第206話
それは、羽続が人間に戻ってから10日が過ぎた、ある日曜日のことだった。
昼食を済ませた昼下り、羽続が梵と自宅で結婚式場選びをしていると、来客を知らせるチャイムが鳴った。そこで羽続がモニター越しに応対すると、来客はメイド服を着た赤毛の女だった。
普通なら、その時点で相手にしないところだったが、今回は少しばかり話が違った。
その女は、静火・グレイフォードと名乗り、常盤グループ総帥である常盤総の名代として訪れた旨を告げたうえで、こう言ったのだった。
学園裁判所と世界救済委員会について、お話ししたいことがあると。
「どういうことだ?」
羽続は静火を応接室に通すと直球で尋ねた。
「単刀直入に申し上げますと、わたくしどもはあなた方お2人に、常盤学園で働いていただきたいと考えているのです」
「は?」
唐突な静火の申し出に、羽続と梵は顔を見合わせた。
「あの、どういうことですか?」
話が見えず、梵は改めて尋ねた。
「常盤学園では、主の意向により、来年度より「学園裁判所」制度を導入することが正式に決定したのです。そこで羽続さんに、その裁判長に就任していただきたいと考えているのです」
「俺に?」
「はい。そして梵さんには常盤学園中等部の英語教員として、就任いただきたいと考えております」
「ずいぶんと俺たちのことに詳しいのは、さっき言った「世界救済委員会」の関係者だからかい?」
羽続は口調こそ軽かったが、その目は注意深く静火を観察し、いつでも奇襲に備えられるよう周囲に神経を張り巡らせていた。なにしろ、もし羽続が馬場に話した仮説が正しければ「世界救済委員会」は「救済者」を利用するだけ利用して、使い捨てにしようとしている組織ということになるのだから。
「戸惑われるのも当然です。では順を追って、ご説明させていただきましょう」
「そうしてくれると助かる」
「すべての始まりは、あるキモオタの思いつきでした」
静火は口調こそ穏やかだったが、その言葉の端々には怒りが散りばめられていた。
「そのキモオタは、この世界に魔物の脅威が迫っていることを、早くより気づいておりました。そして、考えたのです。その危機を若者に伝えれば、自分では思いもよらないような解決策を考え出してくれるのではないかと。そして、その解決策により、もし本当に世界が救われれば、それは「若者に解決策を考えさせようと考えた、自分の功績になるのではないか?」と」
「…………」
「そして同時に、最近ヒーローものにハマッていたキモオタは考えたのです。その若者たちに力を与えれば、空想でしかなかったヒーローものを、リアルで作り出せるのではないか? その大義名分となるのではないか? と」
そしてネット経由で若者たちに真実を伝え、自分の納得する解決策を提示した者に望む力を与えて、ヒーローに仕立て上げようとした。それが「世界救済計画」なのだった。
「ですが、その計画を実現させるには、ひとつ障害がありました。そのキモオタは、現在ある事情により自分の力を封じられた状態にあるため、自分で若者に力を授けることができなかったのです。そこで、そのキモオタは考えたのです。自分ができないのであれば、部下にやらせればいいと」
そこで白羽の矢が立ったのが、四大天使の一翼、水乃だった。
「キモオタは、その者に「世界救済計画」を代行させ、当初計画は順調に進みました。ですが、あるとき、その計画が他の部下にもバレてしまったのです。そして、面白半分で人間に力を与えて人外化させるような計画は、即刻中止するように求めたのです」
そして常盤も静火の進言を受け入れ、計画を中止する決断をした。まではよかったのだが……。
「そのことを良しとしない者がおりました。キモオタより計画を任されていた部下です。その者は中止命令に従うことなく、計画を続行させることにこだわったのです。その者は邪推したのです」
創造主様が計画を断念したのは、周りが無理強いしたからだ。それは決して、創造主様の本心ではない、と。
「その結果、その部下はキモオタの指揮下を離れ、クリエイターとして独断で計画を進め続けてしまったのです」
「じゃあ、俺に接触してきたのは、そいつってことか?」
「そういうことです」
「けど、ひとつ疑問があるんだが?」
「なんでしょうか?」
「なんで、そいつは俺や馬場みたいな奴に目をつけたんだ? ヒーローものってんなら、もっとそれにふさわしい人材がいるだろうに」
