第219話
ヴィラとのセカンド・インパクトから2日。
頂上に差し掛かった陽の光の下、音和たちはヴィラに指定されたカザント村へと歩を進めていた。正直、音和たちとしては馬車で向かいたかったのだが、現在カザント村行きの馬車が全便休止しているため徒歩を選択せざるを得なかったのだった。
休止の理由は、カザント村に向かった馬車が戻ってこないためで、それは調査に向かった職員や冒険者たちも同様らしかった。そこで、その原因が判明するまでの間、カザント村への馬車便は休止が決定したのだという。
あからさまに危険てんこ盛りの情報だったが、ここで尻込みしていても始まらない。
音和たちは「今、あの村には近づかないほうがいい」という職員の忠告に感謝しつつも、カザント村へと向かったのだった。
そして森を抜け、音和たちの目に人家が見えたところで、
『ようこそ、歓迎するわ』
頭の中に直接声が届いた。
『わたしに会いたければ、南の教会までいらっしゃい。待ってるわ、トワナガ』
出迎えの挨拶が終わるとともに、村人たちが家々から姿を現した。しかし、その目は虚ろであり、体からは生気が消え失せていた。
「やっぱり、村人たちを殺してゾンビ化したみたいだね」
多知川の顔に驚きはなかった。ヴィラがデスマスターである以上、これは予想の範囲内だった。しかし、1つだけ多知川にとって予想外の事柄があった。それは、ゾンビの体に赤黒い腫瘍のようなものがあることだった。それも、ある者は顔に。ある者は腕といったように、腫瘍の位置も大きさもバラバラなものが。
「まさか」
多知川の頭に1つの可能性が浮かんだ。
「ペスト?」
だとすれば最悪だった。それこそ、ゾンビの脅威が消し飛ぶほどの。
「ペスト!?」
音和と咲来の表情も険しさを増す。中学出たての音和たちでも、ペストがどんなものかは知っている。そして、そのペストにゾンビたちが感染していることが、どんな事態を招くかも。
「2人とも、このゾンビたちに近づいちゃだめだ。切ってもだめだ。飛び散った血から感染するかもしれない」
多知川は素早く音和たちに指示を飛ばすと、
「マジックバインド」
近づいてくるゾンビたちの足をマジックロープで絡め取った。
「今のうちに!」
多知川は地を蹴り、
「あ、ああ」
音和と咲来も後を追う。
その後も多知川は「マジックバインド」でゾンビたちを拘束するとともに、家々の間にマジックロープを張り巡らせていく。そして、マジックロープによって足止めされているゾンビたちの間を駆け抜け、なんとか音和たちは教会にたどり着くことができたのだった。
「じゃあ、行くよ」
息を整えた3人が教会に殴り込もうとしたとき、
「どうだった? わたしのもてなしは? 堪能してもらえたかしら?」
ヴィラが教会から出てきた。
「悪趣味極まりないね。ホストの程度が知れるってものさ」
多知川は毒づいた。
「ま、年を食いすぎてボケが回ってきてるんだろうから、仕方ないっちゃ仕方ないか。誰も老化現象には勝てないからねえ」
「……相変わらず、面白い坊やだこと」
ヴィラは口の片端を曲げた。
「そんなことより!」
音和は声を荒げた。
「どうして、こんな!?」
音和は怒りに言葉を詰まらせた。
「こんな? ああ、この村のこと? もちろん趣味」
「な……」
「と言いたいところだけど、お仕事の一環」
「仕事!? ここの人たちを殺してゾンビにすることがか!?」
音和には理解できなかった。
「んー、これ本当は極秘事項なんだけど。いいわ。ここまで来たご褒美として特別に教えてあげる。もっとも、わたしの知っている範囲で、だけれども」
実を言えば、話を聞き終えた後、音和たちがどんな反応をするか見たいのだった。
「これはね、メフリス王国の戦略の一手なの」
「戦略?」
「そう。トラキル王国攻略のね」
国の拡大を図るメフリス王国にとって、隣で睨みを利かせるトラキル王国は目障りな存在だった。しかし、トラキル王国は大陸一の強国であり、まともに戦り合っても勝ち目はない。
そこへ、取引を持ちかけてきたのが地球人だった。
「そいつは王に、ペストだっけ? その伝染病の仕組みを教えて、その伝染病の元を量産してトラキルに広めれば勝てるって入れ知恵したのよ」
「量産!? ペストを!?」
