ会えるさ」
シモンは音和からヴァレルに視線を移した。
「さて、おっかない猛獣がいなくなったところで説明を続けるとしよう。この戦いを私が不毛だと言ったことには、2つ理由がある。まず1つ目は、君が敬愛してやまない陛下が、もうすぐお亡くなりになるからさ」
今回の件はロシアが持ちかけ、メフリス王が承諾したことにより始まったもの。ならば、そのメフリス王がいなくなれば、この計画も頓挫する。ただし、次期国王となる人物がシャイデック王と同じ考えであれば話は別だが、幸い次代を担う第一王子は聡明な人物で、今回のような非道を良しとしない。もっとも、それ故に幽閉されてしまっているのだが。
「つまり、今命懸けで戦ったところで無駄でしかな」
「ふざけるな!」
ヴァレルはシモンの鼻先に剣を突き出した。
「陛下がお亡くなりになるだと!? 貴様、陛下に何かしたのか!?」
殺気立つヴァレルに、
「いんや。私は、何もしとらんよ」
シモンは飄々と答えた。
「陛下が死ぬのは、ご病気によってだ。君たちは気づいていなかったようだが、私の診たところ、陛下は不治の病に罹っている」
「なに!?」
「肝硬変、いや、もしかしたら肝癌かもしれないが、とにかく陛下の内蔵は、著しく機能が低下してるのさ。今にも機能が停止しそうなほどにね。そうだな。もって、後1月といったところかな」
「バカな! デタラメを言うな!」
「デタラメじゃないさ。証拠もある」
「証拠?」
「君たち、最近の陛下の目を見たことがあるかね? 陛下の目、白目が黄色みを帯びていただろう? あれは黄疸と言ってね。内臓に病気があるサインなんだよ」
「オウダン?」
「そして、もう1つの理由は、君たちが必死に奪い合っているペスト菌と治療薬は、すでに全て私がちょうだいしたからさ」
「な!?」
「それと、今回の計画に関わった研究者と、製造に関する資料もだ。つまり、もはや君たちには今回の計画を実行に移したくとも移す術がない、ということなのさ」
シモンの説明を聞き、
「なんだと!?」
兵士たちがシモンへと斬りかかるも、
「させねえよ!」
孫とスードラによって蹴散らされてしまった。
「やはり貴様、いや貴様らは、最初から我らを謀っていたのだな」
ヴァレルの目に驚きはなかった。彼は最初から「ロシア」の全権大使なる人物を、微塵も信じてなどいなかったのだった。
「考え方の相違だな。ここまでは、君たちと私の利害は一致していた。だが、ここからは違うというだけだ。それと、ロシアのことは私の預かり知らぬところだ。なにしろ、私は元々ロシアの手先ではないのでね」
「なに?」
「そうたいした話じゃない。知人経由で、ロシアがディサースにペスト菌を広めようとしていることを知ってね。ちょっとロシアまで行って、この作戦の責任者を洗脳して、私をペスト関連の専門家としてディサースに送り込ませたんだよ」
その知人とは「イレイズ」のリーダー、マグドラ・マグダルであり、シモンは彼の提案に便乗しただけなのだった。
「あ、そうそう、高比良君」
シモンは高比良を見た。
「なんですか、シモンさん?」
「マグドラに伝えておいてもらえるかな。私たち3人は、只今をもって「イレイズ」を抜けると」
「……つまり、あなたは僕たちも利用していた。そういうことですか?」
ある程度予想していたのか。高比良の目は冷ややかだった。
「何か問題があるかね? 私はマグドラの指示通りロシアの陰謀を阻止し、なおかつ永遠長君を関与させることで、永遠長君の敵意をロシアに向けるという、マグドラの計画を九分九厘完遂させた」
唯一の誤算は、マグドラが暴露する前に、メフリス王国が永遠長暗殺に動いたことだったが、それも計画全体から見れば些細なことだった。
「君たちの計画を邪魔したのならばともかく、目的は達成してやったんだ。それ以後のことにまで文句を言われる筋合いはない。違うかね?」
確かに、その通りだった。