それこそ自衛隊員やスポーツ選手とか。
「それは、その者がキモオタと同じオタク属性を有する者だったからです。わたくしはよく存じませんが、その手の物語では定番なのでしょう? 非力でさえないボッチと呼ばれる者が、あるとき予期せぬ出来事から力を得て、ヒーローとして活躍する、というのは」
「……それで、俺や馬場みたいな奴が選ばれたってわけか」
ネタバレしてみれば、なんのことはない。世界救済委員会とは、とあるキモオタが己の願望を実現するために生み出した、娯楽の産物に過ぎなかったのだった。もっとも、それも静火の言うことが、すべて事実であれば、の話なのだが。
「そして、その者は今も計画を続行し、この世界に「救済者」を生み出し続けているのです。このままでは、魔物が復活する前に、この世界のパワーバランスが崩れかねません。そこで、あなたには学園裁判所の裁判官に就任するとともに、そのクリエイターが力を与えた「救済者」から、その力を回収していただきたいのです」
「学園裁判所の裁判官職は、そのための隠れ蓑というわけか」
「それもありますが、主の常盤は、本当に学園裁判所を御自分の学園に有益なものとして設立させたいとお考えなのです」
「つってもな。公立ならともかく、私立校に学園裁判所を導入したところで、たいして意味があるとは思えねえんだが」
しかも常盤学園と言えば、押しも押されもしない名門中の名門校。
「そこに行くのなんて、セレブの御子息様ばっかだろ? そんな連中は、それこそ勉学に勤しむのに必死で、他人のことなんて気にしてる暇なんてねえんじゃねえのか? それに私立なら、どんな校則でも作り放題だから、わざわざ学園裁判所なんて御大層なもん創らなくても、不穏分子は問答無用で退学させりゃいいだけなんじゃねえのか?」
わざわざ学園裁判所を創る必要性がないのだった。
「だからこそです」
「は?」
「あなたのおっしゃる通り、私立校は、その独自性から学校側の権限が巨大化する傾向があります。そして学生は学校に隷属し、少しでも問題を起こせば容赦なく切り捨てられる。それが人々の、私立校に対する印象でしょう」
印象てーか、それが事実だろ。
羽続は内心でツッコんだ。
「ですが、少子化が叫ばれて久しい昨今、そんな閉鎖的な環境のままでは、入学に二の足を踏む家庭も増えてくるでしょう。それでなくとも、高い入学金や授業料を払ってまで私立校に入学したにも関わらず、学校側の横暴により退学にさせられた、などという噂が流れれば、なおさらです。それでなくとも、些細なことでネット炎上するご時世なのですから」
「確かに」
「ですが学園裁判所を導入し、学内で起こった問題を公正かつ公平に対処している姿勢を明確に打ち出すことができたならば、世間の私立高に対する認識も少しは変わり、安心して入学できるようになるのではないでしょうか?」
「なるほど」
「そのためにも我が主は、あなたや久世君の御力をお借りしたいと考えておられるのです」
「久世? 久世にも声をかけたのか?」
「はい。最初は驚かれていましたが、事情を聞いて喜んで協力を申し出てくださいました」
確かに久世にとっては、渡りに船の申し出だったと思われた。
「で、白羽も学園に誘ってくれるのは、俺への見返りのひとつってことなのか?」
教員は、教員免許を取れたら即なれるわけではない。
教員志望者は、まず教員採用試験に合格した後、各教育自治体の「教員採用候補者名簿」に記載され、各学校の担当者と面談をした後に配属される。つまり試験に合格したからと言って、必ずしも教員になれるとは限らないのだった。
そのため、教員試験に合格した者の中には、試験に合格したにも拘わらず、教員になれない者も少なからずいる。
その倍率は、以前に比べて減少してはいるものの、今でも2倍以上はある。つまり試験に合格しても、3人に1人程度しか教員になれないのが現状なのだった。
そのなかで、私学校でも名門とされる常盤学園に採用されることは、梵にとっても渡りに舟の話ではあったが……。
「俺が、この話を断れば、白羽の就職先もなくなるぞ、と?」
「そんなつもりはありません。梵さんを誘っているのは、確かにそのほうが、あなたも活動しやすくなるという面もありますが、それは些細なことに過ぎません。梵さんを誘うことには、もうひとつ大きな理由があるのです」