音和と咲来は顔を見合わせた。
「ええ。仕組みはよく分からないけど」
しかし、本格的に散布する前に効果を確かめておく必要があった。
「それが、この村ってわけか」
多知川は話が見えてきた。
「そう。本番前の実験というわけ。治療薬の効果も試しておかなきゃならなかったしね」
「……人の命をなんだと思ってるんだ?」
「そりゃ、人の命は人の命だと思ってるわ。それ以上でも、それ以下でもない」
ヴィラは音和の怒りを軽く受け流した。
「むしろ、こっちが聞きたいわね。あなたたちのほうこそ、人間の命がどれ程のものだと思ってるの?」
自然界において、死は突然に訪れる。それは、虫も獣も魚も同じ。明日の保証など、どこにもない。今この瞬間にも問答無用に容赦なく、より強者の糧とされてしまう。それが自然の摂理であり、それは人間も変わらない。なのに、人間だけは今日も明日も明後日も、自分たちが生きているのが当たり前だと思っている。
ヴィラに言わせれば、それ自体が間違いなのだった。
「どこかで生まれて、どこかで死ぬ。生物なんて、それだけの存在。そして、どこでどう生き、どう死のうと、この世界にはなんの影響も及ぼすことはない。そこらの虫や動物と何も変わらない。そんな人間の命が尊いと思っているのは人間だけ」
人類が絶滅しようと、他の動植物は何も困らない。人間など、その程度の存在に過ぎないのだった。
「戦争が起これば人が死ぬ。そして、メフリスとトラキルの戦争は、すでに始まっているのよ。ここの住人は、その戦争の最初の犠牲者になったというだけ」
違いがあるとすれば、その殺害方法が暴力ではなく、伝染病だったというだけなのだった。
「御高説痛み入るけど、そのやり方が問題なんだよ」
多知川は苦々しく吐き捨てた。
「とはいえ、君のような下っ端に、いくら言っても無駄だよね。しょせん、上に言われたことを盲目的に実行しているだけの、お人形さんに過ぎないんだからさ」
多知川は皮肉を込めて嘲ったが、
「そういうこと」
ヴィラに軽く受け流されてしまった。
「で、話を続けるけど、そうして伝染病を流行らせる準備をする傍ら、わたしたちは盗賊やモンスターの仕業に見せかけて、行商人や村を襲っていたの。物流を停滞させ、国民の王家への不満を高めるためにね」
そして不満が高まったところでペスト菌をバラまく。
「そうして、物不足と伝染病でトラキルが疲弊しきったところで攻め込めば、労せずしてトラキルを滅ぼせるってね」
「なるほどね。君たちが永遠長君を狙ったのも、彼がいるとトラキル攻略の障害になると思ったからか」
「そういうこと」
ヴィラは音和を見た。
「あなた、トラキルの第一王子と繋がりがあるんでしょ? なんでも、例の3大ギルドの壊滅、あれ第一王子の依頼だったとか」
「え!? そうなの!?」
そんな話は初耳だった。
「オトボケが上手ね。でも、まあ無理もないわね。いくら冒険者とはいえ、表面上は犯罪とは無縁の市民を、王家がなんの証拠もなく粛清したなんて話が公になったら、それはそれで対外的に色々と問題になってしまう。そうしないためには、アレはあくまでも冒険者同士の内部抗争、ということにしておく必要があるものね」
3大ギルドが全盛だった時期、トラキル国内では地球人による犯罪が多発していた。
街中での窃盗、傷害、暴行などの軽犯罪はもとより、奴隷商人と結託して村々を襲い、村人たちを奴隷として売り飛ばす。
モンスターが街や村を襲うように仕向け、そのモンスターを自分たちが討伐することで報酬を要求する。
貴族に取り入り、暗殺など政敵を追い落とす手助けをする代わりに爵位や領地を要求する。
そういう国家レベルの犯罪にまで手を染めていたのだった。たとえ異世界で死んでも生き返れるのをいいことに。
しかし、表面上は1市民。王家としては、証拠もなく罰する事はできない。そして、その証拠を探し出す任にある役人たちも、賄賂により懐柔されてしまっていた。
このままでは国が滅びかねない。
第一王子が永遠長と出会ったのは、そんなときだった。そして第一王子から事情を聞いた永遠長は「それは依頼か? 依頼ならば受けよう」と、第一王子の「この国を守りたい」という願いを、依頼として遂行したのだった。3大ギルドの連中に、地獄を見せるという形で。