「そもそも、私と君たちでは目的が違うのだよ。君たち「イレイズ」の目的は地球人の絶滅だが、私はそんなことには興味がないのでね」
シモンの主張を聞き、
「どゆこと?」
一番困惑したのは音和だった。
「ああ、そう言えば言ってなかったけど、高比良君たち「イレイズ」は地球人を滅ぼすために活動してる組織なんだよ」
多知川は事もなげに答えた。
「今回のことも、敵対している地球人がディサースを狙って仕掛けて来たことだから、協力を申し出てくれたんだよ」
「な、なんで、そんな組織と当たり前のように関わってんの?」
「言ったろ。この商売してたら、いろんなツテがあるって」
「ツテって」
「ま、イレイズに関してはそれだけじゃなく、ギルド戦の後に直接スカウトされたんだけど」
「スカウト!?」
「そ」
「……もちろん、断ったんだよね?」
「まだ保留中」
「なんで、すぐ断らないんだよ!?」
「なんでって、そりゃムカつくからだよ」
「ム、ムカつく?」
「そうだろ。異世界は異世界人のものなのにさ。それを自分たちの都合で植民地にしようとして、それを永遠長君に邪魔されたら、一方的に悪者扱いしてさあ」
挙句の果てに、難癖をつけてギルド戦を仕掛け、しかも集団でボコッて異世界ギルドの運営権を奪い取ろうとした。
「永遠長君は、前に君が言ってたみたいに「自分の世界の問題は自分たちで解決しろ。よその世界に迷惑をかけるな」って、当たり前のことを言ってるだけなのにさ」
人命を盾にすれば、何をしても許されると思っている。その傲慢さがムカつくのだった。
「まして、異世界に移住するための対価が地球の科学技術って、今地球で起きてる問題を、そのまま全部異世界に持ち込もうとしてるってことだろ? ほんと、度し難いったらないね」
「だ、だからって、地球人を皆殺しにしていいわけないだろ」
「だから保留にしたんじゃないか。まだ地球人を皆殺しにするには、動機が少し弱いかなって」
「だから、そういう問題じゃなくて」
「てか、今はそれどころじゃないと思うんだけど?」
多知川はシモンを指差し、
「あ……」
音和も我に返った。
「し、失礼しました。どうぞ、お続けください」
音和はペコリと頭を下げた。
「いや、かまわんよ。それに今の彼女の意見は、まんざら私の目的と無関係でもないしね」
「どういうことですか?」
高比良が尋ねた。
「私の目的は、地球の「科学」を、この世界に広めることだからさ」
「科学を広める?」
「今回のことは、そのための第一歩」
ペスト菌の増産には、当然ながら人手がいる。
そこでメフリス王は、その役目を国の錬金術師たちに命じた。が、それは同時に、錬金術師たちにペスト菌と治療薬に関する知識を学ばせるということでもあった。そこでシモンは、自らが科学班のトップとなることで、ペスト菌を通じて「科学」を錬金術師たちに学ばせようとしたのだった。
伝染病が神や悪魔の仕業ではなく、自然界から発生するものであり、それを治療する薬もまた、自然界から作り出すことができる。そこに神の奇跡など存在せず、その気になれば誰にでも作り出すことができる。それが「科学」なのだと。
しかし、ただシモンが街頭に立って、いくら講釈をたれたところで、誰も聞く耳など持たない。それどころか神を否定する危険思想として、国や宗教団体から弾圧される恐れさえあった。
ならば、どうすればいいか。
シモンの出した答えは、弾圧する側の権力者を後ろ盾にすることだった。そして、その権威の下、集まった優秀な錬金術師たちに「科学」を教えればいい。
そう考えたシモンは、マグドラの計画に乗ったのだった。
この世界に「科学」を広める。その足がかりとするために。
そして幸いなことに、集められた錬金術師たちは「科学」に大いに興味を持ってくれた。