「もうひとつ?」
「はい。あなた方は、すでにご存じだと思いますが、この世界にはすでに多くの人外の者が存在しています」
あのクソ狐どものことだな。
羽続の脳裏に、今は2階にいる化け狐の顔が浮かんだ。
「また、結界の弱体化に伴い、人間の間でもそれまで抑え込まれていた力が解放されつつあるのです。それは人によっては超能力であったり、先祖返りによる獣人化であったり、陰陽師に代表されるような呪術であったり、様々です」
そのことは羽続の想定内の事態であり、驚くには値しなかった。
「そこで常盤学園では、グループのネットワークを使い、それらの能力者たちを優先的に入学させているのです」
「優先的に入学ね。問題を起こさないうちに、拉致って隔離してるの間違いじゃねえのか?」
「入学するかどうかは、あくまで本人の自由意志に任せていますが、大半の者は素直に同意してくれています。突然、得体のしれない力を手に入れて戸惑う者にとっては、自分と同じ境遇に置かれ、自分のことを理解してくれる者がいる場所のほうが、居心地がいいのでしょう」
「まあ、そうだろうな」
他の場所だと、それこそ下手をすれば化物認定されて殺処分されかねないとくれば、なおさらだろう。
「しかし、そうは言っても、まだまだ年端も行かない子どもたちです。突然、身に過ぎた力を与えられ、情緒不安定になる者や、力に溺れる者はどうしても出てきます」
「だろうな」
「そんな子供たちを正しく導くためには、教師としての才覚以上に、人外の者を前にしても動じることなく、普通の子供と同じように接することができる強い心と、懐の深さが必須条件なのです。その点、妖狐に取り憑かれてもなお、その妖狐のことを慮ることのできる梵さんは、我が校の教員として最適の資質を有していると言えるのです」
物は言いようだった。
「そして、あなたとあなたの学園裁判所には、そんな子供たちを暴発させないための抑止力となっていただきたいのです」
「……なるほどな」
力を自由に付け外しできる人間が学園内にいれば、迂闊なことはできなくなるだろうと。
「いいだろう。そういうことなら引き受けよう」
羽続は梵を見た。
「わたしも、そういうことなら喜んで引き受けさせていただきます」
梵も迷わず答えた。
「ありがとうございます。主に、そう伝えておきます」
静火は軽く一礼した。
「ただし「救済者」の件については、条件がある」
「なんでしょうか? 報酬でしたら、1人につき百万円を考えておりますが」
「いや、そういうこっちゃなくてな。いや、別に金が欲しくないって言ってるわけでもなくて」
羽続は軽く咳払いした。
「そいつらから力を回収するかどうかは、俺の判断に任せるってことだ。確かに、力を与えられた奴が好き勝手に暴れたら、世の中メチャクチャになっちまう。だが全員が全員、そうなるとは限らねえだろ」
中には与えられた力を、本当に世のため人のために使おうという人間だっているかもしれない。
「それを、どんな経緯があるにせよ、いったん与えといて、それは間違いでしたから回収します。じゃ、いくらなんでも酷すぎだろ」
他人は、そのキモオタのオモチャじゃない。与えるだの取り上げるだの、そっちの一方的な事情で、振り回されるのは理不尽過ぎると言うものだった。
「それに、力を取り上げた後に魔物が復活して、もしそいつが魔物に殺されでもしたら、間接的にとはいえ、俺がそいつらを殺したことになっちまう。あのとき、力を取り上げられてさえいなければ、殺されなくて済んだかもしれねえのに、てな」
そいつが死んだのは、力を取り上げた羽続のせい。
後で、そんな気にさせられるのは、真っ平ごめんなのだっだ。
力を使って好き放題してた連中は、自業自得だから知ったことじゃないが。
「……わかりました。では力の回収に関して、判断はあなたに一任いたしましょう」
「なら引き受けよう」
て、そんなこと、メイドが即決していいのか? 普通、そういうことは、主にお伺いを立ててから返事するもんだろうに。どういう主従関係なんだ?
羽続は、そう思ったが口には出さなかった。他人には他人の事情がある。それを必要以上に詮索するのは野暮というものだった。
ともあれ、こうして梵は常盤学園の教員。羽続は常盤学園の裁判官に。それぞれ就任することになったのだった。