そして、依頼を完遂した永遠長は、トラキル王家から国内における治外法権ともいうべき権限を与えられたのだった。
「つまり、3大ギルドを壊滅させた永遠長君が生きてると、またトラキルがピンチになったら出張って来かねない。そこで、その前に始末しておこうとしたわけだね」
「あそこで遭遇したのは偶然だったけれどね。あそこには、ただ村を襲撃するために行っただけだったから。でも、トワナガがいるって情報が入って、じゃあ、この機に殺っちゃおうってことになったってわけ。わたしの知るところは、こんなところだけど、満足してもらえたかしら?」
「うん。よくわかったよ」
「そう。それは何より。じゃあ、リップサービスはこれぐらいにして、そろそろパーティーらしく、チークダンスに興じるとしましょうか、トワナガ」
ヴィラは両手にナイフを握りしめた。
「その前に、教えてもらいっぱなしってのもなんだから、俺からも1つ教えておくよ」
音和も応戦するべく剣を構えた。
「もしかして、特殊な性癖があるとかかしら? だったら安心して。わたし、大概のプレイには対応可能だから」
「いや、そういうことじゃなくて」
「じゃあ、何かしら?」
「俺の名前は音和七音」
「え?」
「つまり、俺はあんたたちが狙ってる永遠長じゃないんだよ。あんたたちには残念ながらね」
「…………」
「そして今回のことは、たとえ俺たちをここで殺したとしても、永遠長の耳に入る手筈になっている。あんたが地球に送り返した2人からね」
大嘘だったが、この状況でヴィラに真偽を確かめる術はない。この際は、ヴィラに信じさせることさえできればいいのだった。
「つまり、地球人の力を利用してトラキルを滅ぼそうという、あんたたちの計画は失敗に終わったってことさ。いや、俺を永遠長と間違えた時点で終わってたんだよ」
「……命惜しさの嘘、というわけではなさそうね」
噂には尾ひれがつくものだが、それを差し引いても目の前にいる男の力量は低すぎる。と、ヴィラも思っていた。しかし、それもこの坊やが偽物なら納得がいくというものだった。
「つまり、わたしはこの数日間、偽物相手に無駄な手間暇をかけていたというわけね。笑える」
ヴィラは苦笑した。
「納得してもらえたなら、俺にかかってる呪いを解いてもらいたいんだけど?」
音和はダメ元で言ってみた。自分にかけられた呪いは永遠長を殺すためのもの。人違いとわかった以上、かけ続ける必要はないはずだと。しかし、
「そうね、と言ってあげたいところだけど、ダメ」
案の定、ヴィラからは拒絶の返事が返ってきた。
「あなたが言ってることが本当かどうかわからない以上、秘密を知ったあなたたちを殺しておくのが、ここでの最善手なんだから」
そのうえで、もし本当に仲間2人から永遠長に情報が伝わるとすれば、それ相応の対処をすればいいだけの話。少なくとも、ここで音和たちを見逃すメリットなどヴィラにはないのだった。
「もっとも、あなたがわたしのペットになるっていうなら、話は別だけど」
「謹んで辞退させていただきます」
音和はペコリと頭を下げた。
「あら、残念」
ヴィラは微笑した。
「けれど、なら、あなたが生き延びるためには、わたしを殺すしかない」
「できれば素直に引いてくれれば、ありがたかったんだけどね」
「お生憎様。こんな美味しそうな獲物を前にして引くなんて、もったいない真似できないわ。散々、お預けを食った後なら、なおさらね」
ヴィラはペロリと唇を舐めた。
「強い男と戦うのもいいけど、弱い子をいたぶるのも、それはそれでゾクゾクする。そう思わない?」
切り込んでくるヴィラに対して、
「いや、全然」
音和が剣を振り払う。しかしヴィラはその一撃を屈んでやり過ごすと、
「それは、つまりいたぶられるほうが好きってことね」
音和の顔へとナイフを突き出す。
「誰が!」
音和は、とっさに盾でガードしたが、
「が!?」
吹き飛ばされてしまった。
「な!?」
「何を驚いてるの? 言ったでしょ。女だからってフィジカルが弱いと思うなって」
ヴィラはナイフを構え直した。
「それに、このナイフは特別性なの。このナイフを造った男の話によると、たとえばこのナイフであなたの心臓を突き刺して殺したとするでしょ。そうしたら、このナイフが突き刺さったまま、あなたは元の世界に戻るそうなの」