「私は、これから彼らにさらなる「科学」を教え、その彼らが今度は師となって弟子に「科学」を教え、広めていく。そしてゆくゆくは、この世界を「科学」と「魔法」の融合した世界とし、この世界を神の楔から解き放つのだ」
「御大層なこと言ってるけどさ。それって、つまりボクがさっき言った、この世界に今地球で起きてる問題を、そのまま持って来るってことだよね?」
マイクロプラスチックなどの環境汚染や核の拡散。ゴミの廃棄処分問題や酸性雨や温暖化などの気象異常を。
「それってさ、永遠長君が1番懸念してることで、そんなこと永遠長君が絶対に許さないと思うんだけど?」
「では君は、このままディサース人は科学技術が未熟なまま、地球人にいいように食い物にされろというのかね?」
シモンの指摘に、多知川は鼻白んだ。
「このままでは、遅かれ早かれ地球人は異世界に進出してくるだろう。ならば、連中が異世界人の無知につけ込んで来る前に、異世界人に「科学」を教え、地球人に対抗する術を身に着けさせる事が、地球人から彼らを守る最善の方法ではないかね?」
「核の脅威から身を守るためには、自分たちも核を持つのが1番の方法ってわけかい?」
「今、地球がああなっているのは、核を持っている国が限定されているからだ。もし、すべての国が100発ずつ核を有していれば、それこそ戦争など起こり得ない。誰も死にたくはないからな」
「そんな真似したら、それこそテロリストまでが簡単に核を手に入れられるようになっちゃうよ。死を恐れない人間が核を手に入れたら、それこそ取り返しがつかないことになるんじゃないかい?」
「今言ったのは、あくまでたとえ話だ。むろん、私とて君や永遠長君が懸念していることは理解しているつもりだよ」
その世界のことは、その世界に委ねるべき。
たとえ、いずれ異世界が地球と同じ運命を辿るとしても、それは異世界人自身の選択によってなされるべき。
部外者である地球人が関与すべきではない、と。
「実際、オリジナルのディサースやモス、エルギアは、それで現状維持のまま1000年以上、存続しているのだし」
そして、このまま行けば、さらに1000年、2000年先も今の文明のまま、人類は生存し続けているかもしれない。
「だが、そんな生になんの意味がある?」
シモンに言わせれば、そんなものは唯生きているだけに過ぎないのだった。
「人はパンのみに生きるにあらず。これは「衣食住だけでなく、人が幸福になるためには神の導きが必要だ」という意味だが、私に言わせれば、この言葉は「唯生きてさえいれば幸せというわけではない。人が真に幸せになるためには日々の糧以上のものが必要」ということだ。もっとも、今の世界は、その日々の糧さえままならない人間が大半なのだがね」
人は誰しもが、皆より良い生活を送りたいと願っている。
たった1つのパンを奪い合うこともなく。
ただの風邪で死ぬこともなく。
寒さに凍え死ぬこともなく。
万人が幸せに暮らせる世界。
「それが「科学」によってもたらされるのであれば、それを否定する権利も、ましてや奪う権利など誰にもない」
それでもなお、異世界人への干渉を悪とするのであれば、それは正義ではなく、ただの独善に過ぎない。
「まして「科学」というパンドラの箱を異世界で開いたのは、他ならぬ地球人だ。それまで自分たちのルールで生きてきた異世界に土足で踏み込み、その世界の秩序を乱しておきながら、異世界人にとってメリットとなり得る「科学」には手を付けるなというのは、傲慢が過ぎるだろう。それとも君は、このまま地球人の異世界への流入だけを許して、異世界人の無知につけ込む地球人に、いいように食い物にされ続けろというのかね?」
中国に侵食されている国々のように。
「すでに世界の均衡は、異世界ギルドによって壊されたのだ。ならば、それを受け入れ高みを目指すのは時代の流れであり、1度流れ始めた時流は、もはや誰にも止められん」
その流れを、元凶である「異世界ギルド」が否定するなど笑止千万。愚の骨頂。