「え!?」
「そう。つまり、このナイフで致命傷を負うと、本当に死んでしまうってこと」
「それも、棺桶を造った奴と同じ奴の作ってわけかい?」
尋ねつつ、多知川の目は確信に満ちていた。
「ええ、そう。加えて、このナイフには毒と呪詛が込められてるから治癒魔法では治らない。つまり、あなたたちは致命傷はおろか、かすり傷ひとつすら許されないってこと」
なんじゃそりゃあ!? と、音和は心の中で毒づいた。口に出さなかったのは、出してもヴィラを喜ばせるだけなのがわかっていたからだった。
「だったら、殺られる前に殺るだけだよ!」
多知川はヴィラの足元から魔法の鎖を出現させて、ヴィラの動きを封じにかかる。しかし、鎖が絡め取るより早くヴィラは姿を消すと、
「まず1人」
直後に多知川の背後に出現した。が、それも多知川の計算の内だった。
「かかったね」
多知川はクオリティを発動した。すると、多知川の首を切り裂こうとしていたヴィラの動きが止まった。
多知川の「反逆」の効果であり、多知川は短距離であれば接触していなくても、対象者に自分の意に反する行為をさせることができるのだった。
「今だよ、音和君!」
多知川に促され、
「あ、ああ」
音和がヴィラへと剣を振り上げる。そして、そのままヴィラの左肩から心臓へと振り下ろされる。はずだった刃は、直前で軌道を変更すると、ヴィラの右腕へと振り下ろされたのだった。
「片腕じゃ、もう戦えないだろ。あきらめて降参しろ」
「どうして寸前で狙いを変えたの? もしかして、わたし、というより、人を殺すことに抵抗があるのかしら?」
「悪いか? 俺はあんたと違って、平気で人を殺せるほど、人間やめてないんだよ」
音和は苦々しく言い捨てた。
「酷い言われようだこと」
ヴィラは苦笑すると、その場から大きく飛び退いた。
「なるほどね」
ヴィラは多知川を見た。
「要するに、あなたの力は相手に思ったことと反対のことをさせる力なのね」
最初は、ただの金縛りだと思っていた。しかし色々と試しているうちに、まったく動けないのではなく、自分の意に沿っては動けないだけだということに気づいた。
つまり動けと思えば動かないが、動くなと思えば動くことに。
そして、試しに背後に飛び退かないと強く思ったら飛び退いたのだった。
「少し調整が必要だけど、このぐらいなら対処の範囲内。あなたたちを殺すだけなら、なんの支障もない。ん?」
ヴィラは左手をマジマジと見た。
「あら、普通に動くわね。ああ、なるほど。あなたの力には効果範囲があるのね。しかも、相当な至近距離でなければ効果を発揮できないみたいね」
ヴィラは鼻で笑うと音和を見た。
「それと、あなた。自分は人間やめてないって言ったけど、じゃあ人間て何? どういう人間が人間らしい人間なの?」
「どういうって……。そりゃ、平気で人を殺さない、傷つけない人間のことだよ」
「あら? だとしたら、あなたは気にする必要なんてないでしょうに」
「え?」
「だって、あなたが今わたしと戦ってるのは、わたしにかけられた呪いを解くためなんだから。やられたらやり返す。自分が殺されないために、殺そうとしている相手を殺す。これは人間に限らず、生物が生きる上で牙を剥くに値する、正当な理由ではなくて?」
それを否定することは、ヴィラに言わせれば人間性の否定ではなく、人としての、いや生物としての尊厳の放棄なのだった。
「殴られても殴り返さなければ、相手を増長させるだけ。それでも、なお戦いを拒むというのであれば、それはあなたが人間だからではなく、ただあなたが人を傷つけるのが怖いだけ。でも、それじゃみっともないから、人間性という大義名分で誤魔化しているだけに過ぎない」
自分の弱さから目を逸らすために。
「でも、勘違いしないで。わたしは別にあなたを責めているわけでも、バカにしているわけでもない。むしろ、羨ましくさえ思っているのだから」
そんな綺麗事を言えるぐらい、恵まれた人生を送って来れたことを。
「そして、そういう人間を、わたしはこれまでも大勢見てきたわ。そして、その度に試してみたくなってしまうの」
その綺麗事を、いつまで吐き続けていられるか、を。
「こんなふうに」
ヴィラは咲来の背後に瞬間移動すると、咲来の両手首を切り裂いた。
「咲来さん!」
「それ以上はやらせないよ」
多知川は「マジックバインド」で、ヴィラの動きを封じにかかる。それに気づいたヴィラは、多知川にナイフを投げつける。
「く……」
多知川は右に飛び退き、ナイフをかわす。が、飛び退いた先々へと、2投目3投目のナイフが飛んでくる。
「しつこい女は嫌われるよ」
それでも多知川は、なんとかナイフをかわしていたが、
「ぐ!?」
不意に左足首に痛みが走った。見ると、左足首にナイフが刺さっていた。
「そうそう、1つ言い忘れていたけど」
ヴィラがそう言った直後、
「ぐ!?」
「う!?」
多知川と咲来の背中にナイフが刺さった。
「そのナイフ、遠隔操作することもできるの」
ヴィラは倒れた多知川と咲来の間に瞬間移動すると、
「デスリミット」
2人に死の呪いをかけた。
「これで、この2人に残された時間は後5分。それまでにわたしを殺さなければ、この2人は本当に死んでしまう。どう? これでもまだ人間がどうのと、甘い綺麗事を言っていられる?」
ヴィラは音和に微笑みかけた。
「この!」
ヴィラを殺さない限り、2人は死ぬ。しかし、そのためにはヴィラを殺さなければならない。
「くそお!」
音和はヴィラに斬りかかった。
「どうして、こんなことを!? こんなことをして、一体なんの意味があるんだ!?」
「言った通りよ。あなたが、どこまで綺麗事を言い続けれられるか、見てみたいの」
「ふざけるな!」
「それと、せっかく殺し合いをしてるんだもの。本気を出してもらわないと、つまらないでしょ」
弱肉強食は世の理。そこに情だの理性だのの入り込む余地はない。そして死に瀕したときこそ、命はもっとも強く光り輝く。
「その輝きをぶつけ合い、削り合う闘争はセックスと同じ、最高の娯楽。違いがあるとすれば、命を生み出すか消し去るかの違いだけ。どちらも生物の根源的な行為であり、そこにはなんの不純物も存在しない。ただただ純粋な欲望、生物としての本能があるだけ」
ヴィラの目が恍惚に微睡む。
「くそ! くそ! くそ!」
ヴィラの御託など、どうでもいい。とにかく、1分1秒でも早く、ヴィラを倒さないと2人の命がない。しかしナイフ1本で、しかも片腕しかないヴィラを倒すどころか、一太刀浴びせることすらできない。対して、
「いい、いいわ。もっと、もっとよ。もっとわたしに、あなたを感じさせて」
ヴィラの口元には余裕の笑みすら浮かんでいたが、
「!?」
その動きが不意に止まった。視線を足下に落とすと、マジックロープが左足に巻き付いていた。
「今だよ、音和君!」
多知川の死力を振り絞った声に応じて、
「うわああ!」
音和の剣先がヴィラの胸を貫く。
殺した! 殺してしまった!
剣から確かな手応えが伝わるとともに、音和の心が罪悪感で締めつけられる一方、
「大変よくできました」
ヴィラの顔には満面の笑みが浮かんでいた。だが、それは音和を意のままにできた征服欲に加えて、
「でも、お生憎様」
彼の健気な覚悟を踏みにじれることへの喜びから生じたものだった。
「え?」
音和がヴィラの真意を聞き返すより早く、
「そして、これでゲームオーバー」
ヴィラのナイフが音和の首を切り裂いた。そして、ヴィラは倒れゆく音和を笑顔で見送りつつ、自分の心臓に突き刺さっている剣を無造作に引き抜いた。
「ごめんなさいね。言ってなかったけれど、わたし自分で自分をアンデッド化することもできるの。だから、本当はどんな攻撃をされても平気だったの」
そして、アンデッド化を解いたら、その間に受けた攻撃は完治する。
「あ、でも、卑怯とか言わないでね。ちゃんと、事前に気づくチャンスは与えておいてあげたんだから」
ヴィラは切られた右腕を見た。
「これ見て不思議に思わなかった? 普通、斬られたら血が出るはずなのに、全然出てないって」
言われて見れば、その通りだった。
「だから、わざと斬られたままにしておいたのよ。そのことに気づけば、わたし自身もアンデッド化してるって気づくと思って。でも、最後まで気づかないまま、悲壮感まで漂わせてトドメを刺しに来て。ホント、笑いをこらえるのに苦労したわ。て、もう聞こえてないわね」