「生物の進化は世の理。そして、今人類は世界の垣根を超えて進化する、新たな時代へと突入しようとしているのだ。ならば、その渦中において何が最善か? この先の未来はどうあるべきか? それを模索し、最善の世界を作るべく努力することが、食物連鎖から外れた人類の、この世界での役割だろう」
そして、それを実現するための力が「地球の危機を救うため」という大義の下、今の自分たちには与えられている。
「非力な1市民であれば、とうてい叶わぬ理想へと続く道が、今は誰の前にも開かれている。自分たちが生きる世界が、いかにあるべきか。どんな世界に生きたいか。どんな世界であるべきか。それが今我々に問いかけられている命題であり、永遠長君が掲げる「保守主義」は、その答えの1つに過ぎないのだよ」
「御高説痛み入るけどね。ボクの質問の答えになってないよ。確かに、このままじゃ異世界人は地球人に食い物にされるかもしれないけど、この世界の人間が科学を学んだ結果、この世界が破滅しちゃったら、元も子もないんじゃないのか? てことへの答えにね」
「むろん、その可能性はあるし、そのための対策も考えてある」
「へえ、どんな?」
「もし異世界人が、この世界で核や、それに匹敵する兵器を製造した場合、私が速やかに排除する。その兵器を、製造者もろとも」
普通であれば、この案は成立しない。なぜならば、人は不老不死ではいられない。そして、それがどんなに高潔な考えであろうと、その人物が死ねばそれまでの話。その意志を継ぐ者たちが、永遠に開祖と同じ高潔な思想を持ち続けるなど夢物語でしかない。
「しかし僥倖なことに、私はソレを可能にする手段を手に入れた。契約者と言ったかな? 彼らの内の1人から「不老不死」を手に入れることによってね」
「……つまり、自分が永遠に生きて、不埒者たちを成敗し続けるから問題ないと?」
「まあ、早い話がそういうことだ」
「それってさ、とどの詰まり君が独裁者になって、この世界を支配するって言ってるのと同じだよね? たった1人の人間の才覚に、すべてを委ねる世界なんてゾッとするね」
「私としては管理人のつもりなのだが、それを君が独裁と言うのであれば、私はそれでもかまわんよ」
シモンは軽く受け流した。
「どうも君は、独裁=悪と考えているようだが、独裁、専制は政治の一形態に過ぎない。事実、このディサースにも数多くの専制国家、つまり君の言う独裁政権が存在するし、それは地球においても同じことだ。いや、むしろ増える傾向にあるとさえ言え、それを国民も受け入れようとしている」
シモンがやろうとしていることは、それを世界規模で、それも影から行おうとしているに過ぎないのだった。
「つまるところ、大多数の人間にとって重要なのは支配体制ではなく、その体制下において「自分がどれだけ豊かな生活を送れるか」なのだ。そして、それさえ保証してくれれば、民衆にとって自分たちの上に立つものが「王」であろうと「法」であろうと、そんなことはどうでもいいことなんだよ」
「それ、あくまで君がそう思ってるだけだよね?」
「かもしれん。が、それを言うなら君の意見も、あくまで君個人の見解に過ぎないのではないかね? まあ、君たちの年頃の子供が「わかりやすい悪」を見つけて「正義の鉄槌」を下すことに喜びを感じる気持ちもわからんではないがね。この世界や地球の独裁者の横暴は見て見ぬふりをしておきながら、叩きやすい私だけは悪と断じて全否定するのは、いささか御都合主義が過ぎるのではないかね? もし君たちが本当に悪を許せない。正義の味方を自称するのであれば、私ではなく、まずロシアを成敗すべきだ。違うかね?」
シモンに言わせれば、多知川たちのしていることは、幼稚な偽善者が安い正義を振りかざし、薄っぺらい綺麗事を並べて悦に浸っているに過ぎないのだった。
「確かにそうだね。でも、たとえ独裁だろうと専制だろうと、本当にすべてを1人で決めているわけじゃない」