ヴィラは動かなくなった音和に背を向けると、切り落とされた右腕を拾い上げた。そして、無造作に右腕を再接合すると、自身に施していたアンデッド化を解除した。すると、音和に貫かれた胸の傷が消失した。
「さてと、それじゃ用も済んだことだし、引き上げるとしましょうか」
村から引き上げようとするヴィラの前に、
「ん?」
ハクが進み出た。
「ああ、そういえば、まだあなたが残ってたわねえ」
ヴィラは微笑した。
「それで? わたしの前に立ちはだかって、どうしようというのかしら? けなげにも、御主人様の敵討ちでもする気かしら?」
この狐の強さは、ヴィラも知っている。とはいえ、しょせんは獣。本気になった自分の敵ではない。
自分を見下し嘲笑するヴィラに、ハクは深々と息を吐いた。
『まったく、この程度の奴に、いいようにコケにされおって』
狐のものらしき声に、
「しゃべ」
ヴィラの顔を驚きが駆け抜ける。
『だが、まあ、こいつらにしては、よくやったほうか』
ハクは音和の剣を足下に転移させると、その柄をくわえた。
『見物だけで済めば、それはそれでいいと思っていたんだが、こうなっては致し方あるまい』
ハクはヴィラを見上げた。
『ヴィラといったな。おまえに1つチャンスをやろう』
「チャンス?」
『今の俺と戦っても、おまえには万に1つも勝ち目はない。だからチャンスをくれてやる。もしも、この体にかすり傷1つでもつけることができたら、おまえの勝ちにしてやる。そして、もしおまえが勝てば、俺は2度とこの世界に来ないと約束してやろう。どうだ? おまえたちにとっては願ってもない条件だろう。そもそも、これだけ手間暇かけたのは、元々俺をこの世界から排除するためなんだからな』
「俺を? まさか、あなた」
その先を言いかけて、ヴィラは事前に与えられていた永遠長の情報を思い出した。
「そういえば、トワナガには狐に変身する能力があるって話だったわね」
ヴィラは両手にナイフを構えつつ、再びアンデッド化する。
「それにしても、かすり傷でもっていうのは過信が過ぎるのではなくて?」
『そういうセリフは、つけてから言え』
「そうね。かすり傷なんてケチなこと言わず、致命傷を与えてあげる」
『だから、やってから言えと言っている』
「それじゃ、遠慮なく」
ヴィラはハクの背後に瞬間移動すると、
「はい。これで終わり」
ハクへとナイフを振り下ろした。しかし、
「え!?」
ナイフにはなんの手応えもない。そして残像を残してヴィラの背後に瞬間移動したハクは、
「が!?」
逆にヴィラの後頭部を剣で張り飛ばした。
『どうした? 俺に致命傷を与えるんじゃなかったのか?』
「……それは、こっちのセリフなんだけど? その気なら、今ので首を切り落とせたでしょうに」
『おまえが本気じゃなかったから、目を覚ましてやった。ただ、それだけの話だ』
「へえ? 優しいのね」
『逆だ。おまえはやり過ぎた。もはや、一片の情状酌量の余地もない。そのおまえをあのまま始末したら、おまえに言い訳要素を与えてしまうことになる』
狐の姿だったから油断した。人間の姿で現れていれば、最初から全力でいった。そうすれば負けなかった、と。
『まったくもって、不愉快極まりない。だから、おまえには全力を出し切った上で、なんの言い訳もできない程の実力差を思い知った上で、己の無力さを噛み締めながら死んでもらう。そのための手加減だ』
殺れるときに殺るという、己の主義に反することになっても。
『だから感謝などいらんし、これも教えておいてやる。今の俺に、おまえの呪いはきかん。無駄だから、やめておけ。もっとも自信満々で呪いをかけて「どうして呪いが効かないの!?」とバカ面さらしている間に首を掻っ切られてもいいなら、話は別だがな』
「……前言撤回するわ。確かに、あなたは噂通りの人物みたいね。背徳さん」
ヴィラは苦笑した。
「でも、知らないわよ。さっき殺さなかったこと、後で後悔しても」
『だから、させてみろと言っている』
「じゃあ、そうさせてもらうわ」
ヴィラはクオリティを発動させた。ヴィラのクオリティは「刹那」であり、その名の通り刹那の速さで動くことができるのだった。
ヴィラはハクの右に回り込むと、ハクへとナイフを突き出す。しかし、ハクは半歩下がってヴィラのナイフを空振らせると、
『カオスブレイド』
ヴィラへと漆黒の刃を撃ち出す。その威力は音和の倍以上だったが、
「危ない。危ない」
ヴィラは刃の殺傷圏内から余裕で飛び退きつつ、
「お返し」
ハクにナイフを投げつける。しかし、こちらもハクに軽々とかわされてしまった。
「さすがに本物はひと味違うわね。やっぱり、戦いはこうでなくっちゃ」
ヴィラは嬉しそうに笑った。
『何が「本物は」だ。おまえたちが勝手に間違えただけの話だろうが』
それを棚に上げて、詫びるどころか口封じのために殺そうとする。
『これだから脳筋は始末が悪い。どんなに自分に否があろうと、力で黙らせれば済むと思っているからな』
「それのどこが悪いのかしら? 世の中って、そういうものでしょ」
ヴィラは、しれっと答えた。
「そんな当たり前のことを得意げに言ってる暇があったら、自分の心配をしたらどう? 動きが互角な以上、かすり傷1つでもつければ勝ちな、わたしのほうが断然有利な状況なんだから。あなたに約束を守る気があるのなら、の話だけれど」
『動きが互角? 笑わせるな。俺がいつ、今の動きが全力だと言った?』
「え?」
『いいだろう。冥土の土産に見せてやる。本物の神速というものを。顕現』
ハクの全身が電光に包まれる。
「いいわね。それじゃ、お互い全力ってことで」
ヴィラは「刹那」のクオリティを発動させると、ハクの背後に回り込んだ。
殺った!
機先を制したヴィラは、ハクへと殺意を振り下ろす。直後、
『疾風迅雷』
ハクの姿がヴィラの眼前から消失するとともに、
「え?」
ヴィラの右手が切り落とされていた。
切られた? いつの間に?
ヴィラは切り落とされた右手を拾い上げると、急いで再接合しようとした。そのとき、
「痛!」
右手首に痛みが走り、傷口から血が吹き出した。
「血!?」
アンデッド化している今の自分に痛みはないし、出血もしないはず。なのに出血した。だとすれば、考えられる理由は1つしかなかった。
「これも、あなたの仕業? まさか、解除までできるなんて。反則もいいところね」
『何もしていない、なんの抵抗もできない人間にペスト菌をバラまいた奴に言われる筋合いはない。そして俺はチートじゃない』
「確かに、どの口が、ね」
ヴィラは苦笑した。
『そして』
ハクはヴィラのナイフを全部自分の足下に転移させると、
『これで、もうおまえに打つ手はない』
結界内に封じ込めた。
『次で最後になる。遺言があれば聞いてやる』
ハクに最後の慈悲を与えられたヴィラは、
「別にないわね」
あっさり拒絶した。
「言ったでしょ。死は平等に、そして唐突に訪れる。それが自然の理だって。それが、わたしには今日このときだった。ただ、それだけよ。それに」
ヴィラは倒れている音和を見た。
「かわいい道連れもいることだし」
『生憎だが、あいつらは死んでいない』
「え?」
『俺が治したからな』
傷は元より、呪いも毒も。
「直した!? あれを全部!?」
『本当なら、おまえが音和にかけた呪いもすぐに解けたんだがな』
ヴィラを追跡するには呪いにかかったままのほうが都合がよかったので、とりあえず放置しておいたのだった。
『おまえが死ねば呪いが解けるということは、その呪いによって、おまえと音和は「繋がっている」ということだからな』
「それって、例の追跡能力? でもあなた、確かその能力はなくしたんじゃ?」
移動の能力と引き換えに。
『確かに、今の俺のクオリティは「連結」じゃない。だが使える。ただ、それだけの話だ』
「どうやって?」
『リップサービスは、ここまでだ。中途半端に謎を抱え、悶々とした気分のまま死んでいくがいい』
「ホント性格悪いわね」
『だとすれば、それはおまえの性格が悪いということだ。俺の婚約者曰く「俺は相手を写す鏡」だそうだからな』
「確かに」
ヴィラは苦笑した。
『それに』
ハクは右に視線を向けた。
『わざわざ敵に情報を渡してやるほど、俺はお人好しじゃない』
「あら? 気づいてたの?」
『当然だ』
ハクはフンと鼻を鳴らした。
『おまえが変に余裕があったのも、あいつの存在に俺が気づいていないと思っていたからなんだろう』
「違うわよ」
『ほう?』