国によっては議会が存在するし、大臣や地方貴族もいる。国王と言えども、すべてを自分の思い通りにできるわけではないのだった。
「ならば、それは私も同じことだ。私は、この世界を私の考え通り四角四面で抑えつけたいわけじゃない。人が核のような制御しきれない力を有することを阻止したいだけだ。それ以外のことで、この世界のことに関与するつもりはない」
「科学なんで爆弾を、この世界に投下しておいて、かい?」
「それを言うと、また堂々巡りになるが、それがお望みかな?」
シモンが皮肉ったところで、
「いえ全然」
音和が口を開いた。
「えーと、あなたの言いたいことはわかったし、これ以上聞いてても、それこそ堂々巡りになりそうなんで、ここらで御暇したいんですけど、その前に1つだけお聞きしたいことがあるんですけど、いいですか?」
「何かな?」
「えーと、さっきペスト菌と治療薬を頂いた、みたいなこと言ってましたけど、アレどうするつもりなんです?」
処分するだけならば、ここで焼却すれば済んだこと。それを、わざわざ持ち出したということは、何かに利用するためということになる。
「元々俺たちは、ペスト菌による大量虐殺を止めるために来たんです。だから、もしあなたが金輪際アレを使わないと言うのであれば、俺たちに渡してくれませんか?」
この世界に科学を導入すべきかどうか。そんな世界レベルの話は、音和の許容範囲を超えている。今の音和にとって重要なことは、ペストによる犠牲者を出さないこと。それだけなのだった。
「そうだったね。ここに来たのは、元々それが目的なんだった」
多知川も軽く息をつき、熱くなっていた頭を冷やした。
「どうしたんだい? 急にダンマリ決め込んじゃって? もしかして痛いとこ突かれちゃったのかな?」
多知川はニヤけた。
「君の言っていることが本当なら、もう君にペスト菌は必要ないはずだろ? こっちとしても、君の言葉の真偽がわからない以上、君の手にペスト菌を委ねておくわけにはいかない。お互い、ここがいい落とし所だと思うんだけど?」
「生憎だが、それはできない相談だ」
「へえ」
「アレを作るには、皆苦労したのでね。それを他人にくれてやるのは、さすがに忍びないし、作ってくれた者たちに申し訳ない。なにより、アレはもうすぐ使う予定なのでね」
今から作り直すことも可能だが、さすがに時間と手間の無駄が大き過ぎる。
「なんだ、そりゃ!? てめえ、さっき、ここの奴らに使わせねえって言ってたろうが!」
安住が声を荒げた。
「そう。市民にはな」
シモンの真意を測りかね、一同がいぶかしむ。
「さっきも言っただろう。この世界に「科学」を広めるうえで、最大の障害になるのは権力者だと。そして、この世界で国王と並ぶか、それ以上の権力を持つのは宗教家だ。だからペストを宗教家、それも中央の司祭以上の人間にバラまく」
「そんなこと」
義憤にかられる咲来に、
「何か問題かね、お嬢さん?」
シモンは冷酷な眼差しを向けた。
「この世界の宗教家が主張しているように、もし本当に、この世のすべてが神の意志と御業によって成り立っているのあれば、その神に仕える神官は、その神の力によりペストであろうと治せるはずだ。違うかね?」
今日までこの世界の宗教家は、この理屈の下、民に理不尽な死を強いてきた。
「ならば、その教えに自分たちも殉じて死ねれば本望だろう。きっと、神も天界で己の教えを全うした宗教家たちを暖かく迎えてくれるに違いない」
シモンは鼻で笑った。
「とはいえ、私としても無駄な人死は本意ではない。そこで、彼らにも助かるチャンスをあげるつもりだ」
自分たちが否定してきた「科学」によって作られた治療薬を、宗教家の前に差し出す。そして、それを使うかどうかを本人たちに選ばせる。
「もっとも、どちらにしても結果は変わらんがね」
そのまま死ねば、神の限界が露呈して神の権威は失墜する。また、治療薬を使ったら使ったで、自力で治せなかった司教たち、ひいては神の権威は失墜する。そして司教たちが死に絶えたところで、街で広がりゆくペストを「科学」を提唱するシモンが治療すれば、いかに神を盲信している市民たちと言えど、嫌でも盲が開かれるし、国王たちも自分の意見を無視できなくなる。
「もっとも、私としてもここまではやりたくない。私の目的は、あくまでもこの世界の変革であって、破滅ではないからだ。なので、これは最後の手段。奥の手だ」
この決断に関しては、いかなる情に動かされることもなく、一切の妥協もなく、何人の介入も許さない。
シモンの淡々とした口調には、彼の確固たる決意が表れていた。
「そう言われて、こっちが「はい。そうですか」と引き下がると思うかい?」
「そうしてもらえれば、こちらとしては手間が省けるのだが……」
シモンは「パラダイムシフト」と「イレイズ」のメンバーを見回した。すると、ほぼ全員の目がシモンの考えを全否定していた。
「そうはいかないようだ」
シモンは鼻で笑った。
「いいだろう。ならば、かかってくるがいい。全員蹴散らし、私は私の正義を貫き通す」
相容れない考えを持つ者たちが衝突した場合、最後に物を言うのは武力であり、それは今も昔も変わらない。であればこそ、外交においても「戦争」は交渉カードの1つとして、古来より使われてきたのだった。
「たいした自信だね」
多知川たちも身構える。
「無論だ。その自信なくして、この世界の「管理者」を名乗るなど夢物語でしかない」
「たとえ、何百、何千の人間を相手にしても勝てると? とても、そうは見えないけどね」
多知川の見るところ、シモンは貧弱でこそないが、その体格は並であり、とても自負するような力を持ち合わせているようには見えなかった。
「人を見かけて判断すると後悔することになる。と言うのは、ナンセンスだな。私としては、君たちが油断していてくれるほうが助かるのだからね」
シモンは苦笑すると、
「悪いが君たちは下がっていてくれ」
傍らで身構える孫とスードラを見た。
「ええ!? なんでだよ!? オレ様にも戦らせろよ!」
戦う気満々だった孫は、シモンに断固抗議した。
「気持ちはわかるが、今この場で力量を試されているのは私だ。だから、私は私の力を彼女たちに知らしめ、私が口先だけのハッタリ野郎でないことを証明しなくてはならんのだよ。男として」
「男としてか」
シモンの最後の1言に孫は得心がいったようで、
「わかったぜ」
あっさり引き下がった。
「いいのかい、そんなこと言って? 後で後悔しても知らないよ?」
多知川の皮肉を込めた忠告を、
「この程度の人数を相手に遅れを取るようなら、しょせん私はその程度の器に過ぎなかったということだ。惜しむべき何物もない」
シモンは一蹴した。
「では、始めるとしよう。ルールは、どちらかが全滅すれば負け。無論、復活チケットの使用はなしだ。そして、もし君たちが私に勝つことができれば、私は私の誇りにかけてペスト菌を破棄し、2度と使用しないことを約束しよう」
「上等だよ」
「では、戦闘」
開始と言いかけて、シモンは周囲を見回した。
「この場で戦うのはマズいか。大技を使えば、民間人にも被害が出かねない」
周囲を城壁で囲まれているとは言え、シークレットクラスのジョブスキルは、この程度の城壁など簡単に破壊してしまう。そんな力を持つ者同士が戦えば、どれだけの被害が出るか知れたものではなかった。
「民間人に人死が出るのは、私の本意ではない。私の目的は、あくまでもこの世界の変革であり、破滅ではないのだからな」
シモンはポケットから転移の羽を取り出すと、庭園にいる全員を王都から10キロほど離れた荒野へと転移させた。
「ここなら、多少暴れたとしても、たいした被害はなかろう」
シモンは周囲を見回した後、
「では、始めようか」
戦闘開始を告げたのだった。