「だって彼、わたしの監視役兼報告役でしかないし、それを抜きにしてもわたしのこと嫌ってるから、間違っても助けたりしないわ。ま、わたしもそうするだろうから、おあいこだけれど」
『そうか』
「それに、助けを求めるのって、それで助けられたことがある人が成功体験からするものでしょ。わたし、今まで生きてきて、他人に助けてもらったことなんて1度としてないから」
奴隷として生まれ落ちてから、ずっと。
「しても無駄なことをするのは、時間と労力の無駄でしかない。でしょ?」
『確かに、その通りだな』
「わたしは、わたしのできる限り精一杯生きた。それで十分」
ヴィラは満足そうに笑みを浮かべた。
『もう1つ、冥土の土産に教えておいてやる』
「あら、サービスがいいのね」
『おまえの力を無効化したのは音和の力だ』
「え?」
『つまり、おまえは間接的にとはいえ、おまえが散々バカにしていた音和に負けたということだ』
「……それ、言う必要あった?」
『言ったはずだ。おまえには、なんの救いも与えない。なんの言い訳もできないなかで、無念のうちに死んでもらうと』
「ほんと、性格悪いわね。こんなことなら、あの坊やに殺されておくんだったわ。そうすれば、もっと優しく殺してくれたでしょうし、わたしのことを一生覚えておいてくれたでしょうから」
それに引き換え永遠長は、明日には自分を殺したことはおろか、名前さえ忘れている気がするのだった。
『おまえの最大の失敗は、音和の説得を聞き入れなかったことだ。あそこで素直に呪いを解いていれば、違った展開もあった』
「アハハ、それは無理ね。これでも一応社会人なわけだし」
裏切り者として追われる生活も、それはそれでスリリングだったかもしれないが。
「まあ最後に、あの甘い坊やに現実を教えてあげることができた。それで良しとしときましょ」
あの1撃で思い知ったはずだから。すべて自分の思い通りになることなどない。すべてを救うことなどできないのだ、と。
『そうか? だが実際のところ、その現実とやらで、音和たちもおまえも生存している。つまり、あいつは自分たちが助かり、おまえも殺さないという目的を現時点において達成したということだ』
たとえ、それが自分の手によるものでなかったとしても。音和が、そう望んで行動した結果が今に繋がっているのだった。
『そして、おまえは確かにこれから死ぬが、それは俺がおまえを殺したいから殺すのであって、音和の選択とはなんの関係もない話だ』
「こじつけ、屁理屈にしか聞こえないわね」
『おまえにはそうだろう。弱肉強食という自然の理を、自分の行動を正当化するための安直な言い訳に利用しているだけの、おまえにはな』
「どういう意味かしら?」
『おまえは偉そうなことを言っているが、要するに楽なほう楽なほうへと逃げているだけだということだ』
「…………」
『現実を知らずに甘い綺麗事をホザく奴は、ただの世間知らずのお坊ちゃんでしかない。だが現実を知って、それでもなお甘い綺麗事をホザき続ける事ができるのなら、それは甘さではなく強さだ。バカも貫けば強さになる。これは、あるバカの受け売りだが、おまえにはその強さがなかった。ただ、それだけの話だ』
「ほんと、容赦ないわね」
『言ったはずだ。おまえには、何1つとして満足したまま死なせてはやらんとな』
「よっぽど、あの坊やを傷つけたことが、お気に召さなかったようね」
『あいつは関係ない。あいつらはあいつらの意思でここに来て、自分の意思でおまえと戦った。たとえ、その結果死んでいたとしても、それが本人の意思ならば、そこに他人が口を挟む余地などない』
永遠長の怒りの根幹はペスト菌であり、その意味で言うとヴィラも八つ当たりを食らっているに過ぎないのだった。
『おまえを殺した後は、この件に関わった人間を全員血祭りに上げてやる。おまえだけが貧乏くじを引くわけじゃないから、その点だけは心置きなくあの世に逝け』
「それを聞いて安心したわ」
ヴィラは満面の笑みを浮かべたが、半分は永遠長への皮肉だった。
『それじゃあな』
「ええ、さようなら。楽しかったわ」
ヴィラは目を閉じた。そして次の瞬間、ヴィラの首はハクの剣によって胴体から切り離され、地面に転がり落ちたのだった。




